第25話
テラスで私と同じようにコーヒーを頂いていたコスタス様は、曖昧な笑顔で私に『お帰り』と言った。喧嘩をしていた、という風ではなかったのに何がそんなに微妙なのか、席に戻って椅子を引いてもらうと、そんな仕草に慣れている自分に気付く。傅かれるのに慣れている。いけないいけない。私はそんな立場じゃない。偉いのはコスタス様で、私はそのおまけでしかない。気を付けないと。
手袋に包まれた手で注がれたコーヒーを一口飲む。丁度良く冷めている。ほっとした。普段は紅茶派だから、コーヒーは珍しい。
「何をそんなに不機嫌になっているんです? コスタス様」
「不機嫌なわけじゃないよ」
うにゅうにゅ口を動かしながら、彼も一口コーヒーを飲む。確かに、不機嫌と言うよりは戸惑っているようにも見えた。でも何に? お爺様とやっぱり何かあった? でもお爺様の方はご機嫌だったしなあ。どうしたんだろう。と、コスタス様の隣でくすくす笑っている妖精がいる。聞いてみようか。いや隙がないから駄目だな。
見えない振りって難しい。魔女でない振りは十年以上続けて来たけれど、それ以上に、日常生活を一緒にしている人に隠し事をするのは難しかった。こんな事ではいつかバレてしまうと思うのに、妖精と言うチートに頼りたくなってしまう。
「案外覚えているものだと思ってね」
「覚えている?」
「すごく小さな頃はたまにこっちに遊びに来ていたとか。家令の彼にも遊んでもらっていたとか。母が亡くなった時にも来ていたのを思い出したりとか。なんで楽しかったことまで忘れちゃってたんだろうって、ちょっとね」
「楽しかったからですよ」
「サーニャ?」
「楽しかったから、楽しい思い出が大事だから、壊れないように忘れていたんだと思います。私もあまり良い思い出はないけれど、ぱっと思い出すとちゃんと母は笑顔ですし。楽しかったからこそ、傷付かないように忘れていたんだと思います」
ちょっと偉そうな言い方だったかな、と思っていると、そっか、とコスタス様は得心行ったように手を叩いた。それから笑って、私を見る。ちょっと大人びてきている最近だ。出会ってからもう四か月近くか、成長期の男の子はこんなに変わっていくのか。そして侯爵としての威厳を持って行くのだろう。
私はその隣でちゃんと夫人然としていられるだろうか。大いに心配である。主にお父様と対面したら、縮み上がってしまうかもしれない。そう露骨に態度に出さないかもしれないけれど、でも、と思う。でも、やっぱり怖い。そんな時に思い出すのが母の顔だ。厳しかったけれど笑顔も見せてくれた。
笑顔の記憶は愛しいものだ。コスタス様の大人びていく様子を見詰めているのも楽しい。肖像画のように時間の掛かるものでなく、もっと簡単に彼のその成長を残していくことが出来たら良いのに。妖精たちに頼んで小さな絵画を作ってもらおうか。手のひらサイズだったら、そう魔力も消費しないし良いかも。十六、七の男の子の変動って、どんな感じだろう。私も笑うと、コスタス様は不意に真剣な顔をした。どうしたのだろうと、私は首を傾げる。
「お爺様に何か言われたりしたかい? サーニャ」
「いえ、特には。ただ、コスタス様を頼むとだけ」
妖精の話はしない方が良いだろう。かいつまみすぎた答えに、そうか、とだけコスタス様は頷く。
「ねえサーニャ、君は魔法使いや妖精を信じるかい?」
信じるも何もあなたの隣にいますけれど、とは言えず、やっぱり首を傾げて答えを保留とする。ちょっとどきっとしたのは秘密だ。お爺様に何か聞いたのだろうか。例えば大奥様のこと。例えば魔導書のこと。例えば小さな頃の病気のこと。そしてその回復と同時に亡くなった大奥様のこと。
繋げて考えればちょっとは気付く要素がある。妖精たちへの態度。多分コスタス様は、自分の病気と奥様の死の繋がりに気付いている。だから妖精たちを許せない。その存在を忌まわしく思ってしまう。でもそれは、表出する場所がない。コスタス様には妖精が見えていないから。
魔法使いや妖精。ここではいと応えてしまったらどうなるだろう。私はまた、捨てられる?
「僕の傍には妖精がいるらしい」
「……」
「それらが僕を助けてくれていると。冗談じゃない。そんな事で侯爵まで上り詰めたって嬉しくはないよ」
「……、」
「魔法使いだってそうだ。余計な事をして寿命を縮めて僕を一人にする。そんなのが周りにいたらなんて考えたくもない。僕は僕の力だけで生きていきたい。その邪魔をするなら、すぐにでも追い出してやる」
ぽろ、と。
涙が落ちる。
コスタス様は私を凝視する。
それから。
光に包まれた妖精たちが、ぶわっと咲くように私の中から広がった。
『コスタスの馬鹿!』
『アリアズナのことも考えないで!』
『サーニャのことも考えないで!』
『一人ぼっちになるのが怖いだけの癖に!』
『意気地なし!』
『傲慢!』
『ろくでなし!』
『サーニャに嫌われちゃえば良いんだ、コスタスなんか!』
『サーニャがどれだけ心を込めて編み物をしているかも知らないで!』
『私たちの力も借りずに手にまめを作っているのも知らないで!』
『コスタスの、大馬鹿!』
次々に罵声を浴びせられたコスタス様はきょとんっとしてから、一拍置いてうわあっと椅子をずり下げた。控えていたメイド長が少し笑う。彼女も見える人なのか。と言うかこの屋敷はそう言う人で構成されているのだろうか。魔女や魔法使いの隠れ家として。妖精たちの避難場所として。
私は目元を拭って、お化粧が崩れちゃっただろうな、なんて呑気な事を考える。嫌われたのに。決定的に嫌われたのに。やっぱり私は愛が分からない。だからどうしようもない。こんな時どうしたら良いのか、分からない。
妖精たちの大発生で口をぱくぱくさせていたコスタス様は、一度深呼吸をして、それから私を見直した。ぽたぽた涙が止まらない私は、顔を上げられない。だけどそっと顎に触れられて上げさせられると、抵抗は出来なかった。妖精たちはその間も馬鹿とか間抜けとかぎゃんぎゃん騒いでいる。
「……君が、魔女?」
こくんと頷く。
嫌われた。
完全に、嫌われた。
「もしそうだと言うならサーニャ」
ぎゅっと抱きしめられる。
「どうか僕に魔法を掛けるのは止めて」
そんなの、もうどうしたら良いのか分からない。
「君を失ってまで欲しいものなんてないから、どうか」
優しい魔法でも使わないで。
コスタス様の懇願に、私はその肩に額を付ける。
あなたは私を嫌わないでくれますか?
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