第30話

「しかし本当にいきなりだな、帰って来るのが」

「いや、新聞でリョーリフ伯爵がリュミエール侯爵夫人を杖で殴り付けたなんて知ったんでね。いつの間に侯爵になったのか調べたり土産は何が良いだろうか吟味してしまったらこんなに時間を食ってしまった。侯爵領も広いからなあ、なるべく珍しいものでないと面白くないかと思ってね」

「相変わらず変な所で凝り症だな、お前は。サーニャさん、この通り一風変わった奴だがそう敬遠はしないでおくれよ」

「は、はいっ! 私こそすっかりご挨拶が遅れて……春になったら結婚式を挙げる予定ですので、その時にお目通り頂こうと思っていたんです。それが色々あって」

「実の娘に手を上げるような奴がいなくなって社交界も清々しているだろうな。偉い事を偉そうに誇示する奴は嫌いなんだ、私は。それにしても目立って残る傷じゃなくて良かったよ。瘡蓋はまだ残っているようだけれど」

「お見苦しくて申し訳ございません……」

「とんでもない。息子の嫁としては上出来な美人だよ、サーニャは。元々はコスタスが殴られそうなところを助けてくれたって言うじゃないか。まったく、申し訳ないのはこっちだよ」


 お土産にもらった寄木細工のパズルに夢中なアリサさん、大旦那様のお茶を置いて出て行くナターシャさん。伯父様と私と大旦那様は、ちょっとぎこちないながらも団欒していた。領内の端っこでゆったり湯治を楽しんでいたらしいのに、呼び付けてしまったみたいな形になってしまったのは居心地が悪い。

 本当、春の結婚式が私の社交界デビューだと何となく思っていたから、こんな形で大旦那様に会うことになるなんて思っていなかったのだ。結婚した時もカード一枚寄越しただけだったし、やっぱり歓迎されてないのかな、と思ったぐらいだ。年上だし、パーティーなんかに出たこともなかったから目立たない存在だったし。実際あの時のパーティーで私の存在を知った人も多かったぐらいだ。伯爵家の次女。三女である妹がすでにデビューしていたから、余計に悪目立ちしていた。


 そんな私を助けてくれたのがコスタス様だった。踊って頂けませんか。綺麗な緑の目に誘われて、そのまま私はここに居る。なんだか分からないけれどそういう風になっていた。男爵家のみんなはそんな私にも優しい。私もこっそり魔法を使えるぐらいだ。もっともコスタス様に言われてからはそれも駆使していない。たった一つ、愛を知りたいと言うあの魔法だけは生きている。


 愛かあ。結局コスタス様のいない日常にも慣れてしまってるし、やっぱり私には過ぎたものなのかもしれない。妖精たちは遠距離恋愛、とか言っていたけれど、やっぱりそれは焦がれる思いがあってこそ成り立つものだろう。私達はどこか淡白だ。だから妖精たちもどこかぶすくれている。そう言われても、と言う感じだ。

 でも大旦那様がいらっしゃったとなると、私も態度を改めなくてはならない。ちゃんと侯爵夫人として睦まじく暮らしているように見せなければ。放り出されたら野となれ山となれの現状は変わっていないのだ。帰る場所はない。ここしか。ここを追われてしまったら、私は生きていけない。魔女としての自分に頼って行かなくては、生きていけない。


 本当はそんなの嫌なんだけれどな。でも大旦那様のマフラーに憑いている妖精は、多分大奥様の仕業なんだろう。時間がたってもそこで大旦那様を守っている。それは素敵な事にも見える。私や母より、恵まれた魔女だったんだろう。大奥様は。お爺様と言う理解者もいたし、屋敷の人間もそれを知っていた。

 羨ましいな。私には理解者が誰もいない。強いて言うならお爺様だけれど、コスタス様は魔女の私を封じ込めようとする。多分大奥様が自分を助ける為に亡くなった事に気付いているからなんだろう。寿命を削るようなことをして欲しくないと言うのは、愛されていると言う事なのだろうか。愛されて。私には、まだ、やっぱり分からない。


「アリアズナがいた頃を思い出すなあ。あの頃はよくこんな風に三人で喋っていたものだ。アリサちゃんの位置はコスタスだったが。あのはにかみ屋が舞踏会で女の子引っ掛けてきたなんて、最初に手紙を貰った時は何の冗談かと思ったぐらいだが、こうして見ると解らんでもない。細面な所がアリアズナに似ている。本当に、よく似ている」


 目を細めて言われ、そうなのかな、と私は自分の頬に手を触れる。妖精たちはそう言えばそうかもね、なんて言っていた。魔力で人を見るのが妖精たちだ。その彼らが言うのなら、私達の魔力は似ているのかもしれない。母の生まれ育ちの詳しい所は知らないけれど、もしかしてどこかの貴族の傍系だったのかもしれない。そしてやっぱり、追い出されたのかも。

 何と言っても侯爵家が魔女の家系なんだから、それは否定できない事だった。案外あの屋敷で働いていたこともあるのかもしれない。今はもう何にも分からない事だけれど。


「アリアズナさんも会いたかったろうなあ、息子の花嫁だ。子煩悩な人だったから、焼きもちを焼いたかもしれないけれど、きっと両手離しに歓迎してくれただろう」

「そうだな、あれはそう言う女だった。あれから五年か」

「あっと言う間だな」

「コスタスが結婚するほどの長さとは思わなかったが」

「確かに、それは言える。棺に縋りついて泣いていたあの子がねえ……」


 しんみりしている二人に、完全に置いて行かれる私である。

 大奥様の話はナースチャさんたちにも聞いた事があるけれど、メイドさんよりやっぱり大旦那様の方が思う所があるのだろう。すっかり冷めたハーブティーを口元に持って行く。

 共有しない思い出を持つと言うのはちょっと落ち着かないな、なんて。


「そうだ、サーニャにはこれを贈ろうと思っていたんだ」


 大きな旅行鞄二つのうちの一つを大旦那様は開ける。出て来たのは手編みだろう、ストールだった。ずっと自分で編んだ基本的なショールを使っていた私には、飾り編みも複雑なそれにきょとんとしてしまう。


「アリアズナの形見では一番大きなものだからね。少しでも妻を感じてくれたら嬉しい」


 はあ、と呆けながら受け取ったそれには、無数の妖精たちが埋まって眠っていた。

 大奥様のストールか。何か曰くがあるような気がしたけれど、あえて口にはしなかった。

 大旦那様の意図が読めないからだ。

 どうしてそんな大切なものを私に渡すのだろう、なんて。

 大奥様の編んだものは全部自分で持って行ってしまったと、コスタス様が拗ねていたぐらいなのに。

 その夜私は、理由を知ることになる。

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