第9話

 私が魔法を使えるようになったのは五歳の頃だった。同じく魔法使いの母は伯爵の愛人をしていて、都合の良い時だけ大金を持って不幸をばら撒かせるために母を訪れていた。政敵の呪殺や家の傾き、それらを利用して父は伯爵家に一大栄華をもたらした。だけど私が十歳の時に母が亡くなると、今度は私を自分の屋敷に連れて行って呪術書を読ませ、代わりにしようとした。


 私は母の言いつけで魔法が使えないことにしておけと言われていたけれど、手違いで何度かの成功をさせてしまったために、暗い図書室に監禁されて一日中魔術の練習をさせられるようになった。母は自分の位置を守りたかったのだろう。父の唯一の魔女になりたかった。だから役立たずなふりをしていれば、不安定な能力のこと、家を潰されかねない。

 そう思った父は私の輿入れ先をさっさと探すことにした。なるべく害のない下級貴族に。そう、コスタス様のような優しい方に。寿命と魔力は比例する。父の無理な願いを聞き続ければ私はこの歳まで生きていなかったかもしれない。そのタイミングで輿入れが決まったのは喜ぶべきことだ。思いながら私は地下の書架に向かっている。ランプはちりちりと炎を灯してくれるけれど、儚いと言わざるを得ない。


 大奥様の読んでいた本は地下にある、リリーさんに教えてもらった私はそれを見付けに来たのだ。コスタス様の身内の人となりを知っておくために、それは大切な事だろう。編み物ばかりしていてもあまり役には立てないだろうから、貴族としての教養本があったら良いと思って。

 でも埃を被った背表紙は何が書いてあるのか分からない。大奥様の亡くなったのは五年ほど前だと言うのに、どうしてこんな所に思い出をしまい込んでいるのかも分からない。と、見覚えのある文字を見付けた。母の蔵書にあったものだ。そっと手を伸ばす。背表紙に指を掛けた瞬間。


「サーニャ!」

「ひゃっ」

「何をしている、サーニャ!」


 振り向くと見た事のない顔のコスタス様が階段に立っていた。ぎらりとする目が怒りを称えていて思わず肩を竦めてしまう。私が怯えたのに気付いた彼は、はっと息を飲んで一度深呼吸をした。それから私の名前を呼ぶ。サーニャ。

 父なら無言で殴り飛ばされているところだ、思うとちょっとその瞬間の沈黙が怖かったけれど、コスタス様は深呼吸でそれを止めてくれた。大丈夫だろうか、目を開けても良いだろうか。両手でランプを持っても震える火は収まらない。そっとそぅっと目を開けると、コスタス様は私の前に立っていた。今朝ナースチャさんに綺麗に巻いて貰った髪に手を触れさせて、ぽんぽん、と頭を撫でられる。


 初めての経験にきょとんとしていると、苦笑いをされた。どこに笑うところがあったのだろうか、探しても分からない。コスタス様が自分を落ち着かせているのだろうか。この図書室は、一体何がそんなに厭われて。本に触れる事すらも、許されずに。どうして。訊きたくてもまだ男爵家の内情に深く触れることを許されていない私では教えてもらえないだろう。肩を落とすと明かりも下に行く。ごめんよ、と旦那様は謝った。


「いきなり怒鳴り付けてすまなかった、怖い思いをさせてしまったね」

「いえ、私の勝手が招いた事です。申し訳ありません、旦那様」

「戻った」

「え?」

「『コスタス様』から『旦那様』に戻った。ごめんよ、そんなに怯えさせるつもりはなかったんだ。ただ母の蔵書はちょっと問題があるから、あまり触れてほしくなくて」

「はい」

「簡単な本なら僕の書斎にもある。それで我慢してもらえないかな」


『――ああまたあんなことを言って!』


「え?」

「サーニャ? どうかしたのかい?」

「いえ、気のせいかと」


『僕達の事を本当に閉じ込められていると思っているのかな、コスタスは!』

『お嫁さんも随分な魔力の保持者みたいじゃないか。もしかしてこの声が聞こえているかも知れないぜ』

『サーニャ、もし聞こえていたらハンカチを落として』


 ……気のせいじゃない!?


 階段を上がっていくコスタス様に着いて、そっとハンカチを落とす。きゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえた。下町で母と暮らしていた頃にはよく聞こえていた、妖精の声だ。でもどうしてこんな所に妖精が? 解らない。大奥様の書庫に、妖精。うちの妖精たちは魔導書に憑く類で、家を焼き払われた時にほとんどが死んでしまった。伯爵家にあったのは写本が殆どだったから憑いているのは見掛けなかった。魔法は妖精と対だ。それがこんなにいるって事は、大奥様はもしかして。


 否否、詮索は止めよう。それは罪だ。私は今幸せだ。ここを追い出されたら生きていけない。だから気が付いたとしても、気付かなかったことにしよう。私は私の暮らしが大切だ。でもこのハンカチを取りに来るとしてもそれは合理的な判断だ。

 夜にまた来てみよう。姿を見せてくれるかもしれない。もしも大奥様が輿入れされた理由が私と同じならば、嬉しい事だ。仲間がいる。それは、嬉しい事だ。


 だけどコスタス様にはなんと言い訳をしたものか。階上の書斎にあるのは料理や編み物の本と言った普通の本ばかりで、やっぱりあの本棚は隠蔽されているのだな、と言うことが分かった。編み物は役に立つけれど。ケーキなんかもそのうち焼いてみたいな。一日中台所にいるコックさんが許してくれたらだけれど。

 その前に、せっかくの寒い季節だし、家使い用のショールも編もうかな。男爵領は王国内でも北にある。年中長袖でも困らない程だ。私が温めてあげられる場所はどこでも温めよう。一応夫婦、なのだから。


 そして短い日が落ちる。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る