第32話

 次の朝、アリサさんや伯父様と一緒で、だけど大旦那様のいるお陰でいつもよりちょっとだけ賑やかになった食卓は、居心地の良いものだった。湯治場での失敗談。コインを持っていなくてロッカーを使えなかったり、滑って転んでお湯の中にダイブしてしまったり。今は崩した小銭を袋いっぱいに持っているんだがね、と言われて、思わず笑ってしまった。極端で面白い。コスタス様に少しずつから一気に仕事を叩き込み領地を譲ってしまっただけのことはある。そう言えば今日はコスタス様が帰ってくる日だけれど、この親子はどんなやり取りをするんだろう。

 拗ねたような愚痴しか聞いた事がなかったから、ちょっと気にならないではなかった。普通の親子ってどんなやり取りをするのかな。父娘はアリサさんと伯父様で分かっているけれど、父子は解っていない。自分の家では成立する会話がなかったから、本当、ちょっとわくわくしているぐらいだ。どんな会話を交わすのだろう。コスタス様の態度はどうなるのだろう。気になってふふっとちょっと笑うと、大旦那様に優しい笑みを向けられる。思わず照れてしまってから、ナプキンで口元を拭いてお皿に置いた。ちょっと崩すぐらいで良いんだっけ、こう言うのは。


 それにしても、大旦那様はいるだけで空気が明るくなる人だなあ。陽気でジョーク好きで、とてもコスタス様のお父様だとは思えない。否、こういうお父様だからこそああいうコスタス様になったのだと思えば納得は行くかもしれない。顔はどうだろう。コスタス様まだ若いって言うか幼い所があるから、壮年の大旦那様とは比べられない。

 どこをとっても微妙に似ているようで似ていない父子。それはちょっと面白くて、不思議。自分の顔はよく知らないし、母と父の面影は髪や目の色にしか感じられない。今度じっくり鏡を見てみようか。お化粧もたどたどしいから、練習になって丁度良いかもしれない。城での舞踏会では専門の方がやってくれたけれど、自分ではまず合う色が分からないぐらいだ。リリーさんに任せてしまえば良いのだろうけれど、自分のカラーぐらいは知っておきたい。


 そう言えば父はカーキ色が好きだったな。外套もそんな色だったはずだ。私のアイライナーも緑が合っていた。そう言うところは少し似ているのかも。嬉しいような複雑な気分だな、これは。

 食事を終えると早くにアリサさんたちは発って行った。玄関まで大旦那様とお見送りをする。次はお母様用にショールを作るのだそうだ。上げた毛糸玉は二色、ピンクと黄色。ちょっと若いかなと思ったけれど、その色が一番余っていたからそうした。多分大奥様の個人的なものを編んでいた色なのだろう、それは。でも人に作る方が楽しくなってきちゃったのかな。解る感覚だ、それは。

 そうして私は肩に掛けていたストールを取り、改めて大旦那様の方を向く。うん?と目を開けられて、ぎこちなく笑って返した。こういう時、どんなふうにすれば良いか分からない。中ではまだすやすやと妖精たちが眠っている。夢に干渉する子たちなのだろう、きっと。だったらもう間に合っている。私は大旦那様の、大奥様の、コスタス様の事を知った。


「お返しいたしますね。大旦那様にも思い出深いのでしょうから、コスタス様のおくるみとして使っていたのなら」

「――やはり君は見える人だったんだね、サーニャさん」

「大奥様の名残が強いだけですわ。でもコスタス様には隠しておいた方が良いと思います。ご自分が大奥様の死に関係しているなんて、知りたくはないでしょうから」

「そうだね、そうするよ」


 ストールを受け取った大旦那様は、それをナイトガウンの肩に掛けてふうっと息を吐く。


「やはりこれが一番落ち着くな。アリアズナの温もりがまだ残っている気がする。もう五年も経つのに。コスタスも結婚してしまったと言うのに。まだまだ子離れできていない。無理やり離れてみても、結局心配になってしまう」

「良いじゃないですか。人を愛することを知っているって、素敵な事だと思います。私はよく解らないままここに輿入れしてきましたけれど、屋敷の皆さんが優しいのは嬉しいです。出来れば、大旦那様にも」

「勿論、サーニャ。私は君の父親になるんだからね」


 手を取られてまた手の甲にキスをされる寸前――


「何こいてんだこのエロ親父!」


 どかんと音を立てて開いたドアから、コスタス様が顔を出した。おお、と大旦那様は私の手を放し、ハグするように腕を広げてコスタス様に近付いて行く。

 しかし落とされたのはげんこつだった。

 おうっと呻いて頭を抱える様に、ぷっと思わず笑ってしまう。

 これが、父子のコミュニケーションなのか。肉体言語だな、激しい。


「サーニャに手を出していないだろうな、父さん! キスは手の甲までだ、と言うかそこだけだ! 僕だってまだすんなりと出来ないのに、よくもやってくれたな!」

「なんだお前らまだ白い結婚か。お父様は早く孫の顔が見たい」

「好きで白いんじゃないよ、近いうちに孫は見せたいと思ってるよ! その前に手を出されるのが気に入らないだけだ、僕は!」

「えっ」

「えあっサーニャその、えっと僕は、そろそろそう言うのも良いかなって思ってるだけで、勿論サーニャの事は尊重するつもりでいるから、だから待てるから、そのなんだ、ええいあんたの所為だくそ親父! 折角だ、僕の書類を手伝え! 執事から伝書鳩が届いてから夜通し馬車で走って来たんだ、持ち帰りの仕事はまだある!」

「あ、それでしたら私がお手伝いを」

「サーニャにはこっちの領地の書類を任せてあるんだから、そっちを頼むよ。本当、仕事に縛り付けて置かなきゃ危なくて仕方ない人なんだから、この父は! 一段落ついたらお爺様にも顔を見せに行ってもらうからな!」

「えっ私お義父様怖い……アリアズナ攫ったことまだ言われるんだもん」

「だもんなんて可愛い言い方しても一人で行ってもらうからな。その間僕はサーニャといちゃいちゃする! 一週間分だ!」


 ぎゅっとコスタス様に腰を抱かれて、ちょっと頬が赤くなる。一週間。違う洗剤の匂いのするスーツ。案外長かったのかもしれない、それは。愛を知るほどとは、思わないけれど。でもなんだかこの位置は――心地良い。

 によによしているメイドさん達や穏やかな笑みを浮かべている執事さんたちに気付いていても、離れたくない。

 って言うか執事さん流石だな。上級使用人ってすごい。主に意見することも出来るってこう言う事だろうか。手際が良くて格好良いわ、いっそ。

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