第42話
ドレスを着て髪を巻いてお化粧をしてもらう。今回は自分だけのドレスだと思うと、なんだかうきうきとした気分になった。花屋さんが厳選してくれたとっておきのブーケを机に置いて、教会に向かう馬車が今か今かと待ち焦がれる。コスタス様は先に向かっているらしい。そして待っている。花嫁が来るのを。私が来るのを。
結婚式も当日となるとそわそわした気持ちが高まって堪らなかった。何度も鏡を確認してふふっと笑う。明るいメイクに慣れた私は、笑えるようになっていた。コスタス様にストールを渡した時はもう自然とハグも出来るようになっていたし、頬へのキスもお互い慣れていた。そのストールはコスタス様が持って行っている。私も大奥様のストールで行くつもりだ。婚約指輪代わりのようなものだから、ストールに合うドレスにしてもらった。
くるくる回ってドレスがひらひら遊ぶのを眺め、また私は笑う。可愛いかな。綺麗かな。試着も見せていないから今日が初めてのお披露目だ、コスタス様にとっては。リリーさんたちにはメイクの練習もあって何度か見せたけれど、その甲斐あって淡いメイクは私に合っている。もう一度姿見を覗き込んで、うふふ。
先に男爵領でお披露目のパレードもするから、せめて自慢になる夫人でありたい。綺麗な綺麗な、お姫様のようでありたい。
笑っていると、キィっと音を立ててドアが開いた。誰だろうと振り向くと、そこにはタキシード姿の見慣れない男性が立っている。きょとん、としてしまうと同時に、私はそれが誰かを思い出す。
お兄様。現リョーリフ領主。伯爵家の現当主だ。
ちょっと濃い金髪、碧眼は私と同じ。すっかり記憶から抜け落ちていたその人の登場に、ちょっと混乱してしまう。リョーリフ伯に招待状は出していない。縁は切れたものと思えと言われていたからだ。それにリョーリフ家は男爵領地にも侯爵領地にも進入禁止になっていたはずだ。なんだってこんな所に。
こつ、と靴を鳴らして入って来られて、思わず後ずさる。何の用で。何のために。ぎゅっとストールを掴んでみると、妖精たちが湧いた。敵対心剝き出しなのもいれば、きょとんとしているのもいる。
お兄様はクッと笑って、蔑むように私を見た。結婚式で見せられる顔じゃないな、と思う。そんな覚えはない。
「これはこれは侯爵夫人、実家には何の便りも寄越さず婚礼衣装とはお美しい限りだな。アレクサンドラ」
「……呼び捨てにされる覚えはありません、リョーリフ伯。あなた方は私たちの領地に入れないと通達が来ていたはずです。何の御用でしょう」
「はっ。偉そうになったものだな」
「事実、偉いんです、私。お兄様より。ここは旧男爵領ですよ。早く帰って下さい」
「生意気を言う。こそこそ隠れていた方が可愛げもあったものを」
「あなた達の言う可愛げは魔女に対するそれです。そしてそれは今の私に必要ない」
「侯爵家に取り入ったのは魔女の力じゃないのか?」
「違います。コスタス様は正統な後継者でいらっしゃいました。私は何もしていません」
そう、私は何もしていない。魔法なんて使ってない。魔女でも魔法を使わずにいられることは出来るのだ。私は魔女だ。だけど出来損ないだ。だからこんな半端な暮らしが出来る。幸せにもなれる。母とは違って。正妻になれなかった、愛人にもなり損ねていた、母とは違って。
フン、とお兄様は鼻を鳴らす。それから近付いて来た。カツカツ鳴る靴。じりじり壁際に追い詰められていく私。眇められた碧眼。黒いタキシード。まるで悪魔。
壁に背中がくっ付いた。もう逃げられない。否、逃げる必要なんてない。すうっと深呼吸をして、私はせいぜいお兄様を睨み上げる。まっすぐに。
「リョーリフ伯。あなたは私に何の関係もない。出て行ってください。婚前の花嫁の部屋に入るなんて、不躾にもほどがあります」
「バージンロードを一緒に歩いてこいとの命令でね。精々私達がもう何の諍いも持っていないことを示さなければならないんだ。それは出来ないね」
「関係はない、と言っているんです。あなた達の事情なんて。私は私の幸せのために式を挙げるのです。あなた達に邪魔される謂れはありません」
「――このッ」
手を振り上げられて思わず肩を竦める。だけどそれが振り下ろされることはなかった。そっと目を開けると、妖精たちがわらわらと湧いてお兄様の手を掴んでいる。見えない何かに腕を固められた兄は、下ろすことも引くことも出来ない事に戸惑っている様子だった。そこに声が響く。あーッ。
ドアから私たちを見つけたのは、リリーさんだった。
「花嫁に手を上げようなんて何してるんですか! って言うか誰ですあなた!? ナースチャ、ナターシャ! 不埒ものだよ!」
「私はこの娘の兄だッ!」
「嘘おっしゃい、兄が妹の結婚式で手を上げようとするなんてことがありますか! それにサーニャ様の家族は男爵家と侯爵家だけです! 伯爵家からは縁は切られていると聞いています! 不埒もの、早くサーニャ様から離れなさいッ!」
リリーさんの小柄な身体に引っ張られて、お兄様はずりずりと後退していく。手に憑いていた妖精の何人かが、リリーさんのブローチに戻って行った。虫の知らせ、と言うのをやってくれたんだろう。その後やって来たナターシャさんとナースチャさんの三人メイドに引き立てられて、お兄様は退場する。
うちのメイド軍団強い。いつかコスタス様も言っていたけれど、本当に強い。それにしても殴られなくて良かった、お化粧が取れるところだった。もう時間もないのに。お兄様を伯爵家の馬車に詰め込んで退場させたメイドさん達と、すれ違いに教会からの馬車に乗せられてブーケを忘れず式場に向かう。ちょっと四人には狭かったけれど、三人にも一緒に見て欲しかったのだ、私の晴れ姿を。コックさんや執事さんにも。みんな私の、家族だから。血が繋がっているだけじゃない、家族だから。
バージンロードで手を引いてくれるのはお爺様。フラワーガールはアリサさん。そして祭壇で待っているのは私の作ったストールを掛けた、この世で一番、愛している人。何の屈託もなく、そう言えるようになった人。
『本当はね、魔法なんて使わなかったのよ』
『だってサーニャはもうコスタスを愛していたもの』
『自覚できるよう、ちょっとお手伝いをしただけ』
『それでサーニャは十分幸せになれる』
『魔女でなくても、幸せになれる』
『魔女でも、幸せになれる』
『アリアズナみたいにね』
私は差し出された手を取り、祭壇へ向かった。
混じりっけのない愛に包まれたキスをした。
互いに照れ笑いをして、花々に包まれた。
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