魔法の編み物はお好きですか?

ぜろ

第1話

 ぱちっと目を覚ますと、今日も目覚まし時計より早起きだったことに、ふぅっと私は息を吐いた。


 アレクサンドラ・ド・リュミエール。それが二か月前からの私の名前だ。リュミエール男爵家に嫁いできたのが二か月前、その前までは伯爵家で隠されるように育てられてきたから、他人の家と言うのはどうにも落ち着かない。お茶会は招いたことも招かれたこともないし、お城で行われるパーティーだって今のところ出たのは一度きりだ。姉のお下がりの似合わないドレスで出席し、そのまま縁談を始められ、慶事は早い方が良いだろうと言う事で私はここに居る。ちなみに私の意見は特に聞かれなかった。初めてのパーティーでおろおろしていたところで声を掛けられ、父はその機会を逃すまいとリュミエール男爵に私を押し付けた。男爵は私より一つ年下だったけれど、洗練された紳士だったので、伯爵家の令嬢を娶るには相応しいと父は喜んでいた。私は何も口を挟めず、この調子だ。眠れない夜に朝。男爵は家に慣れるまではと私に個室を用意して下さったけれど、正直それは助かる事だった。十七歳の私には房術など望まれても困るし、かと言って世継ぎが生まれなくては私は伯爵家に逆戻りにさせられるかもしれない。それは、嫌だった。厄介そうな目で見る家族や怯えるメイド達。それは、嫌だった。


 とりあえず顔を洗おう。こんな時間から働いているメイド達に迷惑は掛けられないから、私は軽いドレスに着替えて部屋を出る。長い髪は三つ編みにしたままだ。男爵――コンスタンティン様はまだ眠っておられる時間だろう。室内靴で慣れた通路を歩み、洗面所に向かう。と、洗濯物を持ったメイドに見付かってしまった。


「奥様! おはようございます、どうかなさいましたか?」

「おはようございます、アナスタシアさん。顔を洗いに洗面所へ行くだけです、お気になさらず」

「ベルで呼んで下されば洗面器をお持ちいたしますのに」

「そんなご迷惑は掛けられませんから。あなたもこれからお洗濯なのでしょう? 一人で出来る事は一人でやらなければ、重荷になってしまうのは苦手なので」

「奥様……」


 ほぅ、と頬を赤められて溜息を吐かれ、それじゃあ、と私達は別れる。ふわふわのタオルを一枚用意して、私は水を『作り』、顔に押し付けて冷たいそれで顔を洗った。終わった後はただの水に戻して流してしまう。タオルで顔を拭くと、鏡の中の自分と目が合った。

 ――暗い顔。とても貴族とは思えない。タオルを『乾かし』、私はそれを洗濯物の中に混ぜた。


 私が家族に忌み嫌われていた理由はここにある。物心つく前から、私はどうやら『魔法』が使える体質だったらしい。赤ん坊の頃は泣き叫んで部屋を滅茶苦茶にし、幼児の頃は父の蔵書を火で全滅させ、学齢になる頃には制御できるようになっていたけれど、親兄弟やメイド達には怯えられて来た。十五歳で学校を卒業してからは部屋を出ることを禁じられ、殆ど軟禁状態だったと思う。仕方ないと諦めて、それが突然外に連れて行かれたと思えば格下の男爵家に無理やりの輿入れだ。

 やっぱり諦めた顔を見せたと思うけれど、旦那様――コンスタンティン様は嬉しそうに私をエスコートして下さった。せめてその顔に泥を塗らないよう、静かに縮こまって生きて行こうと決心したのが、やっぱり二か月前である。実家に帰されることが無いように。子供を一人か二人産めば良いだろうけれど、この体質が遺伝してしまうのではと思うと床を共にするにもためらいがあった。その点でも、今は個室で居られることが落ち着く。


 部屋に戻って軽く化粧をすれば、それなりに見えた。コンコンコンコン、とノックをされ、奥様お食事の準備が整いました、と声を掛けてくれるのはラリサさんだろう。ドアを開けるとまだ年若い――私より年下だ――メイドのラリサさんが緊張した面持ちで立っている。にこ、と笑いかけると、また顔を赤くされた。この家のメイドさん達は私が笑うといつもそうなる。何か出てしまっているのかな、魔力とか――心配に思いながらも、とりあえず知らぬふりをする。もしかしたら伯爵家での私の噂がメイドたちの口伝で伝わっているのかもしれない、なんて思いながら。


「おはようございます、ラリサさん」

「おはようございます、奥様」


 にこっと笑う顔はまだ幼さが残っていて可愛らしい。妹がいたらこんな感じだったのかな、なんて思いながら、私は食堂に向かう。後ろをしずしずついてくるラリサさんは、私の正体が魔女だと知ったらどんな顔をするのだろうな、と思ってしまう。嫌われてしまうのだろうな。隠さなくちゃ。ここでは絶対に、隠さなくちゃ。

 食堂ではナイトガウンを着込んだコンスタンティン様がちょっと寝惚け眼で待っている。夫婦用の小ぢんまりとしたテーブルに向かい、ドアの開く音と共にぱっと顔を上げて微笑みかけて来てくれた。やっぱりちょっと幼い顔で、こちらも可愛らしいと言ったら不敬罪なのだろうか、と思ってしまう。ちょっとだけ笑いながら、私はおはようございます、とスカートを上げて頭を下げれば、おはよう、と笑い返された。


「サーニャは早起きだな。もうしっかり身支度が整っている。僕はまだこんな格好だって言うのに」

「たまたま目が覚めるだけですわ、コンスタンティン様」

「コスタスとは呼んでくれないのかい? まだ」

「そんな失礼は……」

「夫婦の間にも礼儀はあるけれど、こんなものはそれに入らないよ。さ、朝食にしよう。今朝のデザートはブリヌイらしいよ」


 デザート一つに破顔する、この人の傍にずっと、いられる自信があればよかった。

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