第3話

 本当は魔法ですぐにでも編み込みは出来るのだけれど、あえてそうはしなかった。ちっくりちっくり進めていくのが良いのだ、編み物と言うのは。三人のメイドさんには一応口封じを願ったけれど、にこにこしているラリサさんの様子に旦那様がきょとんとしていて、私はちょっと冷や汗だったり。紅茶にジャムを溶かしながら飲んで見ると、美味しかった。時間の加減も茶葉の量もばっちりだ。美味しい、とメイドさんたちの方を見ると、赤くなられる。何故だろう。私はメイドを赤面させると言うニッチな魔法は使えないと思ったけれど。

 お茶の時間はゆっくり流れる気がする。実家では顔を出すことすら許されなかったからだろうか、まるでお姫様になった気分だ。ふふっと笑うと旦那様は、ご機嫌だね、と微笑みながら言う。


「編み物を始めたのです。久し振りだから楽しくて」

「そのショールもサーニャが編んだのかい?」

「ええ、初めての作品です。今はこれよりもう少しは上達していますよ」

「君は不思議な人だね。伯爵家から格下の男爵家に嫁がされたと言うのに文句も言わず、些細なことを喜ぶ」

「実家では許されない事でしたので」

「やはり伯爵家では、厳格な教育を受けたのかい?」

「いえ、私には過ぎたことばかりだっただけです。コンスタンティン様」

「コスタス」

「それはまだ、もうちょっと先で」

「ぶー」

「ふふっ」

「ははっ」


 ぶーたれて見せられるのが可愛い。油断してもらえるのが嬉しい。まるで本で読んだ家族のようだ。思えば嫁いできたのだから、この人は私の家族なのだと思い出す。だったらもう少し、砕けた物言いをしても良いのだろうか。コスタス様。それにはまだちょっと早い。かな。膝掛けが出来た時にでも呼んでみようか。この人の事を愛称で。そう出来たら良いな、思いながら私はくふくふと笑いながら温かい紅茶を頂いた。ぬるいミルクと固いパン、虫食い葉のサラダなんかよりよっぽど良い。

 早く家を追い出したくて男爵家に押し付けられた私だけれど、それで良かったのかもしれない。強引に話を進めて、年上で爵位も上のお父様に逆らえずあたふたしていた人に、私は救われている。だからせめてもの恩返しはしないといけないだろう。他に私にできそうなこともない事だし。どうすれば報いることが出来るか、そればかりを考えてしまう。サーニャ、と呼ばれて嬉しい。あの家では名前を呼ばれる事さえ忌避されてきた。


 ああこれって幸せって言うんだろうか、もしかして。救われたことは幸いなのだから、それは間違っていない。少し紅茶をかき混ぜて、ジャムが残らないようにスプーンで攪拌してからくっと飲み干す。ほー、っと丸い息を吐くと、旦那様が薄く笑っているのに気付く。冬には雪も降ると言う男爵家では、紅茶は欠かせない飲み物なのだと言う。男爵領は伯爵領よりずっと北だ。冬の冷え込みは想像できないけれど、だからこそ膝掛けは温かくしなければな、と思う。ぬくもりの魔法がどれだけ続くかは分からないけれど。まあ、ほつれる度に吹き込んでいけば良いだろう。

 いらないと断られるかもしれない、一瞬浮かんだ考えは、くーっと紅茶を飲み欲して私と同じように息を吐く姿に否定される。もう一杯、と強請る姿は子供のようだ。否、十七歳の私より一つ年下なのだから、下手をすれば十五歳。十分子供の年齢だろう。背丈だって踵のある靴を履いた私より少し低いぐらいだし。大旦那様は湯治の予定がそのまま男爵位を旦那様に譲り渡してしまったのだと聞いている。心地良い所で余生を過ごすことに決めたのだそうだ。それでも二人は仲の悪いと言う事もなく、月に一度は手紙をやり取りする仲だ。いいな、と思う。私がここに来て以来、実家との縁は完全に途切れた。おそらく男爵位も据え置きだろう。せっかく伯爵家の令嬢を引き受けたと言うのに、しかも私みたいな魔女を引き取ってくれたと言うのに、薄情なものだ。婚姻関係は恋愛にあらず、家と家の取引だと言うのに。


 あのお父様の事だから、もう私の事なんて忘れているのかもしれないけれど。お姉様も、お母様も。問題は丸投げか横に流す。仕事のスタイルと一緒だ。じゃあ旦那様は、コンスタンティン様は、どうなんだろう。私の本当の力を知っても、真摯に受け止めて下さるだろうか。


 まあ期待はしない方が良い。その方が楽だ。諦め続けてきた人生なのだから、それがまた一つ増えたって変わる事なんて何もない。何もかもが適当になるだけだ。適宜当てはめられるだけだ。火炙りすら覚悟していた時代があるのだから、すべては大したことじゃない。

 でも、でも、と思ってしまえばきりがないのだ。喜んでくれたら良いな、褒めてくれたら良いな。様々なコンプレックスを拗らせている私にとって、純粋でまっすぐな旦那様はちょっと眩しすぎる。太陽を求めるひまわりはその熱で枯れるのだ。ひと夏で往生する。私もそうだと良い。私限りの突然変異で魔法が使えるだけなら、それだけで良い。もしも旦那様との子供が出来ても、その子は普通でありますように。そう願わずにはいられない、早過ぎる母性の目覚めだ。

 とは言え相手も子供だし、まだそんなに焦らなくてもいいのだろうか。否否、十五歳と十六歳の差は大きい。

 なので、訊いてみた。


「コンスタンティン様、お誕生日はいつですか?」

「うん? 三日後だよ」


 え。


「それは……何かパーティー的な催しも……」

「あはは、特にないよ。ちょっと夕食が豪華になるだけ。こんな辺境の男爵の誕生パーティーなんて、誰も取り立てて来てくれるものでもないよ。親戚からプレゼントぐらいは届くかな?」


 かなって。かなって。

 ご機嫌に聞いてませんけれど!?


「旦那様、そろそろお仕事の時間です」

「ああ、分かったよ。それじゃあご馳走様。サーニャ、また夕飯で」


 ちゅ、と頬にキスをされる。そのぐらいでは照れないけれど。

 大ピンチだ……。

 私も立ち上がって、メイドたちに会釈してから、部屋に戻った。

 あと三日で、仕上げなくては。ほかほかな、膝掛けを。

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