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  • 寮に住んでいた頃に流行っていた悪戯を息子様に話したことがきっかけでとんでもないことに発展しましたね。

    作者からの返信

    この美のこ様、

    コメントありがとうございます。

    息子、やらかしてしまいました。私は、年を取るとともに大人しくなっていった(上手く隠す様になった?)ので、大学では謹慎とかなった事はありませんでした。逆に、息子は、妻の下で、「良い子」に育てられていたので、小中高と全く問題のない子供でした。私達の元を離れて、大学で少しハメを外しても良いのではないかと思っていました。

  • 奥様と息子様にとってはタイムスリップしたような田舎は斬新だったことでしょうね。

    一方、実家の近所の人たちにとっては奥様と息子様は注目の的だったことでしょうね

    作者からの返信

    この美のこ様、

    コメントありがとうございます。

    弟が、私達が東京駅で新幹線へ乗る時に、「タイムマシーンに乗せてやる」的な発言をして、日本語が少し分かった妻は、そんなに速く走るので、高速に近づき、時間が縮むと言う、アインシュタインの相対性理論みたいな事が頭に浮かんだと言ってましたが、実は、実家の辺りは、昔のままの世界だったと言う話は、今でも会話に上ります。ジブリのトットロの映画を見ては、この話は戦後間も無くのはずなのに、80年代の広島の山奥と変わらないところもあるなとも、妻は言っています。

  • @fumiya57様。

    >8月6日が登校日でない県があったと知って驚きました

    私も実は全国的に登校日だと思っていて驚いたことがあります。
    折り紙で折り鶴を折るのも当たり前のように思っていましたが、他県ではあまり鶴を折らないとも聞きました。

    両親が原爆にあってることで結婚に支障があるなんてことがあったことにも驚きました。



    作者からの返信

    この美のこ様、

    コメントありがとうございます。

    広島市内ではないですが、同じ県内で生まれ育ったおかげで、日本人としても、ユニークな体験ができたと思います。しかし、これは広島県人には共通の思い出の体験でもあります。例えば、ちょっと東の岡山県の中国山地の町に生まれていたら、どうだったんだろうかと思う事もあります。

  • @fumiya57様、こんにちは😊

    女子大生と勘違いされて送られてきたものが、まさか、サニタリー ナプキンとは思わないし、男性だったら、ピンときませんよね。
    とんだ勘違いに大笑いしてしまいました。

    男の子が怪我をした時に、その大型バンドエイド(?)を貼っていたのは傑作ですね。

    作者からの返信

    この美のこ様、

    コメントをありがとうございます。

    ホストファミリーの母の弟は未だ幼い子供でしたが、私の場合は、大学生になってからの話で、寮のルームメイトは何か知っていました。ルームメイトから話を聞いた友人達も皆何の事か理解して爆笑してました。日本と米国の性教育の差だったのでしょうか?彼らの中にg、もっと幼い頃に、同じ様な事を経験していたのでしょうか?


  • 編集済

    フミヤさんはヤ―さんっぽいの?

    ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

    作者からの返信

    オカン🐷様、

    帰国前まで、ウエイトトレーニングを本気でやっていたのので、身長181cmで、体重が100kgを軽く超えていました。スポーツ狩りにしたら、事務のおばちゃんが、やばいのが来たと間違って、椅子から転がり落ちそうになったと叱られました。妻の高校生の同級生を脅せた目つきも悪かったですからね。白人のおねいちゃん(妻)を連れて歩いていると、まるでヤ●ザだと言われてました。その目つきの悪いのを隠そうとサングラスをかけたらもっとヤバく見えたそうです。

  • ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
    夫たらし!
    罪がなくてよろしいんじゃございません。

    作者からの返信

    オカン🐷様、

    コメントをありがとうございます。

    結婚生活、最初は、私が主導権を握っていたと思っていたのですが、いつの間にか完全にコントロールされています。恐ろしいことです。

  • @fumiya57さま

    こんにちは。
    まさかの学生からのナンパ、奥さまはとても若くて可愛らしいのですね。日本人大学生は比較的シャイなイメージがあります。ナンパしてくるなんて、奥さまが相当魅力的だったのでしょう。
    くどくど誘おうとしてくる大学生 (^^;)、既婚者だよ、は会話のどこかで出ていたのではないでしょうか? 聞き取れなかっただけで……。でも「夫が教官だから」はきちんと聞き取ることができたんですね。そこであっさり引いてくれて、良かった良かった。
    この時の@fumiya57さまの奥さまへの対応は模範的だったようですね (^^) 良かった良かった。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子 様、

    いつもコメントをありがとうございます。

    妻も、ただ英会話を練習したいだけで誘っているのだとしか思っていなかったので、既婚者とか言う話は出ていなかったのだと思います。本人も、自分よりも10歳くらい若いであろう学生に、デートに誘われるとは思ってもいなかったのでした。時期が、未だ冬で、手袋していたので結婚指輪も見えなかったですし。お互いが、勘違いしていたのでした。実は妻の指輪は物凄く小さい物で、余り目立たない物でもありました。「手袋をしていても分かる様なもっとでかいの買ってやるぜ!」が更に正しい答えだったのでしょうか?^_^

    夫が教官だと分かった時点で、余りにも動揺しなければ、ただ英会話を練習していたと思えたのでしょうが、慌て過ぎでした。こんな嫁を持った教官がいるとは思ってもいなかったでしょう。(台湾人の奥さんを持つ理学部の教官はいましたが、彼らの場合は見た目ではわからなかったです。) 英会話の得意な学生には、キャンパスにいる外国人(特に白人)には積極的に話しかける者も多かったです。きっと、キャンパス外でもそうだったのでしょう。最初からホテル等へ誘う様なナンパではなく、あくまで、会話をすること、知り合いになるのが目的でした。

  • 以前、自分に自信が持てない奥さまに、十分自信を持っていいんだよ、それだけ素敵なんだからと言って聞かせた、というようなことを書かれていましたが、本当に誰もがちょっとお付き合いしてみたくなる、魅力的な方なんだろうな、って想像しました。

    そしてそれだから博士も、いつも奥様に叱られたと言いながら、それが結構のろけのようにも聞こえるんですから、やはり博士にとってもお他人さんにとっても、素敵な魅力ある女性なのでしょう。そう思いました。

    作者からの返信

    @88chama AKAローバ様、

    コメントをありがとうございます。

    妻のこと、少し褒めすぎだとは思いますが、若く見えたのは確かです。(そして、その頃は、もう痩せすぎではなく、出る所は出ていました。)男には、やや警戒心があったのですが、女性には慣れやすかったのだとも思います。

    妻に、こっ酷く叱られても、母や先生達に叱れて育った私には、余り効果がなかったのも問題だったと思います。私には愛情表現の一種でした。日本にいて、妻がますます私に頼る様になってしまったのは、結果的に彼女の自立性を無くしてしまったのだろうと反省もしています。頼られると、そこが男の見せ所とか思ってしまう馬鹿な昭和男ですし。

    編集済
  • 私も奥様に出会ったら、きっとたらされていたと思います。
    というか、たらされて仲良くなりたいな、と思います。
    そして、博士のことをいっぱいチクル?のを聞いてみたいな、なんて悪趣味なこと考えています。
    だって、博士の武勇伝については、きっと奥様の言い分はたくさんありましょうし、こんなに心配で身も心も痩せちゃった、と教えてくださるでしょうからね。
    そして4時起きさせられても平気な、お抱えシェフのこぼれ話なども聞きたいな、なんて想像したりもしました。
    奥様が日本の生活も満更じゃなかったようなので、とても嬉しく思いました。

    作者からの返信

    @88chama AKAローバ様、

    コメントをありがとうございます。

    日本のおばちゃんは、「母親」なんだと思います。お世話になった皆さんは、迷子の様な妻を掘って置けなかったのだと。

    可哀想な迷子の様に見える妻だったかも知れませんが、家ではちゃっかり私を使ってました。下の弟達とは年は離れていて、上の二人とは年子だったので、姉と兄に甘やかされて育ったのが原因か、特に兄に、私もあれこれとやらされてしまいます(今でも)。今朝も寝床からショートメッセージで朝食のリクエストが来ています。^_^

  • 第19話 猛烈な母の話。への応援コメント

    お母様も強烈なパンチのある方ですね。
    うふふ、この親にしてこの子ありですね。
    しかし、子供の頃のわんぱくな子って先生も覚えていて下さるので、誰だっけ?って忘れられるよりいいかも( ´艸`)

    作者からの返信

    この美のこ様、

    コメントをありがとうございます。

    母は男だったらとんでもない暴れん坊だったのではないかと思います。脳筋であったと思います。もっと後で都会に生まれていたら、スポーツで成功していたかも知れません。高校は自転車で山を越えて片道一時間かけて通っていた様なところで育ったので(今は庄原市内)、部活もでくなかったようでした。

    編集済
  • 第18話 息子の大食い伝説への応援コメント

    うふふ、息子様、頼もしいほどの食べっぷりですね。

    >ある日、息子が牛丼の持ち帰りを三人分持って帰ってきた。それを見た妻が、息子が家族全員のために牛丼を買って帰ってきたのだと勘違いして、なんといい子だろうと感動していたら、三人前を全部一人で食べてしまった。

    奥様が嘆かれた気持ちはわかりますが、これには大笑いしました。
    さすが大食いの息子様、あっぱれです(笑)

    作者からの返信

    この美のこ 様、

    コメントをありがとうございます。

    この大食いの息子ですが、つい最近、よく食べる孫の世話をしていて、ー妻とこの話をしていました。しかし、もし、家にいたのが私の母だったら、息子は一人で食べてしまわずに、母には一食譲ったと思うと、夫婦で合意してました。今でも、おばあちゃん子です。息子が独り立ちする前に、日本に住んで、私の家族と仲良くできたのは本当に良かったと思っています。

  • @fumiya様、こんにちは😊

    息子様の爆弾発言に笑ってしまいました。
    子供って大人事情は関係なしで素直に思ったことを言いますからね。
    でも弟様は、それにひるむことなく答えて凄いです。

    息子様から見たら、何故パパがおばあちゃんからバカ呼ばわりされるのかって思ったのでしょうね。
    息子様はパパの味方で優しいな。

    作者からの返信

    この美のこ 様、

    コメントをありがとうございます。

    息子のおかげで弟は子供を持つことが恐怖になってしまい、しばらく結婚して家族をもてなくなったと、妻に言ってました。しかし、息子は、今でも叔父さんが大好きです。

    母の馬鹿発言については、未だ母に慣れていなく、私達3人だけが自分の家族だと思っていたのだと思います。妻の親族と付き合いはありましたが、それほど深くはないつきあいでした。妻と妻の母の間には問題があったので。その後、息子が本当のおばあちゃんに懐くのに時間はかかりませんでした。

  • >おばちゃんマグネット

     何か知らず知らずに、引き寄せてそうで怖いですね。私は生ビールマグネットです。あ、私の方が引き寄せられているのか。

    作者からの返信

    @Teturoさん、

    コメントありがとうございます。

    変なじいちゃんマグネットだったら、もっと怖いですね。一度、露出狂に出会いました。

    私も昔はビールをよく飲んでいましたが、もう何年もアルコールえお飲まない生活をしています。米国は基本的に車社会なので、酔ったら何処へも行けません。妻を時々救急室へ連れて行くので、家でも飲まない方が良いのです。酒を飲まない生活にはもう慣れました。

    編集済
  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    奥さまの「おばさんたらし」能力はたいしたものですね。これが発動するのは日本限定なのでしょうか? 
    日本の田舎へ行くと、外国人、とくに白人系の人は露骨に興味を持たれます。でも、興味を持ちつつ、同時に怖くもあるので、いかつい、にこりともしないおっちゃんには声をかけません。声をかけるのは、子供やにこにこした若者、穏やかそうな女性です。奥さまもフレンドリーな感じを醸し出していたのでしょうね。いつもいつも外国人だということで話しかけられることを不快に思われていなければ良いのですが。
    ターキーの落ちには笑わせていただきました。日本料理だけじゃなく、そのころはもうターキーの丸焼きまでマスターなさっていたのですね。素晴らしい旦那さまっぷりです。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    おばちゃんタラシは、日本の方が効果的でしたね。夫を顎で使っている(?)ところも受けたのでしょう。

    妻が初めて実家へ行った時には、小学生3人組にサインを求められて戸惑っていました。私の実家は大田舎なので、のどかです。下校中の小学生の女子が数人、何故か山に面する我が家の裏から出現して、母屋と物置となっている建物の間を通り抜けて、家の前の道路へ出て行くのを見て、妻がびっくりした事がありました。

    編集済
  • 奥様、とても若く見えるお綺麗な方なんでしょうね。
    それにしても、カルト勧誘は笑いました。実は、私の敬愛するカトリックのシスターの話なんですが、修道院に来て、あるカルト宗教集団の二人組が勧誘に来たそうです。もう爆笑しました。
    おそらく宗教をまるでわかってないんでしょうね。

    作者からの返信

    雨 杜和 様、

    いつもコメントをありがとうございます。

    若く見えたのは確かです。息子は、実際に若くして生まれたのですが、いつも、若すぎる母と言われていました。

    修道院に勧誘に来るカルトとは、分かってないですね。まあ、そんな人達なので、カルトに入ってしまうんでしょうが。知り合いの大学院生が、ヨーロッパで、キリスト教の団体として、シスターや神父の様にセックスを避ける誓いをする集団が、定期的に現れる言ってました。が、自然消滅することが繰り返されていると言ってました。ある意味で、これもカルトですね。

    編集済
  • @fumiya57さま

    こんにちは。
    「大金をかけて色々と検査しても、何の異常も出てこないのが特徴でもある」……これはなんて残酷なことでしょう。激痛があるのに、どこも悪いところが見つからない。本当は現在の知見では、という但し書きがあっての所見なのでしょうけれど、お医者さんにどこも悪いところは見つからないと言われると、患者さんによっては、じゃあ自分がおかしいんだ、と強い自己否定につなげてしまいそうです。日本で線維筋痛症についてある程度の知見のある医師にかかれたのは幸いでしたね。
    今ではかなりひどくなってしまっているとのこと、原因が分からないと根本的な治療につながらず、不安が大きいのではないかと思います。せめて、良い対処療法があると良いのですが。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子 様、

    コメントをありがとうございます。

    実際に、痛む神経の部分を解剖して見ても、何も見つからないとどの医者も言いますが、ちゃんと見ていないのではないかと疑う者もいると思いますし、佐藤さんが言われる様に、自分がおかしい、特に瀬真的に、と思ってしまう患者も多いと思います。個人的には、精神的な過剰反応が妻の問題だと思います。ローラーこコースターに乗って、怖くて緊張しよて身体中の筋肉に力を入れ続けてしまい、体中が筋肉痛になる人がいれば、乗っている間、リラックスしていて、何の問題もない人間もいると聞きました。妻の場合は、車が100メートル先にでてきても、緊張して、体に力を入れて警戒しています。もっと、リラックスしろといってもできません。孫を風呂に入れる時も、別にいなくて良いのに、私一人では信用できないと、やって来て、あれやこれやと要らない心配してました。薬を飲んでリラックスしろと言っても、薬が怖くて飲めません。まあ、死ぬまでこのままでしょう。


  • 編集済

    ターキーで言えば、足を冷凍したものが、グローセリーストアで一番安かった記憶があります。

    先生がターキーを料理した時に、何かお腹に詰め物をされたのでしょうか?

    作者からの返信

    加福 博さん、

    コメントをありがとうございます。

    そうなんです。腹に詰めるドレッシングが一番の問題でした。ターキーの重さからして、5−6時間のベーキングが必要でした。腹に詰めるドレッシングを調理して、少し常温まで冷ましてから腹に詰めるので、逆算すると、朝4時起きでした。ドレッシングは、通常はブレッドクラムを入れますが、日本では売っていないので、食パンから自作でした。玉ねぎにセロリに我が家ではマッシュルームが入ります。ブレッドクラム、足りなかったので、追加で麩(ふ)を大量に投げ込みました。今は、コーンミールから、コーンブレッドを作ってそれでドレッシングを作っています。後、ターキーから落ちた汁でグレービーを作りました。

    妻は前日にパンプキンパイと何かデザートを作って、その日の朝遅く起きて来て、グリーンビーンズキャスロールとスイートポテトの何かを作れとリクエスト(命令)して来ました。サラダは彼女が作ったと覚えています。

  • それは、なんとまあ、奥様、日本でいろいろ素敵な思い出を作られたんですね。
    私の知り合いにも家族同士が、お父様、お母様と呼び合っている家がありますが、なかなかに敷居が高いです。
    歴史に名を残している家柄ではあるんですが。これを詳しく話しだすと、甚だ問題も多くて。
    とりあえず、うちの子が小さいときには、よく遊んでもらったものです。

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    コメントをありがとうございます。

    おかげさま、おばちゃんには大人気の妻でした。実は、私も宴会などで、中居のおばちゃん達には人気でした。誰かが、私の妻が米国人だと告げると、なんだかんだと寄って来ていろいろ言われたり聞かれたりしました。それで、うちの妻は、日本の主婦らしい事は全くしないので私が全部やらされていると言うと、みんな大喜びでして、私のテーブルに余計に料理が出て来たりしました(まあ、あの頃は体重が三桁に達してましたし)。

    妻は、教授の奥様は、「〇〇さん」としたの名前で呼んでいたのだそうですが、先生のお母様はどう呼んでいよいかわからず、妻が遊びに行って、教授のお母様をどう呼べば良いのか聞いたら、家族で相談して、「お婆さま」と呼ぶように言われたそうでした。私なら、笑ってしまったかもしれません。できるだけ、あそこには行かないようにしてました。しかし、我が家にターキーを食べにこられた時には、さすがに、できるだけ丁寧に話しました。

  • 奥様のご病気、なかなかに厄介ですよね。こうした、長く続く病気は、ご本人も周囲の方も大変だと思います。
    お大事になさってください。

    作者からの返信

    雨 杜和 様、

    いつもコメントとねぎらいのお言葉をありがとうございます。

    今になって振り返ってみると、米国に留まって治療とカウンセリングを進めていたら、良くなっていたのかと悩む事もあります。日本滞在の最初の半分は割と元気だったのですが、息子が大学へ行ってしまってからは、妻の状態は悪くなってしまいました。妻に取って息子の存在は大きな支えになっていたのでしょう。その子供が自立してしまったのはショックだったのでしょう。しかし、私の父までもが、私の息子一人で米国へやるのは心配でならないと言って、二人で共感していたのには呆れましたが。

    編集済
  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    奥さまは、少女時代に自分が経験することのできなかった、仲の良い幸せな家族像に強いあこがれを持ち続けていたのですね。結婚してから、自分と@fumiya57さまとの間に理想の家庭を築こうとしたし、うまくいかなかったお父さまやお母さまとも幸せな関係を作り上げたい、ずっとそれを望んでいたのですね。
    その渇望を他人が推し量るのは難しいのでしょうが、外から見ていると、その願いがそのままの形で満たされるのは難しかっただろうと思わされます。それよりは、その飢餓感を@fumiya57さまと息子さんとの同居で満たしていくほうが良かったのだろうなと。結果的に、その方向でうまくいったから、そう言えるだけかもしれませんけれど。
    日本に行けば、その幸せな家庭がまた別の問題により奪われる可能性があると怯えていらっしゃった、これはわかります。そうですね、まだ当時はサービス残業だって当たり前、とくに大学の教官であれば、平日は教育と雑務、休日は『好きでやっている』研究に時間を費やし、家事や育児は奥さんが全部やる(そのための奥さんだ)という考えが今以上に強かったと思います。
    アメリカに残るか、日本に行くか、この選択は奥さまにとって、自分の人生の中でも最大の決断を迫るものだったのかもしれませんね。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    日本に来て、私の家族と親睦を深めたのは良かったのですが、実は、それが自分の家族と比較して、とても悲しくなってしまった時もありました。信頼できる家族を持ちながら、それを当たり前の存在としてしか扱わない私。それに比べ家族愛を望んでいるのに与えら得ない自分が惨めに思えてきたのでしょう。彼女の家族は、日本にいる間に一度も電話してこなかったのでした。慣れない、国際電話なんてかけなくても、妻の方からかけてくるまで待つという方針だったのでしょう。

    息子は母と大変仲良くなり、母が訪ねてくると、母と二人だけで出かけていました。休みになると、一人で、実家へ行くのが当たり前になっていました。妻へよりも母へ優しい息子に、妻は少し嫉妬したと思います。これには、妻も嫉妬していたと思います。おかげで、両親と祖母には、とんでもない両親(私たち夫婦)がいても、孫は一人で良い子に育ったというオピニオンに至ってしまいました。ある意味正しいのですが。

    もう一つ、妻の精神的な問題も含む、医療への不安もありました。特に、英語ができるカウンセラーが見つかるかや、一人で病院やクリニックへいけるかという心配もありました。健康面では、まだ米国でも稀で、日本ではあまり知る人のいなかったフィブロミアルギア(線維筋痛症)だという診断を受けていた妻には、この症状が日本でも治療できるのかがも未知の話でした。

  • 奥様が日本に行きたくないのが不思議を、多くの方が、そうしたコメントを残していると読み、少しだけ驚きました。
    このお話が何年代か、よくわかっていませんが、先生の文章から類推するに、おそらく1980年代頃でしょうか? この当時でしたら、日本の主婦は専業主婦が普通であり、夫に尽くすことが常識でしたでしょうね。そして、さらに自己卑下をすることが多かったと思います。自由なアメリカでは残業がなく、休みが多いのは事実で赴任先で楽しんではいたことでしょう。私の知り合いの男性はイギリス赴任から戻って、日本に馴染めず病気で入院しました。
    さらに想像するに、日本人特有の個性かもしれませんが、相手国のことを褒めたと思います。しかし、赴任先の欧州で鬱病になった母親の帰国子女が友人にいますが、そういう妻は表の赴任先の日本人社会に出てこないですよね。家にこもってしまいますから。
    ともかく、奥さまはとても素敵な旦那様をお持ちだと思います。
    長くなってしまってすみません。

    作者からの返信

    雨 杜和 様、

    いつもコメントをありがとうございます。

    これは90年代初頭の話です。バブルは弾けていました。多くの方から質問があったわけではないのですが、ある方に指摘していただいたので、気がつきました。今でも、主婦が会社から無視されるのが当たり前ですよね?大抵の米国の会社では、クリスマスパーティー等は家族混みが基本です。大学でも同じです。日本で育った女性の多くにはなんでもないのでしょうが、米国人女性には、こんな社会では、やっていけないと思う人も多いと思います。

    妻は、その頃、線維筋痛症(ファイブロミアルギア)という病状を診断されていて、この症状が悪化すると、体中が痛み、普通の生活が困難になるかも知れないと言われていたのです。日本へ移住する前の妻は、今ほど症状はキツくはなかったのですが、ストレスで、更に悪化する可能性もあると言われていました。結果として、どちらの生活がストレスが少ないかの選択だったのだと思います。この症状が進んだおかげで、やがては仕事が出来なくなり、今に至っています。

    編集済
  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    穏やかならぬタイトルに、「まさかー!!」とは思いつつもちょっと動揺しました。

    > そこで、私が行き着いたのは、この問題の解決法として、妻が他の男性と付き合ってみるのも、彼女のためになるのでないかだった。

    ああ……。これは頭を抱えちゃいますね。いろんな意味で。
    この件について私はあまり口を開かないほうがいいかもしれません。
    一言だけ言わせてもらうなら、私、この手法自体は効果的だと思います。でも、同時に、相手をとことん追い詰めて速やかに破局に向かわせるだけの暴力性があるとも予想できます。特に、モノガミー規範を疑ったことのない人ならば。心理をしっかり理解できる人が慎重に行えばよい効果をもたらすかもしれませんが、私を含め@fumiya57さまのように「合理的で理屈に合えばみな正義!」と考えちゃうタイプには、まず扱いこなせない荒技、やらないにこしたことはないでしょう……
    一言じゃなくなりました、失礼いたしました。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございました。

    若く繊細な感情を持つ妻に言うべき発言ではなかったと思います。まあ、今言っても、変態と罵られ、殴られるだけですが。

    妻の母は、モノガミーを信じさせられていた米国の福音派キリスト教信者でしたが、浮気に走って、人生を崩壊させています。自分だけでなく、家族全てを。そんな義母ですが、これは彼女だけの責任ではなく、義母を追い詰めたアル中の義父にも責任はあります。自分がやった事は顧みず、娘達には清楚な生活を強要していたのも、米国ではよくある事です。そんな母を見ていた妻には、絶対にやりたく無い事の一つだったのではないかと思います。

    少し話は変わりますが、夫婦間でのオープンマリエッジでは、夫の方が提案する事が多いが、箱を開けて見ると、大抵、妻の方が相手は10倍以上いる展開になると言う記事を読んだ事があります。そして、多くのカップルは、夫の方が絶望・嫉妬してしまい、破局に繋がるとも書いてありました。離婚後、元夫の方は、元妻をビッチ呼ばわりするのでしょうか?自業自得ですが、自己の過大評価、米国男性の陥り易い罠でしょう。

  • 夫は威勢のいい人で男らしくて、男が男に惚れるっていうところのある(ちょっと褒め過ぎかな、いや、だいぶですけどゴメンナサイ)人でしたが、長男という意識のこり固まった人で、話も理路整然と突き詰めてくるような所のある人でした。
    何人かの夫の同級生たちが、めんどくさい人でしょう?と、私に笑いながら言う程でした。

    でもそれは始めの頃に思ったことで、何年も一緒にいると本質的なことが分かってきました。
    理詰めでやり込められてると思ったのはそうではなく、わからんちん?な私に、わからせてやろうとする一生懸命さからなのだということでした。

    長男意識に凝り固まってイヤだな、と最初は思ったけれど、それは長男なので両親をすごく大切に思うという事で、それと同じく、女房子供を守らなきゃぁという意識に凝り固まった人、だということもわかってきました。

    甘えっ子で我がままだった私が思う夫と、我儘が少し抜けて少し大人になれた自分が見る夫では、違うんだという事も分かりました。(何年もかかったけれど、子供だった私は成長したんですね)

    私のこれが例となれるかどうか分かりませんけれど、まだ幼かった奥様が博士に感じていたことと、まだ若かった博士の考えや行動が、全く相反していたかどうかは、其々の思うところのズレのようなものが邪魔をしていたんだと思います。

    何年かしてそのズレのようなものに、少しづつ気づいて修正しながら暮らしていくうちに、お互いが色んなことに気付き反省したりして、そのうち子供だった人が(私も子供でした)母となっていくうちに強くなって考えも変わり、強い博士をやっつけられる(やりこめる)までに成長できたんだと思います。

    博士もまた常々反省されて、奥様の性格もしっかり受け止めて差し上げられるほどのところまでいきましたから、後はもう博士の本来の男気を十分に発揮して、奥様の全てを呑みこんで、更に怒られ役をかってあげて(敢えて怒りを受け止めて差し上げてますでしょう。本当に強い人の証拠です)平和が保たれているのではないでしょうか。

    だから、別れることもなくここまでこられた・・ということなのでしょう。
    博士の奥様に叱られた、という言葉に、いつも博士の凄く優しさを感じている私なのです。

    作者からの返信

    @88chama AKAローバ様、

    コメントをありがとうございます。

    >長男という意識のこり固まった人で、

    私の父は、内弁慶で、家では無口で時々雷を落とす父でしたが、外では、仏様のような人だとか言われたことが何度かありました。きっと人助けをしていたのでしょう。しかし、私には、父と遊んでもらった経験がたった一度しか残っていません(小学校低学年の頃、正月に竹で機関銃を作ってくれたとこ)。おかげで、私と息子はいつもレスリングをしていました。

    私は父に対して今でも反発していますが、弟は、戦前に生まれた農家の長男なんてあんなもんだと、あきらめて様な口調で父のことを話します。これは、長男である私にも向けられる愚痴なのでしょう。

    >強い博士をやっつけられる(やりこめる)までに成長できたんだと思います。

    いつの間にか、妻は、私に対しては強くなり、ご存知の通り、もう牛耳られています。私が米国人の知り合いに、自分の給料がどれだけ振り込まれているか全く知らないと言うと、皆驚きます。結婚当時は、銀行口座の残高も私が伝えないと知らなかった妻ですが、どこかで逆転されました。


  • 編集済

    いやはや、奥様のようなややネガティブ?な感じのアメリカ人女性もいるんですね。

    「やったー、日本に住める!異文化体験だー!」とはならなかった。

    私と少し付き合いがあった女性は英語教師で、教師を選んだ理由は異国の地に住めて教えられるからというものでした。

    奥様をサポートしながら、子育て、研究をされていた先生は大変だったんですね!

    作者からの返信

    加福 博さん、

    コメントありがとうございます。

    あの頃の米国には、外国に行ったことのない国民がたくさんいました。(今は、その様な国民は1/4程度でしょうか?)その上、過半数はヨーロッパしか行ったことがなかったと思います。日本はヨーロッパと違い異文化でしたから。日本へ来てみると、東京でさえ、今の様に、外国人がワンサカいると言う感じでもなかったです。まだ、生活水準において、日本がようやく西洋に追いついた頃だと思います。

    その上、主婦ですからね。日本は男性社会で、女性は主婦として家を守り、男は外で飲み歩くと言う(今でも同じ)様な印象でした。私でも、主婦だったら帰国したくなかったでしょう。

    子育ては、私は大変だとは思っていませんでした。夫がとんでもない奴で、子育て中に、子供を夫から守らなくてはならないと思っていた妻の方が大変だったでしょう。ある意味では、高校生になると、米国ではドラッグや銃といった日本では、余り想像できなかった心配事が浮かんできます。これらに関しては、米国よりは安泰だったとも思います。

    編集済
  • 映画などで見る分には、任侠ものの主人公がステキと思っている私です。
    やんちゃで豪快な漢気のある人にも、すごく魅力を感じます。
    けれど実際に自分の子供だったり夫だったり・・だったらどうでしょう。
    平凡で無難なことが幸せと感じる、ごくゆる~い性格の私ですので、きっと博士の様子を間近で見ていたら、ハラハラ・ドキドキのし通しだと思います。

    でもね、エッセイで博士の武勇伝なんかには、すご~く魅せられてしまっているお婆さんがいるんですよねぇ。
    そんな豪傑な博士がね、何かにつけて妻に怒られた・・って聞かされると、ホントおかしかったり微笑ましかったり、かわいいな(失礼!)って思ったりしています。

    あ、それから、博士はいつもお孫さんを、やんちゃな道に進ませちゃおう、って企んで?らっしゃるので、いいのかなぁ? また叱られちゃいますよぉ~ と、お節介なお婆さんは笑っていますが・・・ダイジョウブカナ?

    作者からの返信

    @88chama AKAローバ様、

    コメントをありがとうございます。

    あの頃の、映画とテレビの主人公には仁義の世界の人も、割と多くいましたよね?私は乱暴に育ったため、わんぱくを超えていたと思いますが、幸いにも、あっちの世界には踏み入れることはありませんでした。成績が悪かったらどうだったか心配ですが。物理が救ってくれたのでしょう。

    私は、甥と姪も、実家の近所の子も全部、悪ガキにしようと試みましたが、だめでした。孫だけは、期待通りに育ってほしいものですが、母親(息子嫁)はすでに大学へ入るための教育がなんちゃらと言っていました。こっちの方が怖いと思います。私の母を思い出します。この母親に対抗して、孫のため、悪ガキ教育を頑張ります!

    編集済
  • 先生、ことばがありません。
    これは奥様、不安でしょうね。そして、奥様、実際に去ったら、寂しいでしょうに、それでも研究とかに夢中になってしまわれるんでしょうね。
    自分の立場で考えてみると、不安になるでしょう。奥様の気持ちがよくわかります。でも、それを私に許されたら、全力でいい男を落として別れ。大後悔させてやります。(笑)

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    コメントありがとうございます。

    実は、私も、妻が話してくれた昔の同僚達の話に嫉妬していたのかも知れません。今から、その事を書き足しておきます。日本へ行く前に、妻に言った言葉も、きっと私の不安から出て来たのかも知れません。但し、もし彼女が別れて、米国に留まりたいなら、それには応じるつもりでした。彼女の希望を叶えてやるのが私の責任ですから。

    最後のコメント、笑いました。雨 杜和さんならできそうですね。

    編集済
  • 先生、爆笑しました。ごめんなさい。
    夫とそっくりです。
    いつも、よくまあ、そんな理路整然とした屁理屈をいえると、夫には笑っています。
    因みに、夫も、理系大学を卒業したメンサ会員です。
    でも、本質的なところで、とても優しい人で、きっと先生も、そうなんだろうと推察しております。

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    コメントをありがとうございます。

    >つも、よくまあ、そんな理路整然とした屁理屈をいえると、夫には笑っています。

    ご主人の努力が、雨杜和の一言で、一瞬にして崩れていくのがよくわかります。私も身に持って体験していますから。惚れた女性のNoの一言は、40ページ渡る数式の展開による証明よりも力があると理解さてくれたのが妻でした。それでも、何度も頭をぶち当ては、崩壊していた私ですが。

    編集済
  • 私も思い当たるフシがあり、社会科学系なので、理論的証明より
    「別の見方があるのではないか」というタイプなので、子どもが生まれるまでケンカは絶えませんでした。
    子どもが生まれてからは不思議とケンカはしなくなりましたが、これを理論的に解明しようと思います
    (治ってない?)

    ただ家では、鵜飼いの鵜みたいになっているのは確かです

    作者からの返信

    晁衡様、

    コメントをありがとうございます。

    >鵜飼いの鵜みたいになっているのは確かです

    リードのついた首輪をされて、散歩に行って、皆に吠えまくっている犬が私だったのではないかと思います。勿論、リードを手にしているのは妻ですが、妻も、この犬の躾には最初は戸惑ったということです。

    ところで、私は鵜飼は動物虐待だと思っています。

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    出だしの注意書きに、どんな酷いことをしたのとだろうと思いましたが……

    読み始めて、もう、笑いが止まりませんでした!! やります、私もこれ、やっちゃいます。ずは確固たる定義かあるいは少なくとも語り手と聞き手の間で納得できる定義を確認し、そののち観測。観測も観測対象、観測手法、観測者など実際にデータを取得する前に詰めなければならないことが山ほどありますよね。ひととおりデータを取ってからも……、いや、もう止めておきます。
    あ、でも、相手を見てやりますよ。
    今回カウンセラーさんは、奥様とのふだんの会話の様子をみたいということでこのような話の流れになったのでしょうけれど、奥様とは、基本この調子で会話なさっているのですね。

    > この結果を聞いて、私は、「よっしゃ、最高値だ!」と思った
    ここでも爆笑です。うらやましいです。

    ついつい、「わかる」のほうに肩入れして読んでしまいましたが、でも、常に夫にこの調子で会話されていたら(というより、あしらわれている、ととらえられるかも)奥さまのストレスはたまる一方でしょう。「今日、天気いいね!」に「天気が良いとはどういう意味か? 晴れているということか、晴れていることは天気が良いといえるのか――」なんて返答されていたら、ふつうの人は話しかけるのを止めるでしょう。

    もし会話がほぼこの調子だったのなら、奥さまのストレスは耐えがたいものだったでしょうが、逆に、このような会話をしないで、と知り合ってすぐに言われていたら、@fumiya57さまとしては、どのようにお感じになっていたのでしょうか?自分のアイデンティティである理屈っぽさを初めから封じられてしまったら、彼女と付き合っていくことに耐えられたのか? 

    そう考えると、今のお二人が山あり谷ありながらもここまで一緒にやって来られたのは、ひとえに奥さまの忍耐があったからであり、@fumiya57さまはこれから、今まで苦労をかけた分、奥さまに歩み寄ってあげないといけませんね (^^)

    > 自分は正しいと証明するのが重要な私だったが、実はそれはある意味で私の未熟さを示していたのだと思う。
    これは身につまされます。常に気をつけなければ、と思います。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    >やります、私もこれ、やっちゃいます。

    同族ですね。日本でこんなことをやっていては、会社では働けないと、松下の研究所にいた友人から言われました。彼も、研究所の別の部署の人間とのトラブルがあり、そこへ出向いて、徹底的に理論詰めでこき下ろしてやろうと思ったら、上司から止められたそうでした。上司には、少し掘っておけと言われたそうです。すると、向こうも、対処してくれる様になり、物事は問題なく進む様になったそうでした。日本はそういうところなんだと言ってました(実は、私、ここで内定をもらったことがあるのですが)。

    米国でも、がんがん討論をするべきとしない方が良い時があります。それを見極めるのは、経験でしょうか?まだ、未熟だった私です。

    結局、妻との討論(夫婦喧嘩ともいう)は、私が一生懸命に論理的に進めて行った議論を、最後に却下されて終わりでした。段階ずつでは、私の議論が’正しい、または、納得するというので、それでは、結論となると、Noなんです。そこまで、議論を進めてきた努力は泡に消えるのです。妻のおかげで、良い経験をさせてもらえました。

    日本人と結婚している米国人男性の友人が何人か、彼らの奥さんと喧嘩になると、晩飯に納豆や小骨のある焼き魚が出てきて、夕食は抜きと同じになると言ってましたが、私は、自分で料理ができたので、夕食を書くことはなかったです(笑)。彼ら、飼い慣らされて、自分で料理などしなくなっていたのでした(元々していなかったのだともいます)。日本人妻、恐ろしいです。

    お互い、行きすぎない様に心がけましょう。

  • >自分は正しいと証明するのが重要な私だった

     そうですよねぇ。自分が正しくても、人付き合いって相対的なものですから。でもカウンセリングの時に、天気の話でそれだけ話せるのは凄いと思いました。

    作者からの返信

    @Teturoさん、

    コメントありがとうございます。

    これって本当に黒歴史中の黒歴史です。幼稚でした。科学(物理)を信じすぎていた愚か者でした。

    日本では、人間関係は米国よりも複雑で、私の様な人間が、そののまま大人の社会へ入っていたら、米国以上に変人扱いされたことでしょう。

  • 第96話 クラブ活動に習い事への応援コメント

    奥さんの念願、ヤマハのピアノレッスンで少しウルっときました。私は、ピアノを強制的に習わされて、嫌で嫌でたまらずまったく続きませんでしたから。でも、今となっては後悔しています。楽譜が読めるミュージシャンって強いですからね。

    私が見つけてきた例の合気道の天心道場は、幼稚園から稽古できます。
    http://aitenshin.com/publics/index/17/

    作者からの返信

    加福 博さん、

    コメントありがとうございます。

    幼い頃、親に言われたり、やらされたりしていたことには、無理矢理感のあることが多いですよね?妹は、ピアノレッスンを始めましたが、先生がご近所のおねいさんで、やめらrませんでした。

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    いまさらですが……

    > 息子が2歳の頃、普段から私と遊んでいた時の様に、義母が安全に捕まえてくれと思って、平気で高いところからジャンプして、義母が腰を抜かしながらなんとか奴をキャッチした

    これ、けっこう怖いです。その時は何とか受け止めてもらえたようですが、かならずどこかで息子くんは痛い目にあって、これは危険なんだと学習したことでしょうね (^^;)

    > 父親の私としては、これらの多くは、私の思想に基づく、考えての行動だったと言っておきたい

    ふふふ、そう言っておかないと格好がつきませんからね。いやいや、でも、朴様にとってどうだったかはさておき、息子さんにとっては良いお父さんだったのだと思います!

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    私も、何度か脳震盪を起こしているので、そのうち、脳に何か影響が出てくるかもしれません。息子は、妻が、絶対に危ないことをさせなかったので、私と二人の時だけやっていたのですが、失敗したのは、義母をそこまで信用するなと教えていませんでした。

    >ふふふ、そう言っておかないと格好がつきませんからね。

    そこをつかれると、言い訳がないですね(笑)。

    息子は後に大学で、自分の父親はとんでもない奴で、自分が生きて育ったのは奇跡だとでも言いふらしていたのか、初めて会う息子の友人が皆、「おお、あなたが、あの有名なお父さんですか?」という反応でした。妻は、今はOCD(強迫性障害)なので、ちょっとうるさいところがあるんですが、若い頃は、本当に優しい姉状態でしたね。息子も、妻は、実は本当にとんでもなかった父親の様なガキっぽいところはなかったので、よく懐いでいました。私が悪ガキの長男で、妻が優しい長女、息子が歳の離れた弟的な家族だっと思います。

  •  何だかバランスの取れたご夫婦みたいですねぇ。

     それから「引っ越しやさん」を一気読みして頂き、ありがとうございました。

    作者からの返信

    @Teturo様、

    コメントありがとうございます。

    よく言えばバランスの取れた、悪く言えば、バラバラな両親でした。一応、夫婦で話し合いはしてましたが、私一人で子守りしている間は、私の暴走を止める者はいなかったのでした。もっと、妻の言うことを聞いておけば良かったと反省してます。

    「引越しやさん」面白かったです。私も何度か米国で引越しした経験がありますが、やはりプロは凄いですね。

    編集済
  • 豪快な、お父さん。いいなあつて思います。きっと奥様は細やかなほうでしょうからバランスのよく。お子さま、すくすくと育っていかれたんでしょうね

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    コメントありがとうございます。

    豪快=いい加減と取られてたと思います。

    実は今でも、一人で孫にお風呂へ入れさせてくれません。妻は腕に力がないからと、入れるのは私ですが、後ろで監督しています。頭がでかいので、こけてへんな頭の打ち方をするのが心配だそうです。赤ちゃん用のヘルメットを買いたいです(笑)。

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    息子さんがアキレス腱を切っても車椅子で海外に講義に出かけたというくだりで、さすが、とうなりました。@fumiya57さまの血を濃くひいたのか、それとも幼少時のワイルドな育て方が良かったのか、素晴らしいバイタリティですね。

    ドラッグストアでのお芝居、これを笑って受け入れてくれる社会なんですね。日本でやったら、種明かしをしたあと、微妙な空気が流れそうです (^^;)

    作者からの返信

    佐藤宇佳子さん、

    コメントをありがとうございました。

    息子は、クソ真面目なところもあって、そんへんは日本人ですが、生意気なところは、完全に米国人だと思います。約束には15分前に行くという、いかにも日本人らしいとこを守っていますが、日米以外の国の院生は、教授との約束でも15分とか平気で遅れてくることがあり、日本だったら遅刻するぐらいなら、事故にでもあったと言い訳して、出て来ない方がマシだとか言って、雷を落とすのだそうです。

    今も、クエートへ行く契約が完了していないとか言って、パリにいます。今日もサッカー試合を観戦していました。孫とフェイスタイムをしていた息子嫁にバラされてました。パリで、一週間契約完了を待つくらいな、帰って孫を迎えに来いと言ってやりましたが、言葉を濁していました。

    >ドラッグストアでのお芝居、
    もう何度も起こると、この芝居をやらないといけないというプレッシャーさえ感じます(笑)。

  • 第96話 クラブ活動に習い事への応援コメント

    @fumiya57さま

    こんにちは。

    > ちゃんと、本業のはずの研究していたかという疑問はここでは避けさてもらいます。

    あら、これは皆さん興味のあるところでは (^^;) もちろん、聞き出そうとはしませんが、これだけ精力的にクラブ活動に加わっていたら、少なくともプライベートな時間は削られてしまいますよね。

    こんな言い方は失礼かもしれませんが、奥様が子供時代に経験できなかったことを息子さんと一緒に経験していったご様子を読んでいると、とても嬉しくなります。子供時代でなければできない経験も確かにあるかもしれませんが、そこにこだわりすぎず、できる環境になったら挑戦して楽しむことは大事だなあと改めて感じました。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    痛いところを突いてこられますね(笑)?

    私の教授は研究以外の趣味はほぼゼロなので(車と飛行機が好きで私が買っていた車の月刊紙をよく読んでいました)、私が、空手の夏季合宿だと言って一週間いなくなるのは不満だったようでした。しかし、これは、他の院生やポスドクでも起こっていた「現象」でした。ある時、私が空手着でキャンパスをは出して合宿に来た集団とランニングをしているのを通勤のバスか目撃した教授が、研究室のメンバーに私が早朝からパジャマを着て裸足で走り回っていたと告げたそうです。

    息子の練習や試合等のイベントは、米国では、親が来るのは当たり前だという認識ですから、教授にも、リトルリーグの試合があるので、今日は早く変えると言って帰ってました。長期の夏休みや冬休みを取らずに頑張ってました。家族が不満だと、研究に影響するというのがこの教授の考えで、院生やポスドクよりも、その配偶者やガールフレンドからの方が、教授に対する評判は良かったです。いくらのこのワーカホリックの教授でも、米国のしきたりに反する行動はしていませんでした。

  • 息子さん夫婦、頼りになるおじいちゃんおばあちゃんがいて幸せですね。

    お店の雰囲気、懐かしい空気感です。店員さんみんなフレンドリーですよね。マナーはそれぞれの国で違っていて、それも面白いです。

    作者からの返信

    蜂蜜の里さん、

    コメントありがとうございます。

    米国では、フレンドリーの状態も州ごとに違うと思いました。日本でも、田舎と都市では、人に対する対応がかなり違う様に、南部の州は誰にでも声をかけてくる感じです。(フランス人のパリの評判が米国人のニューヨークの評判と似ていたのに笑いました。)しかし、最近は、南部の州でも、違法滞在者にはきつい対応が増えている様です。息子がオクラホマ州の田舎町で、ガソリンスタンドへ寄ったら、お前は中南米からの違法滞在者だろう、パスポートを見せろとか言われた事があったそうです。そこは、F-bombで返事してしまったそうですが。まあ、違法滞在者はクレジットカードで払うケースは少ないのですが。

    カリフォルニアでは全く考えられない事でしょうが、あの猫や犬を食ってるというバンス発言(そして討論中のトランプ発言)の様に、マガ信者へのアピールが効いている所もあるという事です。

    おじいちゃんはへとへとです。おばあちゃんは寝込みたいと言ってます。😅

  • ジョークが大好きな楽しいご夫婦!
    いいですね。日本人の夫もこれくらい遊び心があったなら。
    おっと、フミヤさん日本人だった。もうすっかり米国の人ですよ。

    作者からの返信

    オカン🐷様、

    コメントありがとう。

    日系3世を飛び越えて、米国南部の田舎者の仲間入りしてます。カップルだと知って、そんなに驚かれる事がひっきりなしに起こると、やる他ないのが米国です(笑)。

  • 第95話 子育て中の不満への応援コメント

    @fumiya57さま

    こんにちは。
    なんと、パスポート失効ですか。聞くだけで胃が痛くなりそうです。すみやかに対応できてよかったですね。
    あ……でも、領事館ではきっちり「おごり高ぶった公僕」に嚙みついていらっしゃるのですね。ひと噛みで撃退、さすがです(笑)。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントを何時もありがとうございます。

    パスポート、実は今も切らしていて、そろそろ新しいのを発行して貰いに行こうかと思っています。あの頃に比べれば、国家公務員の国民への態度は、遥かに良くなっていると思います。あの時の私は、完全にアメリカナイズしてしまっていました。今のトランプ派の様に、政府と官僚なんて、◯ソ喰らえ!と思っていたのではないかと思います。しかし、後に来た、未だパスポートが一年残っていた別の大学の学生さんの腰の低さに驚き、ああ、これが本当の日本人なのかと思いました。何も知らない未だ子供でした。

  • 剣道は楽しく練習するのが一番なのですが…
    ヨーロッパでは西洋剣術が失われてしまって、競技としてのフェンシングしか残っていないようです。
    日本の剣道人口もジリ貧で、昔やっていた立場からはよろしくない事態だと思っています

    作者からの返信

    晁衡さん、

    コメントありがとうございます。

    米国の剣道は競技人口が、比較的少ないおかげで、皆んな繋がりがある様です。昔、ここに住んでいた心臓外科医二人が地元の剣道クラブのリーダーでしたが、米国中の大会や稽古へ参加して交流を深めていた様に思えます。大学が少し異常なのではないかと思います。


  • 編集済

    今日もとても面白く読んでおりました。
    アキレス腱を切るほど練習に励まれた息子さま。何事にも夢中になれる人って、優秀な方が多いと思います。きっと素晴らしい息子さんなのでしょうね。
    以前、先生のお写真を拝見しました、奥様は小柄で可愛らしい方で、年齢より若くみえるんでしょうね。なんとなく、納得しながら読んでおりました。(ごめんなさい)

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    コメントをありがとうございました。

    妻は身長は164cmなのですが、あの頃は、かなり痩せていました。ぎゃくに、私が未成年を唆した犯罪者に見えたのではないかと、今になって心配です。米国には、そういう幼妻を娶るカルトがいくつもあるんです。

    息子は仕事が大好きで、仕事関連の話をし出すと終わりません。その点は父親である私似に過ぎていると、妻が苦情を言います。二人ともバカなだけです。

  • 私の知り合いの医者の奥さんが乳がんで亡くなりましたが、彼は鬱になり自殺未遂まで起こしてしまいました。喧嘩している夫婦の方が、健全で良いと思います。

    作者からの返信

    加福 博さん

    コメントありがとうございました。

    その方は、亡くなられた奥様にかなり依存されていたのですね。喧嘩していても、奥様に先にたたれたら自殺する夫はいるかも知れませんよ。


  • 編集済

    第96話 クラブ活動に習い事への応援コメント

    奥様が大黒柱となって懸命に働いて、家計を支えていらっしゃいました。
    家庭の事情はどこの家にもあって、それが幸せだったりそうでなかったりしますが、奥様の場合は、誰が見たって(博士のエッセイで知る限りですが)、奥様ご自身がこれで良かったと納得いくものでなかったと思われます。

    でもその苦難を乗り越えて、今日の平穏な暮らしに(私にはそう思えますが)辿り着くことが出来ました。少女時代まで遡って自分はこうしたかったのに出来なかった、と山ほどの叶えられなかったこともあるでしょうが、それをご子息に託されて色々と叶えることが出来たようですね。

    知り合いにシングルマザーで散々苦労をされて、ただただ働きづめの毎日で、ゆとりは全く無く、夢を見る事すら出来ずじまいだったけれど、自分にも子供にも叶えてやれなかったことを、孫にやってやれるようになって今は幸せいっぱい、と言ってる人がいます。

    自分が叶えられなかったことを子供に託してやらせてあげられた、それが自分の幸せと感じられたら、遠い昔の自分を嘆くことはなくなる、もしくは小さくなる、とその人から教えられた気がしました。

    奥様もご子息に色んな習い事をさせて(皆さんご一緒というのが尚更素晴らしい!!)スポーツ・音楽のみならず学問もあらゆることを与えて、すんごい(最上級のつもりです)人に育て上げつくりあげ(表現が悪いですか)られました。
    言うことなし!!ではありませんか。やはり奥様はスゴイなぁとしか言いようがありません。

    (いつもながら、長くなり申し訳ありません。感激屋なものですから🙇)

    作者からの返信

    @88chama AKA ローバ様、

    いつもコメントをありがとうございます。

    大黒柱というほどの収入はなかったのですが、彼女と兄が去った家計は火の車だった様でした。結婚後も、お金の催促が来てました。弟の為と少し貢いでました。水道や電気が止められるんですから。

    母が逃げ出さなければ、もう少しまともな生活は出来て、習い事もいくつかは出来たかも知れませんが、車の免許を持っていない義母は、送り迎えができないので、無理だったと思います。その分、息子の送迎は夫婦で分担してましたが、妻の方が負担は多かったと思います。

  • 第96話 クラブ活動に習い事への応援コメント

    奥様、運動神経がすごくいいんですね。素晴らしい。
    そして、お子様、武道を習わせたい気持ち、よくわかります。とくに男の子なら、なおさらです。

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    いつもコメントをありがとうございます。

    妻の運動神経は普通だと思います。筋肉がなかったので、スポーツチームに入ったら苦労していたと思います。

    息子の運動神経は、幼い頃はヘラヘラした甘ちゃんで、それ程でもないかと思っていましたが、高校生になって体が出来てからは、かなり良くなったと思います。

    息子が大学で、剣道を初めたのを書くのを忘れてました。

    編集済
  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    親の虐待が子供の精神的安定性に与える影響は小さくないと思っています。実際そのような境遇にあっても表立った問題を起こさず生きている人もたくさんいらっしゃるでしょうけど、ハンデはあると感じています。
    奥様とお兄様がそれぞれ「もろさ」を抱えていたのも、それに関係しているのではないかしらと思わずにいられません。お兄様がかつて付き合っていた女性はささいな苛立ちを笑い飛ばせず、一緒になって喧嘩していたようですが、奥様のほうは@fumiya57さまのおおらかさに救われていたのではないでしょうか。ときにそれが大きなミスにつながり、奥様の逆鱗に触れることもあったようですが……

    「おかげで、私は睡眠時間なしで2−3日は軽く行けた」
    なんと恐ろしい……。
    でもこれ逆ですね。睡眠時間なしで頭を使い続けられる超人的な能力があったからこそ、物理または物理工学専攻のしごきに耐えられたのではないでしょうか。夜間の育児を積極的に手伝ってもらおうと思ったら、物理の男子学生はねらい目かもしれませんね。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    >親の虐待が子供の精神的安定性に与える影響

    これはかなり大きいと思います。おっしゃる様に、妻と義兄のもろさに大きく反映していると思います。今でも。私と妻もたまに夫婦喧嘩になることもありましたが、妻の兄と彼のガールフレンドは、半分くらいの時間を喧嘩に費やしていました。これは、親に虐待されて育った大人にはよくあることで、米国ではカウンセリングが勧められています。ガールフレンドの方も、別れてはやり直すを繰り返す。共依存症だったのだと思います。

    物理専攻はイクメンになるかと言うと、全く逆のケースを知っています。私が院生の間に出会った、日本で東大の物理の博士をとった夫と、東大の看護科の博士を取ったカップルを知っていたのですが、奥様は名門ミシガン大学の看護科の教授になり、夫は東ミシガン大学(正確には大学を覚えていません)の物理の教授になったのでした。奥様の大学の方がランクは遥かに上でした。それでも、夫の大学のある街に家を買い、奥様の方は、車で片道1時間半以上かけて通勤していました。子供が二人いて、上は小学校一年生、下は、2歳くらいでした。しかし、ある日、下の子が熱を出してしまい、保育所から、迎えに来いという連絡が奥様の方に来たのでした。夫に電話して迎えに行ってくれる様に頼んでも、拒否されたのでした。夫曰く、物理は看護科の仕事よりも重要なので、お前が行けだったそうでした。おかげで、彼女は車で1時間半かけて子供を迎えに行き、その後、学校で長男を拾った後、家に帰り、車に荷物を投げ込んで、彼女の大学のある街に引っ越してしまいました。もちろん、離婚でした。

    現在、孫の守りを二週間弱ほどしていて、おむつ替えを三十回以上したと思います。昔を思い出します。妻は、腕に力が入らないので、抱っこもできず、おむつも変えられません。それでも、私の監督は十分い務まっています(笑)。

  • 第95話 子育て中の不満への応援コメント

    私の大学生時代に学生結婚とか子供を育てながら、と言う話は余り聞いたことがありませんでした。
    ただ、学生結婚は私の身の回りにいなかっただけのことかも知れないですけど、さすがに子育てしながらとか、学生であるパパを子供が応援しているという姿を見た人はいなかったんじゃないでしょうか。
    今では何てこともない話なのに・・って思いますが、時代がグンと変わったということですね。(良い意味に、です)

    博士も奥様も、子育てにとてもご苦労されたでしょうが、そんな子連れでパパの応援風景を想像すると、微笑ましくてほのぼのします。
    が、そんな時は奥様だけが特に大変だったかも、と思うとそれもまたお気の毒なことで。
    でも後になれば、やはり楽しい貴重な時期でしたでしょうね。


    こちらでは「ギークス」というテレビドラマがあって毎週観ているのですが、そういえば何でも知りたがりの私が、ギークスって何?と調べようとしなかったな、と博士の書いてらっしゃる「勉強ばっかりでオタク的な人を侮蔑するような言葉=ギーク」で、ドラマのタイトルと中身が繋がりました。
    来週あたりに最終回かと思われる時になって、今~?バカじゃない?って笑われそうです。😅
    (因みに警察で働く3人の女性、それぞれ変人的と思われている人が活躍するドラマです)蛇足でしたm(__)m

    作者からの返信

    @88chama AKA ローバ様、

    いつも、コメントをありがとうございます。

    ところで、私が最近使い始めた『AKA ローバ様」のAKAの意味をご存知でしょうか?"Also Know As"の略なんです。「別名」と言う意味です。カクヨムでは、「二つ名」というのでしょうか?勝手に使わせてもらっています。

    今回の孫の守りで、妻はかなり疲れています。孫のことが心配で、心の余裕がないのが1番の原因だと思います。お風呂とか、私が一人でできるので、休んでいても良いと言うのに、やってきて、監督します。信用されてません。これって、四十年前と一緒なのかもしれません(笑)。

    米国では、子持ちの学生も比較的多く、そのために私の大学には、大型の既婚者向けのアパートがありました。そこに住んでたので。久しい友人の多くが、子持ちでしたが、大学院でもそんなに多くはなかったです。日本ほどではないと言うことです。そう言う環境で育った息子は、大学とか教授とかが、雲の上の存在ではなく、身近な生活環境の一部でした。奴の将来は、大学教官しかなかったのだと思います。

    Geekは米国では昔は、蔑まれていたキャラクターでしたが(日本で言う隠キャ?)、ビルゲイツ(マイクロソフト)とかマークザッカーバーグ(フェイスブック)等の大企業に発展する会社の会長とかになれるタレントだと認識されてから、社会的な地位があがりました。億万長者にならなくても、エンジニアとして給料も良いですから。

    編集済

  • 編集済

    第95話 子育て中の不満への応援コメント

    「お前は日本国の公僕だろうが、公僕は国民のために尽くすのが仕事だ。黙って早く手続きを済ませろ!」…最高です😊。

    私は、サンフランシスコで期限の切れていないパスポートの更新をしましたが、対応した女性に難癖付けられて、私が血相を変えて「正規の手続きは踏んでいる。こっちは、ラスベガスから来ているんですよ!」と大きな声で言ったら、処理しよりました。私は、普段優しい人と思われがちなのですが、本当に頭に来たら言うときは言います。

    ソフトボールで奥さんは、確か面白い声援を飛ばしていましたね。優しい女性だと思いますが、根はやっぱりアメリカ人女性だと思い、微笑ましく感じられました。

    ところで、先生はアメリカの市民権も取得されたのでしょうか?ここに興味があります。

    作者からの返信

    サバトラひろさん、

    いつもコメントをありがとうございます。

    領事館へパスポートの書き換えに行った頃の私は、ほとんど日本語を話さず4年間暮らしていたので、日本人らしくない私でした。今でもそうですが、十年日本で働いて、大人になったと思っています。その頃の日本人の私は、いまだに、喧嘩をよくしていた高校生だったのだと思います。高校生が、極道の真似して、罵りつけている感じでした。あのお兄さん、きっとエリート官僚だったのでしょうが、仕事上、あんな口の聞き方されたことなかったと思います。おばちゃんに逃げたのは根性なしですよね?

    おばちゃんに同じことを言われたら、きっと、すみませんと謝っていると思います。

    市民権は取得していません。日本で二重国籍が有るされていないからです。


  • 編集済

    第95話 子育て中の不満への応援コメント

    前半のパスポート切れは凄い話で…
    私はカリフォルニアからメキシコ・ティファナに入ったことがありますが(911前)出るのは簡単、アメリカに入るのは面倒で長い行列でした。領事館があるのは幸いですね。

    私の友人が東欧に留学していた時、留学滞在ビザが切れた時に、めんどくさいので、わざとドイツに入国して、その国に再入国すれば3ヶ月の旅行ビザになるので定期的に往復したそうです。

    しかし電車の中で、東欧の国境警備隊は「心付け」をヨコセばスタンプを押すような感じで、タバコ一箱をいつも用意したとか。
    最初は心付けをわからず、何でパスポートにスタンプ押さないんだ!と言ったらしいです(笑)

    旧共産圏あるあるです

    作者からの返信

    晁衡様、

    数年前、私の友人の心臓外科医は家族揃ってビザ(グリーンカード)の書き換えを忘れていたので、再手続きが面倒で、移民局で、6人揃ってインタビューされたそうです。忘れて居なければ、指紋詐取と写真の更新だけで済むのですが。

    昔、日本でバイクの雑誌に載っていた世界をバイクで旅する日記に、どこの国境でも似た様な話が出ていたのを覚えています。大学院卒業後、3か月で世界一周の新婚旅行をした友人も、国境越えの情報は重要だと言ってました。イスラエルとアラブ諸国へ行くと知った米国国務省からは、パスポートを二つ渡されて、一つはイスラム諸国、もうひとつはイスラエルに使えと言われたそうです。彼はユダヤ系だったので、特に気をつけろと言われたとか。


  • 編集済

    第95話 子育て中の不満への応援コメント

    赤ちゃんをつれながらソフトボール観戦で、和気藹々とした雰囲気、とっても素敵ですよね。
    現在の日本は変わりましたが、むかしはもっと保守的で生きにくい社会だった気がします。今もかもしれませんけど。同調圧力が日本は強いと思うのです。
    奥様は大人しい雰囲気に思えるのですが、大学を卒業するなど、しっかりされた方なんですね。素敵です。

    作者からの返信

    雨 杜和(あめ とわ)様、

    いつもコメントをありがとうございます。

    大学のリクリエーションリーグでなかったら、ビール飲みながら(選手も)やっていても驚きませんでした。街から離れた所に球技施設があり、照明付きで、朝の四時まで試合があったリーグもありました。知り合いが。工場の午前2時までの勤務で、同じシフトの人間がチームを作っていて、夕方から仕事を始めて、仕事の頭、ソフトボールを終えて、朝の6時に帰宅、朝食を家族ととり、子供達がスクールバスに乗るのを見送ってからベッドに入る暮らしだった様です。

    妻は確かに大人しいと思われがちでしたが、今は、もう誰が見ても我が家のボスです(笑)。ソフトボールの選手/観客の立ち位置が変わったのと同じですね。あの頃は、息子のリトルリーグの試合の応援もあったので、球場で過ごす時間が多かったです。妻には、もっと多くのスポーツをやってほしかったのですが、テコンドーも家族で始めたのです、時間がありませんでした。今となってはは、時間のマネージメントが少し狂っていたとも思います。

  • 精神病院に二週間も入院されていたとは驚きました。

    私は、四回で計一年二か月ですが、同類(こういうと失礼かもしれませんが)かと思うと奥様ヘのシンパシーが生まれました。

    彼女は精神病院に入院歴がついてしまったことで凹まれてはいませんでしたか?

    私は、女性に実は、精神病院に入院したことがあると言えば必ず引かれるもので…。

    作者からの返信

    サバトラひろさん、

    コメントをありがとうございます。

    米国でも、精神科の入院は凹む理由になるのでしょうが、日本ほどのジレンマはないと思います。特に産後うつの場合は。米国では、精神的な問題で精神科で世話になった後、もしものことがあると、その精神科医が訴えられるので、他の病気よりも比較的簡単に病棟へ連れて行かれます。そこで、1−2週間ほど状況観察後、自殺の心配がないと判断され、退院となります。人の命と医者のマルプラクティス(医療過誤?)が関わってくるとすぐに入院です。そして、残るのは膨大な治療費です。

    今では、精神科に少しの間でも入院すると、銃を持つ権利が無くなるので入院をできるだけ避けている人間も多くいると聞きます。彼らの様な人間が病院にいれら得るべきなのでしょうが、アメリカらしい問題で。

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    互いに異なる文化的背景があり、また男女差に根差す考え方の違いもあると、大きな失敗をすることはありますよね。決して命を軽んじているわけではなく、若くして妊娠した奥様を気遣うあまりの堕胎うかがいだったとしても。それが修復できない大きな亀裂にならなくて、本当に良かったです。
    あ、でも、読み進めていくうちに、つぎつぎと判明していく、妊娠にまつわる失敗譚(というか、日本のご両親への結婚の報告忘れから始まるのですね ^^;)。苦笑させられるものもありますが、それでも若いおふたりがしごくまじめに生きてきた様子がしのばれ、厳かな気持ちになりました。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    堕胎の件に関しては、文化の差と言うか、私の理解が浅かったからだとも思います。妊娠と出産の間で、宗教や文化、そして、個人的な見解で、いつ「人」とみなすのか、異なっている事を知りませんでした。私の周りでは、高校生で妊娠しても、産まないのが常識だと思っていました。ただ、生まれた例を知らなかっただけだったのでしょう。

    今思えば、私の発言は、妻にとってはショックだったと思います。未婚の場合、男が逃げ出す可能性があるとは、妻も認識していたと思いますが、既に結婚しているのに、なんでその可能性が浮かんでくるのかと。(実は、日本の両親には告げてなかった私なんですが。)

    お互い、親となるには若過ぎた私達ですが、孫の面倒を見ながら、年をとり過ぎての育児もきついなと実感しています。

    映画、「卒業」のラストシーンで、花嫁を強奪した主人公がその彼女とバスの席に座っているのを見て、若い頃は、良くやったと思ってましたが、今では、馬鹿な事をしたなとも半分思ってしまいます。それでも、彼女の結婚は阻止したので、目的は達成か?若気の至り、嫌いで半分ありません。

    家族愛を体感しながら育った私は、そのバックグラウンドのお陰とも気付かずに言えた「俺たち二人、世界に対し」感があったのですが、妻は、自分には二人しかいない(後に息子を加えて3人)と感じていたのかも知れません。

  • 自分たちの望むところの出産ですから、子育てがどんなに辛かろうと頑張るのは当然のことでしょう。
    その当然のことを懸命にやってる姿が半端ない、と思われるので、読み進めながら感激で涙が湧いてきそうでした。
    若くて経験もないことを突然に、当然のこととしてやらされるのですから、気の毒にと思われて涙のようなものが滲んでくるのです。

    奥様の辛い状況や苦しい状況もさることながら、私は夜に十分に寝られないで子のお世話をする姿に、胸が詰まる思いでした。
    赤ちゃんのお世話は昼夜をとわずですが、夜は特に気を使うことも多く、側に頼れる人もいなければ、孤独で不安で押し潰されそうになること間違いありません。

    でも博士は夜通しの勉強で慣れているからと平気そうですが、決してそうとも限らないことでしょう。
    昼の勉強と夜の育児。これをこなすことが出来るのは、正にスーパー育児マンしかおりません。

    日本でも産後鬱とか問題になっていますが、博士のところでは強力な助っ人となれる人が必要でしたね。
    私事で恐縮ですが、お産では散々苦労しましたが、産後は至れり尽くせり義母が喜んで、床上げ(産後三週間)何もかもやってくれて(実家の母は病気療養中でしたので)助かりました。
    そんな自分の時のことを考えると、学業、それも並大抵じゃない勉強量の学生業と、慣れない育児業で八面六臂の博士に、やはり同情の涙とでも言いましょうか、が湧いてきそうになるのです。

    何十年も前のことではありますが、博士、大変なことをよく頑張ってやられましたね。感心、感動、あっぱれ!と、あらゆる言葉を並べたい思いです。

    作者からの返信

    @88chama aka ローバ様、

    いつもご親切なコメントをありがとうございます。

    こんなメッセージを頂いたと妻が聞いたら、褒め過ぎないでくださいというでしょう。

    赤子の世話は、私にはそんなに苦にはなりませんでした。但し、私は、妻から見れば、もっと精神込めて赤子の世話をするべきだと思われていたでしょう。今、面倒を見ている孫の世話も同じで、背後で苦情が連発しています。この孫、私に似たのか、頭がでかいので、おむつを変える時とかに、マットの上に寝かせると、ゴンとする音と共に頭がマットに当たる音がするのです。すると、妻が、私を叱るので、今度は孫が驚いて泣き出すのです。ここで、妻が大声で私を叱るからだと言うと、また叱られます。少々頭をぶつけてからと言って、脳震盪を起こすほどでもないので、私は心配していません。頭でっかちなので、将来は頭突きが得意になるかもとか、変なことを言って、また叱られるのです。

    私なんて、親というよりは、歳の離れた兄のような関係に近かかったと思います。

    実は、妻が息子を連れていると、息子は歳の離れた弟だと思われていました。多くの人には、妻は、18どころか、16くらいに見えていたのだと思います。確かに、妻は、莫大な責任感を感じ、悩んでいたと思います。そんな幼い妻に子供を産ませた責任はちゃんと取るつもりでしたが、もっと声にだして、励ましてやればよかったとも思っています。口で言うよりも、行動で示せの私でしたが、米国人には褒めことが必要です。

    お褒めの様なスーパーお父さんではなかったのですが、寝不足は平気でした。今でも、朝は6時前に起きて、8時頃に起きてくる孫と妻の朝食の準備をしてます。なんの苦にもなりません。

    編集済
  • 本当に言葉がありません、すごく大変でしたでしょうね。
    お若いときに、周囲に信頼できる人が夫しかいない状態だったのでしょう。
    それに鬱になる方も大変ですが、それをお世話するほうが、さらに大変だと思っています。お疲れさまでしたね。

    私が子育てが楽しかったのは、おそらく産んだのが年齢的に遅かったからだと思います。今、考えても体力的には大変でしたが、幸せな時間でした。そんな時間を奥様は辛かったと思いますが、夫である先生もまだまだ若い頃に、ほんと尊敬します。投げ出さず、すべてに責任を持たれていたんでしょうね。

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    いつもコメントありがとうございます。

    子育てが楽しいのは良いお子さんだったからでしょうね。

    私も、子育てが楽しいと思っていましたが、妻は、責任の重圧が耐えられなかったのでしょう。若過ぎたのもあるでしょうが、彼女の心配症と潔癖症的な所も影響したのではないかとも察しています。周りからのサポートも余りなかったのも辛かったと思います。その頃の私には全くの問題ではなかったです。妻の方が親としての責任感も強かったのではないかと思います。私は親というより、弟的に扱っていたのではないかと思います。新たな悪ガキ仲間ができたので、弟にも教えられなかった様な事を教えてやれるとか、企んでいたのも事実です。

    確かに、彼女が入院していた時期は、普段のやる事が増え、そのうえ、病院にも顔を出す事で、とても時間が足りないと感じました。睡眠時間がさらに減りました。米国の大学生は睡眠時間が足りないのは常識でしたが、子育てが加わると、確かに大変でした。

  • 私の子育ての頃を思い出しました。妻は看護師の仕事をしていて、逆に高齢出産で「その病院の高齢出産記録を塗り替えた」として私は妻勤務の病院で有名人になりました

    赤ちゃんは24時間営業ですから、夜中に起きてオムツ替えをしました。寝かしつけたと思ったらすぐ泣いて起きます。

    妻は最大限、育児休暇をとって2年半くらい仕事を休んでましたが、気晴らしで出かけてなかなか帰ってこずに、私は赤ちゃんを抱えてどうしようか、という感じでした。

    妻は鬱とは無縁でした。息子が生まれてからケンカはしなくなり、息子が進学で夫婦喧嘩で最大の危機が来ると思ってましたが、幸い来ていません(笑)

    作者からの返信

    晁衡さん、

    コメントをありがとうございます。

    出産はどんな年でも大変ですからね。私の孫のははである、息子の妻も40歳を超えての出産でした。しかし、出産に関する現代医療技術は、昔とは比べ物になりませんよね。それでも、育てるのは大変ですね。一歳時の孫を三週間面倒見ろと言われると、とんでもないと思いますが、親達はこれを毎日やっているのです。

    今でも、その病院では有名人なのですか?思っていた夫婦喧嘩もなく、夫婦円満でよろしいですね。

  • 米両サイドから叩かれたという箇所で爆笑してしまいました(笑)。

    作者からの返信

    サバトラひろさん、

    コメントありがとうございます。

    めちゃくちゃ叱られる。まあ、私はその程度の男なんです。私の人生、叱られっぱなしです。祖母にだけは、一度も叱られていませんが。これって重要だったと思います。悪ガキで叱られてばかりなのに、私をいつも褒めてくる人がいた事。

    編集済
  • 少しはちゃめちゃなfumiya57さまに怒る間も無く、かわいい最愛のお孫さんときれいなお嫁さんに会えたご両親の気持ちを思うと……。気持ちのアップダウンが激しかったことと思います笑
    子どもはかすがいって、本当ですね。生まれる命の偉大さを思います。

    作者からの返信

    蜂蜜の里さん、

    コメントをありがとうございました。

    自分は男らしいとか、アピールしているくせに、実は、両親にそんな何簡単に結婚していたと告げることのできなかった、根性なしの私でした。腕っ節だけが強くても、女性関連においてはヘタレでしたから。正直、私と妻の精神年齢はあまり変わりはなかったのではないかと思います。今では、完全に逆転していると妻は自信を持って言います。

    両親も、弟や妹の様に、私がしでかすんではないかという思いは少しあったとのだと思います。父と祖母は、その後、弟の縁談にはうるさくなった様でしたが、妹は、しれっと大学時代の同級生と結婚してしまいました。

    孫の影響力は最大です。いろんな意味で。

    編集済
  • これは、また、ご結婚が随分と早かったですよね。でも、すべてが丸く収まったのですから、それもよかったのかもしれません。
    なんだか、今頃ですけども、ご結婚、ご出産、本当におめでとうございます。お孫さんまでいらして、とてもお幸せですね。
    私は長く生きてきて思うことがあるのですが、結果として幸せな状況に持ってこられることができる胆力が、先生にはおありなんだと思います。

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    コメントをありがとうございました。

    前回のコメントに、実家の家族への連絡のお話を書いて頂いた際に、私のお返事がちょっと曖昧になったのを覚えておられますか?それは、結婚した際には、家族には知らせていなかったからでした。妻はあまり聞いたり催促したりせず、伝えたと嘘をついていた私を信用してくれました。私が悪い男で、そのうち、妻には黙って、日本へ逃げ帰っていたかもしれないとか疑わなかったのかと聞いたら、そんなこと考えたこともなかったと言われました。絶大な信用があった様なので、それに報わずにはいられませんよね?しかし、子供が産まれるまで、結婚を隠していたのは、恨むと言ってました。結局、息子が産まれたおかげで、両親へ告白できました。

    孫は、可愛いですが、六十を超えた夫婦には大変です。私は、二週間半の休暇を申請していますが、息子は、フランスでの滞在が長くなるかもしれないと言っているので、妻は不安になっています。

    編集済

  • 編集済

    やはりキリスト教は根底に堕胎は罪という考えが強いと私は薄々感じているので地雷でしたね。
    私の地域は仏教が強い場所だったようで、不殺生戒だけは云われたので、個人的には中絶は反対の立場です。
    この辺りでアメリカ保守や共和党の考えはわかりますが、銃規制は賛成なので共和党と違い(不殺生戒)この辺りはよくわかりません

    (追記)
    お返事ありがとうございます。
    ひとつ衝撃は「中絶のカンパ」でした。
    北陸あたりだと、高い確率で「退学処分」で、定時制に入りなおすなどです。
    若年層のシングルマザーは存在するので、北陸あたりはアメリカの保守的南部に近いかもしれません。
    ショットガンは出てきませんが、同棲、結婚はあると思います

    作者からの返信

    晁衡さん、

    コメントをありがとうございました。

    私の高校生の頃は、誰かが妊娠した/妊娠させてのでと、その中絶手術のカンパの願いが、時々回ってきていました。その頃は、中絶手術が命を奪うものだという自覚はありませんでした。どちらと言うと、高校生で性行為に至る方がやばいことだと思っていました。

    米国では、ショットガン・マリエッジという言葉があります。直訳は散弾銃結婚です。これを娘が妊娠したと聞いた父親や親族達が、相手の男を捕まえて、牧師の前に連れて行き、新郎の頭に散弾銃を向けて結婚の儀式を行うという意味です。広く、相手を妊娠させた男が、家族からの圧力で結婚させられるという話です。別の読者さんがボンジョビの話題で書き込まれていたブルース・スプリングフスティーンのリバーもこれに似たな内容の曲ですね。米国南部でよく起こると、他の地域ではみなされていますが、これが南部だけで起こるとは言えないので、息子さんが渡米される時には、注意が必要かも知れません。

  •  私も子供が生まれた時は、泣いちゃいました。これからは家族の為に生きるのだ! とガチガチに緊張したものです。
     嫁と必死に子育てをしている時、近所の中華料理屋さんに行ったら、中国人の御主人が子供を抱き上げて、

    「良い子だねぇ。これからは良い事しかおきないよ」

     と笑ってくださいました。それで大分、肩の力が抜けたのだと思います。

    作者からの返信

    @Teturo様、

    コメントをありがとうございます。

    自分の子供って、本当に感動するのですよね?正直、物心ついてから、一度も泣いたことのない私でしたが、涙が出てくるのが止まりませんでした。

    妻は子育てを親権にとらえ過ぎて、後に産後鬱になってしまいました。

  • 転がり込んだ18歳の少女がお母さんになる、その感動のシーンに立ち会わせて頂いたような気持ちになりました。
    映画やテレビなどで出産のシーンを見る度に、自分の初めての出産のことを思い出して、いつも胸がいっぱいになってしまいます。
    月足らずで逆子で未熟児で・・突然の破水で無理やり産道を広げるという、何とも切羽詰まったあの時の状態を思い出すからなのです。

    そういう経験が身に沁みているので、奥様が妊娠されたというところから、もうずっと心配しながら読み進めていましたが、何と嬉しいことに、何といいますか、あっけらかんとした?清々しい?理想的なお産でありました。おめでとう!本当に良かったわね、やったねー! などと、きっと近くにいたら私は一緒に飛び上がって喜んだだろうな、って想像しました(妄想癖がある?)

    今回のエピソードも、前回に続き、一篇のステキなラブストーリーでありました。

    作者からの返信

    @88chama ローバ様、

    コメントをありがとうございます。

    この章も読んでいただき、親身なった感想を感謝しています。ローバ様も大変な’お産の経験がおありなのですね。

    その昔、空手の合宿で1週間寮に泊まり、毎日3度の稽古をしていた時に、稽古の後、体育館にあった大きなゴミ箱に履いていた女性を見て。ある大学院生が、この稽古ほど辛いことは人生で経験したことがないとか言ったのですが、その履いていた女性はすでに4人の母親でした。彼女が、お産に比べたらこんな稽古なんて序の口よとか言い放ちました。これを聞いた、同僚は、お産は、男には経験できない物凄いことだと悟ったと言っていました。この話を何度も繰り返していましたから、彼は、きっと良い夫になったでしょう。

    両親に黙って籍を入れていたり、子供を生ませたりと、よその国でかってにやっていた馬鹿息子でしたが、孫のパワーで救われたと思います。

  • 奥様のウェディングドレス姿、素敵ですね。
    お二人とも、お若くて、困難も沢山お有りだったと思います。
    しかし、お若いからこそ、乗り越えて来られたのでしょうね。

    作者からの返信

    時輪めぐる様、

    コメントをありがとうございました。

    妻のドレス姿をお褒めいただき、ありがとうございます。

    若いために無謀な行動を起こしてしまうのはよくあることだと思いますが、確かにそれだけのエネルギーもあるとも思います。なんとか今までやってきました。

  • 記憶ってほんとうになくなるんですよね。奥様やっぱりすごいなあ、です。

    作者からの返信

    茶々アルトさん、

    コメントありがとうございます。

    年を取ってこの年になると、なんでも忘れます。

    毒親に悩まされるのは今でも続いています。

    編集済
  • 人の情けの有りがたさを、しみじみと感じさせられるお話でした。
    奥様の境遇がどれほど大変であったとしても、それの何倍かの人々の情けの力が上回るということを、はっきりと教えてくれるものでした。

    人生で良き人に巡り合えるかどうかで、本当に幸せな人生が決まるように思えます。
    奥様にとっては、何と言っても博士との出会いがそうでしたね。
    博士も良きホストファミリーに育てて?いただけましたね。
    結婚式をお膳立てしてくれたこと、遠くからわざわざ駆けつけて祝ってくれたこと等々が、博士が如何にアメリカで良いご縁を結ばれたことかが伝わってきました。

    他人事ではありますが、拝読していて自分事のように嬉しく思いグッときました。
    私も下宿のご家族に、5年間もお世話になり良くして頂きました。
    縁は異なもの味なもの。良き縁あっての世の中といえましょうか。

    作者からの返信

    @88chama ローバ様

    コメントをありがとうございます。

    正直、今思い出してみると、二人とも無謀でした。高校時代のホストファミリーには特によくしてもらいました。大学時代のホストファミリーとは縁が切れた状態ですが、今は遠くに住んでいますが、高校時代のホストファミリーとその親族とは、フェイスブックなどで交流が続いています。

    日本の家族だけでなく、社会に育ててもらった感覚はありますね。今でも、ここで、ローバ様の様な方に育てて頂いているとも思っています。ありがとうございます。

    人との出会い、ご縁は不思議で大切なものですよね。

  • スプリングスティーンのTHE RIVERなんかもその当時の若者カップルの心境を代弁した歌ですよね。調べるとアルバムは1980年リリースのものでした。

    奥さんのご両親は、アジア系の先生と奥さんが結婚することに抵抗はなかったのでしょうか?また、そもそも奥さんがアジア系の先生を何の抵抗もなく選んだことに一番関心があります。

    私が好きだったアメリカ人の白人女性は、ちょうど先生と同じ1957年生まれですが、外国ではアジア系と付き合えるが、アメリカでは人の目があるから無理だと言っていました。

    あと、イランアメリカ大使館人質事件で言えば、1979年ですね。

    僕は、恐怖の中学校時代(にちにヤクザになるガキに脅されていた)を送っていた時期で感慨深いです。

    作者からの返信

    サバトラひろ様、

    コメントをありがとうございます。

    THE RIVER、暗い話ですよね?でも個人的に、何度も見たことのある話でもあります。大学生にはめずらしいですが。労働者階級でよく起こる話です。高校留学時代にも、そんなカップルに何度か出会いました。

    なぜ妻が日本人である私と付き合い結婚したかというと、きっかけは彼女の母だと思います。母への反発で家出して転がり込んできたのですから。アジア人と白人のカップルは逆のケースはありましたが、私たちの様に男がアジア人のケースはごく稀でした。よく注目されました。身長の話と、妻からは、目つきがあ鋭く、怖そうだったとも言われていました。妻が、余り男慣れしていなかったのも大きな理由だったのでしょうか?問題ありの白人女性が黒人とくっつくことが多いと思われていますが、それに似た様な話かも知れません。

    両親は、まさか結婚んするとは思っていなかったのでしょう。話が早く進みすぎて手を打つことができなかったと言う感じでしょうか?もともと、彼女の心配をしていた訳ではなく、自分らの保身が1番だったような人間h達でしたから。もう一つ、私は、彼女の両親の両サイドの親族とうまく付き合えています。ヘルズエンジェルから、ノーベル賞受賞者まで、たいていの人間とうまくやってきました。人たらしの分類に入るかも知れません。

    いじめは醜いですよね。大人が守ってくれなかったのなら、本当に醜いことですね。それを乗り越えて生きてこられたことは自分を褒めて良いと思います。

  • 親から独立するために結婚というのは、いかにもアメリカらしいですね。
    よく見たアメリカ映画のような話です。続きの話を楽しみにします。

    ちなみに私は妻との馴れ初めを公開すると、妻には怒られそうですが、奥さまが日本語が読めないから問題ないとか…

    作者からの返信

    晁衡様、

    コメントをありがとうございます。

    映画卒業の最後にシーンが頭に浮かびます。結婚したら終わりでないのが人生ですから、そのれからどうなったですよね?恵まれて結婚しても、離婚率は5割の米高ですから現実は、この映画の様なカップルの半分は分かれていたでしょう。

    国が違うのが1番の理由でしょうか?妻は、少し日本語はできるのですが、読むのはそれほではありません。息子にバレる方が可能性は高いと思います。

  • すごくきれいなウェディングドレス姿、奥さま幸せそうです!
    本当にBon Joviの Livin on a Prayer という感じですが、ホストファミリーの方々や上司など、周りの方もたくさん応援してくれていたのですね。奥さまが一番応援してほしかった母親が敵のような立場だったのは残念ですが。

    作者からの返信

    蜂蜜の里さん、

    コメントありがとうございます。

    妻のウエディングドレス姿を褒めていただいてありがとうございます。今面倒を見ている一歳ちょっとの孫が、おばあちゃんのウエディングドレス姿の写真に興味を示したのには驚きました(後で、どうも写真立てに興味があったと判明しましたが)。孫が理解できる年になったら、この写真を見せながら話してやりたいです。

    周りは、私たちが無謀なことをしていると知っていても、やめろとは言わずに、できるだけのことをしてくれました。ひょっとしたら、止めてくれていた方が二人のためにはなったのかも知れませんが、嬉しかったです。人生はそんなに甘くない、Livin on a Prayer でも歌ってますよね?でもその時は二人でやり遂げるつもりでした。正直、妻は幼すぎたかも知れませんが。私は、自分の責任は絶対に取ると決めていました。

    母の件は、今でも、引きずっています。月になんかか電話してますが、時々、怒って電話を切っています。内容はよくわかりませんが、金を催促されることも未だある様です。父も、問題のある人間ですから、この両親をみると、私の両親にと親族に感謝しかないです。

    編集済
  • 先生、大変な決断でしたな。実家のご家族はさぞ驚かれたでしょうしで。
    でも、どんな人生を歩もうと、結果として、先生なら幸せな家庭を築ける方だと思います。

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    コメントありがとうございました。

    実はもう少し続きのお話があるので、続けさせてもらいます。

    ご期待に追えず、完全に幸せとまではいかないにも、二人で頑張りました。孫の世話をしていると、息子がこの年齢だった頃を思い出します。息子が巣立ってから、問題も起きました。



  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    奥様の生い立ちはなんとも複雑ですね。痛みに弱いというのも、この生い立ちに起因しているのでしょうか。これまでのエッセイを読んだ限り、@fumiya57さまととてもよいご関係を築いておられるようで、本当に良かったなと感じます。
    奥様の継父と実母とが親権に固守したのはなぜなのでしょう? 奥様のお姉さんを置いて行ったことを枯らして、子供が大好きだったというわけでもないですよね。何かメリット(あるいは手放すことにデメリット)があるのでしょうか?

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントありがとうございます。

    妻は未だに、幼い頃のトラウマから立ち直ってはいません。PTSDの傾向があり、今は、線維筋痛症(せんいきんつうしょう、fibromyalgia)と言う症状で体の色々な場所に痛みが出ます。痛みに弱いのはこれが1番の理由です。その上、数年前、Atrial Fibrillation (心房細動)で入院もしました。この心房細動は、睡眠時無呼吸(SleepApnea)が原因で、それ以来、CPAPという呼吸器を付けて寝ています。今は、身体的な問題と精神的な問題が絡みあって、一人での外出もままならない状態です。私の仕事の上司は、調子の悪い妻が仕事先へ付いて来ても文句を言わず、私が自分の任務さえ遂行すれば良いと言ってくれます。おかげで、この仕事を続ける事が可能です。

    義理の母に関しては、子供は親(特に母親)と一緒にいるものだと言う概念は米国でも強いのですが、義母の場合は、子供達を自分の支配下に置く事が目的だったのだと思います。オウム真理教の様なカルトが信者をコントロールするのと同じです。姉は、脱退者とみなされたのでしょう。カルトは、信者が政府等に連れ去られる可能性があると、メンバーを隠したり、逃げ出します。継父は、掘り起こせば、警察沙汰になりそうな事をやっていたのではないかと思います(姉に手を出そうとしていたのかも知れません)。実は、米国では親権をめぐって、子供が隠されて、誘拐と見なされる件は多いのです。

    編集済

  • 編集済

    こんなドラマがあったんですね。

    奥さんも苦労されていたんだ!

    彼女は、先生なら信頼がおけると思ったのでしょうね。

    先生の人徳ですね!

    作者からの返信

    サバトラひろさん、

    コメントありがとうございました。

    妻が呼んだら、余り褒めないで下さいと言うでしょう。頭も、科学脳は持っているかもしれないが、通常に生活するには常識を外れることが多過ぎるとも。

    逆に、この様なバックグラウンドから這い上がってきた妻の方が、私よりも漢気があると言えるかもしれません。

    孫には、愛されていると疑いのない生い立ちを過ごして欲しいですね。それと共に、人に手を差し伸べられる大人になって欲しいです。

  • うわあ……。サバイブした奥さま、ヒーローですね!fumiya57さまのサポートあっての強さですね。お兄さんもえらい。そして私も、成人した子どもからお金をもっと欲しがる親の気持ちはわからない。

    作者からの返信

    蜂蜜の里さん、

    コメントをありがとうございました。

    妻のことをヒーローと呼んで頂きありがとうございました。私も妻は頑張ったと思います。今でも、私達の性格はどちらかと言うと丸反対で、私の行動や言うことに驚愕することのある妻ですが、心は若く、政治的には蜂蜜の里さんととても似ていると思います。彼女の親族には、トランプサポーターが多いのですが、彼女はトランプが大嫌いです。イスラエルにも怒っています。クリスチャンですが、イスラム教は悪魔の宗教だとか言って来た古くからの知り合いと、キッパリ縁を切ったりと、リベラル街道まっしぐらです。丸反対と書いたのは性格で、政治的に私も彼女と同じ方向です。

  • 一篇のノンフィクションを拝読したようでした。
    事実は小説より奇なり、といいますが、この事実は小説より深い感動を与えてくれました。
    口幅ったいことを申し上げるようで恐縮ですが、博士、よくぞ拾って下さいました!と思いました。

    博士の男気・漢気はたびたびエッセイで感じておりましたが、これこそ正によい場面で発揮したということでしょう。
    拾うことが救うことになり、それが成し遂げられるにはルームメイトの協力もあったことでしょう。

    日本でも虐待や酷い困窮から逃す為に、善意の人が立ち向かってくれていますが、まだまだ救われる人はほんの一握りです。
    もっとひどい場合はその劣悪さから逃れる術や、助けを求めて手を伸ばすという考えすら知らない人もいます。
    そんな状況に、自分の非力も考えず歯ぎしりしている私です。
    なので、この博士の救出劇にすごく感激してしまうのです。

    エッセイで垣間見る奥様の心の傷らしきものを、博士は全部受け止めて愛情一杯で支えて差し上げていらっしゃいます。
    奥様は考えられない、信じられない、と思えるような辛さを経験し、身を粉にして兄弟の為に働き・・と、凄い苦労の固まりのような方。
    その姿を見て、神様が博士と出会えるようにして下さったとしか思えません。

    博士もずっと恵まれた人生を送ることが出来ていたおすそ分け?とでもいうのでしょうか、それで奥様が幸せになれました。
    と、こんなことを言ったら、このエッセイへのコメントが陳腐なものと笑われそうですね。

    考えさせられるノンフィクション、ステキなラブストーリーを拝読した気分になりました。ありがとうございました。

    作者からの返信

    @88chama ローバ様、

    コメントをありがとうございました。

    波瀾万丈の人生の先輩であるローバ様に、ありがたいコメントを頂き、感謝しております。ローバ様も私も、親や親族から可愛がって貰って育ったと言う記憶は、後に出会った人生の苦難を乗り越える絆になったのだと思います。以前のエッセイにも書きましたが、家族からの愛を全く持って疑問もなく信じている私と、それが出来ない妻の間では、少しの衝突もありました。私の理解が浅かったところは反省しています。

    ご存知の様に、今、孫の世話をしていますが、孫には私と同じ様に、親や私達からのunconditional loveを感じて、いや信じて育って欲しいと思っています。私達夫婦が、息子へ与えようとしても、足りなかった分は、私の家族が補ってくれた様に、孫をサポートするのが私達の任務と思っています。猛烈な母と共に、優しかった祖母が、私にくれた一番の贈り物の様に。

  • なんて言葉をかけていいのかわかりませんが、ある友人を思いだしました。彼女の夫は仕事をすぐやめ妻を支配下に置こうとする困った人で、彼女自身は高学歴の素晴らしい人でしたが、なぜ、あんな男に引っかかったのか、たぶん異性に耐性がないのかもしれないですが。
    暴力夫から逃げる手助けをしたことがあります。
    しかし、この母親は子を産む資格がないですよね。こういう親に生まれた子どもは本当に気の毒だと思います。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、

    コメントをありがとうございます。

    妻の母親もですが、実は父親も、アル中で、酔って妻の兄と弟を虐待していたんだそうです。母はそんな夫だから逃げたと言い訳したそうですが、実は、その虐待は駆け落ちした後に知ったことでした。とんでもない両親でした。日本でもそんなことが隠れて起きていたのかもしれませんが、こんなドラマの様な生い立ちをした人間に出会ったのは初めてでしたが、米国では最後ではありませんでした。妻は若い頃の影響から完全には立ち直っていません。

    雨 杜和さんのご友人も大変な経験をされたのですね。その方は、雨 杜和さんの助けは一生忘れれないでしょう。持つべきは、信頼できる友人ですね。妻は転校しまくったおかげで、そう言う友人がいませんでした。

  • 奥様、大変な子供時代を過ごされましたね。ご兄弟の為に家計を支えられたこと、立派だと思います。@fumiya57 様と出会われて、お幸せになられたのですね。良かったです。

    作者からの返信

    時輪めぐる様、

    コメントありがとうございました。

    確かに、妻は、幼く多感な頃に、大変な経験をしてきました。私が全容を知ったのは結婚してから暫くしてのことでした。正直に言って、何の心配のない生い立ちをした私には想像も付かない事でした。その為、妻の心の問題にうまく対応できていなかった点も多くあったのは後悔しています。

  • 初めて窺った話。
    奥さんの家庭環境を訊いていたら逃げ出して当然。
    家族の繋がりが強いのでしょうか。
    よく弟、妹のために身を粉にして働くのを訊きます。
    日本では大家族の昭和初期にそんな家があったような。
    今の子どもたちは自分たちのためにお金を稼ぎ、親も納得している。

    作者からの返信

    オカン🐷様、

    コメントありがとうございました。

    余り家族のつながりは強くありません。妻は今でも、この頃のトラウマを完全には乗り越えてはいませんが、今では両親と電話で話すくらいは出来る様になりました。しかし、この家族は未だに平和に交わることができない家族で、あいつがこうしたとかこいつにやられたとかが電話に出て来るそうで、聞きたくない妻が電話を急に切る事もよくあります。息子は、あちらの家族とは縁を切っていて、私の日本の家族だけと付き合っています。妻の親戚の全員がおかしいのではなく、叔父達や従兄弟・従姉妹の中にはまともな人もいます。どちらかと言うと、トランプ支持者が多いのも、妻の不満ですが。

  •  何だか大変なお話ですねぇ。

     日本でも同じですが、毒親からは離れないと、その子の一生に関わってしまいますからねぇ。

    作者からの返信

    @Teturoさん、

    コメントをありがとうございます。
     
    70年代の日本の田舎かやって来た私には、離婚している人が珍しいくらいでしたが、こんな親に育てられた子もいるのかと驚きでした。子供のためを思わない親など、テレビドラマにしか出てこない存在でしたから。

    でも、今は日本でも話題ですよね。

    妻は未だに幼い頃のトラウマを背負って生きています。


  • 編集済

    僕のブルース・ミュージックの師匠なんか13股かけていましたよ。

    この男なのですが。

    https://www.williejlawsband.com/

    私が滞米中、結局一人のガールフレンドと付き合うようになりましたが、彼女は四股かけていました。

    ただ、その女性とも別れて今は別の女性と結婚しました。

    今は、ボストンに住んでいます。

    ヤマハのDT250は、ダート・ロードなんですね!

    私もダートのヤマハのXT250Tに乗っていましたからお友達ですね。

    作者からの返信

    サバトラひろ様、

    13股とか、その13人と使うと言う合意があったのでしょうか?まあ、こちらでは、コミットメントなしで、複数の異性とデートしたり行為に及んだりしているのは、その頃でもOKでした。お互いがそれで良いなら。

    二股というのは付き合っているとお互いに認識している相手がいながら、他の人に手を出すことだと思っています。そう言う関係でも、相手がオーケーなら、それでも良いのでしょうが、付き合っている相手に隠しながらは厳禁だと思います。

    XTのエンジンは4ストロークだったのではないでしょうか?DTはツーストロークで臭くてうるさいエンジンでした。70年台の終わりには、ツーストロークのエンジンは消え始めました。排気ガスと燃費の問題だったと思います。特に廃棄ガス。

    編集済

  • 編集済

    なるほどー、奥さんとの流れはそういう事だったんですね!

    奥さんが高二で付き合うようになった話も教えてください!

    作者からの返信

    サバトラひろ様、

    コメントありがとうございました。

    きっかけは、次の話にしれっと書きました。妻の家が不安定だったため、そこから、割と早くエスカーレートします。

    編集済
  • @fumiya57さま

    こんにちは。
    男女(とも限りませんが)のより親密な関係についてはいろいろと考えるところがあるのですが、どの段階からを浮気と呼ぶのか、難しいですね。プラトニックであろうと、恋愛は恋愛になるような気がするので。
    また、浮気ではない、対複数の関係があってもいいじゃないかとも思ってしまいます。ただ、関与する全員の理解は必要でしょうけれど。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントありがとうございます。

    日本での浮気と米国の浮気は定義が少し違うとも思います。

    正直、私も一度、ドイツ人の若い女性に心が惹かれた事がありました。肉体的なことは一才ありませんでした。どちらかと言うと、その頃の彼女のライフスタイルに、過去の自分を見た様で、私が勝手に惚れただけでした。

    もしも、配偶者以外の異性に惚れてしまい、本気でその異性と付き合いたいなら、まずは現在の配偶者との離婚でしょうか?最低でも、米国でよくある離婚を前提とした別居でしょう。米国では、医療保険の問題で、将来は離婚するつもりでも、戸籍上の婚姻を続け、新しい夫を探す女性が多くいます。米国人と結婚していた日本人女性がまさにこれで、新しい夫と籍を入れる前日に、離婚届を出したそうです。

    日本に住んでいた頃、米国に帰りたいと訴えてきた妻に、そんなに米国へ帰りたいなら、一人で帰って(息子は米国の大学へ通っていました)、新しい夫となる人を探すことを提案しました。その間、金銭的に援助はすると言ったのですが、拒否されました(笑)。

    編集済
  • >今現在、呼吸を一度すると、イエスキリストが2000年ほど前に吸った最後の息に含まれていた空気の分子(酸素分しか窒素分子)が何個含まれているかを計算させたりもしていた(実はこれをやっている人は割と多かったが)。


    非常に興味深い!

    作者からの返信

    結音 様、

    コメントをありがとうございました。

    読んでくださってありがとうございました。物事を簡素にしてモデル化し、数学を使って具体的な数字を出す。ついでに、この予想値の誤差も示す。科学の真髄です。後に、実験でこの近似の正当性を実証する。もっと正確なモデルを組み上げて行くとかを行います。そうやって食って行くのが科学者ですが、割と実用的な面も強調しないと、研究費は貰えません。その辺が、売れる小説を書かなくてはならない小説家の方達と一緒だと思います。

  • 博士が二股男じゃなくってとても嬉しい。
    そう思うのは何故でしょうか不思議ですが、やはり私は大昔の乙女特有の倫理観?の持ち主だからかも知れません。

    今は男女の交際なんてあっけらかんとしていますから、お互いがちょっといい具合に思えると、「お持ち帰り」(ご存知でしょうか)なんて当たり前。
    それはそれで、良い所もあるのでしょうけれど、古~い人間にはどうも・・

    でも奥様は新しい時代の人でありながら、どうやら私と同じような考え方のような方と思われますが・・
    エッセイからだけしか分かりませんが、博士と奥様は凄くいいお相手と結ばれたと思います。(二股かけなかったからですね)

    作者からの返信

    @88chama様、

    コメントをありがとうございます。

    私には二股なんて、複雑な努力はできません。シンプルに自然をいくつかの数式で表そうとする物理への挑戦はできるが、複雑な生物の世界は、例外とか多くて理解できないのと同じです。ただ、一緒に出かけるデートなら、複数の女性と行っても良いでしょうが、あの頃は、妻と付き合っていましたから、他の女性とデートに行くのは論外でした。

    妻は、米国南部で、キリスト教複音波の社会で育っていますから、考え方は、その頃の米国の一般的な女子よりも保守的だったと思います。母は、継父になる男と浮気して駆け落ちした人間ですが、自分の娘たちには清楚を求めていました。服装とかも露出が多い物は着せてくれなかったそうです(しかし、ビーチに行ってビキニ着ての露出はOKだったそうですが)。私と結婚して、大学の生活に慣れてしまったからか、政治的な考え方はリベラルですが、倫理に関しては、浮気とかは論外です。

    米国南部は、全米よりも結婚年齢が低いのですが、それはキリスト教複音波の影響が強く、セックスするために結婚してしまうからです。そういうカップルは、離婚率も高いですが、中には、ジミーカーター前大統領のように、ずーと連れ添っているカップルも多くいます。

    この中に出てくる二股を薦めた友人も、妻と私の関係がどれだけ深かったのか知らずに言ったことで、彼も、割り切った性格な人間でした。遊んでいる間は、何股でも構わずデートに出かける女子高生・女子大生は全てがセックスの対象であったが、一度、婚約者に出会うと、もう浮気はしていませんでした。その一年後くらいには結婚してました。(ここで、興味深かったのは、彼がいろいろな相手と寝ていた間にも、毎週の様に教会へ行っていたということでした。)

    編集済

  • 編集済

    バイクの話が出ましたので…
    日本で今一番人気というのは1980年代のホンダのCBX400Fでしょうか。
    若いZ世代も、凄く良いと評判ですね。アメリカの方々は日本人もハーレーが好きだと思うようですが…
    でも全般的にバイクは1980-90年代のモデルが人気が高いですね。トッフガンでトムクルーズが乗っていたカワサキとか、スズキのカタナとか。個人的な趣味が入ってますが

    日本でVIBESというハーレーなどを扱うバイク雑誌がありますが、センターフォールドにはお約束の写真が(?)
    何がお約束なのかですけど…

    作者からの返信

    晁衡様、

    コメントをありがとうございます。

    CBX400Fは魅力的なバイクでした。日本に的に最も適切なサイズであったと思います。80年代の米国では、1000ccを超えるエンジンのバイクが流行り、カタナやハヤブサにニンジャ等が人気でした。私はyamaha のSR400が欲しかったですね。米国で、ドイツ人の同僚が乗っていました。私の弟は、未だに80年代のSR400を所有しています。

    ハーレーは鉄の馬と言われるだけあって、モーターサイクルではないのだと思います。コーナリングや速さなんて関係ない乗り物です。米国では信者のいる宗教みたいな者です(ジープもその両機に達していると思います)。

    ハーレの雑誌には、センターフォールドは欠かせませんね。毎年、デイトナ200やスタージスモーターサイクルラリーというイベントには、そのセンターフォールドの衣装のような衣装を着た女性が多く集まります。例の妻の従兄も彼のハーレーで出かけていきますが、ガールフレンドは水着は着ません。

  • 先生、昔から疑問なんですが。
    男性のなかには、その人ひとりを守って結婚する人と、何股も女性とつきあい、その後結婚する人っていますけど。
    結婚後はどうなんでしょうか。
    若いとき遊んだ男は浮気しないと言う戯言を聞いたことがありますが、私の経験からは、そうは思えなくて。
    浮気する人は、若い頃も遊び人のような気がします。一度に何人もつきあう人ってのは、自信がなくて、女性に承認してもらいたいのかなって。
    自慢ですが、夫は二十代の頃から私に夢中で、子どもが独立した今もです。ちょっと、かわいいって思っています。

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    コメントありがとうございます。

    日本と米国、どちらの国でも、浮気をする者はいます。米国は、離婚率がもう長い間5割程度で、1番の理由は浮気だと思います。しかし、真面目に結婚している間は、浮気をしない人もかなりいます。性格の不一致とうか、浮気以外の理由で離婚するカップルに、薬物の中毒とかの理由が大きなシェアを持つのが米国のかないいところですが。

    一度の何人とも付き合う若者は米国には多くいますが、彼らは、結婚など考えていないで、ただ異性と付き合い、セックスまで割とカジュアルにいくというライフスタイルだと思います。その中で、本当に気の合う相手に出会うと結婚するというパターンが1/3程度でしょうか?別のグループは結婚(または婚約)するまでセックスはしないという者たちです。このグループの多くは、キリスト教信者ですが、信者でなくても、道徳的にそうする若者もまだいます。残りは、この両極端の真ん中のではないかと思います。そんなに多くの異性(同性のケースも)と付き合うのではなく、慎重に少ない数の相手と長く付き合うタイプです。

    妻の友人の一人が、離婚後、前者のライフスタイルにはまっていた時期があり、週3日、ディスコやバーで出会った男と寝ていました。そのような出会いをすると場所へ、友人をよく誘っていました。16歳で妊娠して、できちゃった婚をしてしまったのですが、2年もしないうちに離婚してしまいまし。厳しいキリスト教徒の家で育った反発だったのではないかとおもいますが、その内、元の鞘に戻り、結婚して又厳格な教会へ戻っていきました。妻の姉も似た様なパターンでした。この様に米国では、宗教のと自由を重んじる社会性のバランスが人間のt気合い型に影響しているのだと思います。

    ご主人が雨 杜和様に夢中なのは、やはり、雨 杜和様が魅力的なお方だからでしょう。夫婦の間でも、人間性が会うことが一番重要だと思います。

  •  アメリカの青春って、そんな感じなんですねぇ。

     プラムかぁ。私は日本人で良かったです。そんな行事、モテない男の子達とテキーラでも一晩中、痛飲して過ごしてしまいそうです。

    作者からの返信

    @Teturoさん、

    コメントをありがとうございます。

    私達の頃に比べ、その後、もっと陽キャ達の行動が派手になって、ダンスへの送り迎えに大型リムジンを使ったりしていましたが、パンデミックではキャンセルが相次いでいました。

    米国でも、ダンス後の違法飲酒を含むパーティもありました。高校生はビールやソーダで割ったウイスキーなどの比較的アルコールの割合が低い飲み物が主流で、テキーラやウイスキーをストレートで飲む者は少なかったです。そう言えば、その頃、日本では、酒類を自販機で買えたというと、米国人は驚いていました。

  • 犬にもするなと言われたのが爆笑でした😊!

    作者からの返信

    サバトラひろさん、

    コメントありがとうございます。

    我が家の犬達は、孫の代わりでしたから、息子以上の扱いでした。お宅なら、猫ですよね?

  • アメリカの青春ドラマのようなお話に、とても興味深く読ませて頂きました。
    やんちゃさんだったとおっしゃる博士の、何ともスマートで粋な学生さんぶりに、拍手したい思いでした。
    奥様との馴れ初めも知り、ますますご夫妻に親近感がもてました。
    学生結婚された事情も分かったようでしたし、どれほど奥様を大切に思われているかということも分かった気がしました。
    素敵なエピソードに、青春万歳!と叫びたい、そう思いました。

    作者からの返信

    @88chama ローバ様、

    コメントをありがとうございました。

    ローバ様のコメントを読んでいると恥ずかしくなります。日本ではやんちゃで、女性に対する経験も態度も今の小学生並みの私が米国へ渡ってリセットできるかと思っていたのですが、喧嘩とかしなくなりましたが、対女性的には、改善は大した事はなく、妻も苦労したと思います。カクヨムに時々ある家でした女子高生を拾った的な話が実際にあったとも言えるでしょうか?彼女に経済力があれば、こんなに早く結婚はしなかったと思います。


  • 編集済

    まさに私が憧れたアメリカですね。
    馴れ初めの話もアメリカらしい

    Bon JoviのLiving on a prayerみたいなのでしょうか?以降も気になります

    作者からの返信

    晁衡さん、

    コメントありがとうございます。

    本当にアメリカですね。米国の理想の一種ですね。高校生(それ以前からも含めて)から付き合い始めて、プラムダンスで大人になっても付き合い続ける事を約束し、やがて結婚して家族を築いていく。50〜60年間の結婚生活を経て亡くなる。今では離婚率も5割ですが、若い頃はそんな数字を考えるカップルはいません。

    私には、私達夫婦とその他の世界と言う概念はありました。院生になってからは、親に頼りたくなかったので、貧乏暮らしでしたので、Livin’ on a Prayer のit's tough, so toughという歌詞も、We've got each other も、聞く度に思い出して身に染みます。妻はそこまで考える余裕もなかったかも知れません。


  • 編集済

    プロムの思い出、とても懐かしいですね。私もお友達同士で行った派なので、うらやましい! 
    それはそうと、日本の高校生たちは(もちろん個人差がありますが)girlfriend means girl friend、という感じで、今思うと大人の目からは安心します。どちらもいい子たちなのですが、やっぱりヒヤヒヤしますね。

    作者からの返信

    蜂蜜の里さん、

    コメントありがとうございます。

    経験者ですね。蜂蜜の里さんはボーイフレンド候補が多すぎて、一人だけ選べなかったと言うケースですか?それとも、イミチュアな男子高校生には興味がなかったタイプでしたか?

    私の頃と比べると、80年代からは、ドレスやダンス前のレストラン、そして送り迎えのリムジン等がかなりエスカレートしたと思います。最近は、一度着たドレスを、高額過ぎてドレスを購入できない女子高校生の為に寄付してリサイクルする仕組みもあるとか。

    妻のおかげでリベンジできた事には感謝です。

    今の日本は、高校生が健全なお付き合いができる様になっていて欲しいです。

    編集済
  • 思い出のお話。米国のプラムの話。とても興味深かったです。
    プラムはモテる人にはすごく楽しいイベントでしょうね。でも、逆の男性たちには、ほろ苦い思い出になりそうな気がしました。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、

    コメントをありがとうございました。

    うん十年前の話ですが、強い印象が残っています。

    モテる人間はプラム前の駆け引きで多くの可能性を楽しむでしょうが、デートに行くと約束した時点で、コミットメントした事になり、お遊びは禁止です。当日のダンスも他の女の子と踊っても良いが、デートの相手を疎かにはできません。体を付けて踊るスローダンスはデートの相手だけにするのが常識です。カクヨムの異世界ファンタジーに出てくる、舞踏会でのエスコートする/される的なルールに似ていると思います。

    三年生にもなると、多くの生徒達はもう付き合っているので、そのままプラムデートをして2〜3年以内に結婚するパターンも多かったです。

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    クルーズの言葉に、最初「船?」と思いましたが、狭い日本と違い、海からはるか遠い内陸州もある米国では、船はないですね。日本の海辺の田舎だと、中学・高校生が船(舟)でやんちゃをするというのは今でもありそうです。夜に男女高校生たちがダウンタウンで車を乗り回すというのは、いかにも米国の古いイメージそのもので、ほほえましくなりました。皆、早い時期に免許を取得するのですか?

    踊るということがとても身近で人気があるのですね。日本ではダンスパーティーは全くと言っていいほど機会がない、きわめて高尚なイベントのイメージです。
    ヨーロッパの朴念仁の友人から、彼の母国では高校卒業試験のあと卒業祝いのダンスパーティーがあり、男女とも正装で臨むと聞いたときには驚きました。だからみんなある程度ダンスはできるのだとか。このお話にあるような定期的なダンスパーティーがあると、さらに踊れるのでしょうね。文化の違いを感じます。

    作者からの返信

    藤宇佳子

    コメントをありがとうございました。

    クルージングと言うと、未だ覚えている人も多いでしょうが、若い世代には忘れられています。その一役をかったのは、ニンテンドウのゲームだと思います。車好きの若者が減っていますし、ゲームで手っ取り早いペースで楽しむことに慣れてしまい、同じ所をグルグル廻るのも面白くないと思う若者の割合が増えたと思います。

    こちらでは、クルーズは大型の船で何日も掛かる旅、クルージングは車でグルグル廻るの傾向が強いですが、ボートで港をクルージングするとも言います。

    ヨーロッパは、きっとフォーマルなダンスも残っている学校もあるのでしょうね。米国にも、食事中には、16世紀かと思われる様なガウンを着なくてはならない学校がある様です。東海岸のエリート大学では、寮に住むと、同じ様なガウンを着て食事をすると必要があったと言う話をリチャード・ファインマンの本で読みました。明らかに、イギリスからの伝統です。

    私が留学したのはディスコが流行る直前だったので、ダンスといっても、それほど激しいものではなく、2人で向き合って適当に体を振っていました。時々、スローダンスになり、抱き合ってゆっくりとステップを踏んでいくのが入るのですが、これは大体恋人同士でやるダンスでした。お互いの耳に甘い言葉を囁きそうのです。

    日本ではキャンプファイヤを囲んだフォークダンスで、好きな女の子と手を繋いで心が踊るくらいですかね?私の様な男には。



  • 編集済

    先生は、かっこいいし強いから、女の子もダンスパーティーのお誘いにオッケーしたんでしょうね。強いということは、アメリカではマストですよね。僕が、最初に入ったフィラデルフィアの語学学校は、月一回みんなでパーティーをやっていたのですが、メキシコの子に一緒に踊ってとお願いすると、ちょっと待ってアジア系とは…、みたいな態度を見せましたね。意外でした。同じカラードなのに。しかし、イタリア人の子は、そういう態度を見せなかったうような。あの時、彼女にアタックしておけば良かった。忸怩たる思いです。

    州立大学の一年の学費が400万円とは!知りませんでした…。日本でも奨学金が払えなくなり、連帯保証人になっていたおじさんが破産したという記事を読みましたが。一体、アメリカは何をやっているんでしょうね。優秀な人材の育成というのは、お金持ちのDNAを持っている学生に限るということでしょうか。戦争に行けば、学費が無料になるという記事も読みましたが、あまりにも酷ですね。

    作者からの返信

    サバトラひろさん、

    コメントありがとうございます。

    あの頃の私は女性に関してかなりウブで奥手のヘタレでした。(実は今でもそんなに変わってないという説もあります。🤣)) 日本よりモテたとは思いますが、米国の女性は男に対して日本ほどバリアーを張っていなかったため、フレンドリーな対応をしてくれただけの人もいたのです。ある意味で、男女平等の表れで、新鮮でした。

    現在の米国は、白人労働階級が大学教育を得てホワイトカラーになる事が難しい社会です。90年代後半から2000年代初頭に、それが加速したと思います。クリントン・ブッシュ政権の間です。今では、技術的人材は輸入(外国人大学院生)頼っています。

    大富豪は、自分の会社で働く者が米国生まれの白人であろうが、アジア人であろうが気にしません。彼らの子孫を学費のかかる超エリート校へ送り込んで将来を約束させ、彼ら以外の米国人はどうでも良いという態度だと思います。その為、彼らの政党である共和党は、自分らとは真逆の白人労働階級えお取り込んで、政権を取ろうとしてきました。お陰でトランプが彼らのリーダーになってしまいましたが、トランプの最終目的は、自分自身の様な金持ちが、税金を払わずに自由にやっていける国です。

  • お母さまが博士の将来を心配された程のやんちゃぶりや、もの凄い武勇伝の数々から想像していた姿とは違って、何ともうぶな、といいますか初々しいといいますか、そんな一面がみられた第88話でした。
    テレビドラマなどでしか知らないアメリカの高校生の様子が、とても興味深くて楽しいエピソード満載でした。

    アメリカの学生達は経済的な理由以外でも、自分でバイトをして学校へ通っているという話を聞いた時、頭を殴られたような気になったことがありました。
    勉強が出来た訳でもないのに、私立の大学に通わせてもらいバイトもせず、かといってその分勉強をした訳でもない自分が、叱られたような気になったのです。
    そこで反省し奮起するような人間でない私は、呑気にゆうゆう(遊遊)と学生時代を過ごしました。
    人生をやり直せたら・・と今更ながら思わされるエピソードでした。

    作者からの返信

    @88chama ローバ様、

    コメントをありがとうございます。

    日本の受験勉強は異常過ぎて、遊ぶ暇もなく、アルバイトでお金を稼ぐ経験もできないですよね?受験を経て、一度大学へ入ると、ー最初の2〜3年は、それまでの猛勉強だけの生活から解放され、初めて自由に暮らせる時期があるのは理由があると思います。4年生になり、理工系では、卒論研究でかなり絞られます。教官達に言わせると、入学以来羽を伸ばしすぎた若者が、社会人になる準備だそうでした。就職と共に、人生の中では短かった遊んで暮らせる時期が消えて、又もや悪戦苦闘の生活が始まるのでしょう。

    この点に関しては、仕事と趣味がほぼ同じである私はラッキーでした。

  • 米国の親の育て方には、感銘を受けますが、しかし、裕福な親を持つ家族が少ないのかもしれないとも思っております。
    米国の大学の授業料にはびっくりしたことがあります。
    その彼女の一生も感慨深いですよね。なんだか、年をとると、知り合いの生き方の結果を知り、なんていうか、感慨深いです。

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    コメントをありがとうございます。

    米国では裕福でも、ある程度自分で学事を稼ぐことが当たり前と思っている家族が多かったです。学費がとんでもない価格になってしまった現在、そのために多くの子供を諦めた親達もいると思います。1年間にかかる大学へ通うコストが、州立大学でも、平均年間400万円(約27000ドル)だそうです。おかげで、これを払えない者達は、大学教育を否定するようになり、現在、多くがトランプ支持者のようになっているのだと思います。

    彼女は大学を中足してカリフォルニアへ引っ越してからは、小柄で運動神経が良いことを生かして、煙突掃除をしていた時期があったそうです。多くの夢のあった若い女性が、年取ってかた保守のキリスト教複音派になるんですよね?この女性も、私の妻の若い頃の友人も何人かそうなりました。実は妻よりもワイルドだった妻の姉が最近はそうなんだんです。

    確かに高額のエリート大学にかかり費用を払える親は限定されます。丘かげで、富裕層がエリート大学へ子供を送り、又その子が同じ様に子孫をエリート教育していく悪循環があると思います。

    編集済

  • 編集済

    ざ、アメリカって感じですね。
    クルージングですが、そういえばわが国でも海岸沿いに改造車で集まって爆音を鳴らし、黒い服を着ている人達がいましたね。アメリカングラフティには憧れたものです。

    最近は、暴走色が抜けて自慢の車を見せるために海岸沿いに集まっている人達が多いです。「ワイルド・スピード」の第1作みたいでした。

    私の高校時代はダンパでなくて、ディスコやバンド全盛期なので、高校文化祭はディスコ、ライブイベントでした。

    私の時代はバブル期なので、大学生の息子、娘への仕送りは学費に加えて15万、20万というのは当たり前にみました。

    私は「4年分の学費は出す」祖父から「教科書代10万円」をもらいました。祖父の10万円は本当に教科書代に使い、卒業の時にカラになりました。祖父はそれと同時に他界したので恩返し出来なくて残念です。

    某共和党大統領候補の支持者で日系の人はニューヨーク新潟県人会会長の大坪さんということもあり、我が新潟県では共和党の繋がりも、民主党の繋がりも両方あって、大統領選挙が気になります

    作者からの返信

    晁衡さん、

    米国の高校ではいまだにダンスパーティーは大きなイベントの様で、特に年度末のプラムはビッグディールです。しかし、女子のドレス代とかリムジーンでの送迎等に費用がかかりすぎてしまうとの苦情も出ています。

    クルージングはもう余り行われていないと思います。きっとビデオゲームの方が面白いというのが1番の理由だと思います。大きな駐車場に改造車を集めてドリフトの競い合いをして近所に迷惑をかける連中はこちらにもいますが、本気で怒らすと飛び道具が出てきます。

    私の時代はバブル前でしたが、アルバイトをして学費を稼ぐとか言ったら、バカなことを言わずに受験勉強しろと言われました。

  •  凄い!

     ビバリーヒルズ青春白書のリアル版じゃないですか!

     どんな世界でも、この年頃の男の子たちのエネルギーは凄いですよねぇ。楽しそうだなぁ。

    作者からの返信

    @Teturoさん、

    コメントをありがとうございます。

    ビバリーヒルズ青春白書、最近主人公の一人のシャナン・ドハーティーががんで他界しましたよね?ビバリーヒルズでクルージングをしようと思えば、フェラーリとか古いマスタングとかに乗ってないと見窄らしく見えるかもしれませんね。まあ、ツーリストが多くいるので、レンタカーで人気のカムリーとかも多く混ざっているでしょう。

    そうですね。青春時代は情熱ですよね?クルージングは高校生が主人公の米国映画に多く出てきました。しかし、もう今は流行っていないと思います。いまだにやっているというので、テレビニュースになって放送されたのを見ました。

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    「日本の祭りって、結婚生活の償いと同じだな、、、」

    ついポロリと出てしまった本音、でしょうか (^^;)
    償いというよりは、これ以上理不尽に祟られないようにするお祓いですよね……おっと、余計なことを言ってしまいました。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    いつもコメントありがとうございます。

    本音、うっかり出てしまいました。妻が、神様レベルで怖い我が家です。

    結婚生活、まさに人生そのものです。

  • 私はおそらく作者様とは多少下の年代となりますが、田舎育ちなので宿題を忘れたら皆の前で先生にコツンとやられるのが当たり前で、問題でも起こそうものならゴツンとされるのが当たり前でしたね。まあ、それでも宿題は忘れてましたけど…

    私の父母はさほど勉強に熱心ではなかった代わりに、問題を起こした際に「周りに迷惑をかけるとは何事かー!しっかり先生の言う事を聞きなさい」と言うタイプでした。

    まあ、昭和ですね。

    作者からの返信

    釜屋留間幾二様、

    コメントをありがとうございます。

    そうですね。昭和です。しかし、今でも、「人様に迷惑かけるな!」と言う意識は、世界に比べれば、日本はかなり高いと思います。現在溢れかえっている外国人観光客の間では、街の綺麗さや人々の秩序ある行動等による驚きの体験談が数多くあるようです。今でも、子供の頃に叩き込まれている様ですから。

    これからもよろしくお願いします。

    編集済
  • はじめまして、蜂蜜の里と申します。
    私もロスに住んでたことがあり、いろいろ「わかるなー、それ」の連続でした。

    アメリカ人は、実力がある人は認めるお調子者が多いけど(懐が深いともいいます)、逆にすぐに蹴落とされるサバイバルな面も大きいから、ご自分の選択でずっとその国で生活されていたこと、すごいな、と思います。
    (私も将来移住したいなー、でも日本快適だしなー、でずっとやってきました)

    作者からの返信

    蜂蜜の里さん、

    コメントをありがとうございます。

    ロスの小学校での体験から読ませて貰っています。私の場合は、中学生の時に日本へ連れて帰った息子の話を重なる事もありますので、ダブルで楽しんでいる感じです。

    幼い頃の外国での生活は、今でも、日本人ではなかなか経験できなかいことで、私の世代では、本当に稀でした。皆には羨ましがられていたでしょうが、当の本人には(私の息子も含めて)偉い迷惑でもあった可能性も高いとも私は自覚しています。

    これからも楽しみに、蜂蜜の里さんのロス日記を読ませて頂きますので、よろしくお願いします。

    編集済
  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    昔話を面白おかしくする、というコンセプトで思い出したのは、下記のremixシリーズですね。

    『匂いをかがれる かぐや姫~日本昔話 Remix~』

    上記で検索すると、アマゾンサイトやYoutubeアニメーションなどが出てくると思います。

    自動翻訳サービスを駆使し、日本語を英語に、それをもう一度日本語に直すという手法で作り出された昔話です。自動翻訳がまだまだいい加減だった時代、それを逆手にとってこんな面白いものを生み出すアイデアに脱帽しました。

    ところで、幼児にピルの話は駄目ですかね? 「ある程度大きくなって、それ相応の理解力ができてからでないと話してはいけない」と考えるのなら、その人はそもそも性とは隠すべきものととらえている、と邪推してしまいます。幼くても、性に関する知識を与えるのは構わないような気がするんですけどね。問題なのは、幼稚園児に教えてしまうということではなく、教え方のほうではないでしょうか。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    毎度コメントをありがとうございます。

    翻訳の翻訳で面白い話を造る話で思い出したのですが、ある院生が好きな作家は、まず自分のさくひんをプリントアウトしてから、小さく切りわ分け、それをランダムに並べ替えて、読んでみて気に入ったら残すという方法で、小説を書いて出版していると言っていました。読みたいとも思いませんでしたが、そんな作家もいるのかと驚きましたが、それを買って読む読者がかなりいる方が驚いた気でした。ある意味で、抽象画に似ているのかとも思いました。今なら、アルゴリズムを組んでできそうです。

    性教育に関して、今の日本の遅れ様には驚いていましたが、暗殺されて前総理と統一教会に繋がりあった為と聞いて、なるほどと思いました。2〜3歳の子供にピルの話をしても意味はわからないと思ってやったのではないかと思いますが、そんなことをする保母さんには子供を任せられません(口の悪さでは私の方が上でしたが)。

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    学問が細分化し深化していくと、以前なら常識だった、関連深い知識ですら知らない専門家が増えてしまいますね。人間の能力が有限な以上仕方ないことなのかもしれませんが、それにより損害を被ることも多いでしょう。分野横断のパイプを太くするか、気軽にアクセスできる高性能なデータベースを整備しないといけないのかなと思います。技術を持った人間がごっそり移動する社会であれば、後者の重要性も増すんですかね。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    私も、人類史上、今までにも忘れられてしまった技術は多くあったと思います。文字を使い初めて、知識を直接会っていないにんげんと共有できる様になりましたが、書き残されただけでは埋もれてしまう知識も数多いと思います。特に、別な方法である問題を解決して、皆そっちの方に流れてしまうと、古い方法は忘れられるんでしょうね。

    この問題と直接に結びつかないかも知れませんが、世界中からアイデアが集まってくる為、多様性は重要だと思います。そこが米国の強さだと思っていますがます、逆に弱さでもあるのでしょう。日本とはまるで逆の様にも思えますが、お互いに補える関係になっていけば良いと思います。

  • 第84話 整理整頓が得意?への応援コメント

    @fumiya57さま

    こんにちは。

    素晴らしい収納って、やりすぎるとむしろカオス化したり、完璧すぎてひとつの閉じた世界が出来上がったりしますね。もはやそれには誰も手を付けず、代わりに新たに、同じ種類の別ものが発生するという……。

    写真と日付などの情報の管理、デジタル画像しか知らない世代にはわからない感覚だろうなと思いました。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントありがとうございます。

    収納を上手くやって調べやすくするよりも、全てどこにあるかを覚えている方が得意な人もいますよね?私の教授がそんな人でした。机の上には、論文のプリントやメモ・ノートがぎっしりと積み上げられて、書き物をするスペースが少しだけありました。しかし、何か必要な時、その地層の様に積まれた紙の山から書類を引き出して来るのです。

    私には今までに解析した試料が山になる程あるのですが、整理して収納する暇などないので、試料を準備する机の上に放置されています。年に2度くらい、それらを小さなプラスチックバッグ(ジップロックの付いた)に入れ、年代を大きな字で書きこんだ大きなバッグに積み込みます。それが何個か貯まると、大きな収納へ入れていきます。今その箱が8個あります。捨てるべきなのでしょうが、それも面倒臭さいので、終活とかも仕事先では他人任せにしようと企んでます。