先生、爆笑しました。ごめんなさい。
夫とそっくりです。
いつも、よくまあ、そんな理路整然とした屁理屈をいえると、夫には笑っています。
因みに、夫も、理系大学を卒業したメンサ会員です。
でも、本質的なところで、とても優しい人で、きっと先生も、そうなんだろうと推察しております。
作者からの返信
雨 杜和様、
コメントをありがとうございます。
>つも、よくまあ、そんな理路整然とした屁理屈をいえると、夫には笑っています。
ご主人の努力が、雨杜和の一言で、一瞬にして崩れていくのがよくわかります。私も身に持って体験していますから。惚れた女性のNoの一言は、40ページ渡る数式の展開による証明よりも力があると理解さてくれたのが妻でした。それでも、何度も頭をぶち当ては、崩壊していた私ですが。
私も思い当たるフシがあり、社会科学系なので、理論的証明より
「別の見方があるのではないか」というタイプなので、子どもが生まれるまでケンカは絶えませんでした。
子どもが生まれてからは不思議とケンカはしなくなりましたが、これを理論的に解明しようと思います
(治ってない?)
ただ家では、鵜飼いの鵜みたいになっているのは確かです
作者からの返信
晁衡様、
コメントをありがとうございます。
>鵜飼いの鵜みたいになっているのは確かです
リードのついた首輪をされて、散歩に行って、皆に吠えまくっている犬が私だったのではないかと思います。勿論、リードを手にしているのは妻ですが、妻も、この犬の躾には最初は戸惑ったということです。
ところで、私は鵜飼は動物虐待だと思っています。
@fumiya57さま
こんにちは。
出だしの注意書きに、どんな酷いことをしたのとだろうと思いましたが……
読み始めて、もう、笑いが止まりませんでした!! やります、私もこれ、やっちゃいます。ずは確固たる定義かあるいは少なくとも語り手と聞き手の間で納得できる定義を確認し、そののち観測。観測も観測対象、観測手法、観測者など実際にデータを取得する前に詰めなければならないことが山ほどありますよね。ひととおりデータを取ってからも……、いや、もう止めておきます。
あ、でも、相手を見てやりますよ。
今回カウンセラーさんは、奥様とのふだんの会話の様子をみたいということでこのような話の流れになったのでしょうけれど、奥様とは、基本この調子で会話なさっているのですね。
> この結果を聞いて、私は、「よっしゃ、最高値だ!」と思った
ここでも爆笑です。うらやましいです。
ついつい、「わかる」のほうに肩入れして読んでしまいましたが、でも、常に夫にこの調子で会話されていたら(というより、あしらわれている、ととらえられるかも)奥さまのストレスはたまる一方でしょう。「今日、天気いいね!」に「天気が良いとはどういう意味か? 晴れているということか、晴れていることは天気が良いといえるのか――」なんて返答されていたら、ふつうの人は話しかけるのを止めるでしょう。
もし会話がほぼこの調子だったのなら、奥さまのストレスは耐えがたいものだったでしょうが、逆に、このような会話をしないで、と知り合ってすぐに言われていたら、@fumiya57さまとしては、どのようにお感じになっていたのでしょうか?自分のアイデンティティである理屈っぽさを初めから封じられてしまったら、彼女と付き合っていくことに耐えられたのか?
そう考えると、今のお二人が山あり谷ありながらもここまで一緒にやって来られたのは、ひとえに奥さまの忍耐があったからであり、@fumiya57さまはこれから、今まで苦労をかけた分、奥さまに歩み寄ってあげないといけませんね (^^)
> 自分は正しいと証明するのが重要な私だったが、実はそれはある意味で私の未熟さを示していたのだと思う。
これは身につまされます。常に気をつけなければ、と思います。
作者からの返信
佐藤宇佳子様、
コメントをありがとうございます。
>やります、私もこれ、やっちゃいます。
同族ですね。日本でこんなことをやっていては、会社では働けないと、松下の研究所にいた友人から言われました。彼も、研究所の別の部署の人間とのトラブルがあり、そこへ出向いて、徹底的に理論詰めでこき下ろしてやろうと思ったら、上司から止められたそうでした。上司には、少し掘っておけと言われたそうです。すると、向こうも、対処してくれる様になり、物事は問題なく進む様になったそうでした。日本はそういうところなんだと言ってました(実は、私、ここで内定をもらったことがあるのですが)。
米国でも、がんがん討論をするべきとしない方が良い時があります。それを見極めるのは、経験でしょうか?まだ、未熟だった私です。
結局、妻との討論(夫婦喧嘩ともいう)は、私が一生懸命に論理的に進めて行った議論を、最後に却下されて終わりでした。段階ずつでは、私の議論が’正しい、または、納得するというので、それでは、結論となると、Noなんです。そこまで、議論を進めてきた努力は泡に消えるのです。妻のおかげで、良い経験をさせてもらえました。
日本人と結婚している米国人男性の友人が何人か、彼らの奥さんと喧嘩になると、晩飯に納豆や小骨のある焼き魚が出てきて、夕食は抜きと同じになると言ってましたが、私は、自分で料理ができたので、夕食を書くことはなかったです(笑)。彼ら、飼い慣らされて、自分で料理などしなくなっていたのでした(元々していなかったのだともいます)。日本人妻、恐ろしいです。
お互い、行きすぎない様に心がけましょう。
夫は威勢のいい人で男らしくて、男が男に惚れるっていうところのある(ちょっと褒め過ぎかな、いや、だいぶですけどゴメンナサイ)人でしたが、長男という意識のこり固まった人で、話も理路整然と突き詰めてくるような所のある人でした。
何人かの夫の同級生たちが、めんどくさい人でしょう?と、私に笑いながら言う程でした。
でもそれは始めの頃に思ったことで、何年も一緒にいると本質的なことが分かってきました。
理詰めでやり込められてると思ったのはそうではなく、わからんちん?な私に、わからせてやろうとする一生懸命さからなのだということでした。
長男意識に凝り固まってイヤだな、と最初は思ったけれど、それは長男なので両親をすごく大切に思うという事で、それと同じく、女房子供を守らなきゃぁという意識に凝り固まった人、だということもわかってきました。
甘えっ子で我がままだった私が思う夫と、我儘が少し抜けて少し大人になれた自分が見る夫では、違うんだという事も分かりました。(何年もかかったけれど、子供だった私は成長したんですね)
私のこれが例となれるかどうか分かりませんけれど、まだ幼かった奥様が博士に感じていたことと、まだ若かった博士の考えや行動が、全く相反していたかどうかは、其々の思うところのズレのようなものが邪魔をしていたんだと思います。
何年かしてそのズレのようなものに、少しづつ気づいて修正しながら暮らしていくうちに、お互いが色んなことに気付き反省したりして、そのうち子供だった人が(私も子供でした)母となっていくうちに強くなって考えも変わり、強い博士をやっつけられる(やりこめる)までに成長できたんだと思います。
博士もまた常々反省されて、奥様の性格もしっかり受け止めて差し上げられるほどのところまでいきましたから、後はもう博士の本来の男気を十分に発揮して、奥様の全てを呑みこんで、更に怒られ役をかってあげて(敢えて怒りを受け止めて差し上げてますでしょう。本当に強い人の証拠です)平和が保たれているのではないでしょうか。
だから、別れることもなくここまでこられた・・ということなのでしょう。
博士の奥様に叱られた、という言葉に、いつも博士の凄く優しさを感じている私なのです。
作者からの返信
@88chama AKAローバ様、
コメントをありがとうございます。
>長男という意識のこり固まった人で、
私の父は、内弁慶で、家では無口で時々雷を落とす父でしたが、外では、仏様のような人だとか言われたことが何度かありました。きっと人助けをしていたのでしょう。しかし、私には、父と遊んでもらった経験がたった一度しか残っていません(小学校低学年の頃、正月に竹で機関銃を作ってくれたとこ)。おかげで、私と息子はいつもレスリングをしていました。
私は父に対して今でも反発していますが、弟は、戦前に生まれた農家の長男なんてあんなもんだと、あきらめて様な口調で父のことを話します。これは、長男である私にも向けられる愚痴なのでしょう。
>強い博士をやっつけられる(やりこめる)までに成長できたんだと思います。
いつの間にか、妻は、私に対しては強くなり、ご存知の通り、もう牛耳られています。私が米国人の知り合いに、自分の給料がどれだけ振り込まれているか全く知らないと言うと、皆驚きます。結婚当時は、銀行口座の残高も私が伝えないと知らなかった妻ですが、どこかで逆転されました。