応援コメント

第94話 無事生まれたが、妻、産後鬱になる」への応援コメント

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    親の虐待が子供の精神的安定性に与える影響は小さくないと思っています。実際そのような境遇にあっても表立った問題を起こさず生きている人もたくさんいらっしゃるでしょうけど、ハンデはあると感じています。
    奥様とお兄様がそれぞれ「もろさ」を抱えていたのも、それに関係しているのではないかしらと思わずにいられません。お兄様がかつて付き合っていた女性はささいな苛立ちを笑い飛ばせず、一緒になって喧嘩していたようですが、奥様のほうは@fumiya57さまのおおらかさに救われていたのではないでしょうか。ときにそれが大きなミスにつながり、奥様の逆鱗に触れることもあったようですが……

    「おかげで、私は睡眠時間なしで2−3日は軽く行けた」
    なんと恐ろしい……。
    でもこれ逆ですね。睡眠時間なしで頭を使い続けられる超人的な能力があったからこそ、物理または物理工学専攻のしごきに耐えられたのではないでしょうか。夜間の育児を積極的に手伝ってもらおうと思ったら、物理の男子学生はねらい目かもしれませんね。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    >親の虐待が子供の精神的安定性に与える影響

    これはかなり大きいと思います。おっしゃる様に、妻と義兄のもろさに大きく反映していると思います。今でも。私と妻もたまに夫婦喧嘩になることもありましたが、妻の兄と彼のガールフレンドは、半分くらいの時間を喧嘩に費やしていました。これは、親に虐待されて育った大人にはよくあることで、米国ではカウンセリングが勧められています。ガールフレンドの方も、別れてはやり直すを繰り返す。共依存症だったのだと思います。

    物理専攻はイクメンになるかと言うと、全く逆のケースを知っています。私が院生の間に出会った、日本で東大の物理の博士をとった夫と、東大の看護科の博士を取ったカップルを知っていたのですが、奥様は名門ミシガン大学の看護科の教授になり、夫は東ミシガン大学(正確には大学を覚えていません)の物理の教授になったのでした。奥様の大学の方がランクは遥かに上でした。それでも、夫の大学のある街に家を買い、奥様の方は、車で片道1時間半以上かけて通勤していました。子供が二人いて、上は小学校一年生、下は、2歳くらいでした。しかし、ある日、下の子が熱を出してしまい、保育所から、迎えに来いという連絡が奥様の方に来たのでした。夫に電話して迎えに行ってくれる様に頼んでも、拒否されたのでした。夫曰く、物理は看護科の仕事よりも重要なので、お前が行けだったそうでした。おかげで、彼女は車で1時間半かけて子供を迎えに行き、その後、学校で長男を拾った後、家に帰り、車に荷物を投げ込んで、彼女の大学のある街に引っ越してしまいました。もちろん、離婚でした。

    現在、孫の守りを二週間弱ほどしていて、おむつ替えを三十回以上したと思います。昔を思い出します。妻は、腕に力が入らないので、抱っこもできず、おむつも変えられません。それでも、私の監督は十分い務まっています(笑)。

  • 精神病院に二週間も入院されていたとは驚きました。

    私は、四回で計一年二か月ですが、同類(こういうと失礼かもしれませんが)かと思うと奥様ヘのシンパシーが生まれました。

    彼女は精神病院に入院歴がついてしまったことで凹まれてはいませんでしたか?

    私は、女性に実は、精神病院に入院したことがあると言えば必ず引かれるもので…。

    作者からの返信

    サバトラひろさん、

    コメントをありがとうございます。

    米国でも、精神科の入院は凹む理由になるのでしょうが、日本ほどのジレンマはないと思います。特に産後うつの場合は。米国では、精神的な問題で精神科で世話になった後、もしものことがあると、その精神科医が訴えられるので、他の病気よりも比較的簡単に病棟へ連れて行かれます。そこで、1−2週間ほど状況観察後、自殺の心配がないと判断され、退院となります。人の命と医者のマルプラクティス(医療過誤?)が関わってくるとすぐに入院です。そして、残るのは膨大な治療費です。

    今では、精神科に少しの間でも入院すると、銃を持つ権利が無くなるので入院をできるだけ避けている人間も多くいると聞きます。彼らの様な人間が病院にいれら得るべきなのでしょうが、アメリカらしい問題で。

  • 自分たちの望むところの出産ですから、子育てがどんなに辛かろうと頑張るのは当然のことでしょう。
    その当然のことを懸命にやってる姿が半端ない、と思われるので、読み進めながら感激で涙が湧いてきそうでした。
    若くて経験もないことを突然に、当然のこととしてやらされるのですから、気の毒にと思われて涙のようなものが滲んでくるのです。

    奥様の辛い状況や苦しい状況もさることながら、私は夜に十分に寝られないで子のお世話をする姿に、胸が詰まる思いでした。
    赤ちゃんのお世話は昼夜をとわずですが、夜は特に気を使うことも多く、側に頼れる人もいなければ、孤独で不安で押し潰されそうになること間違いありません。

    でも博士は夜通しの勉強で慣れているからと平気そうですが、決してそうとも限らないことでしょう。
    昼の勉強と夜の育児。これをこなすことが出来るのは、正にスーパー育児マンしかおりません。

    日本でも産後鬱とか問題になっていますが、博士のところでは強力な助っ人となれる人が必要でしたね。
    私事で恐縮ですが、お産では散々苦労しましたが、産後は至れり尽くせり義母が喜んで、床上げ(産後三週間)何もかもやってくれて(実家の母は病気療養中でしたので)助かりました。
    そんな自分の時のことを考えると、学業、それも並大抵じゃない勉強量の学生業と、慣れない育児業で八面六臂の博士に、やはり同情の涙とでも言いましょうか、が湧いてきそうになるのです。

    何十年も前のことではありますが、博士、大変なことをよく頑張ってやられましたね。感心、感動、あっぱれ!と、あらゆる言葉を並べたい思いです。

    作者からの返信

    @88chama aka ローバ様、

    いつもご親切なコメントをありがとうございます。

    こんなメッセージを頂いたと妻が聞いたら、褒め過ぎないでくださいというでしょう。

    赤子の世話は、私にはそんなに苦にはなりませんでした。但し、私は、妻から見れば、もっと精神込めて赤子の世話をするべきだと思われていたでしょう。今、面倒を見ている孫の世話も同じで、背後で苦情が連発しています。この孫、私に似たのか、頭がでかいので、おむつを変える時とかに、マットの上に寝かせると、ゴンとする音と共に頭がマットに当たる音がするのです。すると、妻が、私を叱るので、今度は孫が驚いて泣き出すのです。ここで、妻が大声で私を叱るからだと言うと、また叱られます。少々頭をぶつけてからと言って、脳震盪を起こすほどでもないので、私は心配していません。頭でっかちなので、将来は頭突きが得意になるかもとか、変なことを言って、また叱られるのです。

    私なんて、親というよりは、歳の離れた兄のような関係に近かかったと思います。

    実は、妻が息子を連れていると、息子は歳の離れた弟だと思われていました。多くの人には、妻は、18どころか、16くらいに見えていたのだと思います。確かに、妻は、莫大な責任感を感じ、悩んでいたと思います。そんな幼い妻に子供を産ませた責任はちゃんと取るつもりでしたが、もっと声にだして、励ましてやればよかったとも思っています。口で言うよりも、行動で示せの私でしたが、米国人には褒めことが必要です。

    お褒めの様なスーパーお父さんではなかったのですが、寝不足は平気でした。今でも、朝は6時前に起きて、8時頃に起きてくる孫と妻の朝食の準備をしてます。なんの苦にもなりません。

    編集済
  • 本当に言葉がありません、すごく大変でしたでしょうね。
    お若いときに、周囲に信頼できる人が夫しかいない状態だったのでしょう。
    それに鬱になる方も大変ですが、それをお世話するほうが、さらに大変だと思っています。お疲れさまでしたね。

    私が子育てが楽しかったのは、おそらく産んだのが年齢的に遅かったからだと思います。今、考えても体力的には大変でしたが、幸せな時間でした。そんな時間を奥様は辛かったと思いますが、夫である先生もまだまだ若い頃に、ほんと尊敬します。投げ出さず、すべてに責任を持たれていたんでしょうね。

    作者からの返信

    雨 杜和様、

    いつもコメントありがとうございます。

    子育てが楽しいのは良いお子さんだったからでしょうね。

    私も、子育てが楽しいと思っていましたが、妻は、責任の重圧が耐えられなかったのでしょう。若過ぎたのもあるでしょうが、彼女の心配症と潔癖症的な所も影響したのではないかとも察しています。周りからのサポートも余りなかったのも辛かったと思います。その頃の私には全くの問題ではなかったです。妻の方が親としての責任感も強かったのではないかと思います。私は親というより、弟的に扱っていたのではないかと思います。新たな悪ガキ仲間ができたので、弟にも教えられなかった様な事を教えてやれるとか、企んでいたのも事実です。

    確かに、彼女が入院していた時期は、普段のやる事が増え、そのうえ、病院にも顔を出す事で、とても時間が足りないと感じました。睡眠時間がさらに減りました。米国の大学生は睡眠時間が足りないのは常識でしたが、子育てが加わると、確かに大変でした。

  • 私の子育ての頃を思い出しました。妻は看護師の仕事をしていて、逆に高齢出産で「その病院の高齢出産記録を塗り替えた」として私は妻勤務の病院で有名人になりました

    赤ちゃんは24時間営業ですから、夜中に起きてオムツ替えをしました。寝かしつけたと思ったらすぐ泣いて起きます。

    妻は最大限、育児休暇をとって2年半くらい仕事を休んでましたが、気晴らしで出かけてなかなか帰ってこずに、私は赤ちゃんを抱えてどうしようか、という感じでした。

    妻は鬱とは無縁でした。息子が生まれてからケンカはしなくなり、息子が進学で夫婦喧嘩で最大の危機が来ると思ってましたが、幸い来ていません(笑)

    作者からの返信

    晁衡さん、

    コメントをありがとうございます。

    出産はどんな年でも大変ですからね。私の孫のははである、息子の妻も40歳を超えての出産でした。しかし、出産に関する現代医療技術は、昔とは比べ物になりませんよね。それでも、育てるのは大変ですね。一歳時の孫を三週間面倒見ろと言われると、とんでもないと思いますが、親達はこれを毎日やっているのです。

    今でも、その病院では有名人なのですか?思っていた夫婦喧嘩もなく、夫婦円満でよろしいですね。