応援コメント

第101話 妻の心の揺らぎ、日本へ行きたくなかった理由1。 In Defense of My Wife 」への応援コメント

  • うちの家族は、両親が毎晩喧嘩です。私は、父が嫌いです。肉体的・精神的にも虐待を受けていましたから、子供のころから恐怖と憎悪の対象でした。しかし、その分、母親っ子でしたが、父が母をやり込めるのを見てこの50年間、何度殺してやろうかと思ったか分かりません。しかし、どういう訳か父は弟に甘かった。これもまた、父を嫌悪する要因の一つになりました。私が、アルコールに走るのはこの辺の異常な家族環境があったからかもしれないと先生の文章を読んで、はじめて気づきました。スプリングスティーンも自伝を読むと同じような環境で育っていますが、彼の場合、バットでお父さんを殴ったんですよね。私も子供の頃にそれくらいしてやれば良かった。ですから、奥様の心の内は、手に取るように分かります。ただ、私のように怒りに転化するのではなく、悲しみに転化されたんですよね。その辺りがこういえば差別になるかもしれませんが、女性なんですかね。

    作者からの返信

    加福 博さん、

    いつもコメントをありがとうございます。

    妻も、今でも、育っていた間のトラウマから抜け出せていません。姉は、宗教に走り、兄はストイックに黙々と生活して、家族(自分の妻と子供達)を守ることに集中してきたのではないかと思います。兄は父の面倒を魅了になりました。父を許したのでしょうが、母とあまり付き合いはない様です。妻は、どちらも許せない様です。

    妻と二人で、恵まれない人たちや、災害に遭ったと人たちを助けるボランティアをしていた時期がありました。これは、同じ様な境遇の人の助けになることによって、妻と似た様な境遇の人たちが、自分を助ける機会になったと言っていたのも、始めた理由でした。効果は少しはあったと思いますが、望んでいたほどではありませんでした。

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    奥さまは、少女時代に自分が経験することのできなかった、仲の良い幸せな家族像に強いあこがれを持ち続けていたのですね。結婚してから、自分と@fumiya57さまとの間に理想の家庭を築こうとしたし、うまくいかなかったお父さまやお母さまとも幸せな関係を作り上げたい、ずっとそれを望んでいたのですね。
    その渇望を他人が推し量るのは難しいのでしょうが、外から見ていると、その願いがそのままの形で満たされるのは難しかっただろうと思わされます。それよりは、その飢餓感を@fumiya57さまと息子さんとの同居で満たしていくほうが良かったのだろうなと。結果的に、その方向でうまくいったから、そう言えるだけかもしれませんけれど。
    日本に行けば、その幸せな家庭がまた別の問題により奪われる可能性があると怯えていらっしゃった、これはわかります。そうですね、まだ当時はサービス残業だって当たり前、とくに大学の教官であれば、平日は教育と雑務、休日は『好きでやっている』研究に時間を費やし、家事や育児は奥さんが全部やる(そのための奥さんだ)という考えが今以上に強かったと思います。
    アメリカに残るか、日本に行くか、この選択は奥さまにとって、自分の人生の中でも最大の決断を迫るものだったのかもしれませんね。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    日本に来て、私の家族と親睦を深めたのは良かったのですが、実は、それが自分の家族と比較して、とても悲しくなってしまった時もありました。信頼できる家族を持ちながら、それを当たり前の存在としてしか扱わない私。それに比べ家族愛を望んでいるのに与えら得ない自分が惨めに思えてきたのでしょう。彼女の家族は、日本にいる間に一度も電話してこなかったのでした。慣れない、国際電話なんてかけなくても、妻の方からかけてくるまで待つという方針だったのでしょう。

    息子は母と大変仲良くなり、母が訪ねてくると、母と二人だけで出かけていました。休みになると、一人で、実家へ行くのが当たり前になっていました。妻へよりも母へ優しい息子に、妻は少し嫉妬したと思います。これには、妻も嫉妬していたと思います。おかげで、両親と祖母には、とんでもない両親(私たち夫婦)がいても、孫は一人で良い子に育ったというオピニオンに至ってしまいました。ある意味正しいのですが。

    もう一つ、妻の精神的な問題も含む、医療への不安もありました。特に、英語ができるカウンセラーが見つかるかや、一人で病院やクリニックへいけるかという心配もありました。健康面では、まだ米国でも稀で、日本ではあまり知る人のいなかったフィブロミアルギア(線維筋痛症)だという診断を受けていた妻には、この症状が日本でも治療できるのかがも未知の話でした。

  • 奥様が日本に行きたくないのが不思議を、多くの方が、そうしたコメントを残していると読み、少しだけ驚きました。
    このお話が何年代か、よくわかっていませんが、先生の文章から類推するに、おそらく1980年代頃でしょうか? この当時でしたら、日本の主婦は専業主婦が普通であり、夫に尽くすことが常識でしたでしょうね。そして、さらに自己卑下をすることが多かったと思います。自由なアメリカでは残業がなく、休みが多いのは事実で赴任先で楽しんではいたことでしょう。私の知り合いの男性はイギリス赴任から戻って、日本に馴染めず病気で入院しました。
    さらに想像するに、日本人特有の個性かもしれませんが、相手国のことを褒めたと思います。しかし、赴任先の欧州で鬱病になった母親の帰国子女が友人にいますが、そういう妻は表の赴任先の日本人社会に出てこないですよね。家にこもってしまいますから。
    ともかく、奥さまはとても素敵な旦那様をお持ちだと思います。
    長くなってしまってすみません。

    作者からの返信

    雨 杜和 様、

    いつもコメントをありがとうございます。

    これは90年代初頭の話です。バブルは弾けていました。多くの方から質問があったわけではないのですが、ある方に指摘していただいたので、気がつきました。今でも、主婦が会社から無視されるのが当たり前ですよね?大抵の米国の会社では、クリスマスパーティー等は家族混みが基本です。大学でも同じです。日本で育った女性の多くにはなんでもないのでしょうが、米国人女性には、こんな社会では、やっていけないと思う人も多いと思います。

    妻は、その頃、線維筋痛症(ファイブロミアルギア)という病状を診断されていて、この症状が悪化すると、体中が痛み、普通の生活が困難になるかも知れないと言われていたのです。日本へ移住する前の妻は、今ほど症状はキツくはなかったのですが、ストレスで、更に悪化する可能性もあると言われていました。結果として、どちらの生活がストレスが少ないかの選択だったのだと思います。この症状が進んだおかげで、やがては仕事が出来なくなり、今に至っています。

    編集済