第10話 闇の中からの刺客

 屋敷の柵を貫いた、巨大な氷塊。

 これほどの氷魔導を使える者はこの国にただ一人しかいない。ラザール様が自らの能力スキルで攻撃してきたのだ。


「逃しはしない!!! 泥棒を追え!!!!」


 私たちを追ってきたラザール様の声が夜の闇に響き渡る。しかし、その姿はまだ庭園の中、お屋敷からさほど離れていない位置にあった。


「あの距離からこれほどの氷塊を……なんて奴」

「でも、当たらなくてよかった……」

「安心するのは早い」


 ホッとしている私をアルルは嗜める。


「これは私たちを狙ったんじゃない。道を拓くため・・・・・・に撃ったんだ」

「道を拓く?」

「ああ。とにかく走るぞ!」


 アルルは私の手を掴んで走り出した。屋敷のある丘を脇目も振らずに下り、躊躇なく暗闇の森へと足を踏み入れる。


「あの、これはどういう……!?」

「お喋りしてる暇はない! もうすぐ、連中が来る!」


 アルルが言った、その瞬間。


「フレイムシュート!」


 背後からいくつもの火の玉が飛んできた。その火の玉は私たちを追い抜いてゆき、地面や木に小さな爆発を起こす。


「わっ!?」

「クソっ、もう来たか……!」


 アルルは焦っていた。いったい何が来たかのかと振り返れば、赤い宝石を身につけ、馬に跨った衛士たちがそこにいる。


「あれは!」

「敵の本隊だろう」

「しかし、どうして?」


 私は彼らを見て疑問に思う。


「騎兵が出てこられるような入り口はお屋敷の向こう側なのですよ? 何故、こんなに早く来られるというの?」

「アレだよ」


 アルルは走りながら屋敷の柵を指差した。その先を見ると、柵の破れた箇所から騎兵たちが続々と外に出てきているではないか。


「ラザールは狙いは柵に大穴を開けて、騎兵を屋敷の外に出すことだったのさ」

「でも、通路ができたとて、肝心の厩舎はお屋敷の向こう側ですよ……?」

「通称“バルザモの駿馬”。ラザールの出身であるバルザモ伯爵家お抱えの騎兵隊だ。連中の行軍速度は普通の騎兵の倍とも言われてる。奴らならこの程度の庭、チョチョイのちょいさ」


 厄介な連中だ、とアルルは舌打ちをする。

 厩舎からここまで歩いて来ると、ヘロヘロになるような距離だ。それをこんな直ぐに来てしまうのだから、追手がどれだけの人たちなのか分かる。


 だとすれば、だ。今、これは相当によろしくないのではないか。


「そんなのが相手では……すぐ追いつかれてしまいます!」


 私は状況を理解して、とてつもない不安がやってくる。

 しかし、


「大丈夫、こっちにも足はある!」


 アルルは力強く答えてくれた。


「それはどちらに?」

「すぐ先で合流することになってる。そこまでの辛抱だ!」


 そう聞いて少し安心する。

 とはいえ、状況が厳しいことには変わりない。背後から絶え間なく飛来する炎の能力スキルを避けながら、騎兵に追いつかれないように走らなければならないのだ。

 しかし、複雑に入り組んだ森は険しい。そのうえ、夜目も効かないから、注意深く行くしかない。


「追えー!」


 背後から追ってくる声がもう既に迫っていた。

 猶予はない。少しでも早く、急いで遠くに逃げなければ。

 そんな焦りが私を急かし、判断が鈍った。


「うわっ!」


 少しでも早く走ろうと大股で駆け出した途端、木の根に躓いて転んでしまう。


「ジョゼ!!」


 アルルは私を心配してすぐに駆け寄ってきてくれた。しかし、すぐにでも逃げなければいけないこの場において、その行動はロス以外の何物でもなかった。


「ごめんなさい……」


 あまりに不甲斐ない自分が嫌になる。


「別にいい。それより、どこか痛くない?」

「だ、大丈夫……です」

「ならよかった」


 とてつもない迷惑をかけているというのに、アルルは怒らず私を心配してくれていた。その気づかいに少し胸がときめくも、それと同時に心苦しくなる。


「いたぞ!」


 馬に乗った衛士たちが続々とやって来て、私たちはいとも簡単に取り囲まれてしまった。

 アルルがかけてくれた言葉とは裏腹に、状況は考えうる限りの最悪だった。私が転びさえしなければこんなことにはならなったはずなのに。全部私のせいだ。


「さぁ、もう終わりだ!」

「観念しやがれ!!」


 衛士たちが私たちに向けて腕輪を構える。腕輪の宝石が赤く輝き出し、彼らの手のひらに炎が灯った。炎魔導の発動準備が整った証だ。


 私なんかではどうしようもない。打つ手なし。ここでお終いなのだろうと思ってしまった。


「アルルさん……」


 しかし、アルルは動じていない。


「大丈夫だよ、ジョゼ。絶対に、アイツは来てくれるから。あんな奴らなんて、心配せずにどんと構えてればいい」


 それどころか、衛士たちを軽く笑ってみせたのだ。


「アイツ……?」

能力スキルよーい!」


 衛士たちは私たちに炎を向ける。しっかりと狙いをつけられ、もう逃れようもない。

 その中で、アルルはニヤリと広角を上げて言い放った。


「噂をすれば。ほら、そこに」


 アルルが森の方を指差した先に、一つの光が見える。それは衛士たちの炎ではなく、魔灯火ランプによるもので、その灯りを手に誰かがこちらに近づいてくる。


「何者だ!!」


 衛士の一人が叫んだ。その声に呼応するように、魔灯火ランプを手にした何者かは暗闇の中から炎魔導が照らすこの場へと現れた。


 その人はとても異様な出立ちをしていた。

 古風なローブを身に纏い、私の身の丈ほどもある大きな杖を持つ。その姿はまさに、歴史書の挿絵に出てくるような大昔の魔導師というほかなく、とても今を生きている人のする格好とは思えなかった。

 フードをまぶかに被っているせいでその顔を窺うことはできない。しかし、その袂からは波打つ金色の髪が垂れており、辛うじて女性であると判断できた。

 彼女が抱える杖は焼け残った木をそのまま切り出したかのような禍々しい形状で、その表面には幾何学模様めいた直線の溝がいつくも走り、その溝の奥からは光が漏れ出ていた。光は弱くなったり、強くなったりを周期的に繰り返し、まるで杖自体が呼吸しているかのよう。


「不愉快、ここに極まれり」


 その人は静かに口を開いた。

 古風なローブ姿の魔導使いは見れば見るほど浮世離れした、不思議な姿だった。この人はアルルと別の意味で神秘的というか幻想的。例えるなら聖職者や神官、そんな人たちと近い雰囲気を纏っている。服装といい、まとう気配といい、この人は悠久の刻を生きる凄腕の大魔導師であるように思えた。

 そんな雰囲気に気圧されたのか、衛士たちは攻撃を構えているにも関わらず、一、二歩後ずさる。


「何だ? 貴様」


 服に一番飾りの多い衛士がその人に尋ねた。しかし、その人は何も答えなかった。


「私を愚弄するつもりか!?」


 男のボルテージが上がる。しかし、その人は相変わらず何も言わない。

 すると、前触れもなく杖の光が強まった。すると、どこからか風が吹き始め、魔灯火ランプの灯りが激しく輝きだした。

 風はだんだんとその人の方に集まってゆく。そして、その風を彼女は纏ってみせた。彼女の髪がぶわりと靡くと、驚くべきことに美しい金色だった髪は毛先の方から緑色へと変わっていく。


「何なんだ……!?」

「怯むな!!」


 騎兵たちは異様な状況に騒ぎ立てる。しかし、飾りの多い男が喝を入れると、場は強制的に静まった。


「相手はたかが一人だ。我らはバルザモの駿馬。何を恐れることがある!」


 彼らは腕を構え直し、今度はその人に狙いをつけた。

 同時に、杖が煌々と輝く。そして、強風がその人の周囲を意思を持つかのように渦を巻いていた。


「今だ、放て!!」


 騎兵たちが一斉に能力スキルを発動する。大小様々な火球がローブの魔導師を追い詰める。しかし、彼女はまるで動じなかった。


風よ、ヴェントゥス彼の敵に・アド・エクシティウム滅びを与えよイニミークス!!!」


 その人は杖を大きく振うと、周囲の風が強烈に吹き抜ける。


 落ち葉は宙を舞い、森の土は巻き上がり、いくつかの巨木は地面から根こそぎ倒れた。

 嵐のような暴風が騎兵たちの放った炎魔導を無慈悲にかき消し、私たちを無視して敵だけを飲み込んでゆく。


「うわぁ!」

「ぎぇえ!!」


 風は衛士たちを乗っている馬もろとも吹き飛ばし、瞬く間に彼らから全てを奪い去ってしまった。

 残ったものは私たち、そして緑色の髪をした魔導師だけだった。


「凄い……」


 凄すぎる。今の風の能力スキル、なんて魔導だろうか。その有様に驚嘆し、これ以上声も出せないでいると、


「な、言ったろ? どんと構えてればいいって」


 アルルはまるで自分がやったかのように得意げである。全てはあの魔導師がしたことなのに。

 そんなことを言っていると、ローブの魔導師がこちらに近づいてくる。


「やぁ、ジャンヌ。おかげで助かったよ」


 アルルは魔導師に向かって、友人か何かのように気さくに話しかけた。それを受けて、その人はローブのフードを取り去った。


「遅い。マジで、遅いんですけど」


 フードの奥に隠れていた顔に、私は度肝を抜かれてしまう。だって、ものすごくお歳を召したお婆さんかと思っていたらそんなことはなくて。

 その魔導師、目は大きく、鼻は高い、顔は小さく、彫りは深い。まるで名高い彫刻家が手がけた美の女神の胸像のようにとても美しい見た目をした、私と同じくらいの年頃のうら若き乙女だったのだから。

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