第3話 夜分の来客

『今宵、カリオストロ家の秘宝を頂きにあがります』


 私は夜空を見ながら、屋敷に届いたという予告状の文言を思い浮かべていた。


 既に丸い月は空の高いところへ昇っている。とすれば、もうそろそろ来てもおかしくない頃かもしれない。そんなことを寝起きの頭で考えていると、屋根裏部屋のドアが急にノックされた。


「どなたですか?」

「私です」


 少しクールだけど柔らかな声。それは紛れもなく、


「フミ?」


 彼女がこんな時間に来るなんて珍しい。

 私は突然の訪問者に驚きながらも、魔灯火ランプ魔導マナを流して明かりを灯す。誰かと話せる最低限の明るさを確保したところでドアを開けると、そこにはやはりメイドのフミがいた。


「夜分に失礼いたします」

「どうしたの?」

「少しお話ししたいことが」


 フミは声を顰めて言った。

 少し。なんだか、いつもより少しだけ、彼女の目つきが悪い。


 えも言われぬ違和感。なんだろうこの感じ。


「……」

「……どうかしましたか?」

「ああ、ごめんなさい。いいですよ、入って」


 私はフミを部屋へと招き入れる最中、彼女の顔をもう一度見た。しかし、部屋の明かりに照らされたフミの顔に翳りはない。どうやら、気のせいだったらしい。


「どうしたの?」

「実は、アルルがこの屋敷に忍び込んだというのです」


 ドクン。

 その名前に胸が跳ねた。ついにお会いできるかもしれない。それだけで、どうしようもなく心が弾んでしまっている。会える確証なんてないのに。


「本当ですか!?」


 盗みに入られる側なのに。私は底抜けに恥知らずな反応をしてしまう。


「……」


 フミはそんな私に、驚いた・・・。私の反応を見た瞬間、彼女が目を見開いて、僅かに身じろぎするのを、私は見逃さなかった。


「ええ、本当です」


 フミは何事も無かったかのように取り繕う。もう、その顔に動揺していた痕跡は微塵もなかった。石を投げ込み乱れた水面が瞬きする間にピタリと凪いだ。そんな得体の知れない気味の悪さを、今のフミからは感じる。


「奴はこのカリオストロ家に伝わる秘宝を狙っています。だから、アルルに盗まれる前に秘宝と一緒に逃げましょう、お嬢様」


 フミは私の手を取った。彼女の荒い息遣いと共に、想いの熱量がこの手に伝わってくる。


「分かったよ、フミ」


 ──この手は。


「ねぇ、呼んでよ」

「どうなさいました?」

「二人だけのときは、私のこと“ジョゼ”って呼んで欲しいって──」

「何をおっしゃいますか」


 私の問いかけに、フミは優しく微笑んだ。


「そのような約束、したことはございませんよ」

「うん。したことない。だって、これからお願いしようとした約束なのだから」


 ──冷たすぎる。


「あなたはフミじゃない」


 私は机に置いてあったナイフをフミに突きつけた。しかし、私の言葉に目の前にいる“フミ”は一切動じない。

 それどころか、どこか喜んでいるようにニヤリと笑い、興味深そうに私を見回していた。


「やるね、アンタ。確かに私はフミじゃない。でもいつ分かった?」

「最初におかしいと思ったのは、アルルが来たと私に伝えたとき。私はアルルが来たことに興奮してしまったけど、あなたはそれを『予想外』だというふうに驚いた」

「ほう?」

 「そりゃ、盗みに入られる側なのだから、その知らせを受けたら嫌がるのが普通。だから、怪盗のことを待ち望んでいたかのような反応にあなたは驚いてしまった。

 でも、本物のフミは私のそんな気持ちを知っている。だから、声の大きさに驚くことはあっても、そういうふうには驚かない」

「でも、それじゃあ信じてる人間に刃物を向ける理由としては弱い。他に何か決め手があるんだろう?」

「ええ、もちろん」


 私は答える。


「手よ」

「手?」

「そう。あなたが私の手を取ったとき、あなたがフミじゃないって分かったわ」


 そう。あの瞬間、私の中の違和感は確信に変わったのだ。


「フミは髪飾りのルビーと共鳴する火の魔導マナの使い手。彼女が私の手に触れるときには、『お嬢様の手が冷えてしまわないように』と、自分の手を能力スキルで温める。だけど、触れたあなたの手は外の空気と変わらないくらい冷たかった。そんなフミは、ありえない」

「なるほど」


 目の前の“フミ”は大きなため息をつく。


魔導マナ能力スキルか。こんな世界はどこまでも腹立たしいが、だからこそ出し抜く意味がある」

「何を言っているの?」


 私は聞く。しかし、彼女はそれを無視して続ける。


「まぁ、他の屋敷の人間は私をフミと信じて疑わなかったのだけれど。そこまで分かってるなら、この姿でいる意味もないな」


 “フミ”はメイド服の襟に手をかけた。一体、ここから、何をしようというのか。注意して見ていると、


「ふんッ!」


 メイド服がぶわりと宙を舞った。


「ええっ!?」


 なんと彼女は、私の目の前で勢いよく自らの衣服を脱ぎ去ったのだ。


 窓からの月光がその姿を照らすと、そこには全く別人の姿があった。背丈こそフミとさほど変わらない。

 しかし、


「黒いマスカレードマスクに、黒いマント……!」


 その身なりはフミから聞いたのと全く同じものへと変わっていた。そして、それは私が待ちわびていた人の姿だった。


「怪盗アルル。ただいま参上」

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