第2話 全てを見通す翠色
屋根裏に戻ると、部屋はすっかり明るくなっていた。窓からの光も煌々と照っていて、もうすっかり昼の日差しだった。
壁に備え付いた机の上には雑にパンが置いてある。おそらくはラザール様の仕業だろう。
普段はお屋敷の食堂でフミと二人だけの食事をするが、そちらは多分お客様が使っているのだろう。お前の姿をこちらに見せるなと、私と口をききたくないラザール様は暗に行動で示しているのだ。
私はパンを頬張る。
「おいしい」
付けるものも何もない質素なパンだけど、おいしいものはおいしい。言ってしまえば、明らかにこれは嫌がらせなのだが、どれだけ粗雑な扱いをされたとて、食べ物の味は変わるわけじゃない。
小麦粉を練って、ただ焼いただけ。しかも、この
でも、そんな、お世辞にも美味しいとは言い切れないパンが、私は大好きだ。
このパンは生前のお母様の得意料理だった。このパンを口いっぱいに頬張ると、お母様が生きていた日々のことを思い出してしまう。もう十五年近くも前のことだというのに。
あの頃は、暇があれば両親と
その日々の中で、私はとても多くのものをお母様から授かった。
ただ、魔導使いとしての素質は受け継ぐことができなかった。
人は誰しも
人間の文明は
その人の
お母様は上等なエメラルドとも共鳴できる
でも、お母様は私の役立たずの力を「素敵な
『この首飾りと、あなたのその眼はね。私たちの大切な宝物なのよ』
私はペンダントを窓から射す光にかざした。陽の光を受けて中央に収まる翡翠石は鮮やかに輝きだし、暗い場所では深い緑色だった石も、まるで長い冬の眠りから目醒めたかのように、新緑のような翠色へと変化した。
──私の眼と同じ色だ。
この首飾りも、私の眼の色もお母様から貰ったもの。
『プロビデンス・ジェイド』。お母様はこの首飾りをそう呼んでいた。ルブロン王国の英雄伝に登場する宝具と同じ名で。
──遥か昔、この大陸が混沌としてた時代。ある一人の勇者がのさばる悪き者を退治し、この地を国として平定することにより、現在の王家の始祖となった。
成立から一千年の歴史を誇るこの王国に伝わる英雄伝。この王国の人間なら誰もが知る建国の物語を雑に要約すればそんな話になる。
英雄譚の中で『
ゆえに、この王国ではおいて神器の色たる緑色は特別な意味を持つ。神聖・繁栄・力の象徴として、王家の人間は緑色の装飾品を身につけるし、平民は祝いの席で緑の物を食す。そんな形で、王国の人間は“緑”を崇めている──ただ一つの例外を除いて。
一方、お母様が『プロビデンス・ジェイド』と呼んだこのペンダントは、お母様の一族が代々受け継いできたもので、一族の遠いご先祖様が大きな恩義を働いた対価として贈られた名誉の証なのだという。しかし、それ以上のことは何も分からない。これがなぜ、建国の英雄伝に登場する神器と同じ名前なのかとか、母の祖先は誰からこれを贈られたのかとか。
それらに関する記録は全くないから、確かめようがない。
正直、私はこれが本物の『
だとすれば、そんなものが田舎の小貴族の家に伝わってるわけがない。そう思うのはラザール様も同じなようで、これを見たときに、見窄らしい私が着けるにお似合いの価値のない首飾りだと吐き捨てたことがある。
そして、『お前の眼と同じ、卑しい色』。そうも言った。
机に突っ伏すと、窓のガラスに私の姿が映って見える。
緑色を特別と崇める王国の民が忌み嫌う、唯一の例外。それは私のような瞳── “翠の眼”だ。
人々が翠の眼を嫌う理由は、それが英雄譚の中で悪虐非道の限りを尽くし、建国の勇者の敵となった“悪き者”の特徴だからだ。英雄譚を信じるこの王国の人々は、翠の眼を持つ者こそ“悪き者”の血を引く存在だと本気で信じている。
だからこそ、生粋のルブロン人貴族であるバルザモ家の人々は私を嫌う。彼らにしてみれば、私と同じ空間にいるだけで苦痛なのだろう。
でも、そうだとしても。少しだけでいいから、私に優しく接してほしい。私だって好きで翠の眼をしているわけではない。
忌み嫌われる翠の眼と、偽物の翠の宝石。似たもの同士共鳴して、とてつもない力が発現してくれればよかったのだけれど、あいにくこの宝石が私の
親が子に贈るときは、普通その子に共鳴する宝石を選んで贈るものだ。しかし、お母様は私と共鳴しないこの翡翠石を私に託した。
一体、そこに何の意図があったのだろうか。考えても答えの出ない問いに、ため息が出る。
今日はなんだか、いつにも増して日差しが眩しく感じる。耐えかね目を瞑ると、まぶたの裏に在りし日のお母様の姿が浮かんでくる。
『この首飾りと、あなたのその眼はね。私たちの大切な宝物なのよ』
いつも見せてくれた優しげな顔、そしてその言葉。
ねぇ、お母様。どうして、そんなことを言うのですか。忌み嫌われる私の眼、それのどこが、宝物だというのでしょうか。
◇
──いい匂いがする。
風に乗って花の香が漂ってきていた。屋敷に咲き誇り、カリオストロ家の紋章にもなっている月下美人の匂いだ。
私はいつの間にかに眠ってしまっていたらしい。気がつくとすっかり夜になっていた。
空を見上げれば月が出ている。その輝きは
無性に、胸がざわつく。
この部屋から見える屋敷の人間の動きも忙しない。それを見ると否応もなく実感する。
ついに始まったのだ、予告状の夜が。
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