第7話 絶対零度の婚約者
「ラザール・バルザモ……!」
全てが凍る大広間。庭園へ出るまであと一歩というところで、ラザール様はアルルと私を待ち構えていた。
「いかにも。この俺こそ国王殿下よりその腕を認められ、宝剣『コキュートス』を賜りし『
ラザール様は金色の髪をかきあげて、聞いてもいないことを自信満々に披露する。
いつものことだ。あの方は初対面の人に対して、誰が相手であろうと必ずこの名乗りを上げる。貴族にも、平民にも、あまつさえ敵にさえ、自らの立場を誇示したくて仕方ない。そういうお方なのだ。
「これまた、頭のできあがった貴族の坊ちゃんだこと」
アルルはボソッと呟く。そんなことを言われてるとはつゆ知らず、ラザール様は胸を張って誇らしげにしていた。
「お前が
それを聞いてアルルは吹き出した。
「何がおかしい?」
「他人の名前をろくに覚えられない馬鹿でも『
「何だと!?」
「まぁ、所詮は『
「ふざけるな!!」
ラザール様は声を荒げた。途端に周囲の冷気が強まり、アルルのマントが靡く。
「わざわざ俺が対等に立って話してやれば、泥棒風情が舐めた口をききやがって! 生捕りにして手柄にしようと思ったが、もう許さん!! 永遠の氷獄に閉じ込めて、俺の強さをその身体に味わせてやる!!!」
「なら、その頭に二度と忘れないように刻み込んでやるよ。天下の大怪盗アルル様の名前をな」
「ほざけぇええええ!!!!!」
ラザール様はアルルに向かって手のひらを突き出す。それを見るなり、アルルは動いた。
「隠れてろ!」
彼女はそう私に命じ、駆け出す。
「発現、
ラザール様が氷の指輪をアルルに向けた。彼の元からアルルに向けて、銀色の暴風が吹き荒れる。
それは撫でたものを氷漬けにする非情の
アルルは反応早く、すんでのところで
「どうだい? 俺の
ラザール様はアルルを指差した。見れば、マントの裾が真っ白に凍りついている。
「暑かったから丁度いい」
「なら、そのまま永遠の氷獄に堕ちろ!」
またしても、ラザール様はアルルに向けて、猛吹雪を放った。今度は二度、三度、連続で繰り出され、間髪入れずにアルルを襲う。
アルルは放たれた
「どうした、どうした! こんなの、まだまだ生温いぞ?」
ラザール様は
普通の人間ならすぐさま
「まだまだッ……!」
それと対峙するアルルは飄々と攻撃をかわしてゆく。
そして、
「喰らいな!」
アルルはヴァルサーをラザール様に向け、引き金を引いた。
一、二、三発。手元の
しかし、
「
現れた氷の壁に弾は防がれる。アルルの攻撃はラザール様には届かなかった。
「くっ……!」
「甘い甘い。そんな攻撃では俺の氷に傷一つつけることはできないぞ!」
ラザール様は間髪入れずに猛吹雪の
しかし、アルルも怯まない。
「はぁっ!」
アルルは何発もヴァルサーを撃つ。
しかし、
「馬鹿め、大外れだ!」
その弾丸は一発たりともラザール様を捉えることはなかった。
でも、アルルは笑ってみせる。
「狙いは外さねぇよ」
アルルが放った弾丸の行き先はラザール様の頭上。彼女はそこに吊るしてあった豪華なシャンデリアを正確に撃ち抜いたのだ。
「何ィ!?」
シャンデリアが落ちる。注意が逸れ、反応が遅れたラザール様は危うくその下敷きになるところだった。しかし、吹雪の
アルルは攻撃が途切れたその隙に移動し、柱の陰に隠れていた私のところへ飛び込んできた。
「ジョゼ。アンタの婚約者とんでもない奴だな」
「形だけです。というか、そんな話をしにきたんですか……?」
「そんなわけないだろう」
アルルは大きく首を振った。
「あの男、恐ろしいほどプライド高いが、それに見合うだけの実力はあるらしいな。あの吹雪で間合いを調節してくるし、氷の壁のおかげで手持ちのヴァルサーじゃ奴に届かない」
なんだか、アルルが少し弱気に見えた。調子がよかった今までとは違って、かなり慎重にそして冷静にラザール様を見ている。
アルルは柱に背を預けていた。しかし、左腕をダラリと垂らしていて、なんだか妙だ。よく見れば、その腕は黒い服ごと真っ白に凍りついているではないか。
「大丈夫ですか!?」
「気にすんな。片腕くらいハンデとしてくれてやるよ」
「でも……」
アルルの吐息が先ほどよりも増えている。本当はかなり苦しいはずなのに、彼女は心配する私を制して話を続けた。
「それより、アイツだ。ラザールの技に関してはとりあえず、ジョゼが一番知ってるはずだろう。あの吹雪をどうにかする方法はあるか?」
そう言われると、ラザール様の良き理解者と思われているようで、何とも言えない気持ちになる。
しかし、アルルの注文、その答え。あることにはある。
「コキュートス。ラザール様はあの宝剣に並々ならぬ誇りを持っています。だから、剣を扱う際は他の
「オーケー。分かった」
それだけ聞いて、アルルは行こうとしてしまう。だから、私は彼女を慌てて引き留める。
「待って! 宝剣『コキュートス』を使うラザール様の力は今までの比じゃありません! 片手しか使えない今……」
「だが、その剣も抜かせなくすりゃ、どうってことないね」
「抜かせないって……一体どうやって?」
「持てる全てをかけて挑むだけさ」
アルルはそう言い残し、柱の陰から出ていった。そして、再びラザール様と対峙する。
「ちょろちょろと逃げてばかりか! いつになったら、その手の内を見せてもらえるのかな、天下の大怪盗くん?」
「怪盗が簡単に手の内を見せるかっての。脳ある鷹は爪を隠すもんだ。お前と違ってな」
アルルはラザール様を煽る。それを受けてラザール様も煽り返す。
「笑わせるな! これが俺の
「本当に愚かな男だ。アンタ程度、その
「何だとぉ!?」
「なら抜けよ、お飾り剣士様よぉ?」
アルルの言葉はラザール様のプライドを深く傷つけるには十分だった。ラザール様は無言で髪をかき上げ、アルルの顔をじっと見る。
「死にたいらしいな」
ラザール様は、彼が普段私に向けるのと同じ視線をアルルに向けていた。苛立ちと殺意の入り混じった恐ろしい瞳。
──眼が冴える。
唐突に、ラザール様の心が視えた。ラザール様の心は荒れ狂うわけでもなく凪いでいた。どす黒いドロドロとした闇がただ静かに、彼の心を満たしている。
ラザール様は極めて冷静にアルルを殺すと決心したのだ。そして、その決断は決して揺らぐことはない。
「お前なんぞ一振りで、永遠の氷獄に送ってやる」
ラザール様が腰の剣に手をかけた。
彼が放つ冷気が一層強くなり、部屋は白い靄に包まれゆく。視界は靄に閉ざされゆき、向こうにいるアルルとラザール様はそこに実存しない幻のように見えた。
寒さからくる震えで、私はもう動くこともままならない。しかし、そんな状況の中でも、アルルは果敢にラザール様へと立ち向かう。
「やれるものなら、やってみな!!」
アルルは駆け出した。他の何にも目をくれず、ただ一直線にラザール様を目指してゆく。
ラザール様はアルルを見据え、ゆっくりと腰を落としてゆく。
あれは、抜刀斬りの構え。ラザール様は自らの一番の得意技でアルルを屠る気だ。
アルルは走りながら、自らのマントに手をかけた。
そこで私はさっきのアルルの言葉を、彼女がどうラザール様を倒すのか、その方法を理解する。アルルはマントを剣に絡ませて物理的に抜刀させないつもりなのだ。
しかし……。
ダメだ。それでは、間に合わない……!
宝剣コキュートスを扱うラザール様の剣技は“時を凍らせる“。どれだけ先手を取ろうと、一度ラザール様が
部屋中の冷気がラザール様の下へ集まってゆく。まさに、
アルルはラザール様の領域に踏み込む。コキュートスの刃が触れる距離の内側へ。
「はぁっ!!」
怪盗は自らのマントを宝剣めがけて振るう。
その瞬間、
「発現……」
ラザール様の心が揺れた。アルルを斬り殺さんと、その心が動いた。
これから剣を抜き、
こんなところでアルルが死ぬのは嫌だ。
私はこれからもアルルの生き様を見たい。アルルのことをもっと知りたい。
一瞬。一瞬でもラザール様の注意を引いて、
やるなら今しかない。やれるのは私しかいない。私が、やるんだ。
──アルルは死なせない!
ラザール様が
「
「ラザール様!!!!!」
私は姿を現し、彼の名を呼んだ。
「クソ女か!?」
この声がラザール様の耳に届くと、途端に彼の心は赤く変わり、大きく乱れる。
ラザール様は剣を抜かず、こちらを向いた。私はそれに合わせて再び姿を消す。
「どこだ? どこにいる!」
ラザール様は血眼になって私を探しだした。
そして、ラザール様はアルルから注意を逸らした代償を支払うこととなる。
「よそ見するなよ、半端者!!」
アルルはラザール様のコキュートスにマントを巻き付けることに成功した。すると、剣の
「何ィ!?」
そして、
「セイヤぁー!!!」
間髪入れず、アルルはラザール様を殴った。その衝撃によろめいて地面に倒れるラザール様を見ると、なんだか不思議と清々しく思えた。
「まったく、怪盗アルルを甘く見るなってこった」
ラザール様が倒れると、部屋に満ちていた冷気が消える。ようやくまともに動ける温度になり、私はすぐさまアルルの元に駆け寄った。
「アルルさん!」
「ジョゼ。よくやってくれたな、ありがとう」
そう言うと、アルルは私の頭を撫でてくれた。手は氷のように冷たかったけど、その手つきは優しく、伝わってくる気持ちはとても温かで。まるで在りし日のお母様に頭を撫でてもらっているかのような気がした。
「えへへ」
「笑ってるジョゼは素敵だ」
急にそんなことを言われるとは思ってなくて、ドギマギしてしまう。
「そ、そんな……こと」
「やっぱり、君は──」
「こっちだぁ!!!」
アルルの台詞を、衛士の声が遮った。見れば追手がかなりのところまで迫っている。
「まぁ、マントはコイツにくれてやるか。怪盗からのプレゼントだ。さぁ、行くぞ」
さっき、アルルはとても大切なことを私に言ってくれていた気がした。しかし、そんなこと無かったかのように、彼女はさっさと庭園へと出てゆく。
私も慌ててその背中を追う。でも、アルルの台詞が引っかかって、離れない。
『やっぱり、君は』
途切れた言葉のその先、私は何だというのですか。すごく、気になる。
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