第8話 地下通路の逃避行

 大広間を後にして庭園に出る。屋敷の騒がしさに対して、夜のお庭は静かだった。普段いるべきところに衛士がいない。アルルの予想通り、庭園の見張りも持ち場を離れ、私たちを追って来ているらしい。


 庭園には咲き誇る月下美人がとても強く香っていた。

 全身が月下美人に包まれるかのようなこの感覚、随分と久しぶりだ。思えば、こうして夜のお庭に出るのはそれこそ、お母様が元気だった頃以来だと思う。少なくとも屋根裏にきりだった最近ではありえない。


 遠い記憶を引き出していると、アルルが呼びかけてくる。


「ジョゼ! この先は、この庭を突っ切るの?」

「ああ、いえ。それじゃ、逃げてるときに見つかるやもしれません。だから、誰にもバレない秘密の通路を使います」


 計画を変更し裏から逃げると決めたアルルにお庭へ出るルートを提案したのは、その通路を使うためだ。


「そんなのあるの? 下調べしたときに見た屋敷の図面にはそんなの無かったけど」

「だいぶ昔に見つけたっきりですから、どこにあったでしょうか」

「大丈夫なの……?」


 アルルの呆れた声を背に受けながら、私はその秘密の通路の入り口を探す。


 今、私たちはお庭の花園に差し掛かるところにいる。ここは昔、お母様とよくかくれんぼをして遊んだ思い出の場所。そして、秘密の通路への入り口でもあった。


 私は幼い頃の朧げな思い出を頼りに、生垣の根元を探した。この辺だったような、いやもう少し向こうだったか。細い糸を手繰り寄せるみたいに記憶を辿ると、


「あった……!」


 生垣の木の根元近くの地面に、円形の石組みと不自然な窪みがある。


「これは、潰れた古井戸?」


 確かに、どこからどう見ても使われなくなって潰された古井戸にしか見えない。しかし、こここそ、秘密の通路の入り口なのだ。

 芝に埋もれた取手を引っ張る。すると、そこの地面が口を開き、地下へと下る階段が現れた。


「なるほど。こんなとこ、よく見つけるもんだ」


 アルルは地下への階段を窺いながら感心している。ようやく、私も案内人らしい仕事ができたと胸を張ってもいいのかもしれない。

 まぁ、ここは私のお屋敷ですから、これくらいできませんとね。


 ◇


 私たちは地上への蓋を閉じて、階段を下ってゆく。入り口を閉じれば当然外の明かりも入ってこない暗闇になってしまうと思われた。しかし、壁に埋め込まれた魔灯火ランプのおかげで私たちは道を見失わずに進むことができていた。


 石の煉瓦で組まれた地下通路は埃っぽくて、ヒンヤリとしていた。とても長居したいとは思わないのだけれど、あまり贅沢は言っていられない。幸い追手がここを見つけた様子もなく、地下通路はえらく静かだった。その静けさに寂しさを覚えるころ、アルルが話しかけてきた。


「何なんだここ?」

「よくは分かりませんが、お城の地下施設だと思います」

「城?」

「ええ、元々、お屋敷があったところには大昔、ジュゼペ城が建っていたと伝わっています。私の一族も当初はお城に住んでいたらしいのですが、ある時期に城郭を取り壊してお屋敷にしたようで」

「それで、ここが残ったと。しかし、こんな図面にない通路をジョゼはよく見つけたな」

「隠れっこのおかげです」

「隠れっこ?」


 アルルは首を傾げた。


「昔、お母様とよく遊んでいたゲームで、ルールは単純。『屋敷のお庭に隠れた私をお母様が探す』だけ。それを私たちは隠れっこって呼んでました」

「これだけ敷地が広大だと、ただ探すのも大変そうだ」

「まぁ、いつも、朝から日が暮れるまでやってたんですけど、お母様は私のことを全然見つけられなくて。毎回寂しくなった私が泣きながら出て行って、なし崩し的に終わっていました」

「毎回泣いて終わるって、果たしてそれは楽しいの……?」

「私が泣きながら出てくと、決まってお母様は必ず抱きしめてくれてましたから、どっちかといえば、そっちが楽しみだったのかもしれません。まぁ、そうなる原因は私が能力スキルで姿を消していたのもありますけど」

「人探しゲームで姿を消したら見つかるわけないだろうに」


 アルルのツッコミは切れ味鋭く、私は思いの外困ってしまう。


「あはは……。でも、まぁ、その途中で偶然ここを見つけて、庭中を見つからないように逃げてたわけです」

「なら、幼い日々に感謝だな」


 歩きながら話していると、通路から大部屋のような場所に出た。部屋はがらんとしていて別に何があるというわけでもなかった。

 相変わらず地下は静かなもので、追手が来る気配は微塵もない。アルルはそんな状況を確認し、そこにあった大きな石に腰掛けた。


「少し休むか」

「いいんですか? だって逃げないとなのに」

「構わない。逃げ切るにはもうひと頑張りしなきゃいけないんだ。ここは誰も知らない秘密のなんだろ? ならこれ以上のタイミングはないだろう」


 アルル曰く、そういうことらしいので、言葉に甘えて私もペタンと座り込む。正直なところ、走りづめで私もそろそろ限界だったので、口では強がっていたものの、この休憩はありがたかった。


 地下通路の床に直で座る。はしたないことだと分かっているが、疲れてしまってそうせずにはいられない。

 なんだか、こうしていると、隠れっこをしていたときに戻ったかのよう。あの頃は侯爵令嬢としての振る舞いなんてものは全く知らなかったから、土の上だろうが噴水の中だろうが、平気で座り込んでいたものだ。その度、お母様にこっひどく叱られたのが懐かしい。

 場所も、振る舞いも、あの時と変わらない。でも、その姿はどこにもなくて。


「お母様……」


 つい、弱い気持ちが漏れ出てしまう。


「恋しいんだ、母親のこと」


 聞かれたくないことを聞かれてしまって、恥ずかしくなる。

 顔から火が出てしまいそうだ。


「あっ、えっ、いや!? そ、そんなことは」

「別に隠さなくてもいい。だってバレバレだもの」

「そんなこと……」

「あるよ」


 アルルは私の答えをキッパリと否定した。


「だって、母親のことを喋るとき、ジョゼは一際いい顔をするから」


 全く自覚はなかった。だって、自分がどんな顔をしているのかなんて、鏡でも見なきゃ分からないし。でも、客観的分かるということは、そうとうな表情だったわけだ。無意識にそんな顔をしてしまっていたなんて、これまた恥ずかしくなる。


「私には、分からない」


 アルルは言った。


「何が?」

「母親って、そんなにいいものなの?」

「えっ……?」


 私はアルルが何を言っているのか、分からなかった。


「当たり前じゃない。アルルだって、そうじゃないの?」

「親代わりの人間はいたけど、あいにく本当の親のことは知らないの」

「それは、乳母様に育てられたということ?」

「孤児だったの、私」


 アルルは何事もないことのように言う。さも、今日の天気のことでも話すかのように。

 私はいかに自分の価値観でしか世界を見てないかということを痛感し、自らの軽率さと、無神経さを恥じた。


「あの、ごめんなさい!」

「別にそれが当たり前だったんだ。ジョゼが謝ることはないよ」


 そうは言ってくれるものの、気をつかわせてしまって逆に申し訳なくなる。


「……ごめんなさい」

「ただ、私は知りたいだけ。母親がいるってどういうことか」


 それは当然のことだったから、考えたこともなかった。そらに改めて考えると、とても一言で言い表せるようなものではない。でも、アルルのために頭を回すと、朧げながら言葉がみえてきた。


「お母様は私の唯一の居場所……でした」

「居場所」

「はい。私は、ほら、こんな眼をしてますから、常に家の者以外から蔑まれてきました。でも、私が周りにどれだけ蔑まれようとも、お母様だけは私のことを、私の眼のことを『宝物だ』って励ましてくれて。ここにいていいんだって、そう思えたのです。もっとも、お母様の言う言葉の意味は分かりませんでしたが」

「言葉通りの意味じゃないの」

「えっ?」


 その唐突な言葉の意味が分からなくて、私はアルルの顔を覗き込む。


「本気にしないで。それっぽいこと言っただけだから」

「あ、ああ。そうですよね」


 どうやら、アルルは私をからかっていただけらしい。

 まぁ、それはそうか。だって、この眼は宝物のわけがないのだから。


「でも、ジョゼの眼。私は宝石のように綺麗だと思うけど?」


 アルルの言葉は嬉しいが、言い方がどうも半笑いだった。


「もう、からかわないでください!!」

「ごめんごめん」


 アルルは優しく笑いながら謝る。そのおかげで、暗い地下の空気が明るくなった気がして、中々聞けなかったことも尋ねられるような気がした。


「あの」

「なぁに?」

「アルルさん、さっき『欲しいものは自分の手で掴み取るものだ』って言ってましたけど、どうしてそう思うようになったんですか?」

「それは」


 アルルは私の質問を留め置いたまま、明後日の方を見た。側から見たら天井を見てるだけに思える。だけど、彼女のその目はもっと遠くを見ているような、そんな気がした。

 結局、アルルは私に目もくれず、


「先生が教えてくれたから」


 ポツリとそう言うだけだった。

 “先生”。アルルの言う、その人のことが気になる。しかし、遠くを見つめるアルルを見ると、なんだか聞いてはいけないと直感がそう告げていた。


 再び、部屋が静まる。少しの気まずさにむず痒くなっていると、アルルが耳飾りに触れてまた独り言を始めた。


「はいはーい、こちらアルル。そろそろ着く? オッケー、こっちも向かう。はい、それじゃ」


 多分、誰かと話していることは間違いない──と思う。だけど、こちらに聞こえるのは完全に一人の声だけだから、妙な気味の悪さを感じる。


「ジョゼ! そろそろ出る。道案内よろしく」

「はい、分かりました」


 休憩はどうやら終わりのようだ。私は腰を上げ、アルルを庭の裏手に続く通路へと案内する。


「ねぇ、この先の出口。待ち伏せされてるとかはないだろうね?」

「それは大丈夫だと思います。この通路は私とお母様と、ごく僅かなメイドしか知りませんので」


 やがて、階段に突き当たり、そこを登ってお庭に出た。他からの視線を遮るような草木の影に隠れつつ、そこから慎重に歩みを進めると誰にも気づかれることなく、ついに敷地の最北端、屋敷の裏手に辿り着く。


「はぁ……着きました」

「ようやくだな」

「ここを越えれば、森に出ます」


 私たちの目の前には、身の丈より少し高いくらいの柵があるだけ。この仕切りを越えた先は、もうカリオストロの屋敷の外なのだ。

 屋根裏部屋にいるとき、カリオストロの娘でありラザール様の婚約者という、私を閉じ込める檻はとてつもなく厳しいものだと思っていた。しかし、いざ踏み出してみれば、私を取り囲んでいたものは、いとも簡単に越えられるようなものだったのだ。


「よっと!」


 感心していると、アルルはすんなり柵を飛び越えてゆく。まだ左腕がうまく使えないようだけど、それ加味しても、これは彼女にとって壁ですらないということらしい。


「ジョゼも早くしな」


 アルルは柵の向こうで、私に見えるように翡翠の首飾りをちらつかせる。

 アルルのしたハンドサイン。あれは要するに、『人質はまだ彼女の手の中ここにいる』ということだ。


 アルルは屋敷から脱出した。しかし、まだ私の役割は終わっていない。この先も案内しろと、暗に怪盗は私に言っている。


「分かりました!」


 アルルを追うべく、柵によじ登ろうと手をかけた。


 その瞬間、


「お待ちなさい!」


 聞き慣れた、低めの声が私を引き留める。

 見ずとも分かるその声に振り向くと、そこには、


「お嬢様……!」


 右手に炎を灯すフミがいた。

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