第9話 最後に立ち塞がる人は

「フミ……どうしてここに?」

「私がお嬢様にお使えしてどれほど経っているか、ご存じでしょう?」

「私のことは全部お見通しってわけですね」


 フミは何も言わなかった。しかし、それで私たちは通じ合えていた。


「お嬢様」


 真剣な顔でフミは私に迫ってくる。


「なりませんよ」

「何のことですか?」


 私は軽くとぼけてみせた。とはいえ、この場において、それが何の意味もなさないのは明々白々で、フミは何を言うわけでもなくただ私を見つめていた。


「これで見逃してくれるのなら、そもそもフミはここにいないでしょうね」

「お心当たりがあるようで、私も少しだけ安心いたしました。であるならば、そんなことはおやめになって、早くお部屋に戻りましょう」


 フミはいつものように、あまり抑揚のない声で語りかけてくる。しかし、彼女は今までに一度も見たことのない表情をしていた。


「その先は危険です。何が待つか分かりません。行ってしまったら最後、もう二度とこの屋敷の門を跨ぐことができなくなるかもしれませんよ」

「分かっています」


 それは既に承知の上だ。

 自由、お父様の行方、そしてアルルのこと。欲しいもののためなら命をも賭けて、掴み取る。その覚悟を決めたからこそ、私はここにいるのだ。


「どうしてです。……まさか! あの怪盗がお嬢様のことを無理やり連れていこうとしている。そう、なんですよね……?」


 フミは恐る恐る尋ねてきた。しかし、それは私への問いかけではない。

 フミは「分かっている」そう返した私のことが信じられないのだ。お嬢様に限ってそんなことがあるはずないと。だからこそ彼女はこういうことに違いないと都合よく自分を納得させ、それが正しいことだと確認したいから聞いてくる。


 別にラザール様や他の屋敷の人間には、どう思われたって構わない。だけど、フミにだけは本当のことを知っていてもらいたい。その誤解は正さなくてはならない。


「いいえ、フミ。これは私が、私自身の意思で決めたことなのです」

「なりません!! それはならぬことです!!!」


 フミは私のために声を荒げる。

 彼女は聡明で私のことをよく知っているから、きっと、私がアルルと共に屋敷を出た後、私が怪盗に何を頼もうとしているのか分かっている。だからこそ、私を止めようとしてくれているのだ。


 フミはただ、私の命令に従って首を縦に振るだけのメイドではない。彼女は私が産まれたときから、ずっと私に仕えてくれていた。誰よりも私のことを想ってくれていて、時に立場を超えてでも諌めてくれる。


 お母様が亡くなり、お父様の行方が分からない今、彼女はこの家の中で、フミは私にとって、親であり、友人であり、従者であり、ただ一人の大切な人だ。そんな人が私を想って言ってくれたことは聞くべきだろう。

 しかし、私は決めた。これからどんなことが待ち受けていようと──良いことも、悪いことも──その行く末は私の手で掴むのだと。


「ごめんなさい。でも、私は行きます」

「それなら!」


 フミの手に灯っていた炎が激しく燃え盛る。まるで、彼女が抱える情動を表すかのように。


「私はこの力を使ってでも、お嬢様を止めてみせます」

「顔が怖いよ、フミ」

「これは脅しではありません!」


 フミの手に具現化した炎は月明かりを負かすほど、煌々と彼女を照らす。汚れひとつないメイド服が光をはね返し、彼女は夜の闇の中で誇らしいほどに白く輝いていた。


「豪炎の業火」


 一言、フミが唱えると掌の炎が放たれる。その炎は私の耳のすぐそばを掠め、後ろの鉄柵が焼ける。


「お嬢様が行こうとしているのは底のない暗闇。行けば最後、もう引き返せない。一度でも汚れた手は、二度と綺麗な手に戻らないのです! お嬢様には、そうなってほしくない。お嬢様にはずっと、明るい世界を歩いていて欲しいのです」

「フミ……」


 ズルい。普段は他人に感情を見せるタイプではないのに。今日に限って、心を剥き出しにしたような顔をするなんて。


 フミの顔を見て、目頭が熱くなってしまう。決断が揺らぎそうになる。つい、彼女に駆け寄って抱き締めてもらいたくなる。


 だけど、私はグッと堪える。堪えて、ただフミと向き合う。


「お嬢様が居なくなってしまったら、このカリオストロの家で誰が大旦那様を待たれるというのですか?」


 彼女は中々痛いところを突いてくる。私は勝手に出て行こうとする以上、それは気がかりだった。お母様はもう既に亡くなっている、そして私まで出てゆけばこの家は空になってしまう。


「それはね」


 しかし、そこをどうするかについて、実はもう決めている。


「何をなさるおつもりで!?」


 私はゆっくりとフミに近づいてゆく。

 彼女が能力スキルで発現させた炎は更にその勢いを増し、近づけば近づくほどそのきもちは伝わってくる。


「お嬢様!」


 フミは構えた手を下ろすことなく、近づく私に対して絶えず狙いを合わせ続ける。

 しかし、私は臆さない。一歩、また一歩。ゆっくりと、でも確実にフミに近づく。


「撃ちますよ……!?」


 彼女は戸惑い気味に言い放つ。しかし、言葉を無視して、進んでゆく。


「……お嬢様!」


 フミは俯きながら、消え入りそうな声で言うが。しかし、腕だけは私に向けられている。

 私を攻撃しようという意思はもうないが、身体は攻撃するポーズのまま。それは明らかに矛盾している。しかし、フミはもう自らの意思と使命の狭間で、どうにもならなくなってしまっているのだ。


 伏せられたその顔はどんな表情をしているのだろうか。想像してもしきれないが、少なくとも晴れやかでないのは分かる。私のせいでフミにそんな顔をさせてしまっているのが、とても心苦しい。

 それでも、私は進み続ける。


 そして、


「……」


 ついに私とフミの距離がゼロになった。構えた彼女の掌が私の胸と触れ合う。


「フミ」


 その手に、もう炎は灯っていなかった。そこにはいつものような温もりがあるだけだった。


「ねぇ、顔を上げて」


 私はフミの顎に両手をそっと添えて、俯く頭を起き上がらせる。


「お嬢様ぁ……!」


 フミの綺麗な顔がこちらを向くと、彼女の瞳から大粒の涙がポロポロと流れ落ちる。

 美人は泣き顔まで美しい。私と違って。その顔はまるで作り物のお人形のようだ。

 泣かせた超本人が何を言うといった感じだが、どうしても彼女を見たらそう思わずにはいられなかった。


「フミ」


 私は指の背でフミの頬を伝う宝石のような輝きなみだを拭い去る。そして、彼女に私の想いを伝えてみせる。


「あなたの主人として、命じます。私のいない間、この家カリオストロの留守を守ってください」


 これはもう、私のワガママでしかない。


「私に、ですか……? 私はカリオストロの人間ではございませんよ? お嬢様は留守を守れと言いますが、ただのメイドにいったい何ができるというのです?」


 いくら主人の命令とはいえ、荒唐無稽な言いつけということは自覚している。その重すぎる役割に、フミも二の足を踏む。

 でも、


「フミになら、できますよ」


 大丈夫ですよと、そう伝えるため、私はフミの手を取った。


「だって、この家で私が一人になってから、フミはずっと私の居場所を守ってくれていたのですから。この家を守ることにおいてあなたの右に出るものはおりませんよ」


 お母様もお父様もいない中、私が挫けずに生きてこれたのはフミがいたからだ。主従という関係を抜きにしたとて、ここを任せられるような人間を私は彼女の他に知らない。

 だから私はお願い・・・する。立場を利用したズルい手を使って。


「どんな形であれ、私は必ずお父様を捜して帰ってきます。だから、それまで。この家を、私の帰る場所を、頼みますよ」

「どうしても、行ってしまうのですか?」


 フミは改めて私の意思をしてくる。彼女は行かないでと、私を最後の引き留めにかかるも、私の意思は変わらない。


「ええ。ごめんなさい、フミ」


 私の言葉に、フミは押し黙る。

 しかし、


「……分かりました。お嬢様の仰せのままに」


 彼女はスカートの裾を摘み、恭しくお辞儀をしてみせる。それは我が屋敷のメイドがする最大限の恭順の意だった。


「屋敷のことは私めにお任せください」


 フミは私のお願いを受け入れてくれた。それは即ち、これから私がしようとしていることを受け入れてくれたのだ。


「ありがとう……!」


 嬉しくて、思い切りフミを抱きしめた。彼女の暖かな温もりこころを全身で感じ、涙を零しそうになってしまう。


 その顔をフミに見せないように離れ、屋敷の柵をよじ登った。

 心もとない足場に立って、行く末を見渡す。目の前の森まで屋敷の明かりは届いておらず、どこまでも深い闇が広がっていた。


 先の見えない暗いところへ飛び込んでゆく。それに対して、全く不安がないわけじゃない。

 そんな気持ちで、私が中々踏み出せずにいると、


「いってらっしゃいませ、お嬢様」


 背後から声がする。

 特別なことは何もない。普段通りに優しいフミの声。それが何よりも心強かった。


 振り返って返事がしたい。でも、振り向いたらそれきり足は動かなくなる。


「いってきます」


 私は前だけを向いて、柵から飛び降りた。

 ほとんど地面も見えないなか、感覚だけを頼りにやや危なっかしく着地すると、私のそばにアルルが駆け寄ってくる。


「ったく、ハラハラさせやがって」

「あはは……申し訳ないです」

「まぁ、主人想いの使用人だこと」

「私に仕えてくれる、最高の親友メイドですから……!」


 アルルは少しばかりこちらを見つめ、そして唐突に私の顔を指差した。


「泥、跳ねてる。拭いておきな」


 顔に泥が跳ねた記憶はないのだけれども。

 アルルの言う通りにハンカチで顔をぬぐうと、布が濡れていた。気づかないうちに私の目から涙が溢れていたのだ。

 私はすぐに顔を拭き、背を向けていたアルルに声をかける。


「もう大丈夫です」

「そうか、ならよかった」


 アルルは何も言わない。その態度が、今はありがたい。


「さぁ。もう一働きしてもらおうか」


 そう、アルルが言い終わった瞬間だった。


 ──ズドガァン!


 途轍もなく激しい音とともに、何かが屋敷の塀を突き破ったのだ。


「うわっ!!」

「これは……!?」


 見れば、飛んできたのは巨大な氷塊。

 それは並の魔導ではない。莫大な魔導マナを消費して放つ最上級レベルの氷魔導だ。並みの人間が気軽に扱えるものではない。


 こんなことができるのはこの屋敷で、いやこの国でもただ一人しか存在しない。


「逃しはしない!!! 泥棒を追え!!!!」


 怒りに震えるラザール様の声が闇夜に響き渡った。

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