第6話 欲しいなら掴み盗れ
「急に……どうして?」
私はまたしてもアルルの言葉の意味が分からなかった。先程まではあれだけ私の首飾りを手に入れようと躍起になっていたのに、まるで情熱の火が消えたかのようにアルルはやる気を失っているように見える。
「いや? 分かったんだよ。その首飾りは私が狙う獲物じゃないってね」
「どういう意味?」
アルルの真意を探ろうと、彼女の顔を見た。その素顔は何かを企んでいるような表情には見えない。
しかし、瞬きすると顔は見えなくなった。再び、マスカレードマスクが視線を阻み、もうその素顔を拝むことはできなくなっていた。
「そこにブツがあるから興奮してしまったが、冷静に考えれば伝説の神器を地方領主ごときが持ってるわけないだろう。私が欲しいのは本物の『
そう言うと、アルルは踵を返した。そして、何事もなかったかのように、部屋を出て行こうとする。
「それじゃあ、私はこれで失礼するよ」
「いや、あの!」
私は姿を現して、アルルを呼び止める。
「何帰ろうとしてるんですか! 盗んでくれないと困ります! 首飾りも、私も!」
「全く……いい加減にしてくれ。人攫いの趣味はないんだ。それに、私の眼にはお宝しか映らない。そんな偽物をダシに取引されたところで、興味はない」
アルルは私の言葉を軽く受け流す。
「私はアンタを盗まない。それに、お宝のない所に長居は無用だ、私はこの屋敷を出る。
それと、アンタは私と盗るか盗られるかそういう駆け引きをしたって思ってたみたいだが」
アルルは手に持つものを私に見せびらかしてきた。
「こっちに言わせりゃそんなもん、はなから勝負になってないんだよ」
そこにあったのはなんと、私の首飾り。
「えっ……? いつの間に!?」
「コイツは人質だ。無駄にアンタに構ってたせいでもう時間がない。この屋敷や領地から優雅に歩いて出てくわけにもいかなくなった。だから、ここから最短で出られるような道を案内してもらおうというわけだ」
「道案内……」
「なんたってここはカリオストロの支配地だ。その娘であるアンタ以上に適任はいないだろう?」
それはアルルの言う通りだ。この屋敷や、この領地のことを私以上に知っている人間はいない。
「安心しな、領地の外まで出られたらコイツは返してやる。後のことは勝手にしろ」
アルルは私に再びヴァルサーを向けた。
「この首飾りは私にとって価値はなくとも、アンタにとっちゃ大切なものなんだろ?」
首飾りは価値もないもののようだし、自分と一緒に盗んでもらう分には構わないと思っていた。でも、この首飾りはお母様との繋がりで、大切な宝物なのだ。それを手放しで渡すことは、できそうにない。
「ええ、そうよ」
「なら選択肢はないな。さぁ、一緒に来てもらおうか」
アルルは私に手を差し伸べた。来るならこの手を取れということなのだろうか。
あまりに突然で、私は戸惑う。
無理矢理連れていきたいのなら強引に私の手を掴めばいい。なのに、どうして私に選ばせるようにするんだろう。
何か裏がある。そう疑わずにはいられなかった。
「上の方から声が聞こえてきたぞ!」
「やっぱり誰かいるのか!?」
屋敷の人間が騒ぎ立てている。さっきよりもかなり近い。もう、すぐそこにいる。彼らがここに押し入ってくれば、きっと大荒れになる。首飾りの行方についても穏やかには収らないだろう。アルルが言ったように、もう時間はない。
想いを巡らせたところで、アルルの意図は分からない。でも今は間違いなく、それを考えている状況ではない。
それに、アルルのことを知りたい。少しでもアルルの側にいたい。
だったら、何を躊躇うことがある。今はその手を取るべき刻。自分の手で、掴み取るんだ。
「分かりました」
私は差し伸べられた手を掴む。すると、アルルは、
「よし、行こう!」
待っていたかのようにこの手を引いて、私を部屋から連れ出した。
たかだか、屋根裏部屋から出ただけだ。なのに、嬉しかった。ワクワクしていた。なんだか胸がときめいている。
アルルが新しい世界に連れ出してくれた、そんな気がして。
◇
アルルは私を連れて屋根裏から続く階段を降りると、廊下に出る寸前で歩みを止めた。てっきりそのまま廊下へ駆け出して行くのだと思い込んでいた私は、アルルの背中に顔を埋めてしまう。
「むぐっ!」
「何してる、危ないだろ」
「ごめんなさい……」
割と勢いよくぶつかってしまったのだけど、アルルの身体はびくとも揺らがなかった。しかし、触れた感触は筋張った男性のそれと違って柔らかさがあり、彼女の正体はやはり女性なのだということを実感する。
アルルは壁越しに廊下を眺めた。
「見える範囲に武器を構えたのが、まずは三人ってとこか」
向こう側を窺い、すぐさま状況を把握したアルルは私に尋ねごとをしてくる。
「ジョゼ。アンタ、
「ええ」
何も思ってないというように軽く流したが、ジョゼと呼ばれて顔が熱くなる。大見得きってカッコつけて適当に言ったことをいざされてみると、とっても恥ずかしい。
「これから私が三つ数える。そしたら、ここから飛び出すから、姿を消して私について来い」
「分かりました」
「何があっても怯むな。私の背中にだけ、ついてこい」
「はい!」
いくぞ、と繋いでいた手を解いて、アルルは私に呼びかける。それと同時に彼女は廊下の方へ何かを投げ込んだ。
「いち……にの……さん!」
数え終わるよりも一瞬早く、何か破裂音がして、辺りは白煙に包まれる。
「何だ!」
「何が起きた!?」
角の向こうにいる衛士たちは驚き、騒ぎ立てる。場は一瞬にして混乱に陥った。
そして、その煙の中に、アルルは躊躇いもなく突っ込んでゆく。
これはどんな
煙の中はとても視界が悪い。伸ばした手の先も見え辛く、まるで濃霧の中にいるかのよう。そんな中で、私は辛うじて見えるアルルのマントを頼りにしてひた走る。
「そこをどいてもらおうか!」
「ギャっ!!」
突如、白い闇の中から悲鳴が聞こえてきた。屈強そうな野太い声が情けなく鳴くと、ドシンと何かが激しく床にぶつかった。
続けざまに、
「おらよッ!!」
威勢のいいアルルの声。
そして、
「だぼぁ!」
「ぐふっ!」
それを皮切りに二つ三つ、次々に男の悲鳴がこだまする。
「足元、気をつけろ」
と、アルルが言うので何かと思えば、廊下には三人の衛士が倒れているではないか。
察するにアルルが処理したのだろう。鼻血を垂らしているのもいるし、かなり強引な手段に出たとみる。
私は視界の悪い中でもお構いなしなアルルの仕事ぶりに感心しながら、身体に躓かないよう慎重に煙の中を走り続ける。
やがて、煙を抜け、視界が晴れた。
「大丈夫か?」
「は、はいっ!」
目の前にはしっかりとアルルがいる。なんとかついていけてるようだ。
屋根裏部屋から続く廊下の突き当たりを曲がると、長い直線の通路に出た。
「しかし、入ってきたときも思ったが、なんて広さだ、まったく。流石、『月下美人の宮殿』と称されるだけのことはある。
案内人! この先はどーする?」
アルルが尋ねてきた。
今、私たちがいるのは屋敷の東翼、その最東端の位置。ここから最短で屋敷の外に出るなら、この東翼大回廊を抜けて中央棟に出るのが一番だ。
しかし、
「侵入者はこっちだ!!」
「いたぞー!!!」
そんな考えも束の間、回廊の向こうからかなりの人数の衛士が迫ってくるのが見えてしまった。しかも、彼らは大声で情報を連携し、更に人数を増やしている。
「あんなに……」
「屋敷の外を見張ってた連中も総出って感じだ。あそこを切り抜けるのは流石の私でもやりたくないな」
「どうしましょう……」
「計画変更。警備の連中がこっちに集中しているなら裏は手薄なはず。そっちから出よう。どっちから行けばいい?」
その決断に迷いはない。アルルは冷静に状況を分析して、私に指示を出す。
私だけでは焦ってしまって何も思いつかなかっただろうけど、アルルがそう言ってくれたおかげで冷静になってルートが見える。
「こっちです!」
私は回廊から外れて、アルルを横に入る廊下に導く。入り組んだ廊下を、衛士を避けながら右へ左へ。それでも避けきれない衛士たちは、アルルがヴァルサーで撃ってなんとかして。そんな調子で私たちはひたすらに屋敷の中を駆け巡る。
その最中、アルルは私に聞いてきた。
「ねぇ! この屋敷の裏の庭、確か森に面してたよね?」
「はい! 庭園の生垣を越えて、坂を下ればすぐ森です!」
「了解、ありがとう!」
そう言うと、アルルは走りながら自分の耳飾りに触れ、突然喋り始めた。
「あー、もしもし。ジャンヌ、計画変更! 屋敷の裏に馬車を回して。
なに? しょうがないでしょ、いろいろ予定が狂ったんだから。ああ、はいはい。悪かった。うん、もう向かってる。すぐ着くだろうから、今すぐお願い。それじゃ」
アルルはまるで誰かと話しているような口振りだけど、相手はどこにも見えない。でも、その相手は私というわけではなく、もう限りなく独り言で──うん、あんまり気にしないようにしましょう。何かの
屋敷の中を走っていくと、やがて豪華な装飾を施された大きな扉が見えてくる。道中、追手に手こずることもなく、無事にここまで辿り着けてホッとする。
「アルルさん、その扉の先の部屋から庭園に抜けられます!」
「分かった。それじゃあ、この空の宝石箱ともおさらばしようか」
「ひぃっ……!」
「大丈夫?」
これは……まさか。嫌な予感に身震いしてしまう。しかし、追われてる以上、ここで立ち止まるわけにもいかない。
「平気……です」
強い不安を抱えながらも、アルルと共に廊下を進んだ。突き当たりの扉に近づくにつれて、どんどん冷気が強くなり、吐く息も白くなる。
遂に扉の前へ辿り着くと、先程までとは比べ物にならないほど寒く、身体がガタガタと震えてしまう。
この震えの原因は寒さだけではない。
身体だけでなく、心まで凍りつきそうなこの感覚。常人とは一線を画した、氷属性の
あの方がいる。この扉の向こうには彼が待ち構えている。
ダメだ。そのまま進んでは。
「アルルさん!」
しかし、私の呼びかけも虚しく、怪盗は大扉を開いてしまった。部屋の中から更に冷たい空気がどっと吹き抜け、私たちを襲う。
扉の向こう側、舞踏会を開く大広間には凍気が満ち満ちていた。部屋の中は壁や窓に床、壁に掛けられた絵画や暖炉の炎に至るまで、あらゆるものが凍りつき、白銀の世界と化している。
そんな大広間の真ん中に、ただ一人立つ。
「よう、コソ泥」
寒さに身震い一つせず堂々とする、その殿方。腰に宝剣を携えた『
──金色の髪の毛をした、私の婚約者。
その呼びかけに、アルルは答えた。
どこか楽しげに。
「ラザール・バルザモ……!」
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