第5話 怪盗の流儀

「私をここから盗め? それはどういう意味だ?」


 アルルは怪訝そうに聞き返してきた。怪盗はある種の突拍子もない提案に私の真意を確かめようとする。


「深い意味はありません。私をここから連れ出していただきたいのです」

「何のために?」

「私は、自由が欲しい。誰に咎められるでもなく、好きな所に行って、したいことをする、そんな自由が。今の私は監視され、力で繋ぎとめられた、何もできない弱い存在。

 でも、怪盗アルル。あなたは世界を股にかけ、好きなものを自在に盗んでゆく。そんなあなたなら、ラザール様たちバルザモ家のひとなんて簡単に出し抜けるはず。だから、私をここから盗んでほしい」


 アルルは何を言うわけでもなく、私の話を聞いていた。そんな様子を見ていると、怪盗さんはきっと分かってくれる。私をここから盗んでくれる。なんだか、そう思えた。


 しかし、


「断る」


 アルルの解答は、私が望んだものでなかった。


「どうしてですか!?」

「人攫いは趣味じゃない。それにあいにく、私の目にはお宝しか映らないんでな」


 冷たい言葉でアルルは私を突き放す。

 しかし、ノーを突きつけられるのは想定内のこと。最初からそう上手くいく交渉だとは思っていない。そのための首飾りカード。切るならここしかない。


「盗んでいただければ、このペンダントは差し上げます。どうですか、悪い話ではないでしょう?」

「……何だと?」


 俯き気味だったアルルはゆっくりと顔を上げ、ジッとこちらを見つめてきた。マスクの下から私に向けられる気配を感じ、心臓を鷲掴みにされたかのような感じがして、ゾッと背筋が冷たくなった。


「差し上げるだと? 冗談じゃない!」


 アルルは激怒した。


「怪盗アルルはなぁ、獲物を施されて喜ぶようなチャチな泥棒じゃねぇんだよ!!」


 ──ズドン。


 耳を突くような破裂音がして、反射的に目を瞑る。それとほぼ同時に、窓ガラスが音を立てて粉々に割れた。恐る恐る目を開くと、ヴァルサーの銃口から薄らと煙が立ち上っている。


 アルルはヴァルサーを撃った。私としてはただの親切心だったのだけれど、それがアルルの逆鱗に触れたのだ。


「施されたら、それはもう“盗み”じゃなくなる。私の生きる意味を……踏みにじってくれるな!!」


 盗みじゃないとか、生きる意味とか、私にはよく分からない。しかし、そんな私を尻目に、アルルは叫ぶ。その人は人目を忍ぶ怪盗だというのに、お構いなしに声を張り上げた。


「黙って聞いてりゃあ。自由が欲しい、だから、盗んで連れてけ? 馬鹿にするのも大概にしな。今日、ここに来たのは、その『プロビデンス・ジェイド』のため。お前なんざ、はなっから私の瞳に映っちゃいないんだよ!」


 荒い、息遣いが聞こえてくる。

 スマートな怪盗というイメージは既に見る影もない。もはやアルルは感情的な一人の人間として私の前に立っていた。


「そんなに自由になりたいのなら、自分で出るこったな。貴族の箱入り令嬢がよ」


 アルルはサラリと無理難題を投げかけてきた。できないことを、やればいいと無責任に言う。


「それは無理です!」

「なぜだ?」

「弱くて無能な私には、縛り付けてくる婚約者ラザール様を退けるなんて力はないから」

「甘えだ」


 間髪入れずに、アルルは知ったような口ぶりで言った。何も知らないくせに。


「あなたは私の状況を知らないからそんなことを言えるんだ。私とあの人たちにどれほどの力の差、立場の差があるか。それを知らないから──」

「それが甘えだって言ってるんだよ! 

 お前みたいに、産まれたときから全てを与えられて生きてるような奴には分からないだろうがなぁ、欲しいものは与えられるものじゃねぇんだよ!」


 そんなことを言われたって、私には分からない。繋がれた籠の中の鳥は、どうやったって空に飛び立つことなんてできない。


「じゃあ、どうすればいいのよ!!」

「欲しいんだろ? ならどんな手を使ってでも手に入れろよ。欲しい物ってのは、持てる全てを駆使して自分の手で掴み盗る・・・・もんだ!」


 そんなの、無理だ。

 だって、そんなことをしたら、待っているのはラザール様からの理不尽な暴力だけなのだから。


「失敗したら、酷い目にあうとしても? 場合によっては、死んでしまうかもしれないとしても?」


 アルルはまたしても私を笑う。


「それがどうした。獲物を阻む壁がどれだけ高かろうと関係ない。命も“持てる全て”の勘定の中に最初から入れてある」


 無茶苦茶だ。

 だって、そしたら、


「たたが盗みのために、あなたは自分の命を……?」

「ああ、そうだ。今、アンタが『たかが』と切り捨てたものが、私にとっての生きる意味なのさ。だから、どんな盗みだろうが、一張羅を着て、命をかけて挑む。それが怪盗アルルだ」


 分からない。アルルの言葉は私の常識の範疇からかけ離れすぎて理解できない。どれだけ考えても、アルルの語る価値観は分からない。


 でも、どうしてだろう。


『欲しい物ってのは、持てる全てを駆使して自分の手で掴み取るもんだ!』


 その言葉がやけに頭に染み付いている。不思議なことに、何度も何度もその言葉を頭の中で繰り返してしまっている。


 アルルが語る怪盗としての生き方なんて、全く理解できない。悪い人の言う理屈なんてさっぱり分からない。


 でも、それは自分のしたいことを好きなことをするということ。そして、それはフミから話を聞いて、羨ましいと思ったアルルの在り方そのものだった。


 どうしたら、そんなふうになれるんだろう。どうしたら、そんなふうに生きられるのだろうか。


 アルルが何を考えているか知りたい。アルルがどんなものを見ているのか知りたい。アルルはどう生きて、何を思うのか。

 それを知れば、その答えにたどり着けるような気がして。

 

 ──ああ、そうか。私はあなたのことが、知りたいんだ。


「お願いします。アルル様、私を盗んでくださいませ」


 私はアルルにもう一度懇願する。もしも、アルルと一緒にいられれば、彼女について理解できるようになるかもしれないと思ったから。


 しかし、怪盗の返事は変わらない。


「いい加減にしやがれ。言って分からないなら身体に教えてやろうか」


 アルルは再びヴァルサーを撃った。その弾は私の頬の横を掠めて、屋根裏の壁に穴を開けた。


「何かあったのか!?」

「屋根裏の方で大きな音がしたぞ!」


 外の騒ぎがこの部屋にも伝わってくる。


「いいかげん、時間もない。まだうるさくするようだと、私は躊躇いなくこの引き金トリガーを引く。生きてる人間から奪うより、死体から漁る方が遥かに楽だからな。

 さぁ、どうする? 素直に渡せば乱暴はしないぜ。お嬢ちゃん」


 アルルは本気だ。私の返答次第で、今度は容赦なく当ててくるだろう。

 でも、私はどうしてもアルルに連れて行ってほしかった。だから、ここで引き下がるわけにはいかない。


 欲しいものは持てる全てをかけて掴み取る。

 怪盗アルルを理解するため、まずは私もそうすることにする。力なんて無いけど、アルルに連れて行ってもらえるように全力を尽してみせる。


 怖いけど、どうなるか分からないけど。

 それでも、


「私は……諦めない!」

「何をッ……!」


 すぐそこにあった魔導火ランプを床へと落とす。魔導火ランプが壊れる瞬間、激しい光が迸り、アルルは目を覆った。


「発現、インビジブル」


 その隙を見計らい、私は能力スキルで姿を消して、先程と違う位置に回り込む。


「てめぇ!」


 私を見失ったアルルはヴァルサーを構えるが、そこに私はもういない。


「私と首飾りはどこでしょう?」

「くそっ……!」


 私は移動しながらアルルに言った。居場所を悟られぬよう位置を変え、アルルを撹乱しながら、交渉をする。


「首飾りを私ごと盗んでくれるのであれば、再び姿を現します。早く探さないと、屋敷の者が来てしまいますよ。さぁ、どうしますか?」

「面白いことしてくれるじゃねぇか……! まぁ、こんくらい難しくしてくれなきゃ、盗むのにも張り合いがでねぇってもんだ」


 アルルはこの状況で、まだ余裕があるといったように答えた。果たしてそれ痩せ我慢か、まだ私の知らない秘策があるのか。

 その真意はアルルにしか分からない。隠してるものは外から窺えないからこそ、彼女をよく見て判断するしかない。


 私は目を凝らしてアルルを見る。

 そのとき、


「んんっ?」


 眼が冴える。


「何だこれ……?」


 その途端に、アルルのマスカレードマスクが透けて見えた。なぜかは全く分からないが、その下にある素顔もはっきりと見えた。


 一体私に何が起きているというのだろう。

 今まで、人の心や感情が視えても、物理的な障害物を透視するなんてことはなかった。


 しかし、それよりも驚いたことが一つ。

 アルルの仮面の下。そこには、


「あなた……女!?」


 美しい女性の顔があった。

 しかし、アルルは、


「さ、さぁ」


 とぼけて、否定する。

 でも、どう見たって、そこに見えるのは女の人の顔だ。その顔は高名な画家の書いた作品のように美しく整っているし、私なんかよりも断然可愛らしい。

 それに、アルルは、


「綺麗な青い目」


 思わず呟いてしまうほどの、宝石のような青い眼をしていた。


 私はアルルの素顔に見惚れていた。一方で、アルルも私の方を見て固まっている。


「アンタ、その眼……」


 姿を消してるから、向こうからは見えていないはず。なのに、アルルは仮面越しに私と目を合わせていた。


「な、なんですか……?」


 恐る恐る尋ね返す。しかし、アルルは固まったまま。


 そんなとき、私は不思議なことに気づいた。アルルの手、右手の中指辺りが、着けている黒いシルクの手袋越しに光を放っていたのだ。

 私が気づくと同時にアルルもそのことに気づく。そして、彼女はその手袋を外した。

 すると、


「これは……!」


 アルルがはめていた指輪は何かと共鳴するように光り輝いていた。

 それを見たアルルは何かに納得したかのように、「そういうことか」と呟いた。そして、構えていたヴァルサーを下ろしたかと思うと、


「やめにしよう」


 突然、そう口にした。

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