第3話 私たちは『翠の瞳』
「今度は何だ!?」
別の場所で爆発が起こる。その音はこの部屋にも届いていた。
「屋敷の裏の方から聞こえたが、いったい……?」
「屋敷の裏……まさか!?」
侯爵は勘づき、額に脂汗を滲ませる。私たちの狙いに。
「そう、今の爆発はご自慢の離れから聞こえてきたものです」
「そんな!」
侯爵は全てを理解し、ガックリと項垂れた。
「偽の宝石、離れ……。そうか、そういうことか!」
ジャンヌに動きを封じられていた探偵も、この騒動の察しがついたようだった。
「本物のウラヌス瞳は離れに保管されていた。そういうことだろう?」
「ええ。ご名答ですわ、探偵さん」
「これだけヒントを与えられれば、
「うるさい」
「くっ……!」
ジャンヌは口の減らないニーツェに釘を刺す。まぁ、話しかけたのは私なんですが。
「どうして」
項垂れていた侯爵が恨めしそうに私を見た。
「どうしてウラヌスの瞳が離れにあると知っていた? 私以外は知らないはずなのに!」
「
「おのれぇ……!」
侯爵は悔しさと怒りで顔を歪めている。彼のそんな顔をもう少し見ていたかったのだけれど、仕事が済んだ以上長居は無用だ。
「さて、お喋りもこのくらいにしましょうか。それでは、お姉様! よろしくお願いいたします」
「その、お姉様やめい!!」
ジャンヌは杖の狙いを探偵から外し、それを天井に向けた。
「
ジャンヌが
「ぶっ放す!」
ジャンヌはスコープを覗き込み、杖の引き金を引く。込められていた彼女の
そして、その穴はそのまま私たちの逃走経路になる。
「それでは、皆さま。ご機嫌よう」
空いた穴に向けて、手持ちのフックショットを撃ち込めば、射出した鉤爪が屋根をしっかりと掴んだ。これで、逃げる準備はバッチリ。
「クソっ! 待てぇ!!」
「お断りしますね」
「お断りだっつーの」
急ぎジャンヌを掴まえて、フックショットのトリガーを引けば、伸びたロープが巻き上げられて私たちの身体が宙に浮かぶ。落とさないように、落ちないように、互いにしっかり抱き合うと、私たちは無事屋根の上に到達できた。
「追えぇ!」
「奴らを捕まえろ!」
屋敷中は大騒ぎになっているものの、ここまで来れば喧騒は遠く。吹き抜ける夜風の音が心地よく耳をくすぐる。
そんなとき、着けていた耳飾りから声が伝わってきた。あの人からの連絡だ。
『どう? そっちの様子は』
「全てあなたの計画通り。上手くいきました」
『それはよかった。こっちも、あなたたちのおかげで問題なし。仕事は終わったから約束の場所で落ち合いましょう。ウラヌスの瞳を持って待ってるわ』
「承知しました」
私は話を切り上げて、ジャンヌと向き合った。
「本当に、優秀な人たちが二人も近くにいてくれると助かりますね」
「ちょっと待って。まだ終わってないから」
「そうでした……!」
「東翼、最東端の屋根の上。そこで彼女と合流、そして逃げる。最後まで抜かりなく、それが私たち。行くよ」
「はいっ!」
全くもって彼女の言うとおりだ。最後まで抜かりなく。それが怪盗としての基本だと、
ジャンヌは肩で風を切って走りだす。私は頷き、彼女に続いた。
私たちがいるのは屋敷の西翼。ここから合流ポイントまではそれなりの距離がある。屋根は傾斜があり、足元は良くないものの贅沢は言ってられない。
敵陣に長く留まれば留まるだけリスクが増えてしまう。目的は達したのだから長居する必要もない。
追いつかれる前に。
ただ、それだけを考えて目的地に走った。
約束の場所へは数刻も経たずにたどり着いた。振り向けば追っ手はなし。どうやら上手くやれたよう。
そして前を見れば、大きなダイヤモンドを月に翳す
「今宵の月は、盗みたくなるほどいい月。そうだと思わない?」
全身黒尽くめの装束を身にまとい、黒猫のマスカレードマスクでその素顔を隠す、私たちのリーダーが。
「できるのですか? あの月を」
「
彼女の手の中にあるウラヌスの涙は月光を受け、青白い輝きをたたえていた。そんな宝石が私にはもう一つの月のように見えて、ある意味で彼女は自分の言ったことを既に実現させているように思えた。
「それに、私には頼れる相棒たちがいるもの。『
そう語るこの人こそ、
「そうですね。アルル」
『翠の瞳』のリーダー。稀代の怪盗、アルル。
──私にとって、特別な人。
アルルは月を眺めるのをやめて、私たちの方に視線を向けた。
「お互い上手くいったようね」
「そりゃ、あなたの作戦ですから」
「んで、それが本物?」
「そう。天の神が溢した涙と言われる、幻の宝具。偽物なんかとは比べのものにならない輝きよ」
私もこの
「さ、あとはずらかるだけ──」
「待てぇい!!」
アルルの言葉を野太い叫びが遮った。急ぎ声の方に振り向くと、そこには探偵と侯爵がいた。
「私のウラヌスの涙! お前もそいつらの仲間だな!!」
「そうです、侯爵! 奴こそ、大悪党! 狙った獲物は逃がさない、神出鬼没の大怪盗! そして『翠の瞳』を率いるリーダー! 怪盗アルルなのです!!」
探偵は饒舌にアルルのことを説明した。それはまるで、演劇の主演スターかのようだ。
「あらら、またニーツェ……。それと、そちらはこの屋敷の主人様でございましょうか」
「お前がウラヌスの瞳を!!」
「いかにも、ウラヌスの瞳は私たち『翠の瞳』がいただいていく」
アルルは侯爵へ堂々と名乗りをあげた。
しかし、当然のような顔をしてここにいる侯爵と探偵に、私は驚いていた。
「あの方たち、先程まで
あの場にいた私とジャンヌは顔を見合わせる。だって、あそこからここまではかなりの距離がある。フックショットで屋根まで一っ飛びした私たちに、どうやって彼らは追いつけたというのだろうか。
答えの分からぬ私を嘲るかのように、探偵はそれはそれは大きな声で高笑いした。
「アーッハッハッハ!! 逃げるであろう場所はわかっていたからなぁ、侯爵を背負いながら雨どいを伝ってここまで登ってきたんだらぁ!!」
「雨どいを……? 人を背負って……!?」
荒唐無稽、酔っ払いの妄言のような物言いに困惑するしかない。そんな探偵の言葉を聞いて、アルルは何かに気づいたようだった。
「ニーツェ。あんた、また
「ああ、さっき屋敷の台所で見つけて、侯爵様にご馳走してもらったわけよ! それが実にいいワインでなぁ。上質な
そう自慢げに語る探偵の顔はかなり赤らんでおり、相当アルコールが回っているらしい。
思わずため息が出てしまう。
「何が『私たちを捕まえるまで酔わない』ですか……本当にお酒に呑まれた方の言うことは信用なりません……」
「これはな、前祝いだよ! お前たちをここで捕まえれば、全て解決する!!」
「人生、楽しそうですね……」
「マジでそれな」
私もジャンヌも呆れるしかない。
その酔っ払いが違う方へ絡んでくれれば何も言うことないのだが、彼は私たちを捕まえようとしつこく絡んでくるから困りもの。
「残念ながら、捕まる気はないし、あんたらは私たちを捕まえられない」
「それはどうかな? この悪党ども!!」
侯爵は背中に背負った
「お待ちください、侯爵!」
「何だ! どんな小細工を弄したところで、こいつに撃たれりゃ死ぬだろ!!」
「まぁ、大概はそうですが!」
「それはどうかな?」
アルルはニヤリと不敵に笑った。そして、銃口の前に立ちはだかる。
「そんな浅はかな考えじゃ、私は殺せない」
「何だと!?」
「お待ちください、侯爵! いくら悪党だろうと、罪は償わせなければ!」
「なら死んで償え!! お前はすっこんでろ!」
侯爵に威嚇されて探偵は引き退がるしかなかった。
「よく狙えよ?」
アルルは親指で自分の胸を指差す。侯爵もその挑発に乗り、そこへ照準を合わせた。
「死にさらせッ!」
「そいつはどうかな?」
弾丸と宝石はぶつかり合った。すると、目が眩むほどの光がウラヌスの瞳から放たれ、侯爵と探偵は思わず目を伏せた。
その瞬間を怪盗は見逃さない。
「走れ!」
アルルの声を合図に、私たちは振り返って走った。この先に道はないが、構わず一斉に屋根の縁から飛び出す。
「せーのっ!!」
宙に飛び出た瞬間、装備に仕込んでいた滑空翼を開く。翼は上手く風を捉え、私たちは夜空高く舞い上がった。
「それでは、ご機嫌よう!」
「くっそぉお! 『翠の瞳』め!! 次は逃がさないからなぁあああ!!!!」
カンブルの夜に悔しそうな探偵の叫びがこだまする。実に聞き慣れた遠吠えで、これを聞くと仕事が終わったのだと実感する。
「やりましたね、お二人とも!」
私は耳飾りを通じて、二人に語りかけた。
『そーね』
『まぁ、私たちにかかればこんなもんよ』
二人の声は明るく、達成感に満ちている。そこに疲労や不調は全くない。
「やっぱり、アルルとジャンヌはすごいですね」
『そんなことないわ。ジョセフィーヌがいてこその“翠の瞳”』
アルルは私の名前を呼んで褒めてくれた。
『あなたがいなければ今日の策は成り立たなかったもの。でしょ? ジャンヌ」
「ま、そんなとこね』
二人に褒めてもらえると、認められた気がして嬉しい。
『これで、また一つ』
アルルが呟く。
『先生の無念をまた一つ晴らせた』
『ええ』
アルルとジャンヌの二人は感慨深そうに語り合う。
──この
『それに
「
──そして、私の悲願。
真夜中の月下に悪党が三匹。それぞれが思惑を抱えながら飛んでゆく。
追撃なし。先程までいたエドガーの屋敷は遥か遠く、ここまでくれば安全圏だ。
仕事がひと段落したことだし、ちょうどいいと思ってアルルに気になってたことを聞いてみた。
「そういえば、アルル。珍しいですね」
『何が?」
「私のことをジョセフィーヌと呼ぶなんて。普段は“ジョゼ”って言ってくれるのに」
『ああ、そのことね』
アルルは楽しげに笑った。
『だって、今日の月を見たら、あなたと出会った日のことを思い出しちゃって』
言われみれば、確かにあの日もこんな月夜だった。私が初めて“怪盗アルル”と出会った日──私が翠の眼の怪盗に目覚めた、あの夜も。
◇
これは、私、ジョセフィーヌ・カリオストロが怪盗令嬢として、世界を股にかける大怪盗と共に歩んだ記録。悪党たちの物語だ──
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