第16話 怪盗の夜明け

 ラザール様を退け、私たちは魔導車オートを走らせていた。襲撃の痕は凄まじく、いつ壊れてもおかしくないのではないかと、乗りながら冷や冷やしていた。しかしながら、魔導車オートは壊れることなく、街道をひた走り続けた。


 ジュゼペという領地は広い。ほとんどはろくに開拓もできていない山や森であり、馬を使っても隣の領地に抜けるのは中々に骨が折れる。夜がふけてもなお、魔導車オートは森の中にあった。


 夜空を見上げると、大きなあくびが出てしまう。必死に逃げてきた疲れがここにきて一気に襲いかかってきたようだ。

 瞼が重い。もう開けていられそうもない。私は微睡に身を委ねて、荷車に横たわった。


「んあっ……」


 魔導車オートの揺れで目を覚ます。

 既に夜は明けていた。雲ひとつない空は朝焼けで真っ赤に燃え、心地の良い風が頬を撫でる。


「ふぁあ……」


 どうしたのだろうと起き上がると、車はライヌ川に架かる大きな橋の上で停まっていた。

 御者台にアルルの姿はない。どこにいるのかと思えば、彼女は橋の欄干から身を乗り出している。


「あの、アルルさん。どうしたのです?」

「タバコを一服、な」


 アルルは見たこともない細長い管のようなものを咥え、その先から煙を燻らせていた。

 タバコはお父様がよく嗜んでいたから私も知っている。しかし、私の知るタバコはとても綺麗な箱に入った粉を、摘んで鼻から吸い込むというもの。アルルのように管を咥え、そして煙を吐き出すだなんてのは、私の知るタバコとはまるで違っている。


「珍しいかい? これは、キセルっていうんだ」

「そんなものがあるんですね」

「これはな、昔に先生から貰ったもんで、東洋からの伝来品だそうだ」


 東洋。ここから遥か東にある、古の見聞録にも記された神秘の国。私たちの世界とは人も文化も大きく違っていると聞くが、道具一つとっても確かに違うらしい。

 そういえば、生まれつき髪の黒いフミの一族は大元を辿ればそこから来ているのだと、前に聞いたことがある。そう思えば、遠い世界のことも案外身近に感じられてくるような気がした。


「しかし、その煙はまるで火事か何かのようですけど、大丈夫ですか?」

「これが美味いんだよ。特に一仕事終えて、目的地にたどり着いたときの一服は格別さ」


 目的地。アルルの言ったその言葉に、私は引っかかりを覚える。

 ここはルーデルダラフ橋。この橋を境に、カリオストロの支配が終わりを告げる。私たちがいるのは、まさにそんなところだった。

 荷車にいるジャンヌはローブに包まって、まだグッスリと眠っている。その様子はまだ道半ばという感じがして、とてもここが彼女たちの目的地だとは思えなかった。


「目的地?」

「そうだよ、ジョゼ。アンタのな」


 突然、アルルは私にヴァルサーを向けてきた。


「さぁ、降りてもらおうか」

「えっ、ちょっと……!?」

「いいから降りて」


 戸惑う私に対して、アルルは構えた銃でもって車から出ろと外を指し示す。それを拒むという選択肢は私になく、黙って魔導車オートから降りるしかなかった。


「悪いね」

「あの、いきなりどうしたんです……?」

「アンタの役割もここで終わりってことさ」


 アルルはこちらへヴァルサーを向けたまま、空いている手で私に何かを投げつけてきた。


「そいつは返すぜ」


 投げられた物を掴み取る。手の中の物を見ると、それはアルルに盗られていた翡翠石の首飾りプロビデンス・ジェイドだった。


「どうして?」

「どうしてって、アンタが私たちを領地の外に導くまで、コイツは人質として預かる。そういう約束だったろう」


 そういえばそうだ。屋敷からの逃走の動乱ですっかり忘れていたが、アルルとは元々そういう話だった。


「ジョゼは約束通り、私たちをちゃんと領外ここまで導いてくれた。だから、私も約束通り預かっていたものを返す。これでジョゼが私たちに従う理由は何もなくなった」


 アルルはヴァルサーを構えるのをやめ、その小さなマスケットを懐にしまった。


「ジョゼ。お役目、ご苦労さん。アンタはもう自由だ」

「自由……」

「ジョゼは既に籠から出てる。ここにはジョゼを縛るものはもう何もないし、ジョゼが私たちに従う理由も今なくなった」


 悪かったねと、アルル私に謝る。しかし、私は彼女に謝ってほしくなかった。

 アルルは無理矢理私を連れきたという口ぶりだが、決してそんなことはない。確かに、アルルに首飾りを人質に取られ、ここまで案内をさせられているわけだが、あの場においてそれしか選択肢がないわけではなかった。首飾りを諦めて屋根裏に留まることも、力づくで取り返さんと挑むこともできたのだ。


「どこへ行くか、何をするか、これからはジョゼが自分で決めていい」


 そんな中で、私はアルルの手を取り、自分からここまで来た。それは紛れもなく、彼女が言う“自分で決め”た結果なのだ。


 そこにアルルが謝るべき事情はない。むしろ、「盗んでください」だなんて誰かにどうしかしてもらうことしか頭になかった私に、「欲しいものは自分の手で掴み取るものだ」と新しい世界をくれたアルルには、こっちから謝らなきゃいけないくらいなのに。


「それじゃあね」


 アルルは軽く手を振って、魔導車オートに乗った。そして、車を動かそうとする。


「あっ、ちょっと!」


 これで、もう、アルルたちが行ってしまう。

 まだ、全然アルルのことを知れてないのに、もっとアルルと一緒にいたいのに。

 こんなところで終わりだなんて、そんなのは嫌だ。


「待ってください!」


 私は慌てて車の前に立ち塞がる。


「退いてくれない?」

「私はアルルに伝えたいことがあります。最後にそれだけ、聞いてほしいのです」

「ほーん、それは何だっていうのさ。さぁ、言ってごらんよ」


 アルルは興味があるというように、身を乗り出してくる。

 聞こうとしてくれるのは嬉しい。しかし、そこには少し違和感があるように思えた。まるで向こうの口車に乗せられ、決まった通路を歩かされているような、そんな感じ。しかし、今はこちらから仕掛けたのだ。そんなことがあるはずがない。気のせいに決まってる。


 息を大きく吸って、余計な考えをお腹の奥に押しやった。


「あのっ!」


 呼吸を整え、はやる鼓動を落ち着ける。

 この気持ちを伝えるために。


「私も連れていってくださいませんか?」

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