第15話 さようなら、愛しくない人よ

「距離は?」

「一時、距離五十!」

「りょーかい」


 ジャンヌは私が指示したラザール様の位置に向け、寸分狂わず雷撃を放つ。しかし、またしてもその弾道は氷の霧に逸らされる。


「まだだ」


 二発、三発と、続けざまにジャンヌは撃った。でも、ラザール様は氷の霧にしっかりと守られ、こちらの攻撃が当たることはなかった。


「そこか! 喰らえっ!!」


 弾道からその位置を逆算したのだろう。ラザール様は暗闇の中でも、こちらに向かって氷の礫を放った。その精度は先ほどまでとは比べものにならず、幌や荷車がズタズタになってゆく。

 そんな中、ジャンヌが尋ねてきた。


「ねぇ、アイツはついてきてる?」

「はい。多分、こっちの場所に気づいてるようで、どんどんこちらに迫ってます」

「よし、アホが釣れたわ」


 私の話を聞いて、ジャンヌはにやけていた。それはもう悪い笑みを浮かべながら、ラザール様を心の底から馬鹿にしていた。

 ラザール様がそんなふうに見下されるのを放っておくなんて、婚約者としてどうなんだという話ではある。でも、不思議と私の気持ちは晴れるような気がした。


「後ろ、どう!」


 御者台からアルルの確認が飛んでくる。


「まだ、なんとか大丈夫! それと、間抜けはガッチリ食い付いた!」

「流石、ジャンヌ大先生」

「あとは位置調整するだけだから、この先は何があろうともハンドルを切らないでよ!」

「仰せのままに! それじゃ、背中は預けたから」


 アルルは話すのをやめ、進行方向に向き直る。ラザール様の攻撃は激しさを増した。しかし、彼女は前だけを見つめ、振り返ろうともしなかった。

 背後からの攻撃がいつ直撃するか分からないこの状況。怖いに決まってる。絶対に後ろを確認したくなる。

 それでも、アルルが前を向いて役割を果たし続けているのは、私たちを信用しているからだ。その背中を預かった以上、私たちも全力を尽くさなければならない。それが役割を果たすということなのだから。


 ラザール様を見ると、その位置は先ほどよりも外側に大きく膨らんでいた。


「おい、あの野郎はどこにいる!」

「ラザール様は二時の方角、距離は三十五。このままだと大外から回り込まれてしまいます!」

「もう、マジめんど……。分かった、アタシがなんとかしてみせるから。アンタはブレーキのタイミングにだけ集中して」

「分かりました」


 返事を言い終わるやいなや、雷鳴が轟く。ジャンヌはラザール様のやや前方、騎馬の頭の位置をめがけて雷撃を撃つも、やはり氷の霧に阻まれ外れる。しかし、彼女は同じ箇所を狙って断続的に雷を撃ち続けた。


「これは、小癪なぁ……!!」


 すると、どうだ。外へ膨らんでいたラザール様の進路が、だんだんと車体の方へと戻ってくるではないか。ジャンヌは進路を遮るように絶え間なく撃ち続けることでラザール様にプレッシャーをかけ、その進路を変えさせたのだ。

 相手のことは見えていないはずなのに、ラザール様の鼻先に寸分違わず雷撃を放ち続ける。その正確無比な魔導マナ操作に、改めて驚いてしまう。


 それからも、ジャンヌは雷撃を撃つ場所と間隔を上手くコントロールして、ラザール様をこちらに寄せてゆく。彼はだんだんとアルルが指定した位置に近づいてゆき、もう少しで私の役目が来る。


 しかし、ラザール様もただでは転んでくださらない。彼は氷の霧で雷撃を逸らしつつ、氷の礫を数多くこちらに放ってくる。


「ううっ……!」


 ラザール様の猛攻につい声が漏れてしまう。でも、彼の攻撃に悲鳴を上げていたのは私だけではなかった。

 絶え間なく迫る氷の応酬に車体は歪み、幌は破れ、魔導車オートは崩壊寸前。そして、ついには氷の礫が荷車の支柱を貫き、幌が丸ごと外れてしまう。


「幌が!」

「構わない!」


 少なからずラザール様の氷を防いでくれていた幌がなくなり、車は完全に無防備になってしまった。

 しかし、ラザール様からは目を逸らしてはいけない。アルルとジャンヌはひたすらに役割を果たしてくれている。私も彼女たちと同じように命を賭けると決めたのだ。怖いからといって、私だけが逃げるわけにはいかない。


 氷塊の飛び交う中でも、ジャンヌの攻撃によるラザール様の誘導は続いていた。そのおかげで、向こうと魔導車オートの横軸の距離がじりじりと近づいてゆく。


「もう少し……!」


 私の声にジャンヌは反応する。ラザール様本体に向けて撃っていた彼女は狙いを変え、唐突に地面を撃ち抜いた。その衝撃で地面の砂や小石が舞い上がり、ラザール様に降りかかる。


「うわっ! このおっ!」


 ラザール様はたまらず怯み、騎馬の進路がこちらへと傾いた。


 魔導車わたしたちラザール様。これはまさに、アルルが示した通りの位置取りだ。

 私の役目はここにおいて他にない。


「今です!!」

「掴まれぇえええ!!!!」


 大声でアルルが叫ぶ。

 魔導車オートが止まる──止まろうとする。

 身体がガクンと前方に投げ出されそうになる。幸い、アルルが注意を出してくれたおかげでギリギリ荷車の縁掴むことができ、車外には投げ出されずに済んだ。


 減速した車体は相対的な速度差のおかげで、車は一気にラザール様の馬へと肉薄する。

 車内はものすごい状況だった。アルルは魔導車オートを制御するのに御者台にかぶりつき、私はあまりの勢いに起き上がることすらできない。一方で、唐突な事態に彼も彼の馬も反応できず、進路を変えず走るのみ。


 しかし、そんな状況にも関わらず、ジャンヌは確実にラザール様に狙いをつけていた。


 私たちのラザール様の距離がなくなる。ギロリ、夜闇の中にジャンヌの瞳が妖しく輝いた。


久遠ミュール・ディ・大氷壁ギアッチョ!」

「くたばれぇえ!!!!」


 すれ違いざま、雷鳴が轟く。ラザール様は瞬時に氷の盾を展開しようとした。しかし、ジャンヌの一撃が守りを砕き、ラザール様を撃ち抜く。


「馬鹿な……」


 勝負は決する。ラザール様は馬から落ち、同時にビキビキと大きな音が鳴った。

 勢いを失った魔導車オートがそのすぐ横で止まる。荷車から降りて地面を見ると、ラザール様の姿は巨大な氷の中にあった。


「これは……いったいどうしたというのでしょう?」

「馬から落ちる寸前、ラザールは自分を凍らせて落下の衝撃から身を守ったんだ。流石、宝剣『コキュートス』の使い手、本当に馬鹿げた魔導マナの量だ」


 見れば見るほど、その身体は綺麗に凍りついている。まるで、これ自体が巨大な宝石のようにも見えた。


「ま、とーぶん溶けないよ。これは」

「ということは」

「これで追いかけっこも終わりってわけね」


 もう、私たちを追う者はいない。アルルの言葉を聞いてホッと一息つけた。


 ラザール様を包む氷に手を触れてみる。とても冷たく、溶ける気配は全くない。

 彼はこちらに手を伸ばすような体勢で凍っている。しかし、その手がここにいる私に届くことはない。ようやく、私はバルザモという檻から出られたのだ。


 もう私を縛るものは何もない。あとは、私次第。何を考え、何をするか、何を選ぶか、そしてどう生きるかということすら、全て。


「さぁ、そろそろ行こうか。夜が明ける前に侯爵領ここから出る」

「りょーかい」


 アルルとジャンヌにとっては追手を退けただけで、特に感じるものもないのだろう。彼女たちはさっさと魔導車オートに乗り込んでゆく。

 私は、


 ──さよなら、ラザール様。


 心の中で彼に別れを告げて、彼女たちと一緒に車へと乗り込んだ。

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