第10話 私の持てる“技”

「申し訳ございませんでした……!」


 私は伯爵に許しを乞うた。なるべく申し訳なさそうに。泣き出す寸前かのように声を震わせ、罰されるのを恐れ心から恐怖しているかのような消え入りそうな声で。


「それはどういう風の吹き回しだ?」

「どうもこうもございません。私はなんてことをしようとしていたのだろうと、マーキス様に謝りたいのです」


 私は伯爵にそう言う。しかし、彼は変わらず私を訝しんでいた。


「何か企んでいるな」


 伯爵もどうやら危険に対して正常な嗅覚の持ち主のようだった。彼が言うように、私はまさに企みのまっ最中。目の前でいきなり態度を豹変させた相手がいれば、よほどのお人好しでない限りは何かあると思うのが普通だろう。


 だからこそ。ここでもう一押し。


「私はこの夜空を見て、マーキス様の思い描く未来の形と、それを自分の行いによって破壊しようとしてしまったことの愚かさに気がつきました。申し訳ございません……本当申し訳ございませんでした……!」


 私はこの眼に涙を湛えながら、伯爵に自分の思いの丈を伝える。彼にとって耳ざわりのよい、私は微塵も感じていないことを。


 窮地を切り抜けるため、時には相手の気分を満たすための態度や言い分が必要になる。それらは全てラザール様との生活の中で学んだことだ。


 ラザール様と出会った頃、私は他人の気持ちというものを何も理解しておらず、ラザール様の意に沿わぬことばかりしていた。そして、その度に酷い目にあっていたのだが、いつからか私にも段々と他人というものが分かってきた。

 今、この人はこういうことを望んでいる。こういうことを私にさせたい、言わせたい。そういったものを相手の言葉や態度から感じ取ったり、時にはこの眼に視えるようになって。そして、彼の望むように動けば衝突することはないし、機嫌が悪くとも最小限で切り抜けられる、その事実に気づいたのだ。

 それからというもの、ラザール様の望むように振る舞う技術を身につけたことにより、彼との生活も少し生きやすくなった。


 アルルの盗みの業に比べれば、こんなもの少しだって誇ることはできない。だけれども、これも私の“持てる全て”の一つであることに間違いなかった。


 相手の内側に少し踏み込み、そして相手が望むような体勢で寄り添う。そうすることで人によっては少し気を緩め、そこに隙が生まれる。

 これもそんな学びの一つ。これに関しては相手によって効く、効かないがハッキリしているから対象を選ぶものではある。しかし、モートン伯爵のように、何かに自信を持つような人間には割と効く。


「ふぅん。緑の目をしているが、意外と見る目があるな……いや、しかし」


 伯爵の心は側から見ても分かるほどに揺らいでいた。予想通り、効いている。とはいえ、処刑という決断がひっくり返るというところまでは至っていない。

 しかし、私としてはそれでよかった。

 別にこれで許してもらおうとは思っていない。許されなくとも、あと少しだけ時間が稼げればそれでよかった。


「でも、君は悪党だ。怪盗くん」


 少し悩んだ末、伯爵はそう結論を出す。彼は軽く手を振り上げて、周囲の白装束に私を撃ち殺す指示を出そうとした。


 しかし、それと同時に、


「伯爵様!」


 白装束のうちの誰かが叫び、


「何だ!!」


 闇が全てを包み込む。魔導列車トレインがトンネルに突入したのだ。


 待っていたのはこの瞬間。伯爵に媚びることで勝ち得た数刻が次のチャンスを呼び寄せる。


「発現、インビジブル」


 私はここぞとばかりに指輪で能力スキルを発動させた。そして身体を闇に溶かしながら起き上がり、一目散に走り出す。


「この……! 撃てぇ!!」


 伯爵も白装束たちも私の動作に気づき、伯爵の指示のもと白装束たちが魔導銃マスケットを撃ちだした。しかし、その銃弾は闇に紛れた私に対して一発たりとも当たることはない。銃弾飛び交う車輌を走り抜け、なんとかドリュアスの心臓のもとへ隠れるようにして身を寄せた。


「もういい、撃つな! 同士撃ちになる」


 車輌が全てトンネルに入り、視界は完全の効かなくなる。そんな状況を察して、伯爵は冷静に判断をくだす。


 もしこの状況で撃ち続けていたら、いずれ私に当たるかもしれない。しかし、射手が何も見えていない以上、当たるかどうかは運任せ。とすれば、私に当たるのと同じくらいの確率で、伯爵自身にも当たってしまう。それを察して、彼は賭けから降りてくれた。


 伯爵がまともな感性の人間でよかった。おかげでありがたいことに、この状況をどうにかできるかもしれないチャンスがまた繋がった。


 私はドリュアスの心臓に触れてみる。他の宝石がそうであるように、やはりこの石も表面はひんやりしていて、その冷たさが手のひらに伝わってくる。


「やるしかない」


 この何も見えぬ暗がりの中、私に残された手札は【透明化インビジブル】の能力スキルのみ。だから、この力でドリュアスの心臓を見えなくしてしまおうとそう思った。


 見た目だけでもあるべき所から宝が消えていれば、伯爵に盗まれたと誤認させることはできるはず。その混乱に乗じて、次の手を打つ。

 我ながら行き当たりばったりの極致だと思う。アルルのような計算尽くのスマートさは皆無。それでも、今の私にできることはこれしかない。だから、それを全力でやるだけ。


 この想定通りにできるかどうかは分からない。私の能力は自分自身と身につけている限定的な小物しか見えなくすることはできない。

 ドリュアスの心臓に触れ、その大きさを実感し、これほどの大物を消せるだろうかと不安になるが、今はもう考えていても仕方がない。


 琥珀は使い手を選ばない。誰の前でもその効果は等しく現れるはず。

 同じ系統の能力スキルを持つ伯爵はこの宝石を通じて、その力を車輌全体に広げていた。だから、私にできない道理はない。


 触れているその手から、ドリュアスの心臓に魔導マナを流し込む。

 これで用意は整った。あとはもう一度能力スキルを発動するのみ。


「発現、インビジブル」


 私は小声で再び能力スキルを使った。これでうまくいっていれば、ドリュアスの心臓は見えなくなったはずだ。


「たばかるか、貴様! 大切なドリュアスの心臓に何をする!!」


 伯爵は怒鳴った。私がこの石に何かしてるのを勘付かれたようだ。


「おい、お前! 貸せ!」


 そして、彼は周囲の白装束から何かを強引に受け取ったらしい。


 その刹那、車輌に銃声が響く。なんと、伯爵は白装束からふんだくった魔導銃マスケットを暗闇の中撃ってきたのである。

 伯爵は怒りに任せ、その後、何発も撃ってくる。魔導弾のいくつかが私の身体のすぐそばを掠め、その都度寿命がすり減る思いがする。


 このままではまずい。いくら姿を消していようと、狙いを全くつけずに闇雲に撃ってこられては意味がない。いずれ当たる。それは明白だった。


 どうにかしないといけない。しかし、このまま動くこともできないし、能力スキルを全開にしている今はバレッタだって使えない。


「やはり貴様は私利私欲のために魔導列車トレイン汚す罪深き悪党! 私の愛する土地や人々、夜空を不幸にする怪物め!! 絶対に許さんぞ!!!」


 伯爵が魔導銃マスケットのレバーを引く音がする。新たに弾を込めたのだ。

 起きてることを見えはしない。しかし、その銃口が私に向けられていると気配で分かってしまう。


 どうすればいい。今、透明化を解除してバレッタを構えたところで、そこから狙うようでは間に合わない。


 どうしたらいい。そう考えを巡らすと、唐突にアルルのことが思い浮かんだ。

 自分の命が尽きようとするまさにそのとき、彼女ならどうするだろうか。そういえば、アルルはラザール様との戦いのとき、片手を凍らされピンチに陥りつつも、全力で挑むことをやめなかった。持てる全てを投げ打つことをやめなかった。


 だったら、私もそうしよう。自分にできる全力を尽くすことをやめない。このまま、自分とドリュアスの心臓を消し続けようと、そう決めた。


「罪深き者よ、死に晒せ!!」


 伯爵が叫び、私は行く末を覚悟して静かに目を瞑る。

 その瞬間、


「罪深いのはアンタもだろう? マーキス・モートン!」


 トンネル内の轟音にも負けぬ大きな声が暗闇に響いた。


「何者だ!?」


 車輌はトンネルを抜け、車輌に光が戻る。謎の声に空を仰いだ車輌全員の視線の先には、雲一つない満天の星空と満月を背にして、開いた屋根の縁に立つ影。


「誰だ貴様は!」


 夜の闇よりも尚暗い黒衣に、その素顔を覆い隠す漆黒のマスカレードマスク。

 私の憧れるその姿こそ。


「怪盗アルル参上」


 正装をまとったアルルの登場に驚き、私は言葉を失う。


「何だと!?」


 そして、本物のアルルの登場に驚くのは伯爵も同じなよう。私としてもどうして彼女がここにいるのか、全く分からなかった。


「予告の時間通りに、ドリュアスの心臓は頂いた」


 アルルが言ったその言葉。

 時間通り、まさか。そう思い、私はアルルに渡された懐中時計を確認する。


 懐中時計の二つの針は空を仰いでピタリと重なっていた。時刻は午前零時──予告状に示されたアルルの盗みの時間だった。

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