第12話 怪盗からのプレゼント

「取引?」


 伯爵の唐突な提案に、アルルは首を傾げる。


「そ、その金は私にとって大切なものだ。返してくれれば、今回ドリュアスの心臓を狙ってきたこと、許してやろう」

「それで、何も盗らず帰れと」

「このままだと君はこの魔導列車トレインから生きて降りることは叶わない。それを見逃してやると言っているんだ、悪くないだろう?」


 確かに、この列車は伯爵の領域フィールド。そのうえ、武装した白装束たちと伯爵の能力スキルもある。それを突破するのは至難の業というものだ。

 だからといって、アルル相手にその交渉は意味を成すとは思えなかった。狙った獲物を逃がさない彼女はその程度のプレッシャーで揺らぐような人ではない。


 しかし、


「そうだなぁ」


 私の予想に反し、アルルは考え込んでいた。顎に手を当て、だんまり。その姿は伯爵の提案について割と本気で悩んでいるようにしか見えない。


 ──どこからどう見ても、完璧すぎるほどに。


 そんな好反応を見せるアルルを見て、伯爵はにんまりしている。きっと自分の元にあの三百万ダラスが戻ってくると、彼の中では確信に近いものがあるのだろう。


「分かった」


 諦めたようにアルルは言うと、伯爵の表情がぱっと明るくなった。


「そうそう、それでいいんだ」


 伯爵は満足げに大きく頷く。ついに彼の中で予感が確信に変わったのだ。

 そんな伯爵を見るアルルの表情は黒い仮面に覆い隠されて窺うことはできない。しかし、いくら仮面といえど、彼女から放たれる感情の気配までは隠せていなかった。


 私の眼から見れば、アルルがどんな顔をしているのかは手にとるように分かる。きっと今、彼女はとびきり悪い顔で笑っているはずだ。


「これ、欲しい?」

「そうだ、そうだ! 早くこっちに渡してくれ!」

「じゃあ、返してやろうかな」


 アルルはダラスの詰まった伯爵の鞄を宙に投げた。鞄は空高く弧を描く。そして、きっちり伯爵の元へと向かってゆく──と思われた。


「そぉれ!」


 アルルはすかさずヴァルサーを抜いて、引き金を引く。放たれた弾丸は狙いに向かって一直線に走り、外れることなく伯爵の鞄を貫いいた。


「何をする!?」

「怪盗からプレゼントさ」


 銃で撃たれて壊れた鞄はその中身を夜の荒野へ盛大にこぼしてしまう。大量のダラス紙幣が紙吹雪のように満点の星空に舞う様は一つの芸術のようで、思わず見上げたまま口を閉じることを忘れてしまっていた。


 その一方、伯爵は慌てふためく。


「私の金がぁあああ!!」


 その様は実に情けなくて、少し気分がスカッとする。


「実にいい眺めじゃないか」


 アルルは心から楽しそうにしていた。まさに狙い通り決まって、言うことなしだろう。今までのらしくない彼女の態度。それは全てこのための布石だったのだ。

 提案に従うふりをして伯爵に期待を抱かせ、それをへし折ることでより深いダメージを負わせる。なんとも容赦のない策である。


「汚い金もこうすりゃ少しは綺麗に見えるもんだろ? それに、少しはこの地方に還元・・させないとな」

「貴様ぁ……! 舐めた真似を!!」

「舐めてるのはそっちの方だ。命は助けてやるから、何も盗らず帰れだぁ? 冗談じゃない。私は盗みに命を張ってるんだ! 生きるか死ぬかを天秤にかければ止まるだろう、なんてタカを括ってくれるなよ」


 アルルは伯爵にヴァルサーを向けた。


「狙ったからには必ず手に入れる、それが怪盗アルルの流儀だ」

「許さん、許さんぞ!!」


 伯爵の声呼応するように、白装束たちがアルルに魔導銃マスケットの銃口を向ける。


「誰が貴様なんぞにドリュアスの心臓を渡すものか!!」


 伯爵は顔を真っ赤にして怒り狂う。そんな伯爵を見て、アルルは不敵に笑った。


「面白いな」

「気でも触れたか? この状況でどうしたら笑えるというのかね」

「目の前のことに囚われている人間はこうも大事なことを見落とすものかと思って」

「見落としだと?」

「ああ、そうさ。とびきり大事なことを」

「そんなに言うなら、是非とも教えてもらいたいものだな」


 伯爵は何が来ても構わないというように、大きく杖を突いてどっしり構えていた。そしてアルルもまた、落ち着き払って余裕に構えた背中を夜月に晒して佇んでいる。


「ドリュアスの心臓は」


 アルルは告げた。


「もう頂いている」

「何……!?」


 伯爵は驚き息を呑む。しかし、それも束の間、彼はすぐさま立ち直った。


「ハッタリだ。貴様は私を揺さぶり、その隙を見て逃げるつもりだろうがそうはいかない」

「そんなに疑うなら自分の目で見てみればいい。真実はそこにあるんだから」


 アルルに促され、渋々ながら伯爵が振り返る。そんな折に、私の耳飾りが鳴った。


『ジョゼ、あなたの見せ場だよ。もうちょっと頑張ってね』


 ──どういう風の吹き回しで。それに見せ場とは。


 カラン、と音がする。見れば、伯爵が杖を手放して、腰を抜かしているではないか。


「なっ、ななな……!?」


 伯爵の顔は青ざめていた。まるで、起こり得ないことを目の当たりにしたかのように。


「ドリュアスの心臓がない!!!」

「だから言ったろ、お宝は既に頂いたってな」


 アルルは堂々と嘘をつく。ドリュアスの心臓は私の力で見えていないだけで、まだここにある。決して盗んでなんかいない。

 しかし、


「なぜだ……? 貴様はずっとそこにいて、そんな素振りは一瞬たりとも見せなかったというのに!」


 伯爵はその嘘を信じ込んでいた。

 彼は私と同系統の能力スキルを使う。少し冷静になればこの程度の仕掛けは見破られてしまうだろう。しかし、アルルはパズルのピースを埋めるように状況を少しずつ組み上げ、それに合わせて言葉を巧みに操り、終いには伯爵を欺いた。


 なんと緻密に組まれた作戦だろうか。そしてそれはアルルが私たちの前に姿を見せたとき──私にドリュアスの心臓を消し続けろと指示を出したとき瞬間にはもう始まっていたのだ。だとすれば、彼女は伯爵に対して名乗りを上げた瞬間にこの車輌の全てを把握し、この結末を描いていたということになる。

 あのとき、私がドリュアスの心臓を見えなくしたのは単なる思いつきの産物でしかない。しかし、それすら利用してみせるだなんて。なんて洞察力と判断力だ。


「金に目が釘付けになってるあんたから盗むのは何てことなかったさ」

「あのときか……!」


 伯爵はありもしないことに納得し、自分の中で勝手に折り合いをつけている。今やもう彼はアルルが作り出した虚構の中に閉じ込められていた。そして、その雰囲気は周囲に伝播し、白装束たちもアルルの筋書きに嵌っていっている。


「さぁ、そろそろずらかるとしよう。最後尾の貨物車で待ってるドリュアスの心臓とランデブーとしゃれ込もうじゃないか」


 アルルはやたらと芝居がかった言い回しをすると、身を翻して屋根を駆け出した。


「ま、待て! 奴を逃すな!!」


 憔悴気味の伯爵が一声上げると、白装束たちはアルルに向かって一斉に魔導銃マスケットを撃つ。しかし、その弾は彼女に当たることはなかった。


 アルルは走り続ける。そして、ありもしないお宝を目指して、後ろの車輌へと飛び移ってゆくのだった。

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