『この夜を超えて』 イルムガルト・コイン
『この夜を超えて』
イルムガルト・コイン 田丸理砂 訳
一九三六年三月、総統の来訪に沸くフランクフルトの街角で、十九歳のザナは兄嫁のリスカが開くパーティーの準備に追われている。ザナの兄アルギンは小説家だが今ではナチが気に入るような文章しか書くことが許されず、リスカとの関係も冷え切っている。アルギンは自分たちの友人である菜食主義者のベティに心を奪われ、リスカは反ナチ主義により仕事を干された新聞記者ハイニィにのぼせ上っている。ザナの友人のゲルティは裕福な青年ディーターと愛し合っているが、息子を溺愛するディーターの母親に交際を反対されている。その上、人種法が成立されユダヤ人の立ち入りが禁じられた店が増えつつある中、ユダヤ系の父を持ち第三階級に属する彼とのデートもままならず、深く悩んでいる。総統の演説や立ち振る舞いに興奮状態に陥る街の様子と、ナチの台頭による不自由さの影響を受けている周囲の人々の悩みや苦しみを見つめるザナは、ケルンにいる従兄で恋人のフランツを思う。実の母親から疎まれ搾取されて育ったフランツは、風采は上がらないが心の優しい青年で、親友と一緒に開く商店の準備に邁進していた。
夜が更け、アルギンの家ではリスカの開くパーティーが始まる。体制に迎合する作家、反ナチのジャーナリスト、ユダヤ人の医者、恋と夢に溺れる兄嫁、新旧の階級に隔てられた若い恋人たち……、様々な人々が入り混じるパーティーは混乱を深める。そして、ケルンにいるはずのフランツまでもがアルギンの家を訪れ、ザナに自分の手で罪を犯したことを打ち明ける──。
ワイマール共和国時代に活躍した作家、イルムガルト・コインの小説。
解説によると、作者は既に一九三六年五月にはオランダに亡命し、同年十月にはパリの新聞で連載が始まったらしい。ヒトラーのフランクフルト来訪から、小説内の出来事は一九三六年三月十六~十七日にかけておきていることが確定しているとのことであり、ナチス台頭時期のドイツの様子がリアルタイムで書かれた小説といえる。
街にはワイマール時代の享楽的な雰囲気が残っていて、若い女の子たちは日中は働いてから夜の街に繰り出し、恋人との逢瀬を重ねる。本が焼かれ、小説家は自由に活動できなくなり、ナチスの政策に意を唱える人々の口がふさがれる。熱狂的にナチスを支持する人々もいる中、胡散臭い目で見る人々も少なく無い。ニュルンベルク法が制定され、ドイツ以外の国に亡命するユダヤ人もいれば、まだ事態を楽観視しているユダヤ人もいる──という、一気に暗転する時代の一場面が切り取られている。
ナチスがそれから何をするのか、ユダヤ人たちの多くが亡命したオランダも含めてヨーロッパはどうなるのか、不安を抱えつつもザナたちが遊んでいたドイツはその後どんな運命をたどるのかといったことを二〇二三年現在にいる読者は当然知っているわけで、読んでいるとどうしても暗澹としてしまう。「オランダに亡命したとて……」となる。本作に限らず、ワイマール時代を扱った本を読むとそうなる。
景気が悪化して世間に吹く風がなんだかキナ臭くなっても、田舎の女の子が都会に出て働いて洋服を買ったり居酒屋でお酒を飲んで遊んだり、そんなことも可能だった時代だったという知識が増えつつあると、無意識にここ最近の本邦の様子と比べずにはいられず、寒気を禁じ得ないのだった。登場人物たちの身に起きる様々なエピソードや人間模様が、多少誇張されているとはいえ現代でもありふれていそうなだけ、「昔、遠い国で起きた出来事」では放っておいてくれない質感が身に迫る。
とまあ、しんみりしながら読んだ一冊となったけれど、グチャグチャな恋愛模様の様子は正直楽しいし、「こんなことで!?」と驚くようなノリで一晩のうちに何人もの人が死んでしまうことに度肝をぬかれる等、決して陰気になってしまうだけの小説ではなかった。ごくありふれた若い娘さんの一人称小説はそれだけでやっぱり楽しい。
さっそく作者の他の小説も読んでみたくなったけど、邦訳自体が少なく、その本も現在手に入りづらい状況らしい。できれば他の小説も訳してもらいたい。
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