『女の子たちと公的機関  ロシアのフェミニストが目覚めるとき』  ダリア・セレンコ

『女の子たちと公的機関  ロシアのフェミニストが目覚めるとき』

 ダリア・セレンコ  高柳聡子 訳


 プーチン政権下のロシアの図書館で、あるいは美術館やその他の公的機関で、非正規雇用の「女の子」たちは働いている。女の子たちは机の下を線で結ばれ、女の子自身も自分とは別の女の子の名前を知らない。雑用を押し付けられ、助成金のためだけに行われるイベントの準備や上からの命令で本来やるはずだったイベントの後始末に追われ、誰かによる使い込みが露見すれ身に覚えがなくても責任を取らされ、職場に華を添えるために出たくもない美人コンテストに出て笑う。そんな女の子など女性たちを労うため三月八日の国際女性デーがあるが、なぜかそのパーティー会場を準備し片付けるのも女の子達である。労働組合の事務所で働いているのも女の子たちなのに組合のメンバーに女性は少ない。

 安上がりな労働者として使い捨てられている女の子たちだったが、そのうちに気づき始める。この国は私たちがいなければ立ち行かなくなるのでは?

 そうして気づいた女の子の一人が職場をやめる。そうして子を取り戻したい女の子が他の女の子たちに送るメッセージを散文詩の形で書いた小説。

 ロシアで実際に非正規雇用で働いていた作者の経験が元になっているとのこと。作者は現在フェミニストとしての言動や反戦活動が原因でロシアから出国し、ジョージアで暮らしているそうだ。


 非正規雇用の女性をめぐる小説は国内外でたくさん書かれているように思うが、どこの国も概ね一緒なんだな、と改めてうんざりする。先の国際女性デーの他、五月九日の戦勝記念日のこと等ロシア特有の行事や習慣も垣間見れるけど、嫌になるくらいやってることは同じである。

 本作にはロシアによるウクライナ侵攻直前の様子を語った小説という側面もある。ある日突然プーチンの写真を職場に貼らなければいけなくなるし、「不都合な写真」をSNSにあげていないか、あげていれば削除するようにといったお達しがくる。そんな風にじわじわと自由が失われていく様子が現在進行形で語られている。その様子が大変不気味だった。


 個人として発言することが国から疎まれている作者がロシアから出ざるを得なかった所と、職場から出て「女の子」であることを止めた語り手の姿を重ねてみることができる。だとしたら「女の子」が「女の子」でいてくれないと困るのは誰なのか、「女の子」がいる世の中で一番得をするのは誰なのか? なんてことを考えずにはいられないのだった。


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