『熱帯』 森見登美彦

『熱帯』 森見登美彦


 作家の森見登美彦は『千一夜物語』を読み返しながら、学生時代に古本屋で購入したとある本に思いを馳せていた。「不可視の群島」や「海上を走る列車」が現れる不思議な世界を舞台に繰り広げられる小説が書かれたその本のタイトルは『熱帯』で著者は佐山尚一という人物である。『熱帯』はある日森見が暮らしていた下宿から消え去り、以来いくら古本屋を探しても『熱帯』とは二度と巡り合うことはなかった。

 不思議な印象を残した『熱帯』を求めて東京を訪れた森見は、ある場所で『熱帯』を読んでいた人物に出会う。その人物は自分が『熱帯』を手に入れた経緯や『熱帯』という本が持つ性質をを語り始める。どうやら『熱帯』を最後まで読み終えた者はおらず、『熱帯』を読んだ者たちが自分たちが読んだ『熱帯』の記憶を語り、再構築しようと考える者たちの集まりもあり、本物の『熱帯』を手に入れようと企む者たちもいるという。『熱帯』と関わりあった者たちは東京や京都に満州、そして『熱帯』に書かれた世界で様々な冒険を繰り広げていたのだった。


 久しぶりに読むモリミーの小説。

 序盤、そして作中にも何度も登場する『千一夜物語』は、シェヘラザードが語る物語の登場人物がその中でも別の物語を語り、さらにその物語の中に登場人物もまた別の物語を語り、当然のようにその登場人物も物語を語り……という風に延々に物語が続いていくという途方もない本であるらしい。

 そうしてこの『熱帯』も、ある人物が物語を語り始めると、その物語の中に出てくる登場人物が物語を語りだし、そしてその中でも登場人物が物語を……という風にストーリーが続いていく。そうして現在や過去の東京や京都に満州、本の中の世界までを自由にさまよって、『熱帯』という本にまつわる思わぬ体験をすることになる。

 あちこちを巡るので読んでるとくらくらしてくるが、その幻惑感を愉しむのがこの小説の醍醐味だろう。

 冬の京都に現れる屋台の古本屋や骨董屋、熱帯の海に浮かんでは消える島や海賊たち、海の上に浮かぶ商店街など、この著者らしい視覚に訴えかけるような光景も次々に現れて飽きさせない。コミカルさと玄妙さを使い分けるテクニックも相変わらず巧だし、この人はやっぱり面白いものをお書きになるなあ、あざといくらいに……とシンプルに感じ入って読み終えたのだった。小説を読む楽しさが詰まっていた。

 第六回高校生直木賞を受賞したらしいが、十代がこの小説を楽しんで読んでいるなら、未来はまあまあ明るいんじゃないかと思わされた。

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