日本語で書かれた小説(純文学、一般文芸、SFその他)
『一心同体だった』 山内マリコ
『一心同体だった』 山内マリコ
一九八〇年に生まれた女子たちが四十歳を迎えた二〇二〇年、人生の一時期だけ親密に過ごしそして別れた女友だちに関する物語をロンド形式で語った連作短編集。
一九九〇年に十歳を迎えた親友のAは新しい女友だちの出現で親友Bへの態度がおざなりになり、一九九四年に十四歳になったBはふとしたことから美人のCと知り合って急速に仲良くなる。一九九八年に十八歳になったCは仲間内で唯一東京へ進学したDへ手紙を書き、二〇〇〇年に男子学生がのさばる映画サークルで燻っているDは初めて自分と価値観の通じるEと出会い、二〇〇五年に二十五歳になったEはmixiでつながっているだけの人の結婚式に出席した際にそれまでの人生で接したことの無かったタイプの女子であるFと意気投合する……といった構成で、コロナ禍で真っ盛りに四十歳を迎える二〇二〇年までが語られている。
構成の段階でかなり凝っているし、各章が作文風、日記風、手紙風、シナリオ風、SNS風、と様々な様式が凝らされているのも読んでいて単純に楽しい。その時々の文化風俗が織り交ぜられているのも懐かしい。
『ここは退屈迎えに来て』で作者の小説に入ったからか、何者かになりたかったのに何にもなれなかった女子たちの二十歳から三十歳までが描かれた、二〇〇〇年から二〇一〇年までの章が非常に刺さった。映画監督を夢見ていた女子が価値観の似ているサブカル女子とルームシェアしたり、その部屋に残されたサブカル女子はエビちゃんみたいな女子と共同生活を始めたりするまでのストーリーラインが特に心に染みた。
そういえば私は、大学生からアラサーくらいの女子による共同生活モノ(それはそれで嫌いじゃないが恋愛や性愛を介した同棲百合とはちょっと違う)を昔から今に至るまで非常に好む者であり、その種のフィクションに接すると「この二人のこの生活が永遠に続いてくれ」と願わずにはいられない奴だった。その嗜好ゆえにこの年代の物語がハマったのだろうな、「この関係は永遠には続かない」と明示されているだけに。
反対に三十歳から四十歳までの彼女たちは、生活環境などが大きく違うせいで「この人達とは絶対に友達になれない」と距離感を抱いてしまった。でも、それもここに描かれている女友達の物語らしくて悪く無いな、と本作を読んでしばらくたった今では思う。
人生のほんの一瞬だけを濃密に過ごしたけれど、ライフステージの変化などにより別れた後は連絡もしない。現状、女性と女性の関係はそういうものに陥りやすい。そのため「女性同士に真の友情はない」などと未だに言われ勝ちである。本作は、ありふれた女性たちの人生の断面を重ねることで、女性同士の永続的な友情を阻んでいるものは何か、それで得をしているのは何者なのかを暴いている小説でもある。
と同時に「その時だけの友情は価値のないものか」と反論している小説でもある。好きになったり嫌いになったり、別れたあとで懐かしく思い出したり、それも友情の一形態であろう。
本作に書かれている女性たちは、わかりやすく連帯はしていない。仲良しを装いながら心の中では相手の嫌な面にうんざりしている様子なども余さず語っていたりする。男性主導の世の中に反抗心を抱きながら、モテや男ウケといった価値観を内面化してしまっている者が殆どだ。
ノスタルジックな結晶の中に友情を保存している小説でもないし、美しく理想的な連帯を描いている小説でもない。それでいて、シスターフッドに願いや希望を託した力強い小説だった。
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