『緑の天幕』 リュドミラ・ウリツカヤ 前田和泉 訳
『緑の天幕』
リュドミラ・ウリツカヤ 前田和泉 訳
陽気で如才のないイリヤ、繊細で詩人の心を持つ貧しいユダヤ人のミーハ、裕福で教養豊かな祖母に育てられピアニストを目指すサーニャ。二十世紀後半のソ連に生きる三人の少年たちは仲良くなり親友となる。三人は文学好きの教師に強く影響され、中でもイリヤは大人になると地下出版に携わり、ミーハも盲学校の教師を務める傍らで詩作を続ける。サーニャも国外で活動する芸術家となる。
三人の幼馴染の人生に、正義感が強くて女子たちの中心的人物だったオーリャ、貧しい家庭に育ち苦学の末に役人の妻になるガーリャ、オーリャの親友でユダヤ人のタマーラの三人の少女の人生、そしてそれぞれの家族や関係者のエピソードを重ねながら、一九五三年のスターリンの死から一九九一年のソ連崩壊までの社会を語る長編小説。
ソ連にはサミズダートと呼ばれる地下出版物の歴史があったらしい。それを知ったのはラーラ・プレスコットの『あの本は読まれているか』からなのだけれど、あの小説では語り切れなかった地下出版の歴史が生き生きと語られる。何しろ主要人物のイリヤと後にそのパートナーになるオーリャがサミズダート組織の中核を担っていたので、あの手この手でソ連政府が禁じていた文学作品や記事を流通させていた人々の歴史や、それを取り締まる側の攻防が描かれている。そこが本作の読みどころの一つであろう。
でもなんといっても自由の無かったソビエト社会でそれぞれの人生を生きてきた人々のドラマの一つ一つが面白いのだ。特にイリヤは、活動に邁進するのはいいけれど家庭をあまり顧みず私生活がいい加減なせいで「お前は本当にそういう所だぞ!」的な感情を催させる力が強く、印象が強い。生来の心の美しさゆえに困った人達(特に妻のアリョーナの繊細チンピラみたいなキャラクターがいい)にたかられやすいミーハの生き方の下手さ具合も、痛ましさとともに思い出される。心清き人が生きていけない世の中のクソ具合よ……。あと、本作を読んでミーハは自分みたいだと思う人はきっと信じてはいけない人だ、お前なんか単なる厚かましい人だからな! と存在するかしないか判らない人に対して言っておく。三人の仲では一番長生きするサーニャのクィアっぽいキャラクターもよかった。
読み進めるごとに浮かび上がる、オーリャ、ガーリャ、タマーラ、三人の女子の物語もいい。女子たちの中心的人物だったが若くしてイリヤとの間に子供を作って様々な苦労を背負い込んで苦難に見舞われるオーリャ。貧しさや引っ込み思案な性格への憐れみからオーリャに目をかけられていたガーリャ。オーリャの親友を自負するが故にガーリャのことが昔からいけ好かなかった頭のいいタマーラ。女子と女子の関係が好きな人は、この三者の関係を味わってもらいたさがある。そしてウリツカヤの他の小説も手に取ってほしい。『それぞれの少女時代』がいいですよ。
分厚さに怯みそうになるかもしれないが、一旦読み始めるととまらなくなり、一人は忘れられない登場上人物がでてくるので是非読んでもらいたい。
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