エッセイ、ノンフィクション
『優しい地獄』 イリナ・グリゴレ
『優しい地獄』 イリナ・グリゴレ
ルーマニア出身、弘前在住の人類学者による日本語のエッセイ。
まだ社会主義社会で子供時代をすごし、チャウシェスク政権が倒されて資本主義化してゆく中、一介の労働者の子として育ち、映画監督を目指して大学に進んでヒッピーのような女の子になり、子供の時にたまたま読んだ『雪国』を通して興味をもった日本で研究者として生きる現在のことが題材になっている。
タイトルは著者の娘さんが口にした「優しい地獄もある」という言葉に由来するものだそうだ。
昔ながらの生活を維持していた祖父母のいる農村や、現在拠点にしている東北の自然や何気ない暮らしの描写が美しく、楽しく、どこまでも読んでいたくなる。が、根が下世話なので社会主義から資本主義へと転換していったルーマニアの様子にも、単なる好奇心が大いに掻き立てられたのだった。ルーマニアではクリスマスシーズンにチャウシェスク夫妻の処刑のシーンが放送されているとは……。
著者が祖父母のもとで幼少期をすごしていたのは、両親がふたりとも街の工場で働く労働者で小さな子供の面倒をみる余裕がなかったからだったとのこと。両親とともに暮らすようになれば、疲れ果てた両親の言い争いや、酒におぼれるしかない父親の家庭内暴力に怯える日々のこと。規格にそって作られた集合住宅と工場があり、ゴミ捨て場や住む家の無い人々がいるくすんだ街の様子と、昔ながらの生活を営む祖父母がいる豊かな農村の記憶の対比が鮮やかで印象的だったが、著者の懐かしむ農村もチェルノブイリの事故による影響を被った地域であったと語られる。
大人になった著者は大病を何度も患ったそうで、その体験と村で育った体験との因果を語られている。その辺は若干スピリチュアルがかったものを感じないわけではなかったけれど、そこにも特有の味があった。
もともとは映画監督を目指して必死に勉強して大学に進んだのに、国立映画大学の受験会場にいたのは国から「芸術家」として認められた親の子弟あいてに形だけの試験をするだけで、田舎出身の受験者は自分だけだった。映画を見る機会に恵まれず、本で知識を補った自分には、魅せられた映像について問われる試験の内容もさっぱりわからなかった……というエピソードが切なくて印象に残っている。生まれた場所や親の階級で物事のあらかたが決まってしまうことに、主義も主張も関係ないんだな……と(「親ガチャ」という言葉や概念は好きではありませんが)。
大学時代、ある男性の映画関係者と知り合ってアシスタントとして活動するようになるけれど、それは単に彼にとっては若くてユニークな女の子にちょっかいをかけだけにすぎなかった……と語る場面も、「田舎から夢を抱いて都会に出てきた女の子あるある」過ぎて、これもまた切なかった。言い換えれば「普遍性がある」ということかもしれない。
また本を出されることがあればぜひとも読んでみたい。
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