『ついでにジェントルメン』 柚木麻子

『ついでにジェントルメン』 柚木麻子


 編集者にダメ出しされ続けた後で文藝春秋のサロンにある菊池寛の像に声をかけられる新人作家の女性、馴染みのリゾートホテルを訪れたもののそこがファミリー向けにリニューアルしていたのを目の当たりにして愕然とする不倫小説の大家、女性専用車両に乗り込んだらなぜか異世界にトリップしていた中年男性、他人から粗雑に扱われないために美容整形を決意し訪れたクリニックで一生を変える出会いを経験する十九歳女性……等、クソのごとき現代社会を舞台に現実にありそうでなさそうで、でもこういうことがあったらちょっと楽しいかもなと思わせる出来事を語った短編小説集。



 本作を読んでいた二〇二三年の秋から冬にかけて、私はは非常に気が滅入っていた。実生活がままならないことに加えて、書くのも読むのも楽しめず、とにかくうんざりしていた。あらゆることが億劫だったのだ(だから去年読んだ本の感想を今になって書く羽目になっている)(これを書いているのは二〇二四年の十月後半である)。

 そんな時期だったので、第一話目、深刻な話が書けなくて新人作家が文藝春秋のサロンで陽気でパリピで面白いことや新しいものが好きな菊池寛と出会う、「Come Come Kan!!」がとにかく心に沁みた。大した苦労もなく育ち、なんとなく新人賞を獲ってデビューしたことに作家としてコンプレックスを抱えていた主人公に「じゃあ苦労しない主人公が出てくる面白い話を書けばいいじゃん!」「苦労した分いい小説が書けるって発想、僕キライだな」みたいなことをノリよく言ってくれる菊池寛。イタズラ好きで新人作家を翻弄する、オタク向けフィクションに出てくるギャルキャラのごとき菊池寛。その様が楽しく、いっちょ前に書くことに行き詰って凝り固まっていた、私の心をほぐしてくれたのだった。ありがとう、菊池寛と柚木先生。でもまだ調子をとりもどせてないけど。


 菊池寛が登場する話で始まり、もう一度、菊池寛が登場する「アパート一階はカフェー」で締められるのが、文藝春秋から出ている本らしくてなかなか憎い構成になっている。こちらは昭和初期を舞台に、同潤会アパートのそばにある独身女性たちのために開いた喫茶店の女性オーナーが主役を務める物語。菊池寛筆頭に著名人も登場するけれど、その中に石井桃子がいるのが嬉しかった。


 その他の収録作だと、ちょいワル親父が女性の部下や飲み屋の女の子を連れて行くタイプのスカした高級寿司屋に、断乳明けの母親が子連れで入ってきて自分の食べたいものや飲みたい酒を思う存分注文し、場の空気を引っ掻き回すという「エルゴと不倫鮨」が痛快でよかった。「世にも奇妙な物語」の中で一本はある笑える話枠で実写化されると映えそうである。

 生きづらさから整形を思い立った十九歳女性が、訪れたクリニックの待合室で何気なく手に取った少女小説がきっかけで人生を変えていく「あしみじおじさん」も、少女小説に信頼を信頼している作者らしい一編で好きだった。作中に出てくる少女小説のシリーズが実在したら買いそろえたい。


 現代社会のどうしようもなさを批判しながら、笑えて楽しい、心が軽くなった一冊だった。

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