3.二人の距離を、ほんの少しだけ

 場所は俺の部屋。

 時刻は夜の十一時を過ぎたところ。


「ハルくん、いっけないんだー」


 今日も俺のベッドで寝ている優愛が言った。


「女の子を部屋に連れ込んでるのに、他の子とデートの約束するなんて最低」

「連れ込んでない。むしろ入り込まれてる」


 輝夜との通話を終えた直後。

 俺は床に座ったまま溜息と共に返事をした。

 

 優愛は不眠症に悩まされていた。

 しかし俺の部屋で眠った日にはスッキリと眠れたらしい。


 しばらくハルくんの部屋で寝たい。

 俺は優愛の頼みを断れず、今に至る。

 

「輝夜ちゃん、意外と元気系だったね」


 優愛が少し眠そうな声で言った。


「かわいいだろ」

「あはは、ハルくんそればっかり」


 一方で、新幹線で眠れた俺は少し余裕がある。

 このまま深夜まで会話を続けることもできそうだが……


「そろそろ寝よう。疲れてるだろ」

「えー、もっと話そうよ」


 俺は軽く苦笑いをした。

 最近、優愛が妙に甘えてくる。


(……多分、色々と不安なんだろうな)


 優愛は「眠れた」という表現をした。

 つまり、これまでは眠れなかったのだろう。


 なぜ?

 ……理由なんて、考えるまでもない。


 どれほどの苦痛なのだろう。

 俺には想像することしかできない。それがとても、もどかしい。


 だから、せめて、できることをやる。

 寝る前に俺が……気心の知れた相手が傍に居ることで安心できるなら、いくらでも付き合うと決めた。


(……だけどこれ、浮気って言われたら否定できないよな)


 俺が逆の立場だったら、とても嫌だ。

 でも今さら優愛を見捨てられるわけもなくて……


(……我ながら、最低だな)


 この事実は隠すしかない。

 本当に今さらだけど、優愛が事件を秘密にした理由が少しだけ分かった。


(……だからこそ、話すべきか)


 しかし、それ以上に俺は知っている。

 大切な人に隠し事をされるのは、キツい。


「ハルくん」

「なんだ?」


 思考を中断して返事をした。


「肩こっちゃった」

「急にどうした」


 人が動く音。


「マッサージして」


 ……こいつ、ほんと。


「早く~」

「……最近ちょっと甘え過ぎじゃないか?」

「だって、最近ハルくん優しいから」

「限度がある」

「ウソ噓、冗談。怒らないでよ」


 楽しそうだなマジで。

 ……まぁ、それ自体は悪いことじゃないけどさ。


「浮気になっちゃうもんね」


 冗談なのか本気なのか分からない口調。

 俺は返事に困って、そのまま口を閉じた。


 むず痒い静寂。

 ぼんやり天井を見上げていると、優愛がぽつりと言った。


「輝夜ちゃん、面白いよね」

「……そうだな」


 とりあえず相槌を打つ。

 優愛は直ぐに言葉を続けた。


「純粋で、真っ直ぐで、すっごく綺麗な感じ」

「優愛、あのな」

「私とは正反対だね」


 言葉を遮ったのに、その上から声を被せられた。


「何度も言ってるだろ」


 俺は努めて冷静に言う。


「優愛は、汚くなんかない」

「違うよ」


 今夜の優愛は少しおかしい。

 ここ数日、こんなに自虐的になることはなかった。


 ──肩を摑まれた。

 突然のことに驚いて、思わず身を硬直させる。


 息を吸う音がした。


「……私が今、なに考えてるか分かる?」


 彼女は俺の耳元で囁くようにして言う。


「ハルくんに、浮気させたいと思ってる」


 俺は咄嗟に彼女から離れ、振り向いた。

 その刹那、脳裏に浮かぶ。きっとこれはイタズラだ。俺をからかっているだけだ。


 しかし──

 優愛の顔を一目見て、本気だと分かった。


「ハルくんが好き」


 言葉が出ない。


「ずっとずっと、好き」


 違うだろ。今じゃないだろ。

 なんで、こんな何も無い日に……。


「ハルくんと輝夜ちゃんを見てたら、変になりそうだった」

「いや、いやいやいや」


 どうにか声を出す。


「仲良く、してただろ。優愛も、輝夜と……」

「それはハルくんの前だから」


 笑顔は無い。


「ハルくんが、仲良くして欲しそうだったから」


 薄暗い部屋の中、その真っ直ぐな視線が俺に突き刺さる。


「ごめん」


 上手く頭が回らない。

 それでも必死に言葉を絞り出す。


「優愛が、何を考えてるのか、分からない」

「言ったじゃん。私はもう綺麗じゃないって」


 優愛は俺を見つめながらベッドから降りた。


「本当は、諦めようとしたんだよ」


 そのまま四つ這いになってにじり寄ってくる。


「私はハルくんを裏切ったから。ハルくんの隣には、輝夜ちゃんが居るから。とても綺麗で、お似合いに見えたから」


 彼女が近寄った分だけ俺は後ろに下がった。

 だけど部屋は広くない。直ぐに壁にぶつかって、逃げ場を失った。


「でも、ごめんね。やっぱりダメだった」


 息を吐けば届くような距離。

 優愛は俺の目を真っ直ぐに見て言う。


「ハルくんのせいだよ。こんなに優しくされたら、我慢できないよ」


 困ったような笑顔。

 ギュッと胸を締め付けられるような痛み。


「落ち着けよ」


 全て抑え込んで優愛の肩を摑む。

 それからグッと手を伸ばし、彼女を遠ざけた。


 優愛が泣きそうな目をする。

 俺は目線を下げ、それを見ないようにした。


「私の肩、どうだった?」


 優愛が俺の手首を摑んで言った。


「柔らかいでしょ」


 優愛が身体を動かした。

 

「こっちは、もっと柔らかいよ」


 俺は彼女の意図を察して強く手を引いた。

 そのまま素早く立ち上がって、優愛を見下ろす。

 

(……なんで、そんな目で)


 優愛は、未だに混乱が解けない俺を真っ直ぐに見つめたまま言う。

 

「忘れないで。私はハルくんが好き」


 俺は唇を嚙む。

 優愛は儚げな微笑を浮かべて続けた。


「輝夜ちゃんから奪い取ってでも、ハルくんの一番になりたい」

「それでっ」


 咄嗟に声を出す。

 思ったよりも大きな声が出たことに驚いて、俺は長い息を吐いた。


 それから必死に呼吸を整えて、どうにか落ち着いた声で言う。


「こんなことして、俺に嫌われるとか、思わなかったか?」

「思わないよ」


 優愛は笑みを崩さない。


「ハルくんは、私を嫌いになれない」


 ……。


「ほらね。図星だ」


 俺は彼女に背を向けてドアノブを摑んだ。


「言ったよ。私はもう綺麗じゃないって」


 そのまま部屋から出ようとする。

 彼女は俺の背中に向かって、まるで呪いをかけるみたいに言った。


「大好きだよ。ハルくん。私が一番、ハルくんのことを好き」


 俺は立ち止まる。


「……少し、頭冷やせ」


 それから下手な捨て台詞を残して、部屋を出た。

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