2.坂下輝夜の純粋な観光

 編集部に到着したのは午前十時頃。

 取材は昼休みを挟んで午後二時まで続いた。


 編集部の方々にお礼を言ってビルを出る。

 これで社会科見学は終了。あとは発表用の資料とプレゼンの用意をするだけ。


 だから寄り道せず即帰宅。

 ──ということにはならない。

 

 何故なら俺達には引率の先生など居ない。

 帰宅時間は定められているものの、逆に言えば、それさえ守れば良い。


 要するに、ここからは自由時間。

 先程は本という輝夜に最も有効な武器があるから平和に終わったが、今度は違う。


 俺は再び緊張した。


 グループワークの最中、最も白熱した議題は自由時間の行き先である。 

 輝夜は江戸城跡、優愛はスカイツリーを強く希望したことで意見が割れたのだ。


「お城なら地元にもあるじゃん!」


 と主張する優愛。


「高いところは苦手だから嫌です!」


 と譲らない輝夜。


「ハルくんはどっち!?」

「春樹さんも江戸城跡が良いですよね!?」


 正直どっちでも良い。

 しかし、どちらかを選べば確実に揉める。


「時間的に、両方に行けるんじゃないか?」


 なぜか細い目で睨まれたが、最終的には俺の提案が採用された。

 しかし二人が納得していないことは態度を見れば分かる。それはもう、新幹線の中でも軽い口論が勃発したほどだ。


 ……大丈夫、だよな?



 *  江戸城跡  *



 江戸城は東京から徒歩で行ける距離にある。

 高層ビルに囲まれた綺麗な街並みを歩くと、途中でガラッと景色が変わる。


「おぉ~」


 三人揃って同じリアクションをした。

 それが妙におかしくて、互いの顔を見た後でクスッと笑う。


 俺はその景色を見て素直に感動した。

 事前に写真で確認していたが、やはり実物は違う。


 高層ビルの中に突如として江戸時代の施設が現れたかのような空間。先程までは空を見上げてもビルばかりだったのに、この空間の上にだけは広々とした青空がある。


 綺麗な川……いや、池の先にあるのは城壁だろうか? 全体的に、現代とは違った嗜好で作られているのだと感じる。趣深い。


「春樹さん! 写真! 写真お願いします!」


 俺は輝夜からスマホを受け取った。

 ロックは解除されており、カメラが起動している。


 彼女はスタスタ池の前まで走ると、そこでピースした。


 俺は直ぐにスマホを構えてパシャリ。

 風になびく髪黒髪が幻想的で、我ながら良い写真が撮れた。


「優愛も一緒に撮ったらどうだ?」

「いや、私は良いよ。むしろハルくんが撮ったら」


 俺と優愛が譲り合いとしていると、


「撮りましょうか?」


 たまたま近くを通ったお兄さんが提案してくれた。

 優愛とアイコンタクトをして、お兄さんにスマホを渡す。それから輝夜と三人で池の前に並び、何枚か写真を撮って貰った。


 写真は江戸城跡に入った後もたくさん撮った。

 個人的にはそれほど感動的な景色は無かったけれど、テンションの高い輝夜を見るのは楽しかった。後で聞いたところ好きな本の舞台になった場所なのだとか。彼女の目的は聖地巡礼だったようだ。


 とりあえず安心した。

 場所を決める時には渋い表情をしていた優愛も、ハイテンションで走り回る輝夜を見たら「やれやれ」という子を見守る親のような表情をしていた。


(……平和だ)


 そんな言葉が頭に浮かんだのは、ここ最近ずっと気を張っていたせいだろうか。

 観光というよりも楽しそうな輝夜を見守る時間だったけれど、実に心が安らいだ。


 

 *  スカイツリー  *



 予定の時刻になった後、電車で三十分ほど移動した。

 俺の中にあるスカイツリーの知識は、高さが634メートルということだけ。

 しかし、実際に行けたのは天望回廊という地上450メートルの場所までだった。


「……春樹さん、も、もう少しゆっくり歩いてください)


 輝夜は小動物のように震えていた。

 エレベータで上昇する途中で俺の袖を摑み、今は腕にピッタリと張り付いている。


(……最高かよ)


 俺が不純な動機でドキドキしていると、


「ハルくん! あれ富士山かな!?」


 今度は優愛が子供みたいに瞳を輝かせていた。

 ふと、優愛は昔から高いところが好きなタイプだったことを思い出す。すると途端に懐かしい気持ちになった。あの頃はよく手を引かれたものだ。


「下はどんな感じ?」


 優愛の隣に向かって歩くと、


「ま、待ってくださいっ。もう少し、ゆっくりお願いします」


 輝夜に強く手を引かれた。

 その様子を見て、俺の頭にふとアイデアが浮かぶ。


「優愛、写真を撮らないか?」

「いいよ! どんなポーズしようかな」

「いや、輝夜と」

「……あぁ、うん、だよね」


 ん? なんか勘違いされてないか?


「輝夜と優愛の二人で、俺が撮るから」

 

 念のため言葉を足した。

 優愛は一瞬だけホッとしたような表情をして、ニヤリと笑った。


「坂下さん! こっちおいで!」

「やめっ、やめてください!」


 とんでもない早口と金切り声。

 輝夜は優愛に引かれた手を強く引き、機嫌の悪い猫みたいな雰囲気で俺の背中に隠れたしまった。


「ハルくん、諦めよう」


 優愛が苦笑を浮かべて言った。

 俺は同意しかけたけれど、一度だけ粘ることにする。


「輝夜、どうしても無理そうか?」


 輝夜は泣きそうな目で俺を睨む。


「……春樹さん、どうして優愛さんと写真を撮らせようとするんですか?」


 俺は返事をしようとして、ふと優愛の方を見た。


(……これ、聞かれても良いのか?)


 べつに悪い話をするわけではない。

 しかし、優愛に聞かれたら変な気を遣わせてしまうような気がする。


 俺は二人に仲良くなって欲しいだけだ。

 そのために最も良い選択は……。


「ごめんなさい。いじわるでしたね」


 残念ながら時間切れ。

 俺が言葉を見つけるよりも先に、輝夜が色々と察したような表情をした。


「優愛さん」


 輝夜が怯えた様子で名前を呼んだ。

 それから目を瞑り、グッと片手を伸ばす。


「……ん、了解」


 優愛は溜息を吐いて、その手を取った。

 それから二人は窓際まで移動して──瞬間、輝夜が優愛に抱きついた。


 優愛は突然のことに目を丸くしたが、すぐに優しい表情を見せた。それから輝夜を強く抱き寄せ、俺に向かってピースをする。


「坂下さん、ハルくんの方、見れる?」

「……がんばります」


 そして俺は、なんとも絶妙な表情をした二人の写真を撮ることに成功した。


(……結局、杞憂だったってことか)


 俺がヘタクソな気遣いをしたこともあって、二人に意図を悟られてしまった。その上で二人は歩み寄った。多少は仕方ないという気持ちがあるかもしれないが……この写真から感じ取れる楽しそうな雰囲気は、きっと嘘じゃない。


 いつか二人は親友になれる。

 日本一で最も高い建物の中で、俺は心からそう思った。

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