優愛と輝夜の語らい
スカイツリーを出た後、三人は寄り道をせず東京駅まで戻って新幹線に乗った。
平日の夕方。
指定席の車両には、同じ制服を着た生徒達の姿がぽつりぽつりとある。自由時間をギリギリまで楽しむことを考えたのは、どうやら春樹達だけではなかったようだ。
彼らの座席順は行きと同じ。
窓際に輝夜、中央に春樹、通路側に優愛が座っている。
「ふふ、春樹さん眠そうですね」
新幹線が動き始めてから五分ほど経った後、輝夜が笑みを浮かべて言った。
「……ごめん。はしゃぎ過ぎたかも」
「えー、テンション低めだったのに?」
優愛が疑問を口にすると、春樹は眠そうな目で彼女を見た。言葉は無い。察しろという目だった。
優愛はやれやれという表情をする。
実際、彼女は春樹が内心で大はしゃぎしていたことを理解していた。そういう雰囲気を感じ取れる程度に、二人の付き合いは長い。
「ハルくん、揺れてる」
優愛が笑いながら言うと、春樹は背筋を伸ばした。しかし、直ぐにまた揺れ始める。
「逆に、優愛は眠くないわけ?」
「全然平気。最近、ぐっすり眠れてるから」
春樹は優愛が悪夢を見ていたことを知っている。その症状を緩和するため、春樹は色々と協力している。
それは、輝夜には話せない内容である。
「輝夜は?」
彼は少し慌てて次の言葉を口にした。
「私も平気です」
「……」
「一番はしゃいでたくせに、という顔をされても平気なものは平気です」
輝夜は少し拗ねた口調で言った。
それを受けて春樹が苦笑すると、一時的に会話が止まった。
「輝夜ごめん、席代わってくれないかな」
やがて春樹が気恥ずかしそうに言った。
輝夜は柔らかく目を細め、何も言わず通路まで移動する。
「ありがと」
春樹は礼を言って、窓際に頬杖を付いた。
優愛と輝夜は揃って彼の横顔を見つめる。
「……なんだよ」
春樹が拗ねたような声を出すと、二人は「なんでもない」と言って笑った。
彼は不機嫌そうに息を吐いたが、眠気には抗えず、すぐに瞼が落ちる。
そして──
「……」
「……」
輝夜と優愛は沈黙した。
十分、二十分と時間が流れても言葉は無かった。
無視しているわけではない。
優愛は時折チラチラと様子を見ており、輝夜はその視線に気が付いている。
互いに意識している。しかし会話は始まらない。
恋敵が隣に座っているのは、酷く居心地が悪かった。
やがて、輝夜が長い息を吐く。
それから優愛に顔を向けて言った。
「春樹さん、寝ちゃいましたね」
「……う、うん、そうだね!」
優愛は授業中に居眠りを指摘された時みたいに背筋を伸ばす。
「よっぽど、疲れてたんじゃないかな」
そして、どうにか会話を継続させようとして言った。
「……そうですね」
輝夜は春樹に顔を向けた。
優愛はドキドキしながら彼女の横顔を見る。
輝夜は一度正面を向いた。
それから言葉を探すように俯いて、優愛に顔を向ける。
「優愛さんは」
それから耳元に顔を近づけ、とても小さな声で言う。
「春樹さんのこと、好きなんですか」
「んん"!?」
優愛は驚きのあまり変な声を出した。
それから通路側に身を引き、どういうつもりだという顔で輝夜を見る。
「……」
輝夜は何も言わない。
ただ静かに優愛の返事を待っている。
優愛は目を泳がせた。
全く想定していなかった質問で、どういう返事をすれば良いのか分からない。
「……うん」
しかし、彼女は頷くことを選んだ。
「好きだよ」
心拍数が上昇する。
今の発言は、彼女にとって冒険だった。
一度は諦めようとした。
だけど無理だった。だから戦う覚悟を決めた。
過去の優愛なら絶対に今の言葉を口にしていない。
しかし、綺麗じゃない自分を受け入れた彼女は、引かないことを選んだ。
「……良かった」
輝夜の反応は笑顔だった。
そして彼女は、混乱した様子の優愛を見て言う。
「春樹さん、ずっと優愛さんのことを気にかけていました」
優愛は俯いた。
彼女は悟ったのだ。輝夜は「恋敵」として今の発言をしたわけではない。純粋に、春樹のことを考えていた。その直感が正しいことを示すかのように輝夜は言う。
「春樹さんの努力が無駄じゃなかったと分かって、嬉しいです」
それは輝夜の本心だった。
嫉妬する気持ちはあるけれど、彼女は春樹の幸せを最優先に考えている。
「……嫌じゃないの?」
言葉の足りない質問。
しかし、輝夜は優愛が伝えたかったことを正しく読み取る。
「どうして嫌なんですか?」
その上で、この言葉を口にした。
「好きな人が誰かに好かれるのは、嬉しいじゃないですか」
優愛は、一瞬だけ頭が真っ白になった。
「……坂下さん、すごいね」
優愛の目から見た輝夜が、あまりにも眩しかった。
純粋で、真っ直ぐで、自分とは全く違う。春樹の隣に立つべきは彼女の方なのだと思わされる。
「坂下さんは、ハルくんのどういうところが好き?」
今度は輝夜が目を丸くした。
彼女は背後の春樹をチラと見て、優愛に耳打ちする。
「本人の前ですよ」
「あはは、今さらそれ言う?」
優愛がケラケラ笑うと、輝夜はムッとした様子で言う。
「以前にも言いました。私が知っているところ、全部が好きです」
「具体的に教えてよ」
「例えば、器が大きいところです」
輝夜は小さな声で言った。
「……それ、すごく分かるかも」
優愛は心から頷いた。
こんなに汚い自分でも受け入れてくれたハルくんなら、きっと、どんな人でも受け入れることができる。理解しようと努力することができる。
「次は優愛さんの番ですよ」
「いやいや、私は違うでしょ」
「何が違うんですか?」
「だって……輝夜さんの彼氏じゃんか」
「今そういう話はしてないです」
「ん-、そういう話だと思うんだけどなぁ」
優愛は困ったように笑った。
そして思った。まだまだ輝夜が掴めない。だけど、やっぱり悪い人ではない。
流石、ハルくんは見る目がある。
でも負けないよ。絶対、諦めないからね。
それから二人は恋バナを続けた。
本人を前に、しかも一方は彼の恋人で、という歪な状況ではあったけれど、慣れてしまえば楽しい時間だった。
「ね、坂下さん」
「なんですか?」
スッカリ普通に会話できるようになった後、優愛は言う。
「輝夜ちゃんって、呼んでも良いかな?」
「もちろんです!」
優愛は嬉しそうに目を細める。
呼び方ひとつ変えただけなのに、グッと距離が近づいたような気がした。
まだ相手のことを理解したわけではない。
そもそもの問題として恋敵であることは変わらない。
だけど、多分、嫌いになることは無い。
ぽつりぽつりと話し声がする新幹線の中で、優愛は、そんな風に思っていた。
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