初恋の続き
それを見た瞬間は頭が真っ白になった。
だけど彼女と目が合ったことで理解した。
これは、優愛さんの意趣返しだ。
いつか私は彼女にしたことを、そっくりと返された。
(……春樹さんも、こんな気持ちだったんですね)
まだ事件が起きる前。
私が遠くから眺めていた彼は、いつも笑顔だった。
(……これが、春樹さんの選択なんですね)
百聞は一見にしかず。
私は、この言葉が表現していることを初めて理解できたような気がした。
あの時、春樹さんは私に縋った。
きっと誰でも良かったのだ。
こんなにも苦しい時に優しくされたら、誰が相手でも好きになる。
──その相手は、春樹さんが良い。
私は教室に入った。
そのまま二人に駆け寄って優愛さんの頬をグッと押す。
春樹さんが目を見開いた。
私は何も言わずに彼の顔を両手を挟んだ。
そして──
しばらく舌を絡め合った後、溺れかけた時みたいに呼吸をした。
春樹さんから手を離す。
それから私は、狂ってしまった友人を見た。
優愛さんは呆然としていた。
多分、何が起きたのか理解できないのだろう。
さて、どうするべきでしょうか。
私の感情に従って優愛さんを糾弾することは簡単ですが、誰も幸せにならない。
春樹さんの苦しみは消えず、優愛さんは狂い続ける。私の中にも、きっとモヤモヤとした感情が残り続ける。
状況は分かっています。
私は春樹さんに「両方を選んでも良い」と言った。
しかし彼は「この状態」を隠していた。つまり、両方を選んだわけではない。
片方を選ぶのなら選ばなかった方に別れ話をする。
だから、彼が優愛さんに別れ話をしたのだと仮定する。
当然、納得しない。
どうにかして彼を繋ぎ止めようとする。
私なら何をする?
何をすれば春樹さんを取り戻すことができる?
──命しかない。
私を選ばなければ死ぬと伝える。
……不十分ですね。
私に別れ話をしなかった理由が説明できない。
おそらく何か条件を付けた。
春樹さんが秘密にしたことを考えると条件付きである可能性が高い。
例えば、卒業まで毎日キスをするとか。
あるいは……ハルくんのハジメテを貰う、とか。
「……春樹さん」
私は彼の方を見た。
酷い顔。まるで判決を待つ被告人みたいだ。
春樹さんの気持ちは分かる。
どれだけ酷いことをされても、裏切られても、それでも憎めない程に大切なんだ。そんな相手に命を持ち出されたら、それはもう言いなりになるしかない。
とても愚かで、素敵だと思う。
優愛さんもそれは理解している。きっと私以上に分かっている。
だから彼の弱い部分に付け込んだ。
それが彼を苦しめる結果になると理解しながらも、微かな望みを信じて行動した。
春樹さんは断る術を持たなかった。
後はもう時間の問題。優愛さんからすれば、彼の心が折れるまで待つだけ。
どうして待てなかった?
きっと優愛さんも限界だったからだ。
私が同じ立場だったら間違いなく同じことをする。
(……推理は終わりです)
過去は分かった。
だから次は未来を決める。
(……緊張、しますね)
大きく息を吸い込む。
そして──パチッという乾いた音が鳴り響いた。
「あなたのそれは優しさなんかじゃない」
私は春樹さんの頬を叩いた。
多分、生まれて初めて暴力をふるった。
「受け入れるだけなら死体にだってできます」
不思議な感覚が手のひらを侵食する。
熱くて、痛くて、とても不愉快だった。
「しっかりしてください!」
彼の気持ちは分かる。
優愛さんと話す時の表情を、ずっと見ていたから。
だけど、これは無い。
いつまでもウジウジと……そのせいで、優愛さんだけじゃなくて、自分のことまで傷付けている。
私、どうして、こんな人が好きなのかな。
ふと疑問を抱いた後、直ぐに答えが出た。
こんなにも醜い優愛さんを受け入れてしまえるところだ。
それなら私も──と、最初は思っていた。彼のことを知る前は、それだけだった。
春樹さんは、誰かのために必死になれる人だ。
弱い部分は誰にだってある。
春樹さんの弱さは、大切な人を傷つけられないということ。
情けないと笑う人も居るかもしれない。
私は全くそうは思わない。自分を犠牲にしてでも他人を守るなんて、まるで物語の主人公みたいだ。だから……あの瞬間、憧れは初恋に変わった。
きっと彼は罪悪感に押し潰されそうだったのだ。
それを隠すために、あるいは罪滅ぼしとして、私に優しくした。
そんなのってない。
何も相談してくれないのは、寂しい。
──そんなのは卑怯だ。
相手が都合の良い行動をしてくれると信じるだけで何もしないのは、背中に乗って運んで貰うようなことだ。
私は彼の背中に乗りたいわけじゃない。
春樹さんの隣を歩きたい。だから、だから私は──
「春樹さんは、もっと頑張れる人です」
私は、彼の背中を蹴り飛ばす。
「かっこいいところ、見せてください」
その後で、倒れそうになった身体を支える。
「……」
彼は表情を強張らせ、俯いた。
しかし、その姿に後ろ向きな様子は無い。
「待ってよ」
きっと優愛さんも私と同じことを感じ取った。
「……輝夜ちゃんは、許すの?」
一瞬で理解した。
彼女は春樹さんの説得を諦めて、私を崩しに来た。
「嫌に決まってるじゃないですか」
「だったら!」
「それでも──優愛さんは、たった一人のお友達じゃないですか」
我ながら、おめでたいことを言っている。
ほんの少し前の私だったら考えられないような発想だ。
私は優愛さんが大嫌いだった。
春樹さんを傷付ける害虫を必ず駆除しようと思っていた。
だけど──例え演技だったとしても、今日この瞬間に私を傷付けるための布石だったとしても……幸せな学校生活をくれたのは、ウソじゃないから。だから……。
「優愛」
春樹さんが言った。
私は彼を見て、言いかけていた言葉を胸にしまった。
もう大丈夫。
心から、そう思った。
「約束、覚えてるよな?」
「……待って、待ってよ」
「やろう。今日、これから、今すぐに」
……約束?
「春樹さん」
「優愛と約束をした」
名前を呼ぶと同時、彼は説明を始めた。
「あの日、輝夜と星を見た後、俺は優愛に言った。もう終わりにしよう。優愛は死ぬと言った。そして条件を出した。毎日キスをするか、一度だけセックスをすること。その代わり、今まで通りに戻ること」
……。
「終わりにしてくる」
「……」
素直に「はい」と言えなかった。
これはつまり、これから優愛さんと性行為をしてくるという意味だ。
優愛さんが命を引き合いに出したところまでは想像した通りだけど……それでも、これは、ちょっと、気持ち的に……。
「勝手に決めないでよ」
優愛さんが言う。
「私、そんな約束、守らないから」
春樹さんは溜息を吐いて、私を見た。
「明日、ここで会いたい」
私が頷いた場合、彼は優愛さんを連れてどこかへ行く。
そして、優愛さんが納得するまで、体を重ねるのだろう。
(……それ、私が頷くと思いますか?)
目を細め、おかしなことを言っている恋人を睨む。
「……春樹さんは、卑怯です」
「知ってる。だから……来るかどうかは、輝夜が決めてくれ」
彼は真剣な表情を崩さない。
大真面目に最低なことを言っている。
「……」
私は溜息を吐いた。
そして、彼から目を逸らした。
* 春樹 *
優愛の手首を摑み、帰路を歩く。
その間、俺は必死に涙を堪えていた。
あの日、あの瞬間から、ずっと迷っていた。
本当の意味で初恋を終わらせる決意をした後も、命を引き合いに出されてあっさりと心が折れてしまった。
今日、その答えを見せられた。
始まりの日、俺は逃げた。
あれは最悪だった。あれが間違いの始まりだった。
相手を引き剥がして無理矢理にでも話を聞く。
それから、自分の思ったことを、やりたいことをぶつける。
結局、それしかないんだよ。
相手の顔色を見て結論を先延ばしにしても苦しいだけなんだ。
家の前。
俺は優愛の手を離して言う。
「着替えて、集合」
もう逃げない。迷わない。
「その後、ホテル」
「やだ」
優愛は首を横に振った。
「約束だろ」
「……こんなの、やだよ」
その声を聞くと意思が揺らぎそうになる。
「ハルくんは、どう思うの?」
俺は唇を嚙み、優愛と向き合う。
「別れるためにエッチするとかさ……それを今の彼女に言うとかさ……」
「……輝夜は、三人でも良いって言ってた」
「だったら、そうしようよ。終わりにするなんて言わないでよ!」
「……それはできない」
「なんで!?」
あの日、輝夜の提案を聞いて心が揺れたことは否定しない。
だけど違うんだ。一番強く思ったことは、そうじゃない。
情けない。輝夜にあんなことを言わせた自分が嫌で、たまらなかった。
そして何より──
その後のキスで、全部、溶かされた。
優愛と続けた不純な関係も、さっきの一回で上書きされた。
「優愛、聞いてくれ」
「やだ。聞きたくない」
「べつに絶交するわけじゃない。普通の幼馴染に戻るだけだ」
「戻れないよ! 今さらっ、そんなの!」
優愛は悲痛な声色で叫ぶ。
「こんな気持ちでハルくんとひとつになっても、そんなの、辛いだけじゃん!」
「……じゃあ、やめるか?」
優愛の表情がぐにゃりと歪んだ。
「こんな気持ちで、毎日キスを続けるか?」
「……うん、そうだよ。そっちの方が良いよ」
「俺の気持ちは変わらない」
「輝夜ちゃんはどうかな? 違う女の子と毎日キスしてるハルくんを、いつまで許せるかな?」
俺は大きく息を吸い込んだ。
「その時は、責任を取って死ぬよ」
優愛はハッとした表情をした。
「決めてくれ。約束を守って普通の幼馴染に戻るか、俺を殺すか」
「……ズルいよ、そんなの」
優愛は膝から崩れ落ちた。
「……やだ。やだよ。ハルくん」
そして、縋るような目で俺を見た。
「優愛」
名前を呼び、地面に膝を付く。
「ずっと、好きだったよ」
「……っ」
恋心を自覚したのは、いつの頃だっただろうか。
それから何年も経って……まさか、こんな形で想いを伝えることになるなんて、夢にも思わなかった。
「だから頼む。俺、優愛のことを嫌いになりたくない」
優愛は唇をギュッと結んだ。
「……」
多分、何かを言いかけた。
微かに口を開いた優愛は、次に笑みを浮かべた。
「あーあ、振られちゃったか」
俺が優愛の気持ちを察するには、その一言で十分だった。
「……ダメだよ、ハルくん。恋人が居るのに、他の子とエッチするなんて」
俺は言葉を探す。
「何も言わないで」
しかし、優愛はそれを認めなかった。
「……」
彼女は俺に背を向けて、深く呼吸をした。
「約束。明日から、元通り」
声が震えてる。
「だけど、勘違いしないで」
見えなくても、分かる。
「私、諦めたわけじゃない」
彼女は振り向いた。
「輝夜ちゃんと喧嘩とかしたら、直ぐに寝取っちゃうから」
そして彼女は──俺が大好きな笑顔を浮かべた。
「弱ったハルくんなんて、ちょちょいのちょいなんだから」
……。
「ほら、何してるの? 早く行きなよ」
……。
「輝夜ちゃん、今頃すっごく不安だと思うよ」
……。
「それとも、やっぱり私の方が良いのかな?」
いつも通り。元通り。
優愛は今、約束を守ろうとしている。
「正直、ちょっとグッと来た」
だから俺は、冗談まじりにそう言った。
「そっか。じゃあ、これからはこの路線で行くね」
「なんだよ。路線って」
「ハルくん乗り換え大作戦」
「……それ、本人に言うか?」
「あはは、確かに。言わないかも。だけど、これが今の私の普通だから」
ぎこちない会話。
「……今夜、久々に何か作るよ」
「わぉ、珍しい。リクエストはカレーでお願いします」
「甘口?」
「ん-、今日は辛口が良いかも」
それが最後。
俺は振り向いて、輝夜の元へ向かった。
足が重い。
悩みは消えない。
結局、俺は何もしてない。
輝夜に背中を押されて、最後は優愛が身を引いた。
強くなりたい。
生まれて初めて、本気でそう思った。
俺が強ければ、今回の件はもっとスマートに片付いたはずだ。こんなにもほろ苦い感情を味わうことはなかったはずだ。
だから……今ここで全て流し切る。
弱い自分を涙に変えて、アスファルトの上に投げ捨てる。
──初恋は叶わない。
恋愛小説では、こんな表現が度々使われる。
俺は、少し違うと思う。
好きとか嫌いとか。
彼氏とか彼女とか。
恋愛とか結婚とか。
初恋の行く末はそれだけじゃない。
人生は、大好きな人と結ばれるかどうかの二択なんかじゃない。
「……っ」
優愛から十分に離れた後、強く息を吐いた。
そのあと直ぐに大きく息を吸い込んで、言葉にならない感情を叫び声に変えた。
* 優愛 *
「……あーあ、もったいないことしたなぁ」
もう少し粘れば、ハルくんのハジメテを貰えた。
「……無理だよ。あんなこと言われたら」
──優愛のことを嫌いになりたくない。
「……失恋、かぁ」
納得いかないなぁ。
両想いなのに、結ばれないなんてさ。
「……ズルいよ」
ハルくんは卑怯だ。
だけど、もっとズルいのは、輝夜ちゃんだ。
彼女には敵わない。
今回の一件を通して、心からそう思ってしまった。
「……カレー、楽しみだな」
辛口なんて、ほとんど食べたことない。
ハルくんが料理をする時は、いつも甘口だった。
あの頃に戻りたい。
ハルくんと結ばれない呪いをかけられても良いから、戻りたい。
「……ゃだ。やだよ。ハルくん」
今さら涙がこぼれた。
「……行かないで。私を選んでよ」
どうせ聞こえない。
だから今、言葉にする。
全部、吐き出す。
それで……明日からは、元通りだ。
「──」
唇を結び、天を仰ぐ。
雲ひとつない冬空は、あまりに綺麗で、よく見えなかった。
* 輝夜 *
初恋は叶わない。
この言葉は、恋愛小説の中に定型文として存在している。
ふと不思議に思った。
その意味を理解している人は、どれくらい存在するのだろう。
恋愛小説の中では、恋が人生の全てとして描かれる。
好きな人と結ばれることが最良の幸せで、それ以外は最悪の不幸として描かれる。
そんなの嘘だ。
現実問題、結婚した人も四割の確率で分かれる。子どものために離婚だけは避けるなんて人を含めたら、きっと半分の人は幸せになれない。
恋愛の終わりは、好きな人と結ばれることじゃない。
だから──
「……春樹さん?」
とぼとぼ歩く帰り道。
彼の姿を見た私は、ふと思った。
私の──あるいは、彼と彼女の。
この甘くて苦い初恋の続きは、どうなるのだろう。
「早過ぎませんか?」
笑みを堪え、問いかける。
「……違う。そうじゃない」
春樹さんは膝に手を付き、呼吸を整える。
それから顔を上げて、私に言った。
「優愛が、納得して、それで……」
私は彼の唇に人差し指を当てた。
「私の推理力、忘れましたか?」
「……はは、マジかよ。半端ないな」
春樹さんが私の元に来た。
だけど、まだ彼を送り出してから三十分も経っていない。
私には経験がないけれど……そんなに早く終わるわけがない。
(……優愛さん)
心の中に彼女の名前を思い浮かべる。
(……明日からは、本当の友達ですね)
そして、彼を見る。
どこか晴れ晴れとした表情。
今すぐにキスをしたい。
幸せなキスをして終わり。そんなエピローグを紡ぎたい。
「冬休み、どうしましょうか?」
「……え?」
だけど私は……私の物語は、小説よりも奇でありたい。
「今度は三人で星を見るのは、どうでしょうか?」
「……」
春樹さんは目を丸くして、それから呆れたように笑った。
「……それは、優愛と相談してからだな」
「じゃあ今から電話しますね」
「いや、それは……」
「なんですか?」
圧を掛ける。
春樹さんは再び溜息を吐いた。
「……やっぱ、すごいな、輝夜」
「今さら気が付くなんて、春樹さんは鈍いですね」
私は電話を手に取る。
「でも、そういうところも好きですよ」
ぽちぽちと友達の電話番号を入力する。
「だから、私のこういうところも、好きになってくださいね」
そして、私は──
【あとがき】
以上、最終章「カノジョの選択」でした。
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