優しく抱いて、愛を叫んで
ハルくんを待っている。
彼の居ない部屋で膝を抱え、待ち続けている。
胸が苦しい。
彼を想う度に痛みが増す。
それが、とても心地よい。
私の中に残った唯一の綺麗なモノ。
それはハルくんとの思い出と、今も変わらない恋心だけ。
(……今頃、何をしてるのかな)
ハルくんのことが頭から離れない。
私は、私以外の綺麗な女の子とデートしている彼の姿を想像している。
痛い。苦しい。
気が狂いそうになる。
あはは、すごいな、私。
もうとっくに壊れてるのに、ハルくんの前では普通を演じられるんだ。
……普通?
なんだっけ、それ。
わがままを言って、彼女の居る男の子に後ろから抱き締めて貰うこと?
あはは、おっかしい。
こんなのちっとも普通じゃないよ。
「……ハルくん」
彼の枕をギュッと抱き締める。
我ながら変態っぽい。……ううん、変態なんだよ。
ハルくんが居ないとダメ。
この匂いが無いと、きっとまたダメになる。
とても幸せ。
ハルくんにギュッとされてるみたい。
「……ぁは、あはは」
最初からハルくんを頼れば、こんな思いはしなかった。
最初からハルくんに甘えていれば、誰かに盗られたりしなかった。
なんで信じなかったのかな。
どうして……我慢できなかったのかな。
「……ん……く」
体が熱い。
私を狂わせた衝動は、まだ消えていない。
「……ダメ」
枕を強く抱き締めた。
これがハルくんだったらアザが残るくらい力が入っていると思う。
「……ハルくん」
名前を呼ぶ。
彼の顔を思い浮かべるだけで、いくらでも耐えられる。
多分、私は忘れたかったのだと思う。
あまりにも辛い記憶を快楽で上書きしたかったのだと思う。
本当にバカだった。
ハルくんの傍に居れば、それだけで十分だったのに……。
──スマホが震えた。
「ハルくん……?」
私は連絡を見て悲しい気持ちになった。
ハルくん、今日は帰ってこないみたいだ。
「……研究室かぁ」
珍しいことじゃない。
昔から、たまにある。
「デートの後、直ぐに行ったのかな?」
ぽつりと呟いた後、ふと嬉しくなった。
だって、ハルくんが連絡をくれたからだ。
今日は帰れない。
これ、わざわざ連絡するなんて夫婦みたいじゃない?
「ハルくんが私を意識してる」
最低なことをしている自覚はある。
ううん、違うよ。私は何も悪くない。
元に戻すだけ。
ハルくんを、取り戻すだけ。
「……ハルくん」
枕を強く抱きしめる。
「……ハルくん」
彼のベッドで横になる。
「……ハルくん」
大きく息を吸い込んで目を閉じた。
だって、待っていてもハルくんは帰ってこない。
じゃあ、起きてても意味は無い。
ハルくんの居ない時間なんて、いらない。
……。
…………。
……………………──足音。
「おかえり」
部屋のドアが開いた瞬間、私は言った。
「……ただいま」
ハルくんは目を丸くした後、硬い表情で言った。
その一瞬で私は悟った。彼の嘘を見抜いてしまった。
「楽しかった?」
ハルくんの表情が強張る。
「輝夜ちゃんとのお泊りデート」
ハルくんは俯いた。
それは返事をしたのと同じだった。
「ねぇ、どうして噓を吐いたの?」
私は立ち上がり、彼に歩み寄る。
そのまま手を伸ばせば届く距離まで近づいて、囁いた。
「私のこと、めっちゃ意識してるじゃん」
私は嬉しくなって、笑った。
恋人とのお泊りデート。普通なら舞い上がって他のことなんて気にならない。でも彼は私に連絡を入れた。ただそれだけのことが、とても嬉しい。
「……今日は、私と一緒に寝ようね」
彼の表情を覗き込みながら言った。
「優愛」
ハルくんは重たい息を吐いた。
「もう、終わりにしよう」
……。
「普通の幼馴染に戻ろう」
……。
「頼む」
……。
「やだ」
私は当たり前の返事をした。
今さら引き下がるような覚悟で、こんなことをしているわけじゃない。
「ハルくん、無駄な抵抗をしても、苦しいだけだよ?」
心が痛まないわけじゃない。
一秒ごとに失恋しているかのような胸痛がある。
「ハルくんは私を見捨てられない」
それを全て力に変えて、私は言う。
「そもそも、とっくに裏切ってるんだからさ」
「ごめん」
ハルくんは頭を下げた。
「全部、俺が悪い。だから……今日だけは、譲らない」
……。
「そっか」
ハルくんは顔を上げた。
不思議そうな顔をしている。
とても愛おしい。
私は、この上ない幸せを感じながら彼に告げる。
「じゃあ、私、死ぬね」
「……は?」
「ハルくんが居ない人生なんて意味ないもん」
私は彼の机の上に立った。
高さは一メートル程度だけど、当たりどころが悪ければ、普通に死ねる。
「ばいばい」
両手を広げ、後ろ向きに倒れた。
その直後、予想した通りの感触があった。
「……あはは、ハルくん、泣いてる」
私を受け止めた彼は、泣いていた。
悲しい。とても悲しい。
おかしなことをして彼を困らせている。最低だ。最悪だ。
でも──嬉しい。
やっぱりハルくんは私を見捨てられないんだ。
だから私は、そこに付け込む。
同じだよ。弱ってるハルくんに近寄った輝夜ちゃんと同じ。
汚い? 卑怯?
あはは、その通りだよ。
私は汚れてる。
こんな手段を迷わずに選んだことで、どうしようもない程に自覚した。
「輝夜ちゃんと別れて……なんて、言わないよ?」
噓を吐いた。本当は別れて欲しい。
「ずっと一緒に居たい。それだけ。本当に、それだけなんだよ」
情に訴えてもダメだった。
「好きだよ。大好きだよ。ハルくん」
性欲を煽ってもダメだった。
「私を見て。もっと触れて。嘘でも良いから、優しい言葉を言って」
じゃあ、命しかないよね。
「終わりにしたいなら、私を殺すしかないよ」
あは、あはは、すごい顔してる。
そうだよね。悲しいよね。ハルくんの知ってる私なら、こんなこと言わないよね。それとも、私をこんな風にしたこと、苦しんでるのかな。
「……ハルくんは、優し過ぎるよ」
昔からそうだった。
ハルくんは、抱え込むタイプだ。
何か嫌なことがあった時、他人のせいにしない。
自分が悪いのだと考えて、自分を変えようとする。
素敵だよ。とっても素敵。
だからみんなに好かれてるんだと思う。
だから……そんなハルくんの支えになりたかった。
本当だよ。本当なんだよ。きっと、ずっと、そうなるはずだったんだよ。
「だから、付け込まれるんだよ」
綺麗な記憶は、これで終わり。
私は汚い自分を受け入れて、そっと彼の頬に触れた。
「私みたいな、悪い女に」
ゾクリとした。
悲しくて、苦しくて、泣きそうなのに、初めて絶頂した時みたいに感じている。
やっぱりハルくんが一番なんだよ。
知らない人と擦り合うよりも、ずっとずっと気持ちいい。
「……優愛、頼むよ」
……。
「……これ以上は、誰も幸せにならない」
……。
「なんでもする。だから……っ!」
「分かった」
なんでも、か。
「じゃあ、エッチしようよ」
……。
「一回だけ。そしたら、諦めてあげる」
……。
「だってほら、私めっちゃかわいそうじゃん。知らない人にグチャグチャにされて、大好きなハルくんを盗られて、残ったのは汚い思い出だけ……」
……。
「上書き、してよ」
……。
「ハルくん。お願い。一度だけで良いから、私のこと、世界で一番、幸せにして」
心を空っぽにして、浮かび上がった言葉を全て口に出した。
ハルくんは大粒の涙を流して、見たことがないくらいに顔を歪めている。
「……他のことじゃ、ダメか?」
「なんで? セックスなんて、大したことないよ?」
私は言う。
「お互いの気持ちいい部分を擦り合うだけ。大丈夫。私がリードするから」
私の全部を賭して、彼を誘惑する。
「妊娠しても平気だよ。お金、あるから。ハルくんに迷惑はかけないよ」
彼の表情は変わらない。
それを見て私は嬉しくなった。
だって……そっか、そうなんだ。
まだ、ハルくんにとっては特別なんだ。
そして何より……。
輝夜ちゃんとは、まだなんだ。
「ねぇ、妥協してあげよっか?」
私の中に悪魔が生まれた。
「キスで良いよ」
私は悪魔に身を委ねた。
「その代わり、毎日してね。死ぬまで。ずっとだよ」
きっと今の私は、とても恍惚とした表情をしている。
「途中でエッチに切り替えるのも有り。死ぬまでキスするか、一回だけエッチして、終わりにする。好きな方を選んでよ。もちろん、好きなだけキスをして、最後に私をヤリ捨てるのも有りだからね」
私はハルくんの頬を摑む。
それから、ゆっくりと顔を近づけた。
「待て」
私は動きを止めた。
「約束だ。これ以外は、今まで通りに戻る。誓ってくれ」
「……もちろんだよ」
──
「えへへ」
一瞬、触れ合っただけ。
とてもゾクリとした。今まで生きてきた中で、一番幸せな一瞬だった。
「また、裏切っちゃったね」
私は噓を吐いた。
キスだけで終わる気なんて全く無い。
だって、おかしいよ。
私が先だった。
私の方がハルくんのことを好きだ。
ずっと一緒だった。
私の方がハルくんのことを知っている。
この先もずっと死ぬまで一緒。
そのはずだったのに……全部、全部、奪われちゃった。
だから取り戻すんだ。
手段なんて択ばない。
──この瞬間には、決めていた。
簡単なんだよ。
どうすれば彼を取り戻せるかなんて。
あー、なんだっけ。
ハルくんが輝夜ちゃん──坂下さんに吹き込まれた言葉。
そうそう、思い出した。
あれは──
「学校で、するのか?」
ハルくんと輝夜ちゃんがいつも一緒に昼を過ごしている教室。
私はハルくんのスマホで彼女を呼び出した後、彼に伝えた。
「良いじゃん。こんなとこ、誰も来ないよ。だから……ねぇ、ほら、早くぅ~」
──覚えてるかな?
あの言葉、すっごく辛かったんだよ。
だから今度は私が言うね。
あなたと同じこと、しただけだよ。
あはは、輝夜ちゃん、面白い顔。
きっと「どうして?」とか思ってるんだよね。
分かるよ。その気持ち、すごく分かる。
私達、似てるかもね。輝夜ちゃんの方が綺麗でかわいいけど、ハルくんのことが大好きなところとか、物事の考え方とか、とてもよく似ている。
さーて、どうなるのかな。
ハルくんの時と違って、ただのベロチューだけど、純粋な輝夜ちゃんがショックを受けるには十分だよね。
良いんだよ。逃げても。
ちゃーんと……ハルくんにとっての輝夜ちゃん、用意してあるからさ。
ぁは、あはは、楽しみだなぁ。
やっと、全部、元通りになるんだ。
──ね、ほら、どうするの? 輝夜ちゃん?
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