10.坂下輝夜の決断

 昼休み。場所は一昨日と同じ。

 机はふたつ。俺は椅子だけを持って側面に座った。


 右側には優愛、左側には輝夜が居る。

 俺は、輝夜の表情を伺いながら説明した。


 もちろん事件については伏せた。

 優愛の通院と、それに付き添うことだけを伝えた。


 背景さえ知らなければ違和感の無い話だ。

 だけど、いくらか事情を知る輝夜には多くの疑問があるだろう。


 なぜ自分を裏切った相手の面倒を見るのか。優愛が好きなのか。だったら今日は、別れ話をするために呼んだのか。


 俺が輝夜の立場なら、このような言葉を考える。

 しかし彼女の反応は予想と全く異なるものだった。


「分かりました」


 彼女は、何も聞かなかったのだ。

 

「わざわざ説明して頂き、ありがとうございます」


 俺は思わずポカンと口を開けてしまった。


「……何も聞かないのか?」

「私が好きになったのは、誰かを大切にできる春樹さんです」


 輝夜は屈託のない笑顔で言った。

 

「優愛さんのこと、きちんと見てあげてください」


 本当に全く予想できなかった。

 ふと優愛の方を見ると、彼女も驚いた顔をしていた。


「優愛さん」


 輝夜が優愛を見て言う。


「私とも、仲良くしてくれませんか?」

「えっ、と……」


 優愛は困った様子で俺を見た。

 

「輝夜、あのさ……」

「なんでしょうか?」


 ……マジかよ。

 怖いくらいに淀みがない。


 輝夜が「仕返し」を提案した。俺はそれに乗った。

 計画を実行した数日後、二人で仲良く会いに来た。


 おかしいだろ。気になるだろ。

 何も思っていないわけがない。


「春樹さん」


 俺が言葉を探していると、輝夜が口を開いた。


「私が優愛さんと仲良くしたいのは本当です。それに二人の仲は知っています。恋人を作ったからという理由で、疎遠になる必要は無いと思います」


 それから彼女はパチンと手を合わせて言う。


「そうだ! 今度の社会科見学、この三人で班を組みませんか?」


 俺は思考がフリーズするのを感じた。

 しかし、輝夜は笑顔のまま問いかけてくる。


「春樹さん、どうですか?」

「俺は、大丈夫だけど……大丈夫?」

「もちろんです。優愛さんも、どうですか?」

「……えっと、その、良いの?」

「はい!」


 輝夜は得意気な顔をして胸を張る。


「私は友達が居ないです」


 数日前にも見た仕草と台詞。

 恐らく初見である優愛は、それはもう唖然とした表情になっていた。


「これはチャンスです。逃す手はありません」


 優愛は「マジ?」という目で俺を見た。

 やめろ。聞くな。そういう意味を込めて目を逸らす。


「……坂下さん、面白いね」


 優愛は苦し紛れの言葉を口にした。

 輝夜は感無量と言った様子で目を輝かせ、両手で口を隠す。


「初めて、同性の方に面白いと言われました」


 本気で嬉しそうだ。

 なんかもう訳が分からん。


「優愛さん! 今後とも、よろしくお願いします!」

「……うん、よろしく」


 優愛は困ったような笑顔で言った。

 こんな表情は初めて見たかもしれない。


「あの、早速で申し訳ないのですが……」


 輝夜は俺を一瞥して、優愛に言う。


「五分ほど、春樹さんと二人にさせてください」


 その一言で俺は全てを察した。


「優愛、頼む」


 優愛は頷いて、席を立つ。


「私、先に教室戻るね」

「すみません、ありがとうございます」

「こっちこそ、二人の邪魔してごめんね」

「邪魔だなんて、そんなこと言わないでください」

「ごめん、冗談。またね」

「はい、また会いましょう」


 会話の後、優愛は去り際に一瞬だけ俺を見た。

 しかし何も言わず、その後は振り返らずに立ち去った。


 ドアが閉まった後、静寂が生まれる。


 恋人同士、二人きり。

 普通ならドキドキする状況だが、俺が感じているドキドキは意味合いが違う。


 要するに、ここからが本番だ。

 優愛を退出させた理由なんて、他に何も思い浮かばない。

 

「春樹さん」


 輝夜の声。

 俺は息を止め、彼女に目を向けた。


「どうぞ!」


 俺は再び予想を裏切られた。

 彼女は机を退け、両手を広げて俺を見ていた。


「どうぞ!」


 二度目の言葉。

 俺は頭痛を感じながら行動の意味を考える。


「ごめん、分かんない。何それ」


 結局、分からないから質問してみた。

 輝夜はにっこりと笑って返事をする。


「ハグ待ちです!」

「……なんで?」


 意味が分からない。

 ハグ? なぜ? どういう脈絡で?


「ハグ、嫌ですか?」

「嫌じゃないけど……ごめん、なんで?」


 輝夜はムッとして言う。


「理由は三つあります」


 手の位置を正面に戻し、今度はピンと人差し指を立てた。


「ひとつは嫉妬です。色々とあったのに、結局は優愛さんが大切なんですね」

「……ごめん」

「べつに悪いことではないです。ただ私が嫉妬しているだけです」


 予想とは違った言葉が胸に刺さる。

 顔を守る構えをしていたら、脛を蹴られたような気分だ。


「もうひとつは危機感です。せっかく勇気を出して告白したのに、こんなに短期間で破局なんて絶対に嫌です」

「それは、俺も同じだよ。むしろ俺の方が嫌われないか心配してる」

「甘いです。私の方が何倍も不安です」


 輝夜は微かに目を細めて言った。

 俺は背中が痒くなるのを感じた。


 この時、最初の緊張感は消えていた。

 純粋に嫉妬されているだけなのだと思い始めていた。


「最後は、春樹さんを労うためです」


 だからそれは完璧な不意打ちだった。


「詳しくは聞きませんが、色々あったことは顔を見れば分かります」


 輝夜は腰を上げると、俺の隣で膝立ちになった。

 それから俺の手を握り、柔らかい笑みを浮かべて言う。


「頑張ったんですよね」


 ……なんだよ。やっぱりか。

 全部推理した上で、あの態度だったのかよ。


「私は春樹さんの選択を尊重します。嫉妬はしますが、束縛はしません。そもそも、春樹さんに好かれていないことは自覚しています。それでも関係を維持してくれるのは、ただの責任感だと分かっています」


 輝夜の握力が強くなる。

 握られた手を通して、震えと不安が伝わってくる。


「違うよ」


 俺は彼女の手を握り返した。


「ただの責任感なんかじゃない」

「……本当ですか?」


 不安そうな目。思い返せば、優愛もそうだったのかもしれない。俺が気持ちを言葉にしないから、ずっと不安だったのかもしれない。


 今さら後悔しても遅い。

 何をしたって過去は変わらない。


 だけど、せめて未来は変えたい。

 二度と悲劇を繰り返したくない。


「俺は……」


 輝夜のことが好きだよ。


「……」


 あれ? 


「春樹さん?」

「……いや、えっと」


 なんで言えなかった?

 なんで直前に、優愛の顔が浮かんで……。


「輝夜は、いつも俺が欲しい言葉をくれるよね」


 ごまかすような声が出た。


「ありがとう。分かりにくいかもしれないけど、心から感謝してる」


 違うだろ。そうじゃない。

 たった二文字。今伝えるべき言葉は、好きの一言だ。


「輝夜が思っているよりもずっと、俺は輝夜のことが大切だよ」

「……っ」


 俺は笑みを作って言った。

 輝夜は面白いくらいに表情を変えて、あちこちに目を泳がせた。


 手に力が入っている。

 俺に握られていなければ、きっと顔を隠していた。


 可愛いと思う。

 輝夜が恋人になってくれるなんて、幸せなことだ。


「えっと、話は終わり?」

「……はい。今のが最後です」


 チクチクと胸が痛む。

 

「じゃあ、食事にしようか」

「はい。少し急がないとですね」


 理由が分からない。

 ……いや、これが正解だ。考えるべきじゃない。


「あの、今日もお弁当を用意したのですが……どうですか?」

「メッチャ食べたい」


 その後、普通に食事をした。

 優愛の話はしなかった。中身の無い雑談に終始した。

 

 楽しかった。

 輝夜の無垢な笑顔を見る度、惹かれた。


 それなのに……。

 彼女に惹かれた分だけ、どうしてか胸の痛みが増した。


 何か間違えたかもしれない。

 漫然とした不安が生まれるけれど、答えは出ない。


 だから俺は無色透明な悪感情に蓋をして、輝夜を見た。


 学校一の美少女と評されるだけあって顔が良い。

 きちんと話をするまでは冷酷な印象があったけれど、今は愉快な人という印象の方が強い。


 気の利いたことは言えないけど賢そうなことなら言える。友達が居ないことを何故か誇らしげに言う。表情がコロコロと変わって、感情表現が分かりやすい。


 そして何より、俺のことをよく見ている。

 俺自身でも気が付かないような感情を見抜いて、欲しい言葉をくれる。


 こんなにも素敵な人、そうは居ない。

 俺は輝夜が──だ。大切だ。これからもっと、──になる。

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