絶対に許さない

 お昼休み。

 いつもの場所で春樹さんを待っていると救急車の音がした。


 そして──

 今、病院のベッドに座る春樹さんを見た。


 水色の病衣と頭に巻かれた包帯。

 私は心臓をキュッと握られるような感覚を胸に、春樹さんの元へ近づいた。


「輝夜、来てくれたのか」


 春樹さんがはにかんだ。

 私はベッドの隣にあった丸い椅子に座って彼を見る。

 

「……」


 言葉が出ない。

 突然、春樹さんが救急車で運ばれた。無事という連絡は受けていたけれど、いざ病室で彼の姿を見たら怖くなった。


「いやぁ、保健室の先生が大袈裟でさ」


 春樹さんが困った様子で言う。


「救急車を呼ばれて、そっから二時間くらい検査。ちょっと頭を打っただけなのに」


 私は直ぐに嘘を吐いていると分かった。

 

「……大丈夫ですか?」

「うん、検査も異常なかったよ。心配かけてごめん」


 私は思考する。

 春樹さんは保健室の先生と発言した。救急車が呼ばれる直前に受けていた授業は英語。途中で退出した可能性が高い。なぜ。春樹さんの顔色は良い。むしろ普段よりも晴れやか。体調不良の可能性は低い。誰かの付き添い。春樹さんは保健委員ではない。相手は優愛さんの可能性が高い。二人で保健室へ行く際に事件が起きたと仮定すると──


「輝夜」


 私はハッとして笑顔を作る。

 いけない。怖い顔になっていたかも。


「なんですか?」


 春樹さんは悩むような素振りを見せる。

 やがて軽く息を吐いて顔を上げると、私に向かって言った。


「優愛は、関係ないから」


 私は咄嗟に手を背中へ回した。


「やっぱ正直に言うよ。輝夜には隠し事とか通用しないだろうからさ」


 手首を強く握る。

 怒りで気が狂いそうだった。


「この怪我は、自己満足の結果。優愛は悪くない。俺の力不足。それだけ」


 私は静かに呼吸を整える。

 それから春樹さんの手を握った。


「あえて、何も聞かないです」


 怒りは七秒でピークに達する。

 その後は徐々に減衰して、やがて冷静になれる。


「でも、ちょっとだけ寂しいです」

「……ごめん」


 大好きな人に触れている。幸せだ。

 七秒は過ぎた。衝動的な行動は我慢した。


 だけど──


「明日は学校に来られますか?」

「もちろん。夜には帰れるはずだよ」


 ──絶対に許さない。


「お昼のリクエストはありますか?」

「んー、急に言われると悩むな」

「出血の後ですから、鉄分が豊富なレバニラ炒めは如何でしょうか?」

「じゃあ、それでお願いしようかな」

「はい! 任せてください!」


 また春樹さんを傷付けた。

 心だけに飽き足らず、体まで。


「他に何かして欲しいことはありますか?」


 春樹さんに寄生する害虫。

 今すぐに駆除するべき存在。


「逆に、輝夜はどう?」

「私ですか?」

「うん。俺、輝夜に貰ってばかりだから。なんか悪いなって」

「ん-、そうですねぇ」


 あいつは今どこに居る?

 春樹さんを置いて帰った?


 いや、ありえない。

 きっとお手洗いか何かで一時的に外しているだけ。


 だって今日はずっと一緒に居たいはずだ。

 過去に何か酷い出来事があった。今日それに関連する事件が起きた。大好きな春樹さんが解決してくれた。ギクシャクしていた関係が修復された。私なら三日くらいは彼を感じられる場所に居たいと考える。


 ──足音。

 よし、決めた。


「キス、しませんか?」

「……ここで?」


 春樹さんを苦しめるようなことはしない。

 ただ、あの害虫だけは必ず地獄に落とす。


「ごめんなさい! 迷惑なら断って頂いても大丈夫なので!」


 私はあえて大きな声を出した。


「大丈夫。急だったから驚いた。それだけ」

「……それでは、目を閉じてください」


 春樹さん、出入口の方を見た。

 明らかに優愛さんを気にしてる。


「春樹さん」


 彼の頬に両手を添え、その目を見つめる。

 大丈夫。私は冷静。彼の心が優愛さんの方を向いていることは理解している。十数年の付き合いを数日で上書きできるなんて思っていない。


 だから積極的に行動する。

 だって、あの害虫と居たら春樹さんが不幸になる。


 そんなの放置できない。

 彼を救えるのは、私だけなんだ。


「……失礼、しますね」


 彼の唇を見て、ゆっくりと顔を近づける。

 その刹那──


「あれ? 坂下さん! 来てたんだ!」


 私は舌打ちをする代わりに唇を嚙んだ。


「……優愛さん、こんにちは」


 振り返る。一目見て分かった。

 私の予想は、すべて合っている。


「ハルくんメッチャ愛されてるね。時間的に授業が終わって直ぐじゃんか」


 ああ、憎らしい。

 ぎこちない笑顔を見れば分かる。きっと私の声が聞こえていた。春樹さんと見つめ合っているところを目撃したに違いない。


 昨日までの彼女なら目を背けていた。

 心変わりした理由は考えるまでもない。


「坂下さん、事情は聞いた?」

「ええ、とても不幸な事故でしたね」


 好都合です。

 もともと、そのつもりなので。


「ハルくん、昔からドジなんだよね」

「そうなんですね。明日からは、絆創膏など持ち歩いた方が良いでしょうか?」

「うん、それ有りかも」


 彼女は私の隣に立った。


「優愛さん、いつからこちらに?」

「最初からかな。ハルくんが怪我するとこ、見てたから」


 目が合う。


「ねぇ、坂下さん」

「……なんですか?」


 多分、私達は通じ合った。


「ハルくんのどこが好きなの?」

「待て。そういう話は俺が居ないところで」

「全部です。今日までの春樹さん、全部が好きです」


 上等です。

 受けて立ちます。


「明日は、もっと好きになります」


 春樹さんを一瞥する。

 やった。照れてる。嬉しい。


「ふーん、そっか」


 優愛さんは春樹さんを見た。

 それから、軽く前髪をかき分けながら言った。


「ラブラブだね」

「……頼む。黙ってくれ」

「あはは、ハルくんメッチャ照れてる」


 ……額を強調した?

 春樹さんも異常に照れてる……まさか。


「坂下さん、この後どうするの?」

「しばらく春樹さんとお話してから帰る予定です」


 気持ち悪い。信じられない。


「優愛さんは、どうするんですか?」

「えっと、夜にはハルくんの親が来ると思うから、一緒に車で帰る予定だよ」

「なるほど。お二人は家族ぐるみの付き合いなのですね」

「うん。家が近いから」


 春樹さんを裏切ったくせに。

 春樹さんを何度も傷付けたくせに。


「坂下さんも一緒にどう?」

「大丈夫です。遅くまで残る予定は無いので」


 ダメ。これ以上は顔に出る。

 我慢です。春樹さんの前なんですから。


 それから──

 三人で十分ほど雑談をして、私は名残惜しい気持ちを胸に、病室を後にした。


 だって、気が狂いそうだった。

 もう少し優愛さんを見ていたら、自分が何をするか分からなかった。


(……次は、社会科見学)


 私は真っ直ぐ帰宅して地下室へ向かった。

 また、机に穴が増えた。




【あとがき】

以上、第二章「綺麗じゃないから」でした。

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