答え合わせ

 すべての発表が終わった。

 結果の発表は週明けの月曜日。

 上位入賞者に与えられる景品も同時に発表される。


 解散された生徒は、帰宅する人、部活に向かう人、打ち上げを開く人に分かれた。


 過去の私ならば迷わず帰宅したと思う。

 しかし現在の私は、春樹さんに手を引かれ、教室で開かれた打ち上げに参加した。


 動物園みたいに騒がしい。

 発表の感想がどうとか、去年の景品がどうだったとか、そういう話を、まるで誰かと競い合うみたいに声を張り上げて喋っている。


 私はそれを春樹さんの背中に隠れて聞いている。

 本当は彼と二人で会話したいというか、あの許されざる蛮行について全力で抗議をしたいところだけど、多くの友人に囲まれている彼を連れ出す程の度胸は無い。


 むしろ私も囲まれている。

 絶体絶命の大ピンチである。


(……どうして、こんなことに)


 本当に疑問で仕方がない。

 春樹さんは、どうして……理由があると信じているけれど、さっぱり分からない。


(……早く終わらないかな)


 孤独とは不思議なもので、人の輪に近づく程に強く感じるようになる。

 だから私は、彼の背中をギュッと摑みアピールを続けている。しかし彼は友達との会話に集中しているのか振り返る素振りすら見せてくれない。


(……もしかして、何か怒らせてしまったのでしょうか)


 嫉妬も怒りも収まった後、生まれたのは不安だった。

 次々とネガティブな思考が始まる。深い海の底に沈むみたいに、だんだんと周囲の音が聞こえなくなる。いっそこのまま、どこまでも沈んでしまえば……そんなことを思った時だった。


「ねぇハルくん、輝夜にゃんが借りてきた猫みたいになってるよ」


 優愛さんの声が、不思議なくらい耳に響いた。


(……?)


 相変わらず教室内は騒がしい。

 だけど、私達の周囲だけ急に音が止んだような気がした。


 恐る恐る顔を上げる。

 知らない人達。とても注目されている。


 私はなんだか怖くなって、再び俯いた。

 その直ぐ後、目の前に居た春樹さんが動いた。


 私は彼の顔を見た。

 彼は柔らかい笑みを浮かべた後、そっと私の肩を摑み、抱き寄せた。


「俺のカノジョ、世界一可愛いっしょ?」


 急に何言ってるんですか!?

 私は心の中で叫んだ。こんなの春樹さんでもドン引きされるに決まってる。しかも優愛さんの目の前で……っ!


「惚気かよぉ~!」


 知らない男子生徒が春樹さんの肩を小突いて言った。


「てか超ビックリ! 坂下さんキャラ崩壊ってレベルじゃなくない!?」


 知らない女子が私を見て言った。

 私が返事に困っていると、彼女は楽し気な表情で言う。


「小倉くんの前ではいつも輝夜にゃんなの?」

「……」


 私は唇を嚙み春樹さんに助けを求めた。

 知らない人からこんな風に話しかけられたのは、小学校の低学年以来のことで、どういう反応をすれば良いのか全く分からない。


「あははっ、おまえ怖がられてんじゃん」


 知らない男子が私に声を掛けていた女子に言った。


「えぇ~? そんなことないよね?」


 彼女はすかさず言葉を返した。

 私は混乱状態に陥って、彼女と春樹さんを交互に見た。


「二人とも、そこまでだよ」


 助け舟を出してくれたのは、優愛さんだった。


「輝夜ちゃん、その呼び方あんまり好きじゃないから、やめてあげて」

「えぇ~、そうなの?」

「うん。発表のために無理してくれたんだよね」


 優愛さんは、一瞬だけ春樹さんを咎めるような様子で目を細めた。


「じゃあなんて呼べばいい? 輝夜ちゃん?」

「ダメで~す。まずは坂下さんから初めてください」

「いやいや、優愛が言わないでよ。ね、どうかな、輝夜ちゃん」


 会話のテンポが速い。

 とても期待を込めた目で見られているけれど、待って欲しい。


(……普段なら、いくらでも返事ができるはずなのに)


 心臓がうるさい。

 こんな緊張感、知らない。


「……」


 じっと見られている。

 他の人も、まるで私の返事を待つみたいに口を閉じている。


 悪意は全くない。

 百パーセントの善意だけがある。


 だけど……だからこそ、やりにくい。

 私は、このような善意と向き合った経験が、あまりにも乏しい。


「……………………お好きに、どうぞ」


 たっぷりと一分くらい間を開けて、私は蚊の鳴くような声で呟いた。


「やったぁ! あたしは成海なるみだよ。成海って呼んでね」


 その女子は子供みたいな笑顔を見せた。


「じゃあさ、俺も輝夜ちゃん──」

「お前はダメだ」

「春樹には聞いてないだろ!?」


 それからも騒がしい時間が続いた。

 後半になると、優愛さんの誘導によって、女子だけで話をする時間が生まれた。


 とても不思議な時間だった。

 いつも外野から眺めていた輪の中に、どういうわけか私の姿があった。


 私は困惑してばかりだった。

 そして、気が付いたら下校時刻になっていた。



 *  *  *



 学校から離れた場所。

 私は今日も春樹さんと二人で歩いていた。


 春樹さんは帰る方角が違う。

 だけど、最近は私を家まで送ってくれている。


 とても嬉しかった。

 いくつかの疑問が頭に残っていたけれど、会話が途切れるようなことは無かった。


 だけど今日は何も喋れない。

 だって、密度が違う。高校生になってから今日まで二十ヵ月も経っているけれど、昨日までに同級生と会話した累計時間よりも、さっき会話した時間の方が長い。


 ふと隣を見る。

 どこか満足そうな顔をしていた春樹さんは、私の視線に気が付くと、足を止めた。


「……答え合わせ、しようか」


 少し考えるような間が空いて、彼は言った。


「……答え合わせ、ですか?」


 私はそのまま言葉を返した。きっと普段なら少し考えれば分かる。だけど今日は、考えるという発想すら出てこなかった。


「えっと、まぁ、その……どうだった?」


 春樹さんは照れた様子で言った。

 私はさっぱり意図が分からなくて首を傾ける。

 すると春樹さんも不思議そうな様子で首を傾けた。 


「……?」

「……??」


 二人して、ぽかんとした表情になる。

 それがどうにもおかしくて、私は肩を揺らした。


「さっぱり分からないです」


 そして嘘を吐いた。

 笑う余裕が生まれたせいか、途端に思考が加速したからだ。


 答え合わせとは、つまり約束のこと。

 私は春樹さんが急に優しくなった理由を考え、春樹さんは私が喜ぶことを考える。


 要するに彼は、私を喜ばせるために、さっきの時間を作り出したのだ。


「とても酷い嫌がらせだと思います」


 だから私はハッキリと言った。

 だけど、お互いに言葉通りの意味では認識していないはずだ。


「私、あの呼び方は嫌って言いましたよね?」

「……それは、ごめん」

「なんであんなことしたんですか?」


 言葉だけを聞けば、怒った私が問い詰めているような場面。

 しかし雰囲気は和やかで、私の表情にも笑みが浮かんでいるのだと思う。


「思い出したから」

「……何を?」


 春樹さんは、私の目を真っ直ぐに見て言う。


「一年目、輝夜が図書室で言ったこと」


 ──


「もっと愛想を良くするべきかって、つまり友達が欲しいってことだろ?」


 ……私は、俯いた。


「えっと、あれ? もしかして見当違いだった?」


 春樹さんが焦ったような声で言った。


「ごめん。マジで嫌な想いさせただけなら謝る」


 私は顔を上げられない。

 その反応を怒っていると捉えたのか、彼はさらに焦った様子で言う。


「でも、これだけは言っとく。俺なりに、真剣だった。輝夜の魅力が、どうやったら他の人にも伝わるか考えて、それで……輝夜がリラックスしてる時の様子を見て貰うのが一番かなって」


 私はギュッと唇を嚙んで、感情を押さえている。

 すると彼はさらに焦った様子で早口になって言った。


「本を読んでる時とか、素の状態の輝夜はよく笑うだろ? 感情表現が豊かというか冷たいイメージとか全然無くて愛嬌たっぷりで一緒に居て楽しい感じ。あれを知ってもらうには、輝夜にゃんが一番かなって……でも、やっぱ、ごめん。ちょっと俺一人で盛り上がり過ぎた……」


 私は拳を握り締めて、グッと前に突き出した。


 ぽふんと言う音がした。

 とてもよわよわしい一撃が、彼の胸を叩いた。


「……輝夜?」


 私は息を止めて顔を上げる。

 春樹さんは口を開け、目を見開いた。

 その反応を見ただけで、自分がどういう顔をしているのか分かってしまった。


「……!」


 私は何も言わずに走りだした。

 彼の顔をほんの数秒見ただけで、精一杯だった。


(……なんで?)


 初めて恋を自覚した時にも、こんなことはなかった。


(……どうして?)


 初めてキスをした日の夜にも、こんなことはなかった。


(……もっとすごいこと、いっぱいしてるのに)


 初めて一緒に寝た翌日でも、多少の会話は可能だった。


(……春樹さんの顔が、見られない!)


 だけど今は、何ひとつ言葉が出てこない。


 私は理解不能な感情を発散するようにして全力で走った。

 運動不足の身体は直ぐに音を上げて、ぜぇはぁと酸素を求める。

 私はバッグを両手で握り締め、深く呼吸をしながら空を見上げた。


 十月の夕方過ぎ。半分ほど沈んだ太陽が微かに照らす道路の上。

 私は風呂上りみたいに火照った頬に冷たい風を感じながら、自覚した。


 一生忘れない。

 十年先も、二十年先も、きっと今日この瞬間を思い出す。


 これが私の初恋。

 随分と遠回りをしたものだと、そう思った。

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