2.眠れない夜、語り明かして

 今夜はぐっすりと眠れそうだ。

 そんな気分で布団に入ってから、どれだけ時間が経っただろうか。


(……眠れねぇ)


 輝夜にゃん間違えた俺の彼女が最高過ぎて眠れない。


(……良いのかな、これで)


 可愛くて、賢くて、尽くしてくれる。

 最高だ。これ以上の相手には、これから先ずっと出会えないかもしれない。


 だけど二人の関係はとても歪だ。

 俺は輝夜に救われている。だけど逆はどうだろうか。俺は何をすれば彼女に恩を返せるのだろう。


 あまり良い関係とは言えない。

 些細な出来事で壊れても不思議ではない。


 きっと輝夜も同じことを感じている。会う度に繋ぎ止めようとしてくれていることが分かる。


 それは効果抜群だ。

 俺自身、日に日に惹かれている。


 だから時間の問題なのだと思う。

 もう少し時間が経てば、きっと普通の恋人になれる。


(……普通の恋人、か)


 ──ドアが開く音がした。

 控え目な足音が近づいてくる。


(……なんかこれ、既視感あるな)


 俺はゆっくりと目を開ける。

 目に映ったのは、枕を持った優愛の姿だった。


「……我が家のセキュリティ弱すぎない?」

「えっへっへ。私は顔パスです」


 優愛は無理をしたような表情で笑うと、俯いた。

 それから何かを求めるような様子でチラチラと俺を見る。


 見覚えがある。

 もう少し二人が幼かった頃……あれは確かホラー映画を観た後だった。


「いいよ。ちょうど俺も眠れなかった」


 身体を起こしてベッドの縁に座る。

 それから隣をポンと叩いて優愛に言った。


「座れよ。話したいこと、あるんだろ」

「……ごめんね」


 ぎこちない会話。

 最近、優愛は謝ってばかりだ。


 彼女が座るまでの数秒間、俺は考える。

 どんな話をするのだろう。どんな顔をすれば良いのだろう。


 何も分からない。そう思う度に痛感する。

 二人の関係性は、きっと元には戻らないのだろう。それは……とても、寂しい。


「……デート、楽しかった?」


 優愛が小さな声で言った。

 多分、本当に話したいことは他にある。上手く言えないけど、感覚で分かる。


「最高だったよ」


 これは互いの緊張を解すための時間。

 賢そうな言葉を使うならば、アイスブレイクだ。


「……どこ行ったの?」

「保護猫カフェ」

「……へー、坂下さんって猫が好きなんだ」

「そうだな。輝夜にゃん間違えた輝夜は猫が大好きだったよ」

「ごめん無視できない。輝夜にゃんって何」


 ダメだ輝夜にゃんが頭から離れない。

 多分、他の人がやったら「きっつ……」という気持ちになる。だけど、あの輝夜が恥ずかしそうにアレをやっとことを考えると、何かこう、グッとくる。


「忘れて欲しいにゃん」

「……うわ」


 俺が冗談を言うと、本気で引かれた。

 めっちゃ恥ずい。二度とやりたくない。


「……でも、そっか」


 優愛は言う。


「……楽しかったのか。そっか」


 とても含みのある言葉。

 ふと表情を覗き見ると直ぐに目が合った。


「良かったね」


 優愛は微笑を浮かべて言う。


「上手く、行ってるんだね」


 俺は言葉を探した。


「……まあな」


 だけど何も思い浮かばなくて、きっと優愛と同じような表情で返事をした。


「……」

「……」


 互いに口を閉じた。

 そして生まれた沈黙は酷く居心地が悪い。


 何か話したい。

 俺は必死に言葉を探した。


「体調、どう?」


 苦し紛れに問いかける。

 一瞬、優愛の表情が強張った。


「良い感じ。前よりずっと楽になったよ」


 話題を間違えた。

 触れるべきじゃなかった。


 俺は後悔しながら視線を下げる。そこで、優愛が枕を強く握り締めていることに気が付いた。


「ハルくん」


 名前を呼ばれた。

 顔を見て、目が合った瞬間に言いたいことが分かった。


「今日だけ……一緒に、寝よ?」


 頭が痛くなる提案だった。


 理由を聞く。

 彼女が居るんだぞと断る。

 色々な言葉が思い浮かぶ。


 だけど少し考えたら分かる。

 そんなの、優愛の方がもっと考えてるはずだ。今の一言を口にするために、たくさん悩んで、苦しんだはずだ。


 だったら俺は……彼女を支える選択をした俺は、それに応えるしかない。


「今日だけだからな」

「……いいの?」

「同じ布団には入らない。それでも良いなら隣に居るよ」


 これが精一杯の妥協点。

 もしも優愛が「それ以上」を求めたら、その時は諦めさせるしかない。


「……ごめんね」


 優愛は、また謝罪の言葉を口にした。


「……どうすればいい?」

「ベッド、使えよ」

「……ハルくんはどうするの?」

「優愛が寝た後、リビングのソファでも使うよ」


 優愛が寝るまでは傍に居る。

 言外に告げた後、俺は枕を持って立ち上がり寝床を譲った。


「……じゃあ、ベッド、借りるね」

「……ん」


 優愛は枕を置いて布団の上で横になった。

 俺はベッドを背もたれにして、床に置いた枕の上に座る。


「……なんか、久しぶりだね。こういうの」


 優愛が言った。


「小さい時は毎日だったな」

「……うん。毎日だった」

「最後は四年生くらいだっけ?」

「……うん、それくらい。よく覚えてるね」


 背中に視線を感じる。

 あえて無視して、思い出話を続けた。


「ホラー映画、克服した?」

「……避けてる」

「じゃあ今度また見るか」

「……見ないよ。ハルくんのバカ」

 

 正直まだ距離感が掴めない。

 だけど……だから、安心した。


 俺達の関係は変わってしまったけれど、今日までの時間が消えたわけじゃない。


 二人の思い出は記憶の中に残ってる。色褪せたりしてない。当たり前のことだけど、それを強く実感して、少しだけ心が軽くなった。


 俺は短く息を吸って、会話を続ける。


「中学の文化祭、覚えてる?」

「……どれ?」

「二年生の時」

「それ一番忘れたい奴」

「俺まだスマホに写真残ってるよ」

「消してって言ったじゃん」

「やだ。次の文化祭で参考資料にするから」

「……最悪。ハルくんのバカ」


 これまでのこと。そして少し未来のこと。

 優愛が眠るまで、たくさんの話をした。それはとても久々の感覚で、嬉しいはずなのに、どうしようもなく胸が痛かった。

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