行かないで

「ハルくん! おおきくなったらけっこんしようね!」

「うん! ずっといっしょだよ!」


 幼い頃の思い出。

 私の中に残っている綺麗な色。


 ずっと一緒だった。

 幼稚園の頃は毎日のように同じ布団で寝ていたし、お風呂も一緒だった。


 小学校の頃、他の友達と遊ぶより二人で居る時間の方が長かった。高学年になって周囲から囃し立てられても疎遠になることは無かった。喧嘩はしたけど、その度に仲直りをした。


 中学校の頃、別々の部活を選んだ。一緒に居る時間は減ったけど、一緒に登校したり、休日に遊んだりするのが当たり前だった。ハルくんは勉強が得意だったから、私は一生懸命に受験対策をして同じ高校に進学した。


 この先もずっと、ずっと一緒に居られると信じてた。


 だけど──


 やめて。入ってこないで。

 この場所は、この記憶だけは汚さないで。


 お願い。お願いだから。

 これ以外なら全部あげても良いから。だから──


「──やめてよ!!」


 ……あれ? ここ、私の部屋?


「……また、あの夢」


 呼吸が乱れてる。

 身体中、汗でベタベタ。


「……最近、見なかったのにな」


 ハルくんのせいだ。

 昨日、様子がおかしかった。

 だからこんな夢を見た。全部ハルくんのせいだ。


「……身体、熱い」


 ダメ。手が勝手に。

 こんなこと、もうやめなきゃ。


「……んく、もぅ、こんなに」


 以前は表面を撫でることも怖かった。

 だけど今は指を入れることに躊躇が無い。


 ナカの感触なんて知らなかった。

 だけど今は気持ち良くなれる場所を全部知ってる。


「……ハルくん……ハルくん」


 私、おかしくなっちゃった。

 だからハルくんも、早くこっちに来てよ。


 約束したじゃん。

 ずっと一緒だよって。


 私を一人にするハルくんなんて嫌い。

 毎日アピールしてるのに、なんで? どうして?


 ……嫌い。嫌い。

 あんなやつ、大嫌いだ。



 *  *  *



「ハルくん! おはよう!」


 朝、約束通りハルくんが迎えに来た。

 私は玄関の外で待っていた彼の隣に立って言う。


「どう? 元気になった?」

「……ん」


 あはは、眠そう。

 目の下ちょっと黒いかも。


「昨日あんまり寝てない?」

「大丈夫。ちゃんと二時間くらい寝た」


 全然眠れてない。

 何かしてた? それとも何か考えてた?


「優愛のこと考えてた」

「そっか、私のこと……」


 どうしよう。いつもなら普通に聞くのに。

 ……あれ? ハルくん、今なんて言った?


「……私の、こと?」


 ちょっと遅れて質問した。

 いつもなら、きっと顔を真っ赤にしていた。


 今は緊張感しかない。

 だってそれ、ハルくんが変になった理由、私にあるってことじゃんか。


「ねぇ、ハルくん?」


 恐る恐る彼の顔を覗き見る。

 瞬間、私は時が止まったように感じた。


「優愛の良いとこ、数えてた」

 

 ハルくんは笑顔だった。

 すごく爽やかな雰囲気だった。


「例えば、誰かを本気で心配できるところ」

「ちょ……」

「困ってる人を見捨てられないところ」

「やめて……」

「それから、人を助ける時の照れたような笑顔とか」

「ハルくん!」


 大きな声が出た。

 心臓、すごいうるさい。


「何のつもり?」

「べつに。言いたいこと言っただけ」

「絶対ウソ。今までそんなことなかったじゃん」


 背中に隠した手を握り締める。

 ねぇ、ハルくん。やっぱり変だよ。


「何のつもり?」


 もう一度、同じ質問をした。


「べつに……」


 彼は一度そっぽを向いた後、真剣な目で私を見る。


「色々、言わなきゃ伝わんないよなって。それだけ」

 

 ボソッと呟くような声。

 それからハルくんは移動を始めた。


(……いや、全然分かんないけど)


 心の中で呟いた後、少し駆け足で彼の隣に並ぶ。

 私は気付かれないように呼吸を整えて、彼の横顔に問いかける。


「ねぇ、本当は何が言いたいの?」


 不安が消えない。

 こんなハルくん、見たことない。


「優愛ってさ、好きな人とかいるの?」


 私は思わず足を止めた。

 彼は何歩か進んだ後で振り返って言う。


「そんなに驚く?」

「……そ、そりゃね!」


 ビックリした。心底ビックリした。

 これ、恋バナだよね? あのハルくんが?


「ハルくん、恋愛に興味あるんだ」


 今度は私が彼を追い越してから言った。


「そりゃあるだろ。高校生なんだから」


 彼は私と歩調を合わせて、隣を歩きながら返事をした。

 

「因みに、俺はいるよ。好きな人」

「……へー」


 いやいや、へー、じゃないでしょ。

 なんかもっと他にあるじゃん。

 例えば……あれ? 何も出てこないぞ?


「それって、同じ学校の人?」

「もちろん」


 答えるんだ。言っちゃうんだ。

 どうしよう。気になるけど、聞きたくないかも。でもやっぱり聞きたいかも。


「……どんな人?」

「優しい人。困ってる人を見たら、見捨てられないような人」


 ……。


「……」


 なんか言え! 何か言えよ私!

 でも、だってこれ、完全に告られる流れじゃん!


 困っている人を見捨てられないって、さっき私を褒めてくれた言葉じゃん。


 待って待って心の準備できてない。

 なんで急に? なんで今日? なんでこんな何も無い日に?


「……髪は、短い人?」


 私は彼の横顔を真っ直ぐに見て言った。

 ハルくんは二秒くらい私を見た後、視線を前に戻して言う。


「内緒」


 そこは言ってよ!

 私の髪、肩に乗るくらいのセミロング。でも、そうだよね。ハルくんは髪形の名前とか知らないよね。長いか短いか分からなかったのかも。


「優愛は?」


 ハルくんが言う。


「優愛の好きな人って、どんな人?」


 ……なんで、このタイミングで聞くかなぁ。

 

「私、まだ好きな人がいるって言ってないけど」

「そっか。いないのか」

「いないとも言ってない」

「なんで怒るんだよ」

「怒ってないし」


 どうしよ。ハルくんの方が見られない。

 でも、ここで逃げちゃダメだよね。こんなチャンス、二度と無いよ。


「まぁ、一応、いるよ?」


 平静を装って返事をした。


「へー、どんな人?」


 ハルくん落ち着いててムカつく。


「私のこと、好きって言ってくれる人」

「……そっか」


 私は見逃さない。

 そっけない返事をしたハルくんの表情が、ほんの少しだけ強張った。


「……」

「……」


 その後、二人は無言だった。

 学校が近づく程に、色々な音が聞こえるようになる。ここで会話しようと思ったら声を張らなきゃ聞こえない。でも今だけは、互いの息遣いすらも耳に届くような気がした。


 頭が真っ白だ。

 昨日から考えてたこと、全部忘れちゃった。


「じゃあ、また後で」

「……え? あ、うん。またね」


 いつの間にか教室だった。

 私と彼の席は離れてるから、一緒なのは出入口まで。


 ……途中の記憶、飛んじゃった。


 どうしよう。もしも途中でハルくんが何か言ってたら、それ聞こえてない。


「あれれぇ~? 優愛どしたん? 顔真っ赤じゃん」


 友達の声。

 私は咄嗟にパンと頬を叩いて気持ちを切り替える。


「べつに? 全然赤くないけど?」

「ほぉ~?」


 この後、友達にたっぷりからかわれた。

 表情の変化とか指摘される度に、強く意識した。


 私は、ハルくんのことが──



 *  *  *



 あっという間に一日が終わった。

 授業とか、友達との会話とか、何も覚えてない。


 というか、何も無かった。

 あの朝から放課後まで焦らすとか。ハルくんやっぱり嫌い。


「優愛」


 ハルくんの声。

 見なくても分かる。机の前に立ってる。


「……なに?」

「俺、帰るけど。どうする?」


 なんだよ、その誘い方。

 まぁ、べつに、いいんだけどさ。


「私も帰るよ」

「じゃあ、行くか」

「……うん、分かった」


 ハルくん、いつもと雰囲気が違う。

 何か覚悟を決めたような感じがする。


 これ、絶対に帰り道……何か、言われるよね?

 どうしよう。今のうちに返事とか考えとくべき?


 ……って、考えてる間に外だよ!?

 早いよ。待って。もう少し時間を頂戴。


 返事、返事を考えなきゃ。

 こういうのって、どうするべき?


 シンプルな方が良いのかな?

 でも、ハルくんは色々と考えてるだろうから──



「──春樹さん!」



 聞き覚えの無い声がした。

 少し遅れて振り返ると、見覚えのある女子が立っていた。


 坂下輝夜さん。

 多分、二年生で一番有名な人。


 長い黒髪が特徴的。

 とても綺麗な人で、同性から見ても憧れちゃう。


「春樹さん。今から帰りですか?」


 そんな人がハルくんを呼び止めた。

 彼の正面に立って、親しげに声をかけた。


「うん。輝夜も帰るとこ?」

「はい! 良ければ、一緒にどうですか?」


 意味が分からない。

 何これ、どういうこと。


「ちょっと」


 どうにか声を出した。

 二人が同時に私を見た。


「春樹さん。こちらの方は?」

「幼馴染」

「なるほど。彼女が新見優愛さんでしたか」


 ……待って。待って。分かんない。分かんないよ。


「坂下輝夜です。初めまして、ですよね?」


 なんで坂下さんが?

 なんでハルくんのこと下の名前で?


「春樹さんとお付き合いをさせて頂いております。どうぞ、よろしくお願いします」


 ……。


「……あ、うん、よろしく」

「お名前、優愛さんとお呼びしても大丈夫ですか?」

「……うん、平気だよ」

「嬉しいです。春樹さんからお話を聞いて、是非お友達になりたいなって」


 ……。


「優愛」


 ハルくんの声。

 

「ごめん、今日は輝夜と帰りたい」


 ……。


「春樹さん。もしかして優愛さんと帰るところでしたか?」

「いや、帰る方向が一緒ってだけ」


 待って。待って。待ってよ。

 何これ。夢だよね。なんで二人が。なんで。なんで。


「せっかくです。三人で帰りませんか?」

「……輝夜がそれでいいなら」

「優愛さん、どうですか?」

「……うん。平気だよ」


 ……あ。


「行きましょうか」


 手、恋人繋ぎ。


「春樹さん。昨日紹介した本、読んでくれましたか?」

「うん。おかげで寝不足」


 ……あ、え、寝不足?

 ハルくん、朝は私のこと考えてたって言ったじゃん。


「分かります。時間、忘れちゃいますよね」


 こいつ……なんなの? 退いてよ。

 そこは、ハルくんの隣は、私の場所なんだけど。


「あっ、ごめんなさい。二人で話してしまって」

「……」

「優愛さん、読書はお好きですか?」

「……私は、全然、読まないかも」


 なんでこいつ、普通に話しかけてくるの?


「それは残念です」


 こいつ、いつから、ハルくんと。


「春樹さん」


 やめろ。呼ぶな。名前。


「今日、家に誰も居ないんですけど……」


 ちょっ、は?

 私が居る前で、なに言ってんの?


「マジ? 分かった。後で行くよ」

「ちょっと」


 あっ、やばっ、思わず。


「……ハルくん。説明して」

「何を?」

「……色々! 全部!」

「全部って言われても……」

「これから坂下さんの家に行くの?」

「ああ、うん、それはそう」

「それはそうって……何しに、行くの?」

「何って……決まってるじゃん」


 彼は私を見て、口角を上げる。

 

「お前と同じこと、するだけだよ」


 同じ、こと?


「じゃあ、そういうことだから」


 ハルくんは坂下さんの手を引いて、私に背を向けた。


「待って」


 止まらない。

 私の声を無視して、二人の背中が遠ざかる。


「待ってよ」


 掠れた声しか出ない。

 こんなの、本当に聞こえてないかもしれない。


「……なんで」


 頭の中がグチャグチャだった。

 涙と鼻水が同時に出て、お腹の奥から熱い何かがせり上がってくる。


「……こっち、見てよ」


 ハルくんは振り向かない。

 坂下さんと楽しそうに話ながら、どんどん遠ざかる。


「……行かないで」


 追いかけたい。

 だけど足に力が入らない。


 やがて膝が折れた。

 そのまま地面に両手をついた。


 顔を上げる。

 世界がグニャグニャに歪んでいた。


「……やだ。行かないで」


 ぼやけた世界の中。

 二人の姿だけが、はっきりと見える。


 綺麗だった。

 とてもお似合いの二人に見えてしまった。


 そこには私が入る余地なんてない。

 彼を何度も裏切った私に追いかける資格なんてない。


「……ぃ、ぁ、やだ、やだよぉ」


 ──お前と同じこと、するだけだよ。


「……ぁ」


 全部、繋がった。


「……みられ、たの?」


 私を避けていたこと。

 様子がおかしかったこと。


 全部、全部、繋がる。


「    」


 声にならない叫び。

 本はあまり読まないけど、そういう表現は知ってる。


 喉が千切れそうな程に痛い。

 多分、叫んでる。でも分からない。聞こえない。


 これが、そうなのだろう。

 私はきっと泣き叫んでいるのだろう。


 本当は分かってる。

 私には嘆く資格なんて無い。


 でも、でも、でも。

 やだよ。やっぱり。ハルくん……やだよ。


 約束したじゃん。

 ずっと一緒だよって……だから、行かないでよ。



 *  *  *


 

 それからのことは、何も覚えていない。

 いつの間にか自分の部屋に立っていた。

 どこをどう歩いたのかなんて覚えていない。よく車に轢かれなかったものだと感心するくらいだった。


 制服を着たまま部屋の隅で膝を抱える。

 ふと見上げた顔に、窓から差し込む光が触れた。


「……」


 綺麗だと思った。

 この世界にある私以外のモノ全部が綺麗だ。


 私だけが汚い。

 だからこれは、お似合いの結末なんだ。


「……ぁ、は」


 笑える。


「……ぁは」


 笑うしかない。


「あははははは」


 色々な液体をまき散らして。

 私は一人、壊れた玩具みたいに笑い続けた。

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