2.気持ち悪い

 朝になった。

 一睡もできていない。


 吐き気がする。

 かつてない程に体調が悪い。


 理由は分かってる。

 睡眠不足と、それから……。


(……なんなんだよ、あれ)


 未だに信じられない。

 悪い夢だったのだと思い込みたい。


 新見にいみ優愛ゆあ

 隣の家に住んでいる幼馴染。


 活発な性格。

 勉強と運動は平均的。


 誰にでも優しい人。

 困っている姿を見れば、手を差し伸べずにはいられないような人。


 いつも一緒だった。

 何度も「付き合っている」と周囲に誤解された。


 その言葉を肯定したことは無い。

 だけど心のどこかで思っていた。


 いつか、どちらかが告白する。

 二人は恋人になって、そのまま死ぬまで一緒に生きる。


 信じて疑わなかった。

 昨日だって、朝は一緒に登校した。


 そして今日も──


「ハル君! 朝だよ!」


 優愛は、いつものように俺の部屋に来た。

 

「あれ? まだ寝てるの?」


 いわゆる顔パス。幼い頃から家族ぐるみの付き合いがあるから、彼女は実家と同じ感覚で我が家に入る。


「おーい、起きる時間だぞー」


 彼女は俺に近寄ると、肩を揺らした。

 瞬間、えげつない不快感と共に身体が震えた。


「わっ、えっ、なに?」


 俺は彼女の手を払い除けていた。

 無意識だった。熱湯に触れた時みたいに、俺の身体が彼女を拒絶した。


「悪い、今日は──」


 ──お前の顔を見たくない。


「……今日は、先に行ってくれ」


 ギリギリのところで本音を飲み込んだ。


「ははーん」


 彼女は何か察したような様子で言う。


「仕方ないよ。生理現象なんだから」


 ベッドが軋む音がした。


「こーんなに可愛い幼馴染がいつも一緒なんだから、そりゃ溜まっちゃうよねぇ~」


 そして彼女は耳元で囁くようにして言う。


「お世話してあげよっか?」


 ──フラッシュバックする。


 からかわれているだけだと思っていた。

 だって、年齢的に関心があっても不思議ではない。


 ──ハル君、私がずぅ~っと誘惑してるのに、ぜーんぜん手を出してくれないの。


 何が起きたのだろう。

 何が、彼女を変えてしまったのだろう。


(……気持ち悪い)


 昨日までは彼女の発言にドキドキしていた。

 だけど今は嫌悪感しかない。吐き気がする。


「ハル君、もしかして体調悪い?」


 やめろ。


「おでこ触るよ?」


 パチッ──と音がした。

 俺が再び彼女を拒絶した音だ。


 彼女はとても驚いた顔をしていた。

 その顔を見て──昨日までと変わらない大好きな幼馴染の姿を見て、心がグチャグチャになる。


「ハルくん、なんで泣いてるの?」


 俺はハッとして、彼女に背を向けた。


「一人にしてくれ」

「えっと……」


 困惑した声。

 俺は耳を塞ぐつもりで布団を被った。


 何も聞きたくない。

 何も、見たくない。


(なんで、いつも通りなんだよ)


 気持ち悪い。

 気持ち悪い。気持ち悪い。


「後で聞かせてよね」


 彼女は心配そうな言葉を残して部屋を出た。

 俺は聞き慣れた足音が遠ざかった後、呟いた。


「……気持ち悪い」


 感情がグチャグチャで眩暈がする。

 眠りたい。布団の中で悪夢の終わりを待ちたい。


「……気持ち悪い」


 これは悪夢じゃない。現実なんだ。

 でも、だからって、どうすればいい?


 本人に事情を聞くのか?

 できるわけないだろ、そんなこと。


「……学校、行きたくねぇ」

 

 頭の中で声がする。

 大丈夫だよ。一日くらいサボっても。


「……優愛に、会いたくない」


 ずっと一緒だった。

 俺は彼女に恋をしていた。


 おかしな様子なんてなかった。

 昨日も今日も彼女はいつも通りだ。


 じゃあ、最初からそうだったのか?

 俺が見ていないところでは、ずっとあんな感じだったのか?


 気持ち悪い。気持ち悪い。

 綺麗だったはずの思い出が、悍ましい何かに塗り替えられるような感覚がある。


「……っ」


 口を手で押え、息を止めて走る。

 俺はトイレに駆け込んで、胃の中身を吐き出した。


 強烈な不快感と苦痛によって涙が出た。

 何もかも吐き出し終えた後は洗面台へ向かう。そこで口に残った不快感を洗い流した。


「……気持ち悪い」


 ほんの少しだけスッキリした。

 だけど、大事な部分は何も変わらなかった。


 しばらく何も考えられそうにない。

 心の中に大きな穴が開いたような気持ちだった。

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