第25話 青年、なにがなにやら

「ああ、ああ、協力だろう、そんなもんするって何度もいってるだろう!」

 職場で硫黄さんが怒鳴るなど、私が知るかぎりではじめてのことだった。

「しないなんて誰がいった! 聞いたやつなんかいるわけないぞ、一度も俺はそんなこといってないんだからな!」

 なんて騒がしい。

 おかげでこちらに向けて読み上げられる書状の内容が、全然頭に入ってこない。

 ――家宅捜索を受けるのだそうだ。

 私が。

 家宅捜索である。

 それははじめて聞くものだった。

 昼過ぎに職場に突如現れた烏の警護隊員がいうに、私は化けものとかかわりを持つ一途くんをかくまっている、という。

 その捜査のため、住居を捜索することになった。

 頭が真っ白になってしまっている。

 問題は――家宅捜索の執行日が、まさに今日だということ。

 もう捜索の手は私の家と離れとに向かっているだろう、すべてを白日の下にさらすために。

 家捜しを宣言した上で、さらに私を拘束するという。烏の責任者と硫黄さんはやり合っていて、私は置いてけぼりになっている。

 書状を持参の筒にしまい、烏は咳払いをすると私を不憫そうな目で見た。

「拘束といいましても、大海からの接触を懸念してのことです。隠れ家を失って、やけになる可能性もあります」

「や、やけってそんな!」

「ご安心ください、一時的に安全な場所にお連れいたしますので」

「安全な場所って……そ、それは」

 尋ね返しながら、大海とは誰だったか、と緩慢に考えていた。

「数日そちらに滞在いただくこともできます。不安がぬぐえないようでしたら、長期間滞在の申請をしていただきますが、滞在期間も延長できます」

 拘束というより、それは保護だろう。

「ご了承いただけましたら、こちらに拇印を……」

「不安って、なにがですか? なにを、そんな」

 ――そうだ、大海とは一途くんのことだ。

 ――やけって、まさか、一途くんが襲撃してくるとでも?

 どうして急にこんな、とこれまで停滞していた思考が動き出す。

 血の気の引く私の横で、硫黄さんがさらに声を荒げる。

「いいがかりだけは一人前か! おいそこの! ほらおまえらの希望の品だ、さっさと持って出ていけ!」

 硫黄さんはわきの棚から、牛攻が移された鉢を持ち上げ烏に押しつける。

 硫黄さんにはひょいと持ち上がってしまうものでも、烏――ほかの者ではそうもいかない。受け取った瞬間に、烏はその重さでひざを折りかけていた。

「皮剥! こいつらの話を聞く必要なんかないぞ、ああ、ああ、こんなにむかつくのははじめてだ! どうせやるなら一二三が出てきて説明すればいいだろうに!」

 よろよろと牛攻の鉢を抱え部屋を出ようとする烏の横を、私は身をひるがえしてすり抜け、廊下を走り出していた。

 ――家宅捜索の手が入るなら、手遅れになる。

 化けものとの接触のことも、遠からず発覚する。走り出さずにいられない。

 家が、一途くんが、あの化けものがどうなってしまうのか。

 走る私に、烏は悠々と自分の翼で飛んで追いついてきた。

「どちらへ?」

 飛びながら、涼しい顔で烏は尋ねてくる。

「家! です!」

「いまは捜索を」

「だって! 私の、家、なのに!」

 走りながらでは、うまくしゃべることもできない。

「皮剥さんが家に戻られるなら、私も同行いたします。朝吠と申します」

「はいぃ!」

 彼の手配で、警邏のときに使う龍車を貸してもらえた。

 朝吠さんと並んで乗りこんだ龍車は驚くような速度で進み、私たちが使う乗り合い牛車など比べものにならなかった。

 見慣れた風景のなか、龍車は光のように進み、私はあっという間に家に帰ってきた。

 遠目にした龍車の窓からの眺めでも、たくさんの役人が私の家の周囲にいるのがわかった。

 囲まれている。

 私はやや手前で龍車から降り、いまになって朝吠さんに謝る。

「そういえば、急におつき合いいただいてすみません」

「いえ、突然で驚かれたでしょう」

「はい。こんなことになるなんて」

 そうだ――あの化けものはどうしただろう。

 急な騒ぎに驚いていないか心配になる。

「いまはどんな感じなんでしょう、家を調べるというのは……どういった」

 本来なら、その質問を先にするべきだった。うちには大家というものがおらず、鍵は私と郷里の実家に複製があるのみだ。

「玄関の戸を外させていただいて、なかを検分させていただく算段です」

「戸を、外す?」

 私は朝吠さんの顔を食い入るように見つめた。戸を外すなら、鍵などいらない。

 彼は私から顔を背けるようにし、家を指差す。

「破壊などが目的ではありません、大海氏の身辺にまつわる捜査ですので……」

 私は家のほうへ走り出していた。

 化けものはどうなった――あそこは証拠だらけなのだ。

 一途くんにかかわる証拠の有無を、私は知らない。あるとわかるのは、私が化けものと接触している証拠だ。

 すべてなくすのだ。

 全部、私は失う。

 私だけで済めばいい。

 郷里の両親や、つき合いのあった友人たち――そして月子さん。悲しませるだろうか。月子さんに謝りたい。いままでのお礼が言いたい。

 血の気がこれ以上ないほど引いていたが、たくさんの烏がいて、私はもう狼狽すらできなかった。

 玄関の戸がきれいに外され、四角い穴がぽっかり空いている状態になっている。施錠など意味がなかった。

「すみません、通してください、この家のものです!」

 私と私を追う朝吠さんの到着で、場にいた烏たちが道を開けてくれた。

 焦燥が私のなかで吹き荒れていた。

 もう、ただなかに入って、化けものが無事なのか――すでに確保されてしまっただろう化けもののことを確認したい。

 乱暴に私は蹄鉄を外す。慌てていて、釘の外し方がおざなりになって蹄が欠けてしまった。

「皮剥さん、どうか落ち着いてください、家に入られて動揺なさるのは無理もないと思います。我々もはじめてのことで……できるだけ荒らさないよう、配慮させていただく所存です」

「で、ですが、でも……!」

 家に他人が入りこみ、荒らしていくおぞましさより、あの化けものが怯えているのではないか、と思うと不安でならなかった。

 呼びかけたかったが、化けものの名を知らず、名もつけなかった。

 歯を食いしばって私は廊下を進む。

 わざわざ確認するまでもなく、家にはたくさんの烏がいた。私が名乗りながら入っていくと、みんな目を逸らした。彼らに私はなにを問いかければいいのかわからず、ふらふらと廊下を進んだ。

 さほど広くない家で、通りかかるふすまを開けなかをのぞく。

 そのたびに初対面の烏がいる。

 勝手に入りこんだのだ――罪悪感からだろう、気まずそうにうつむくものと、逆にこちらを居直ったような顔でにらんでくるものとに二分されていた。彼らにしてもはじめてのことなのだ。

 騒々しい家にあって、誰ひとりとして私に声をかけてこなかった。

「家主の方ですね?」

「は、はい。家を調べると聞いて……とりあえず来てしまったのですが」

 現場の責任者だという烏は、状況を説明してくれる。

 先に調べに入った離れに一途くんがいないこと、母屋も念のため調べていること。

 一部屋一部屋、先導する責任者とまわり、状況説明が続いていく。

 すべて検分されている。

 戸はすべて開かれ、引き出しは抜かれ、私の生活をひっくり返して調べようとしている。それについては一途くんの痕跡を捜して、と聞かされる。離れはもう少しこまかく調べている、と。



 ぐるりと自宅をまわってわかった。

 ――私の家に、化けものはいなかった。

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