第20話 青年、楽しい散策へ

 仕事が暇なこともあり、何度か月子さんと出かけた。

 野外劇場で演劇を楽しみ、神輿を見物にいくはずが雨に降られて道を引き返し――これはなんという関係なのだろう。

 上司に引き合わされた遊び仲間、でいいのだろうか。もっと親密なものを確信していていいのだろうか。

 私も月子さんも、これといって関係を確かめ合っていない。

 そのことを強く考えたのは、古書店街上げての古本祭りに出かけたときだった。



 学生のころに比べ本を読む数が減ってしまった私に対し、月子さんは働きながらも読書に勤しみ、活字を楽しんでいるとのことだった。

 私の自宅にある本は、どれも専門書ばかりになっている。いずれも仕事がらみのもので、それ以外の本は納戸の奥にしまわれていた。

 年に二度おこなわれる古本祭りは、地元の酒蔵も出店を用意し酒肴を並べるため、何度か顔を出したことがある。

 古本祭りの話題が出、どちらともなく乗り気になり、気がつけば当日の待ち合わせを約束していた。

 興味の向くものが似ているようだ。

 食の好みの似ている一途くんを誘うのが気楽だったのと違い、興味の似る月子さんを誘うのはじつは緊張させられている。

 断られるのが怖いのだ。

 実際に断られたことなどないのに、そうなったら、と不安になる。

 あとになって、その不安について自分で自分を笑う。

 断られることだって、そのうちあるだろう。月子さんには月子さんの考えや都合がある。すべてに応じてもらおうなど、あまりに身勝手だ。

 待ち合わせた朝、化けものに多目の食事を用意し、私ははやめに家を出た。

 待ち合わせ場所は古本祭りが開催される現地だ。そこまで乗り合い牛車を使うかとも考える。乗り合い牛車は方々に向かって用意され、数もあり価格もお手頃だ。便利な代物だが、祭りに向かう路線の牛車は利用客で混雑する可能性があった。

 目指す牛車に乗る前に、私は道端に月子さんを見つけて驚いていた。

 月子さんも私に気がついていた。目を丸くし、それから笑顔になる。

「皮剥さん、これからお出かけですか? 私もなんです」

「待ち合わせの前に会うなんて、奇遇ですね」

「ええ、牛車が混むかもしれないので、ちょっとはやく出たんです。皮剥さんは?」

「私もです。古本祭りにいくひとで、牛車も道も混むかと心配で」

 同感です、と目線を交わすのは楽しかった。そろって混雑を用心して、家をはやくに出ている。

 想像したとおり、牛車はとても混雑していた。

 乗るためにしばらく並ばなければならず、乗ったら乗ったですし詰めに近い。大型の牛車を引く牛鬼も、どことなくうんざりした様子だった。

 古本市を目当てにするのは誰でもおなじようで、道も混み合いなかなか進まず、私たちは途中で牛車を降りた。

 以前私が出かけてきたときは、道も空いており気軽な行程だった。ただし、そのときは本が私の目当てでなかったため、夕方になってからの出発だった。

 歩くには現地は遠く、途中にある並木道でも散歩してなにか食べましょう、と目的を変えた。

「どこかお店があったら寄りましょう」

「大通りが近いですから、きっとどこかありますね」

 とても気楽だった。

 彼女とずっといられたら、と高望みのようなことを考える。

 並木道の両脇に立つ木は見事な枝振りだったし、出ていた露店の団子はおいしかった。

 新しく商いをはじめたばかりらしき定食屋があり、団子の腹ごなし分は歩いていたため月子さんとその暖簾をくぐり――そこで私は見覚えのある顔と目が合った。

「あ、皮剥くんじゃない!」

「ああ――」

 その猪の女性に覚えはあるが、名前が出てこない。

 代わりにその名を呼んだのは、月子さんだった。

「陽春ちゃん、どうしたの? こんなところで会うなんて」

 そうだ、庭瀧さんのところで会った、技師の陽春さんだ。

「道緒ちゃんまで! ひさしぶりぃ」

 陽春さんのすわる席は四人掛けのもので、その向かいにはふっくらとした狸が腰を下ろしていた。

「今日は道緒に会いにきたのよ。あんたたちに会うなんて、こっちもびっくりしたわ」

「お客さん、陽春とお知り合いですか?」

 店員がやってきて、私たちを陽春さんたちとおなじ卓に通す。

 まだ昼になっていないからか、ほかに客のいない店内で、私は急激に冷や汗をかいていた。

 月子さんは奇遇だ、と友達ふたりとの再会を喜んでいる。

 だが私としては――陽春さんと道緒さん両名の視線が少々つらい。

 まるで値踏みするようなものなのだ。

 いや、値踏みされているのかもしれない。

 ひさしぶりに会った友達が異性を連れていたら、品定めされてもおかしくないものなのだろうか。

「皮剥さん、ちょっとはやいけど、お昼にしませんか」

 友達たちが私に向けてきている視線に気づいていないのか、月子さんは店内のお品書きを見回している。

「うちはなに食べてもおいしいからね」

 道緒さんがにこにこといい、陽春さんがうなずいた。

「道緒の旦那がはじめたのよ、ここ」

「旦那さん? え、私道緒ちゃんが結婚したの、知らなかった……」

 月子さんが狼狽した声を出した。

「うん、知らないでしょ? まだ旦那さんじゃないのよ。陽春ったら気がはやいから」

「え、えっ? え?」

 月子さんがわたわたすると、道緒さんが頬の毛に指先を埋めて笑った。とてもしあわせそうな顔で、なんだか私の顔をほころんでいく。

「婚約しただけ。でもここで商売するから、どうぞごひいきに」

 そういって道緒さんは、私に笑顔を向けてくる。

「道緒は皮剥くんのことは知ってるの?」

「ううん、でも月子のいいひとじゃないの? なんかそんな感じ」

「いえ、あの……私は」

 いい淀むと、陽春さんが舌打ちをした。店内に響くような、いい音だ。

「はっきりしなさいよ! ぐじゃぐじゃいわないの、そんななのに腕はいいとか、ほんと世のなかわけわかんないわ」

「はあ……ありがとうございます……」

 けなされているのか褒められているのか。私はとりあえずお礼をいう。

「そうだ、みんなお昼は任せてもらっていい?」

 道緒さんが厨房に向かっていく。

「ねぇ、みんな学生時代のお友達なのよ。たまたま会えて――」

 厨房に声をかける道緒さんの言葉は、途中で聞こえなくなった。

「あんたたち逢い引き?」

「なんでそんな、陽春ちゃんったら刺激の強いことばっかりいうの? 皮剥さんと古本祭りにいこうと思ってたんだけど、混んでるから途中で牛車を降りたの」

 ふーん、という陽春さんは、たいして興味はなさそうだった。

「それで、あんたたちどうするの? 道緒みたいに結婚しないの?」

 私としては硬直するしかない。向かい合った席にすわる月子さんも、おなじく硬直していた。

「……進展なしってことかぁ」

 私たちの様子で推察したのだろう、陽春さんはため息をついていた。

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