第21話 青年、身につまされる
そこに戻ってきた道緒さんは、背後に婚約者だろう狸の男性を連れている。
小鉢の乗ったお盆をふたりとも持っていて、それを配膳すると深々と男性は頭を下げた。
「こちらで商わせていただくことになりました、どうぞ末永く、よろしくお願いいたします」
私も腰を上げて頭を下げる。
「本日は偶然とはいえ立ち寄らせていただきました。なにかのご縁もあると思います、ぜひこちらこそよろしくお願いいたします」
おたがいいま一度頭を下げ合うと、狸の店主は厨房に戻っていった。
今度は陽春さんと道緒さんだけでなく、月子さんまで私を値踏みするような目をしていてぎょっとする。
「ど……どうかしましたか」
「……ううん、おいしいもの食べられたらいいな、って」
月子さんがにんまりと笑う。硫黄さんや蔦子さんに通じる笑みで、熊一族独特のものなのだろうか。
着席した道緒さんに向かって、陽春さんが私と月子さんのことを説明しはじめた。とはいえ、庭瀧さんの工房をお邪魔した経緯をざっと、である。
「ほんとなら財布が出てくるのが筋なのに、この皮剥くんがきたのよ。師匠はきんつばで買収されるし、せめて財布の顔くらい見せてほしいよね」
「陽春に会うのがいやだったんじゃないの?」
「なんで? あたしと財布、けっこう仲よかったと思うんだけどなぁ」
私はおずおずと手を上げた。
「あの……さっきから財布って呼んでるのって、まさか」
たぶん硫黄さんのことではないか。
「そうなんですよ、おじさん、みんなから財布って呼ばれてて」
「いまはどうなの? 職場のひとの財布になったりしてないの?」
とくに気にした様子もなく、陽春さんは尋ねてくる。
「おじさん、いい顔したがるんです。昔から私の友達に会うと、いいなりにお財布開けるから……」
「おごってほしいなんて催促してないのに、ほらほらおごってあげるよ、って財布開けちゃうんですよ、月子のおじさんって」
私は頭を抱えそうになっていた。
「……職場では、そういった素振りはないですね。それはいい顔をしようとしたというか……姪っ子の友達となると、やっぱり硫黄さんにすれば歳の差もありますし、ついついごちそうしたってくらいのことじゃ」
「いっぺんに十人くらいの飲み食いだっておごってくれてたわよ、あの財布」
財布、という呼び名になんだか辛辣な響きがあり、私はまごつきそうだった。
「あれは下心じゃないかって意見があったんだからね。そんなだと月子だってかわいそうだし、卒業してから一回会って確かめてみたい気もするのよねぇ」
月子さんのため息を耳にし、私は口を開く。
「いま会っても、もてなす意味で硫黄さんが払うと思いますよ。ただ学生さん相手だと、やっぱり働いてない時期でしょうから、気前よくおごって……おごってるうちに、引っこみがつかなくなったんじゃ」
そこまでいうのがやっとだ。
給金が上がったからと、友達連中の財布役になっている私にはこれが限界だった。
聞こえてくる硫黄さんに対するものだろうため息に、私は絶対に財布役になっていることを話さないと心に決めた。
話題転換の救いの主は、運ばれてきた料理だった。
一食がお盆に乗せられて運ばれる形式の店のようだが、私たちの卓はとても豪華な光景となった。
なにかいおうとすると、運んできた店主が首を振る。
すかさず道緒さんが口をはさんできた。
「どうぞ召し上がってください、さっきもいいましたが、なにを食べてもおいしいんです」
誇らしげな道緒さんと店主の様子から、きっと自信がるあるのだろう。
箸をつけると確かにそうで、自宅から少し距離はあるものの、散歩も兼ねて出かけるときの目当てにしたい味だった。ここで晩酌をしたら、きっと酒の味が二段も三段もうまくなる。
私でも満腹になる量で、女性陣には完食は厳しいものになっている。
残った炊きこみご飯をにぎり飯にしてもらい、私たちは手土産持参で店を出ることになった。
お見送り、といって道緒さんも一緒に店を出ていた。
私は満ちた腹を抱え、四人で並木道を歩きはじめた。
道緒さんたちは両家の親戚への顔合わせも終わり、年明けには店主と正式に夫婦になるという。
「祝言は挙げないけど、お店で記念になにかしたいね、って話してるの」
「挙げないの?」
「そうなの! 道緒、一生に一回のことなのにやらないって」
うなずく彼女の態度から、祝言を挙げないことは彼女のなかではたいしたことではないのだ、とわかった。
ひとによって重きを置くものは違う。
いまは親類に手伝ってもらっているが、いずれは店主とふたりで店を切り盛りしていきたい、と話す彼女は、散歩もほどほどで店に戻っていった。これから昼時だ、人手が出ずっぱりなのは困るだろう。見送ってくれた彼女の背中に、私は頭を下げていた。
しばらく進んだ道の先に茶屋があり、軒先に竹筒がぶら下がっていた。
軒に竹筒を下げている茶屋は、お茶の持ち帰りにも対応してくれる。竹筒に入れて販売してくれるのだ。
「あたしと皮剥くんで待ってるから、月子お茶買ってきてくれる? 荷物持って待ってるわ。食べすぎて歩くのしんどい」
「おいしかったもんねぇ、また道緒ちゃんのとこみんなで来ようね」
そういって月子さんは小走りに茶屋に向かう。
私はとなりの陽春さんから視線を感じ、そっとそちらをうかがう。彼女はへの字口で私を見上げていた。
「……で、月子とどうなの」
「いえ……その」
「あんたも月子も、自分から動かないでいるの?」
「う、動くというか、動かないというか……」
「道緒もそうだけど、月子もいいやつなの。友達だし、しあわせになってほしい」
彼女の目元に弱々しい光が揺れていた。陽春さんから見て私はそんなにも頼りないだろうか、と気持ちが沈んでくる。
「勝手にしあわせになれることもあるけど、自分からしあわせになるのもいいもんじゃない?」
返答に詰まっていると、茶屋の先に月子さんが立った。竹筒を手にし、笑顔でこちらにそれをしめす。
戻ってくるのを待ち、竹筒を受け取った。
「ありがと、月子。お使いみたいなことさせてごめん」
竹筒はたぽたぽと重く、それを荷物にしまって陽春さんは背筋をのばした。
「それじゃ、あたし帰るわ」
「今日はおばさんとお留守番してるの?」
「うん。昼ご飯もできたから、助かっちゃった」
なんの話か、と蚊帳の外にいると、陽春さんが首をかしげる。
「月子、皮剥くんにあたしのこと話してない?」
「うん、どうせなら陽春ちゃんからのほうがいいし。そのうちみんなで会えたら、って思ってたし」
「そっか。皮剥くん、あたし子持ちなのよ」
「えっ」
月子さんと陽春さんは女学校の同輩で――と脳裏で考えている間にも、ふたりは別れの挨拶を進めている。
「うちの子、いまはばぁばとお留守番中。帰ったらうんと遊んであげないと」
「陽春ちゃん、あたしのおにぎりも持っていけば? 炊きこみご飯、おいしかったもの」
「あ、あの、私のもどうぞ!」
月子さんとそろってにぎり飯の包みを差し出すと、陽春さんは笑い出した。
「お子さんと旦那さんとぜひ」
「うち、旦那いないの」
「えっ」
「生ぬるいことばっかほざくから、蹴り出しちゃった」
「……え」
月子さんがうなずく。
「たとえじゃなくて、ほんとなのよ。陽春ちゃん、蹴っ飛ばしたの。まわりにみんながいる前で」
状況はわからないが、彼女なら離縁の景気づけにそのくらいはしそうだ。
「ぼんくらといて、勝手にしあわせになれるかわかんないでしょ? だから蹴ったのよ」
子細は私にはわからない。月子さんの性格からして、陽春さんの事情をペラペラ話してくるとも思えない。
私は陽春さんの事情を知りたいのだろうか。
知らなくてもいい、と即座に思い、私はさらににぎり飯の包みを突き出した。
「おいしいものをたくさん食べるのはいいことですから! 持っていってください!」
通りすがりのひとが驚くような声で陽春さんは笑い、私たちから包みを受け取った。
明るい表情で手を振り、陽春さんはきた道を戻っていく。
「ここからだと、牛車ですぐなんです。陽春ちゃんのお宅まで」
「そうなんですか。今日は偶然とはいえ、会えてよかったですね」
陽春さんは道緒さんに会いに出かけてきたのだ。
そこに私たちが現れた。
その偶然に月子さんは喜んでいて、並木道を出てもしばらく通りに沿って私たちは散策していた。
ずっと頭のなかでは、私たちは勝手にしあわせになれるのだろうか、とそのことばかりを考えていた。
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