第22話 青年、会いたくない顔と

 月子さんに、私たちの関係について確認したほうがいい――そう強く思う。

 しかし私には無理だった。

 断られるのが怖い。

 これに尽きる。

 振られるのが怖いのだ。

 散策する最中も乗り合い牛車に揺られる最中も、私は振られるのが怖くてなんら確認をせず、夜道で月子さんを送るため並んで歩いていた。

 こういうとき、もてる男ならどんな振る舞いをするのか、そんなものは知らない。

 あいにくもてたことなどないし、びくびくしながら確認するのなら、さっきまで見てきた飴細工の実演販売の話をしたほうがずっと楽しい。

 そう思ってしまうのは、私が月子さんに本気になっているということだった。

 月子さんのお宅のあるあたりは、私の住まいと違って周囲に民家も街灯もたくさんある。私の住まいのあたりと違い、なにかあったら誰かしらの耳に物音が届きそうだ――が、夜道を月子さんひとりで帰したくなかった。

 家が見えてきたあたりで、私は足を止めた。

「月子さん、僕は」

 ここで、といいかけたが、わりと近い場所でほぎゃあ、と聞こえて口を閉ざす。逆にあたりを気にしたのは月子さんだ。

「いまの声、なにかしら」

「ああ、銀魚だと……思うのですが」

 ――月子さんは耳にしたことがないらしい。

 私は何度も聞いているもので、あの声を聞くだけで一二三さんを連想してしまう。

 声は近づき、求めなくてもその姿を確認できた。

 銀魚の綱をにぎった一二三さんだ。

 おそらく彼なのだろうと思っていた私は、月子さんに気取られないように息をついていた。

「おや、皮剥さんこんばんは」

 親しげで、白々しい声だった。

 待ち伏せをされていた、と思ってしまう。

 なにかいってやりたい、とうまい言葉を探すが、一途くんと火立くんの応酬を思い出すだけである。

 彼らのような、親しさに裏打ちされたやり取りはできそうにない。

「皮剥さん、お知り合いの方ですか?」

 月子さんの囁くような問いに、私は首をかしげる。

「どちらかというと、私より硫黄さんのほうがご存じのようです――一二三さん、こんばんは」

 ほぎゃ、と鳴く銀魚の声とともに、一二三さんがこちらに近づく。

「ああ、そちらのお嬢さんは、硫黄さんの姪御さんですね」

 私は考えもなしに、月子さんと近づいてくる一二三さんの間に身体をすべりこませていた。

 身体が動いてから、月子さんに近づいたり話しかけたりしないでほしいのだ、と自分の行動に意味づけをする。

 法からすれば、一途くんは追われるべきものだ。

 一途くんだけでなく、私も。

 自分のことだから、それは棚に上げることにする。ついでに一途くんのことも棚に上げてしまおう。

「月子さん、こちらの方は警備隊に勤めていらっしゃって、一二三さんとおっしゃいます。硫黄さんがお仕事の手伝いをされてるみたいです」

 悪いことなどなにもしていない、と開き直ってみることにした。そうすると、緊張がすっと軽くなった。口が楽に動く。

「そうなんですか、硫黄おじさんがお世話になって……」

 一二三さんが口を開く前に、私はまくし立てるようにする。

「なんでも一二三さんは、私の友達が化けものとかかわってるんじゃないか、って疑ってるんですよ」

「まあ、怖いことおっしゃるんですね」

 月子さんが口をあんぐりと開けた。

 友達である一途くんだけでなく、私もすでにかかわっている。彼女の素直な反応に、胸が苦しくなった。

「本人がそういう怖い話を聞き漁ってるから、なんというか、身から出た錆かもしれないんですが。はやくそういう疑いが晴れてくれたら」

「ずいぶんおもしろい趣味のお友達なんですね」

 ね、と月子さんは一二三さんに同意を求めるように顔を向けた。

「ええ、おもしろい奴なんですよ、今度ぜひ会ってやってください。ちょうどいまはうちの離れに滞在しているんです。あちこちまわってるので、見識が広いんですよ」

 一二三さんは私に冷たい視線を送っていた。ほぎゃほぎゃと鳴く銀魚は、一二三さんのわきから動かない。

「……ですが」

 飼い主が話すと、銀魚は鳴くのをやめた。すでにしつけがすんでいるのだ。

「見識が広くとも、犯罪者ともなれば周囲の見方も変わりましょう。親しいおつもりでも、後々ご自身の心変わりに打ち拉がれることになりませんか」

 心変わりか。私は笑いそうになったが、頬の裏側を噛んでそれをやり過ごす。

「もとより、友達だと思っているのはあなただけでは? 化けものにかかわろうというものを、あっさり信用するのはいかがなものか」

 そんな言い方をしたら反感を買うだろうに、どうしてわざわざそんなことを――呆れてしまった私のとなりで、月子さんが激昂しはじめた。

「どうしてそんな言い方するんです? 皮剥さんやお友達のこと、そんなに深くご存じなんですか!」

 月子さんの声はよくとおるものだった。

 近隣に迷惑になる、まあまあ、と取りなそうとする私に、月子さんは首を振った。引っこんでいて、といわれた気がして、私はひゃっくりのような音がのどから出ていた。

「つ、月子さ……」

「先入観だけでそんなことおっしゃらないでください!」

 すでに月子さんは私のほうを見ていない。

「いやいや、お嬢さん先入観だなんて」

「ならどうしてそんな意地悪を? つかまえられるひと相手なら、意地悪をいってないでつかまえるでしょう? つかまえないなら、悪いひとだって証拠がないってことです、それだとあなたはただの意地悪なひとになりませんか!」

 一息にそれをいう。

 ずいぶんと息が長いものだ、と私は感心していた。

「あなたがそんな意地悪なことをいったからって、私が狐はみんな意地悪だなんていい出したらいやじゃありませんか? あなたひとりが意地悪だからって、それは狐が全員意地悪だって証拠じゃないでしょう?」

 つるつると月子さんの口から言葉が出て、私は彼女の伯母である蔦子さんを連想していた。

 やはり身近なひとには似るものか。

 そして言葉を連ねるうちに、論点がずれてきているようだ。

「意地悪だなんて、それこそ誤解ですよ、お嬢さん」

 きれいな笑顔で一二三さんがそう返したとき、道の先にある家から巨体が姿を現していた。

「あ、おじさん」

 硫黄さんである。

 けっこううるさくしてしまったか、と思ったのは一瞬だ。

 私は硫黄さんに対し息を飲んでいた。

 こんなに恐ろしい形相の硫黄さんなど、これまでに見たことがない。

「ほぎゃほぎゃ聞こえると思ったら、一二三さんですか」

 半纏を着た硫黄さんが大股にやってくる。威圧感がすさまじく、低い声にはいつものゆったりした色はまったくうかがえなかった。

 開き直って忘れていた緊張が戻ってくる。自然と私は、息をひそめるようにしていた。

「このあたりは民家がたくさんありますからねぇ、そう鳴き散らすのを連れて歩いてると迷惑になりますよ」

「これは失礼。警邏の一環と思し召しください」

「他人に好意的な解釈ばっかり求めるもんじゃありませんよ、あなただっていいお歳でしょう。そんなじゃ若いもんに後ろ指をさされます」

 硫黄さんは私たちに顔を向けた。

 依然怖い顔つきだったが、突然私は安堵感を覚えていた。頼もしい壁を得た気分になっている。

「月子を送ってもらってすまんな、皮剥くん。月子、なかでお茶でも飲んでってもらえ」

「いえ、私は……」

「遠慮するもんじゃない。蔦子がもう支度してる」

 月子さんの手が私のひじをつついた。彼女はひどく不安げな顔をしていて、私は硫黄さんの指示にしたがうことにした。

「お言葉に甘えさせていただきます」

「おお、そうしてくれ」

 一二三さんの顔に苛立ったものが浮かんでいた。

 それは私に向けられたものではなく、硫黄さんに対してのものらしい――このふたりは相性が悪いのか。

「皮剥さん、またいずれ」

 私は一二三さんになんと応じるか迷い、ただ頭を下げた。

 背を向け、うながすまでもなく月子さんがとなりに並んだ。

 気づけばいつからなのか、通り過ぎる家々からこちらを見ている顔がいくつかある。硫黄さんだって銀魚の声で様子を見に出てきたようだし、おなじくなにごとかと腰を上げた住人だっているだろう。

 そしていざ外をうかがえば、そこにいるのは直衣の役人だ。なにか起きたのか、とそわそわしていてもおかしくなかった。

 月子さんが恐縮した態度で、それらの顔に頭を下げる。

 私が一二三さんにしたものと違い、迷惑をかけた、と詫びるものだった。

 それを前にして、開き直って一二三さんを弄するような態度を取った自分が恥ずかしくなった。

 彼は職務として法に反するものを取り締まるのだ。

 私の態度は、盗っ人猛々しい態度そのものだ。軽蔑されても反論できるものではなかった。

 結果として月子さんを萎縮させている。硫黄さんを激昂させている。

 私はめまいがするほど後悔していた。

「率直なお若い方が、ひとを疑わずにこのまま過ごせるとよいのですが」

 背中に聞こえてくるそれが当てこすりだと即座にわかったが、これを当てこすりと感じるのは、自分のおこないのせいなのだろう。

 化けものを拾ったことに後悔はない――どうしたらいいか困ってはいるが。

 月子さんが私を一瞥し、その目にあった気遣いに胸が重くなる。

「ひとを疑わなくてなにが悪い!」

 突然硫黄さんの怒声があたりに響き渡った。

 空気そのものがビリビリとふるえ、月子さんが「きゃあっ」と短い悲鳴を上げる。とっさに彼女の手をにぎると、そこに硫黄さんの声が続いた。

「こっちはただの風研ぎ職人なんだ! 誰かを疑うのが仕事じゃない、うちの若いのが他人を疑わないのなんか当たり前だろう! うちの皮剥はそんなひねくれた性根じゃないぞ!」

 肩越しに見れば、硫黄さんの巨体の向こうで一二三さんが目を見開いている。

 一瞬私と目が合った。

 たぶん私も、一二三さんとおなじような顔をしているに違いない。

「自分が疑う仕事だからって、こっちにまでそれをお仕着せてくるんじゃない!」

「硫黄さん、落ち着かれてはいかがですか」

 一二三さんの声はかたいものだった。

「こっちに落ち着けという前に、あんたは自分をかえりみたらどうだ。まっすぐな奴に曲がってないと文句をつけるのは、見ていて不愉快極まりない!」

 硫黄さんは一二三さんに背を向け、こちらにやってくる。

「ほら、茶を飲むぞ!」

 まだ怒りが冷めやらないようだが、私と月子さんの肩を押し、硫黄さんは肩越しに一二三さんを振り返った。

「職務お疲れさまです! お気をつけて!」

 一二三さんはなにもこたえず、銀魚が短くほぎゃ、と鳴いていた。

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