第23話 青年、顔合わせと法について

 出された甘茶をいただき、私は身を縮めていた。

 背を押されるまま、硫黄さんのお宅にお邪魔している。

 そこに硫黄さんと蔦子さんがいるのはわかる。

 月子さんがいるのも。

 どういうわけか隣家に住む月子さんのお母さんまでやってきて、五人で卓袱台を囲むことになっていた。

 両家はとなり合った敷地に建っており、間にある塀に出入りできるよう戸をつくってあるという。

 一二三さんと会うよりも、月子さんのお母さんと対面するほうが私は緊張してしまう。

「月子がいつもお世話になっているそうで……ご挨拶が遅れてしまって、ほんとごめんなさいね。いろいろとお話はうかがっております」

「いえ、こちらこそ……ご挨拶もせず申しわけありません」

 お母さんは終始にこにこ顔だった。不思議なことに、月子さんはどこかふてくされて見える。

「月子がなにか失礼をしていなければいいんですが。まだこの子ったら、学生気分が抜けなくって」

「やめてよお母さん、そういうの」

 声もなんだかつっけんどんだ。

「だって、あなたみたいな子供が」

「そういうのやめてっていってるの」

「この子、皮剥さんといてもこんなですか? やだもう恥ずかしい……最近になって働きはじめて、おもてに出てもうちょっとおとなになってくれるかと」

「いいかげんにしてよ、お母さん」

「べつにいいかげんにするようなこと、お母さんなにもしてませんけど?」

 お母さんは熊の例に漏れず、身体が大きかった。月子さんは一族のなかでは小柄なようだ。

「あの、僕のほうこそ月子さんにお世話になってばかりで……」

「いいじゃない、おたがいがお世話するんで。そんなもんよぉ」

 蔦子さんが横から口を出してきて、そのまま以前解放されていた庭園の件を持ち出してくる。

 私たちと違って、硫黄さん夫妻は庭を堪能できるまでゆっくり散歩したらしい。

 あの混雑で堪能できるのは、上背があるのも関係していると思う。高い視点であれば、人波に視野をさえぎられることもない。

 ここに月子さんのお父さんがいらっしゃらなくてよかった、と思うくらい私は緊張していた。

 しかしいずれご挨拶をすることになる――なるのか、なるのだろうか。

 彼女とのことを考えて、私は自分で自分の緊張を強めてしまっていた。

 私がお邪魔させてもらった料亭の後、お母さんや親類を集めてあらためて食事会をしたらしい。

 そこで私の話題が出ていたと聞かされて、どっと冷や汗が出てくる。

 甘茶をいただいて席を立つまで、それほど時間はかからなかったはずだが、明確な疲労を覚えていた。ぐったりしている。

「ちょっとそこまで送ってくよ」

 硫黄さんの申し出は辞退したかったが、

「また狐がいたら面倒だ。ちょっとそこまでだし、いこうか」

「皮剥さん、これ」

 私が玄関で蹄鉄を手ではめようとすると、月子さんが横から装蹄鎚を渡してくれる。

「あ、ありがとうございます」

 素直に受け取って、蹄鉄をはめ――私はその装蹄鎚が真新しいことと、熊の一家にこんなものの用意がある不思議に気がついた。

 いまさら、気がついた。

 家に上がるときにお借りした、蹄鉄を外す道具も新しかった。

 顔を見ると、熊の一族は一様ににこにこと私を見ている。

 もしかすると私は、もっと月子さんとの先のことを考えてもいいどころか、考えていなければならないのかもしれない。

 脳裏を陽春さんの顔と化けものの寝顔とがよぎっていった。

「気をつけてね」

 月子さんの声に同調し、ほかの女性たちもおやすみまたね気をつけて、と送り出してくれた。

 やって来たときよりも、帰りのほうがぐっと寒さが深まっている。

 並んで歩き、なにか話でも、と硫黄さんをうかがう。

 硫黄さんは周囲をひたすら警戒している。話をするなら、硫黄さんが口火を切るのを待ったほうが賢明そうだった。

 往路は月子さんと一緒であまりあたりを見ていなかったが、いまになってみるとどのお宅も立派だ。

 富裕層が暮らす一帯を通っている、そう思って間違いなさそうである。

 けっこうな距離を歩き、住宅地を抜け、大きな通りにぶつかった。

 ひとの行き来が思いのほか多いのだな、との感想を抱いた私の横で、ほっとした息を硫黄さんが吐いた。

「あの狐、いないな。よかった」

 つくづくほっとした声に、私は少し笑った。そこまで嫌わなくとも、と。

「仲悪いんですね」

「まあなぁ」

 否定はしないようだ。

「今日は……ありがとうございました」

「いいよいいよ、手っ取りばやく顔合わせできたし」

 歓迎され気遣われ、そのために居心地が悪い空気を思い出し、私は空々しい声で笑った。

「月子さんのお父さんがいらっしゃったら、全員そろったんですねぇ」

 硫黄さんが首をかしげ、私もその反応に首をかしげると、

「ああ、話してないのかな。月子の父親、亡くなってるんだよ」

「え……そうだったんですか? 存じ上げなくて……」

 気軽にあの場でいわなくてよかった。昼の陽春さんのときといい、私が気軽に出したり出そうとしたりする言葉は、迂闊なものになっている。

「いわれなかったらわかんないでしょ、わざわざする話でもないだろうし。いい奴だったよ、僕の幼馴染みでね」

 しばし黙ってから、硫黄さんは私を手招いた。通行人のある往来で、顔を寄せ合ってしようというのはどんな話か。

「月子にはいうなよ……あれの父親はな、一二三に嫌疑をかけられて、獄につながれたことがある」

「えっ」

 硫黄さんはひそひそ声だったが、私は大きな声を上げてしまった。

 私の驚き顔に、硫黄さんはどこか満足げだ。

「まだ月子がちっさいころだよ……それもやっぱり、化けものがらみだ」

「化けもの……」

「一二三がなに考えてるかは知らん。まじめに仕事をしてるんだろうな。だが月子の父親は無実だった。獄で取り調べを受けて、身体悪くして帰ってきた」

 化けもの絡みで捕縛され、戻ったという話は初耳だった。

「わかるか。無実だから、帰されたんだ」

 化けものと接触したものは、いつの間にか消えてしまう。後々化けものの件だ、と声が残るのだ――そんな曖昧な知識しかなかった。

 なにをしたかと周知しないうちに捕縛し、断ずるのか。そして帰さない。周囲にすれば、いつの間にか姿を消している。

 それを思うと、どうしても私は疑問を覚えてしまう。

「どうして一二三さんは、あんなわかりやすく私に接触してきてるんだろう」

 こぼした声に、硫黄さんはくちびるを尖らせた。

「法が変わるそうだ」

「……なんだか、大きな話になりますね」

「大きいことだよ、皮剥くん。一説にはね、巣があるんだかなんだか、化けもののいるところにいく抜け穴があるとかなんだか」

「抜け穴……」

 背中のあたりがぞわりとする。

「案外近いとこに住んでるのかもしれない、化けものっていうのは」

 あまり信じていないような口振りだ。

 それはそうだろう、私だって、化けものを拾うなど我が身で経験しなかったら、絶対に信じられない。

 一途くんからあちらに何度も足を運んでいる、と打ち明けられたところで、そうと信じられなかっただろう。

 それくらい遠いものだった。

 噂話とか、そんなていどの実感しかなかったのだから。

「抜け穴を徹底的に捜してふさいでいって、きちんと管理して、化けものの侵入を断つんだそうだ。法が変わったら、あの狐が責任者になるんじゃないかな」

 そんな話まで知っているのはなぜだろう。見上げると、硫黄さんは肩を落とした。

「……そっちで働かないか、って話があるのよ。やんなるね……僕はただの職人だっつうのに」

 管轄外なのに引き抜こうというのか。私はびっくりしていた。

「……私に話して、よかったんですか?」

「いいのいいの。だって身内になるかもしれないでしょ」

「それは、その」

 いい淀むと、硫黄さんは笑っているようには見えない笑顔を見せた。

「ならないの? 月子じゃいやなの?」

「そんなことは、だって、いや……月子さんがなんていうか……」

 異種婚については、ご家族の態度からして気にしなくてよさそうだった。

「じゃあいいじゃないか。仕事以外だったら、僕のことをおじさんって呼んだっていいんだよ。なんなら、今日だってうちに泊まったっていいんだし」

「それはご遠慮いたします……」

 なんとも気のはやいことだ。

 それをいやだと思わず、そうなるのだろうな、と思っている自分がいる。

 そのためには、どうしたものか。

 法を持ち出すなら私は大変なことをしでかしていて、今度改正される法を持ち出すなら、即座に捕縛断罪されてしまいそうな予感がする。

 歩きながら話すうちに、道には飲み屋の明かりが点々と並ぶようになっていた。

「この時間におもて歩いてると、飲みにいきたくなっちゃうねぇ。夜も『満腹』が開けてくれてたらいいのに」

 気軽にそのあたりの店に入れる大きさではない硫黄さんはぼやき、私は笑いながら辞意を告げた。

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