第24話 青年、対峙したものと描かれたものと

 年の瀬が迫っていた。

 年末年始を当てこんだ品が商店の軒先に増え、どことなく空気が忙しなくなり、どこもかしこも活気に満ちていく。

 私は年始に実家に顔を出すのはやめることにした。

 その代わり、手紙をしたためる。

 時期をずらして春先にかならず顔を出す、と――書くか書かないか迷い、結局書いた。

 会わせたいひとがいる、と書くか書かないか迷い――こちらは書かなかった。

 いま月子さんのことを手紙に書いて送るのは、さすがに先走りすぎている。

 月子さんときちんと話をしよう。

 あちらのご家族は、私をどうとらえているのだろう。家に上がらせていただいたとき、歓迎されていたと思った。自惚ではないはずだ。こちらの勘違いだったら、とっくに硫黄さんが間に入っているだろう。

 もし縁を持つなら、こちらも支度をしなければならない。

 指先に墨をつけ、こんこんと眠っている化けものを横目にする。

 音を立てないようにふすまを閉め、卓袱台に乗っている紙を検分した。

 いまも化けものからの絵手紙は続いていて、私は頻繁に描かれるものに共通項を見出していた。

 そこにある紙には、化けものが自分の顔を模したと思われる絵が描いてある。

 ぐるりと描かれたいびつな円に、目がふたつ、鼻がひとつ、口がひとつ。

 実際に向き合っていると判然としないのに、こうして紙に描かれているとそれがわかる。惜しむらくは、化けものの画力の低さだ。

 顔から線が引っ張られており、なにやらごちゃごちゃと文字らしきものが添えられている。

 これは化けもの自身の情報だろうか。

 化けものは地図らしきものもこれまでに何度も残しており、今回も描いていた。

 書く度にこなれ、とても見やすいものになっていく。地図かも、ではない。どこかを記したものだ、と思わされる。

 私はこれまでのなかでとくに見やすいものを畳み、自分のふところに入れた。いつか一途くんに化けもののことを打ち明けられたとき、この図画を見せてみよう。

 郵便局に両親宛の手紙を預けてこようと腰を上げ、日が落ちて暗くなる道に足を踏み出した。

 りりり、という金魚の声と、一途くんが呼びかけてくる声が聞こえる。

「皮剥くん、出かけるの?」

 離れの前に一途くんが立っていた。

 ここ最近姿を見せていなかったのだが、戻ってきたのだろう。

「おかえり、いつこっちに?」

「ついさっき」

 私は両親にしたためた手紙をおさめた封筒を見せた。

「今年は帰省を先延ばしにするから、それを知らせておこうと思って。ちょっと手紙を出してくるよ」

 一途くんはどうするのだろう。

 目を向けると、彼は睡蓮鉢に目を落としていた。

 りりり、と愛くるしい声で金魚は鳴いている。最初は指先ほどの稚魚だったものが、いまでは手のひらほどの大きさになっていた。

「この鉢から、大きいのに移さないの?」

「鉢の大きさか……移したほうがいいかな」

 番いの金魚には充分に思えるが、もしこれから増えていくとするなら、もっと広いところのほうがいいかもしれない。

「これからどんどん寒くなるから、凍えないように室内に入れてやらない?」

 真冬までは屋外でも金魚は平気だ、と聞いていたのだが、愛着が湧いてしまっているからだろう、寒い思いをさせるのは不本意だった。

 一途くんにいわれ、私は金魚をどこに移すか考えはじめていた。

 台所の横あたりに、もうひとつ鉢を購入するか。

「あのさ、こっちの……離れの風呂場は?」

「風呂?」

「僕は外をうろうろしてるから、ここの風呂をぜんぜん使ってないんだ。皮剥くんがいいなら、風呂桶が大きいから……そっちに。金魚ものびのびできるだろうし」

「風呂場でこれだけ鳴いたら、響いて一途くんがうるさくない?」

 一途くんは笑う。

 昔から知っている、ずっと変わらない笑顔だった。

「そこまで僕は繊細じゃないよ、へいき」

「そういってくれるなら……風呂場に今度移そうか」

「じゃあ、いまやってもいい?」

 一途くんは袖まくりをする。

「この時間に? ま、待ってよ、私も……」

「このくらい僕にさせてよ、水仕事は好きだし――離れに泊まらせてもらってばっかりだから」

「そんな」

 気にしないでほしいが、それは無理だろうか。

「ゆっくり手紙出して、戻ったときに終わってなかったら一緒に」

「ええぇ、そんなの急いでいくに決まってるよ」

 情けない声で私がいうと、一途くんは離れの戸口に隠してあった手桶を取り出して見せた。

「いいって。じつはもうあっちに移すつもりで、風呂桶に準備をしてあるんだ」

「そうだったんだ……ありがとう」

 金魚もありがとう、と言っているのかもしれない。私の礼の言葉と一緒に、りりり、と鳴いていた。


        ●


 せっかく一途くんがいるのだ、と私は早足で出かけ、早足で帰ってきた。

 いくつか干物を買ってあるし、酒もまだ買い置きがある。酒屋の杉玉があれこれ勧めてくれるので、ついつい買ってしまうのだ。

 一緒にどう、と声をかけるより先に、一途くんが私を離れの風呂場に誘った。

 彼が用意してくれた風呂桶での準備というのは、水を張っただけではなかった。

 なかに何種類もの藻や水草が揺れ、どこかから調達したのだろう、様々な石が底に敷いてある。

 さながらどこかの水辺のようで、睡蓮鉢では見られなかったくらい金魚がすいすい活発に泳ぎまわっていた。

 いままでこんなに元気な姿を見たことがない。

「広いと、こんなに元気なんだね。いままで狭いところに入れてて、悪いことしちゃったなぁ」

「いっそ、春になったらおもてに池でもつくったら? このまわり、皮剥くんの持ちものなんでしょ?」

「どうなんだろ……」

 権利関係に疎く、親類は池をつくったところで怒らないとも思うが、私は首をひねるしかない。

「帰省したときに、ちゃんと確認しておくといいよ。その……いい子いるんでしょ、皮剥くん」

 私は一途くんを見返した。

「前に一緒にいるところ、見かけて。熊の子と歩いてたよ」

「う、うん……月子さんっていうんだ」

 悪いことでもなんでもないのに、どうしてか後ろめたい。

「ここ、買いものにはちょっと不便かもしれないけど、子供が騒いでもご近所に迷惑かけないだろうから、手を加えていってもいいんじゃないかな」

 未来のことを考えると、どうにも気が重くなる。

 そうだ、私はやはり化けもののことを、一途くんに打ち明けなければならない。

 どんなふうに話そう、どうしたいのかわからない――できることがわからなすぎて。

 だが一二三さんのことがある。あのひとは怖い。法も変わるという。

 自覚がなかっただけで、じつは私は崖っぷちのところをふらふら歩いているのではないか。

「一途くん、あのさ」

 いいかけたとき、一途くんが大あくびをした。

「……近いうちに、また飯でも」

「そうだね。いけたらいいねぇ」

 胸のなかのざわつく、不安になる言葉だった。

 だがその不安は確実なものなのだ。

 私はそれを聞かなかったことにし、風呂場から出る。

「年末には外に出てもあわただしいから、はやいうちにね、仕事終わったら声かけるからさ、また鍋に」

 一途くんは返事をせず、泳ぐのに忙しい金魚たちも鳴かなかった。

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