第13話 青年、満腹でげんなりで

 きつい坂道を上るような繁忙期が終わってみると、今度は一転して暇でのどかな日々がやってきた。

「おなか空いたねぇ、行こうか」

 にこにこ顔の硫黄さんが休憩時間になると現れ、昼食に私を連れ出すようになったのはここ最近のことだ。

 庁舎の裏手にある大通りをちょっと進むと、飲食店が並ぶ通りに出る。

 目的地はそこにあり、天井が高いつくりになっている一膳飯屋「大盛」である。

 飯屋「大盛」は硫黄さんの親類が切り盛りしており、厨房にいるのも客の間を歩きまわるのも全員熊だ。店員である熊が動きまわるため、通路などがほかの店よりずっと広くつくられている。だからか、いつの間にか体格のいい客が集まるようになったのだという。

 私が過去この店に足を運んだのは数回ていどだったが、ここ十日は毎日のように通っていた。

 十日ほど前から、「満腹」で月子さんが働きはじめたのだ。

「日替わりふたつね、あとてきとうに」

 硫黄さんがてきとうに、とつけ足すと、注文を取りにきていた月子さんが厨房に伝える。すっかり店に慣れており、働く相手が親類だからか、気詰まりなこともなく過ごせているようだ。

 料理が運ばれ、煮つけの定食とてきとうなもの――つまりその日一番はけの悪い品が届く。これといってそんな品のないときは、てきとうなものは届かない。

 この界隈の一膳飯屋のなか、「満腹」は定食の量が多い。味もいい。だが大柄な客の集まる店になっていて、それなりに背丈のある私が小柄な部類になっていた。身体のちいさなものにすると、どうにも居心地の悪い店、という評だ。ただ決まった日に弁当を売っており、そちらはとても評判がよかった。

 食事の最中、硫黄さんが来春の品評会のことを持ち出してきた。

「皮剥くん、今度はどうするの。来年なんてすぐだよ」

「出ますよ、だって全員参加ですし」

 一年置きに開催される品評会は、実際のところ給与の査定と直結しているといってよかった。前回の品評会で銀をいただき、それは査定に大きな影響があった。

「そうじゃなくて、金賞狙わないの?」

「銀も、狙って取れたわけじゃないので」

 金賞を取るには、なにか風に仕込みができなければならない――面倒だな、というのが正直なところだ。

 閑散期になると気が抜けて、ぼんやり過ごしたくなってしまう。

「ふうん。で、月子はどう?」

「……月子さん?」

 いやな笑みを目の前の熊が浮かべていて、どうともなかなかこたえにくい。

「からかってもさ、月子のやつ反応鈍くって」

「……からかったりしたら、あっという間に嫌われますよ」

 かわいいあまりにからかうのだろう、目に浮かぶようだ。

「で、どうなの」

「どうっていうことはないです。なにも」

 硫黄さんは不満そうな顔で箸をしゃぶる。そんな顔をされても、なにもないのだからしょうがない。

 月子さんと私は、仕事帰りに待ち合わせてちょっとなにか食べたり、散歩をしたりするていどの仲なのだ。

「そうはいうけど、僕ね、皮剥くんのこと高く評価してるんだよ」

「はあ……ありがとうございます」

「僕だったら、月子みたいな若くてかわいい娘が好意剥き出しで寄ってきたら、たぶん我慢しない」

 力説されても、私としては同意しかねる。

「奥さまに今度お伝えしますね」

「皮剥くんがあれに会うことは、そうそうないんじゃないかなぁ」

「月子さんに伝言をお願いすればいいんです」

 頬をふくらませ、硫黄さんはあらためて不満を表明してくる。そんな仕草を見せられても、なにも響くものはない。

 ――むしろ月子さんがそんな顔をしたら、かわいらしいかもしれない。

「……まあ」

 空になった茶碗の横に箸を置く。

「かわいいのは確かです」

 私のそれは小声だったのだが、硫黄さんの耳は拾ったのだろう、ひどい顔をして笑っていた。

 一通り食べ終えると、私たちはすぐ席を立つ。代金を取りに来た月子さんに、硫黄さんが色をつけて渡していた。

「あとでおやつでも食べな」

「おじさんありがとう!」

 相変わらず、月子さんは硫黄さんが相手だと遠慮がなかった。

 外に出ると、仕事に戻るのがいやになるような天気だった。大きな雲の影で龍が飛んでいてもおかしくない、と探してしまう。滅多に見かけないが、風があったり季節の変わり目などに見かけることがある。各地に龍を祀る社が点在し、昔出かけたときはお供え物のお菓子や果物が山積みだった。

 今度の休みに、月子さんと弁当を持って出かけようという約束をしている。そのときもこんな天気ならいいのだが――心のなかで、私は龍に快晴を祈願した。たぶん、祈願して通じることはない。

「ね、蛙の友達、どう?」

 硫黄さんのその問いかけは、月子さんとのことを尋ねるのとおなじ温度だった。

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