第12話 青年、一段落
がっしりとしたつくりの長椅子が蔓に正面から当たり、弾かれ、盛大な音を立てて地面に落ちる。
「月子さんっ」
私の横では、彼女が両手に一本ずつ長椅子を掲げていた。かけ声もなにもなく、全身を使って月子さんが椅子を蔓に向かって投げつける。ふたたび長椅子が宙を舞った。
「あっちにいって!」
「――おい、娘っこにだけ働かせてるな!」
どこかから老いた声がかかり、また周囲から様々な品が投擲され、雨のごとく降りはじめた。
そして上空から、到着した警邏隊の面々が降り立った。
誰もが心待ちにしていただろう。私は涙が出そうになっていた。
警邏隊の烏の面々が蔓の周囲に立ち、取り出したひょうたんの中身をかけていく。かけられたものはただの水に思えたが、蔓はしおしおとしおれるようにちいさくなり、それきり暴れることはなかった。
黒の直衣を着た黒い烏たちは、さっさと網で蔓を包み、かけ声ひとつを合図に地上から持ち上げる。各人が背に生やした黒い翼をはばたかせ、現れた警邏の半分ほどが蔓とともに去っていった。
その場に残った烏たちは、破壊され散らかったものを検分し、往来のものたちに声をかけている。
「そこの方、ご無事ですか」
声がかかり、私は大きな息を吐いた。
「はい、おかげさまで……」
「正面にいらしたようですが、子細はご存じですか? お話……できそうですかね」
近くの崩れた店先から、大きな声が聞こえた。
「誰か、こっちに手を貸してくれ! 壊れたもんの下敷きになったのがいるんだ!」
厳しい声音に、警邏を含めて何名かがそちらに向かった。
和菓子屋に逃げこんでいた子供が、そこにおずおずと顔を出した。
人垣に向かって頭を下げる。怖かっただろう、どこか呆けた顔つきになっている。
「あ……ありがとうございました……」
「おい! なにやらかしたんだ!」
かかる厳しい声に、子供は首を振っている。
「い、泉で足洗って……ちょっと遊んで、帰ろうと思って水から上がって……気がついたら、すごく怒ってて」
「それだけじゃないだろう」
自分の店がめちゃくちゃになっているのだ、誰も彼もがいい顔をしていない。
「ほんとだよ、だから怖くなって逃げて……」
「泉のある社? 竹林のはじのやつか」
先ほどうかがった庭瀧さんの工房の裏手、竹林があった。そこだろうか。
「うん、いままでも、泉で足を洗ったことあるんだ。さっきがはじめてじゃなくて……だからなんであんなに怒ってたのか、ぜんぜんわかんないよ」
「そんなわけが……」
「いや、もしかすると、坊主だってとばっちりかもしれんぞ。ほかのやつが怒らせたが逃げ出して、そこに坊主が顔を出したとか」
「そんなこといい出したら、なんにも原因なんてわからんだろう」
なにがなにやら、という状況で、警邏のひとりが子供の肩を抱くようにする。
「くわしい話は、あとで聞かせてもらうから。さ、こっちに……怖かったろう、よくこらえたね」
複数の烏が現場に残っているためだろう、あからさまに子供を糾弾する声は上がらなかった。しかし突然の嵐に軒先を荒らされた体となった店主たちに対し、納得しろというのは無理な話のようだ。ちいさく悪態をつきつつ彼らは自分たちの店に戻り、ただの通行人だったものはのろのろと散っていく。
集まった烏たちが、瞬く間に場を平静に導いた。その現場に立ち会い、私は安堵からへたりこんでしまいそうだ。
迫りくる、怒れる蔓は怖かった。
死人が出たという声はないが、何人か怪我はしている。あれこれが壊れた風景にぞっとする。
なにより化けものと係わっていると発覚したら、私もあの蔓のように捕縛され、烏たちに連れ去られることになる――その明確な光景を前にしたのだ。
私は月子さんの呆然とした様子に気がついて、ようやく我に返った。
「月子さん、怪我は? さっきは助けてくれて……」
ありがとう、と続けようとしたら、月子さんの両目に涙がこみ上げてくるので私はぎょっとする。
「……わ、私」
月子さんの声はふるえていた。
怖かっただろう、私のそばにいたのだから、彼女にすれば蔓が自分に向かってきたようにも見えていたはずだ。
「月子さん……もう大丈夫です、警邏のみなさんが……」
「私、ち……力だけは自信があ、あって」
顔を覆い、月子さんはしゃくり上げつつも言葉を続けていた。
「こ……こんな、みっともないところ……」
「みっともないなんて」
「だ、だって、乱暴なところ、こんな……」
あれのことを気にしているのか――往来に転がっている六人掛けの長椅子を、ちらりと見る。月子さんが軽々と放り投げていたものだ。
女の子に蔦と対峙させた点は申しわけなかったが、正直なところ私としてはなにも驚くところはなかった。
硫黄さんの腕力を、私は職場で度々見ている。
だがうら若い月子さんにしたら、熊らしい腕力は嬉しいものではないのだろう。
しゃくり上げる月子さんをなんとか慰めようとするが、すぐによい言葉が見つけられない。
「でも、か……皮剥さんが危ないって思って、投げられるものが、だって、ほ……ほかになくって……」
「月子さんに助けていただいたんです、感謝こそすれ……そんな」
「だって、こ、こんな乱暴な子なんて」
彼女が気にしているところらしい。私がまったく気にしていないといったところで、すぐ信じてもらえる気がしない。
「ほかにも自信があるもの、なにかあるんじゃないですか? 硫黄さんにしたら、自慢の姪っこさんでしょう」
自慢はされたことはないが、硫黄さんが月子さんを可愛がっているのは明白だ。
「りょ……料理、を少し……」
周囲をひとが行き交いはじめている。彼女の背を軽く押し、道のすみにゆっくり移動していった。
「私……あんな、あんなの投げたりしたけど、あ、荒っぽいことが好きってことじゃないんです、私……私」
涙は引っこんできているのだろう、両手でごしごしと目をこする。
澄ましたお嬢さん顔の月子さんもかわいらしいが、そうしている彼女のほうが好ましかった。
――好ましいと自覚して、私はにわかに混乱した。
「あの、それじゃ……今度、手料理を食べさせてください」
月子さんがきょとんとする。
私は自分がなにを言っているのか、よくわからなくなっていた。
「い、いえ……あの、よかったらで……私もなにかうまいものを調達します。だから今度、その」
いきなり手料理をだなんて、ずうずうしいと思われないか。失言を後悔しかけたとき、月子さんが口を開いた。
「いいん、ですか?」
「はい、ようかんのうまいところを知ってますし、甘味処をまわっても楽しいかもしれないです」
うまい店の情報は確かだ。ほかならぬ硫黄さんが教えてくれた店がいくつもある。
「私、こんな……乱暴、な」
「暴力に使いたいなら乱暴ですけど、月子さんはそうじゃないです」
彼女の目が輝いて、なんとか消沈した状態を脱したようだ、と一安心する。
それから道に散らばったものの片づけに参加し、そろそろ引き上げようとしたころに、和菓子屋の店員が盆にたくさんの包みを乗せて現れた。
「みなさん! よかったら持ってってください!」
それは店の商品を包んだちいさな包みで、往来で働いていた面々に振る舞われていく。
「どうぞ、お持ちくださいな」
そういえば、私たちの目当てはこの店の和菓子だった。
結局目当てのものを手に入れたといっていい。
受け取った包みは、私のものも月子さんのものも、どちらも大福と豆大福がひとつずつである。
「お兄さんもお姉さんも災難でしたねぇ。おふたりがアレに向かってぽーんって投げるの見てたけど、あたしだったできるどうか……」
店員は長椅子を投げたところを見ていたらしく、興奮した声でそう話した。
狼狽する月子さんの手に「内緒ね、もういっこね」といって和菓子の包みを押しこみ、店に帰っていった。
日暮れの迫る道で大福をかじりながら歩き、乗り合い牛車の出るところまで月子さんを見送る。
その日はそれで終わりだった。
残業まみれのときより身体はぐったりとだるかったものの、明るい気持ちで私は家へと帰った。
●
この一件以降、月子さんは私と会ってもうつむかなくなった。
打って変わって、話し好きでよく笑う娘に変わる。
どことなく蔦子さんを連想させることがあり、いずれは豪放磊落な女性になるのかもしれない。
それはそれで、月子さんを好ましく見せたのだった。
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